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金と日本文化の研究会コミュの8世紀中頃の刀子出土

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茨城県ひたちなか市で8世紀中頃の刀子(とうす/小刀)出土

刀子とは小刀ではなく文房具の一種であろう。
現代のペーパーナイフに近いイメージと捉えれば良いだろうか。
当時は紙が少なく、木簡などに様々な文書が残されているが
その木簡を再生するために、刀子で削り、
新たな文書が書き加えたりしていた。

8世紀中頃と云えば、
聖武天皇が東大寺大仏を造立して開眼供養が行われたのが752年のことだ。
749年には陸奥国から900両の金が産出された、
と続日本紀に記されている。
また東大寺要録によれば
746年には那須(現在の馬頭町)付近でも金が採れたとある。

今回出土された金具のついた刀子は
茨城県ひたちなか市にある集団墓「十五郎穴横穴墓群」で、
正倉院の宝物に酷似しているという。
鉄製の刀身(25?)のほぼ中央に銅製の帯執(おびとり)金具があり
表面に金が施されている、という。

この事から、ひたちなか市(水戸市に近い)近辺の豪族と
奈良の中央政府のと繋がりを案じさせるが
私が思うには
那須から八溝山脈にかけてこの当時から金が採れていたので
その辺からの結びつきを感じずにはいられない。
太平洋に流れる那珂川と久慈川の間に挟まれた上流域は
砂金が採れていたとしてもおかしくないのだ。
中央政府は金との関連で、
かなり昔から東北地方には朝鮮半島からの渡来人や人財を派遣し
金を探っていたのであろう。

東大寺大仏の事を調べていくと
7世紀後半から8世紀にかけて、
金を中心とした政治や、社会の事が浮き彫りにされてくる。

そして日本の金を掌握していたのは
どうやら、良弁を中心とした朝鮮半島からの
渡来人ネットワークが見えてくる。
日本の金は朝鮮半島からの渡来人ネットワークをなくしては語れないのだ。

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