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金と日本文化の研究会コミュの金について

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歴史や文化面の事何でも良いのでお書きください。

コメント(3)

始めまして! 金は大好きです。 仕事で使用するからだけでなく、食べても無害 というところが、人との親和性を感じます。 私は佛像を制作する者ですが、寺院に納めるような大きな像に使用する金の量は膨大です。 お像の肉身には金粉を、衣には金箔を使用します。 また、小像でも木地を生かして、金泥で模様も描いたり、あるいは、きりがねの技法にて細密な装飾を施すことは、jamさんの仰るとうりです。 江里さん、松久まやさん・・このお二人もきりがねの技法の名人ですが、江里さんは残念なことに先年なくなりました。 
日本で金が使われだしたのはいつ頃か

先日業界の先輩からメールがありました。
私が日本の金について研究しているので、
彼なりの考えをご教示頂いたということです。
紀元後1〜3世紀には日本列島に関して2つの金印がありました。
ひとつは57年に後漢の光武帝が
奴国に使者に授けたとされる「漢委奴国王」の金印、
もうひとつは239年に卑弥呼が魏の明帝から授けられたという
「親魏倭王」の金印です。
「漢委奴国王」の金印は
1784年に福岡県志賀島から発見されましたが、
真贋の件では未だに解決されていません。
また「親魏倭王」の金印については
その存在すら判っていません。
もしこれが発見されれば、大変な事になります。
この2つの金印は両方とも
中国もしくは朝鮮半島の金で作られたものでしょう。

やがて5世紀後半の埼玉、稲荷山古墳から鉄剣が出土しており、
この鉄剣には金で象嵌された文字が彫られています。
この鉄剣に記されている辛亥年は471年が定説ですが
一部に531年説もあってはっきりしません。
この金が果たして日本列島から採れたものか、
或は朝鮮半島から輸入されたものかは不明ですが、
私は恐らく朝鮮半島から輸入されたものではないかと思います。

また、5世紀後半頃に築かれたとされる、新沢千塚126号墳墓からは
おびただしい量の金の装身具が出土されていますが
これらの金製品は朝鮮半島で作られたものが
日本列島に持ち運ばれたものと断定して良さそうです。

これらのことから、5〜6世紀は日本列島では金の存在は判っていても
金(砂金)を採取する能力はなかったと思われます。
日本列島から金が採れるのは、6世紀に入って、
朝鮮半島からさまざまな技術者の集団が大挙して渡来してくる。
そうした中に金を採取する人たちがおり
彼らの技術で、
日本でも金が採れるようになってきたのだと推理します。

538年に仏教が日本に伝来されますが、同時に金銅仏も輸入され
やがて日本列島に寺院が建ち仏像が安置されるようになると
金が大量に必要とされ、輸入だけでは賄えなくなってくる。
こうして749年、陸奥国で900両という砂金が発見されるに至りますが
これらの金採取を指揮したのが
百済王敬福という朝鮮系の一族であったというのは
あまりにも有名な話です。

直接ではありませんが
村上隆著の「金・銀・銅の日本史」は
日本の古代の金について判りやすく書かれており
一般の人たちにも比較的馴染みやすい1冊です。
「金・銀・銅の日本史」は、私も多くの方におすすめしたい一冊です。

古代のことだけではなく現在の金に纏わる話を語るにも、基礎的事項として押えておくべきことだな、と思えたのが率直な感想です。

色々と学んでいきたいと思います。よろしくお願い致します!


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