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アーヤタナ☆ほんとうの自分へコミュのアーユルヴェーダ的暮らしは難しい?

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Aさんから、質問?つぶやき?をいただきました

「アーユルヴェーダって、いろんなことに注意しなくちゃいけないから
 続けていくのが大変じゃないですか?
 もし自分がしたいと思っても、家族とか職場の状況でできないこともあるし。
 やっぱり私には無理かもバッド(下向き矢印)

答え:
そのつぶやきが、すでにアーユルヴェーダ的と感じます。
そうでなければ、そのようなつぶやきはでてこない!?

明日からアーユルヴェーダ的に暮らす!とか
これをしているから アーユルヴェーダ的!とか
というようなものではないかな〜。
1日にして全てを変えるとかそういうのではない。

ただ もし今 何かがおかしい、もっと幸せになりたい
などと思うのなら
ほんとうの自分を見つめていく 訓練をしてみる
それが アーユルヴェーダ的ということかな?

アーユルヴェーダでは、いろんな分野のアドバイスがあります
食べるもの 運動 睡眠 考え方 人とのかかわり。。。

自分で必要と感じたところから
できそうと 感じたところから
すこ〜しづつ のんびり 試していったらいいかと思うんです
だって 今まで そんなことすら考えなかったんですからね
あせることもないですよ

私は、別にぜんぜん ヴェジタリアンになろうとか
禁煙してやろう!とかも思ったことなかったですよ

5,6年くらい前までは
ヘビーじゃないけど煙草も吸ってましたし
お酒は強かったな〜
たくさんはのまなかったですけどね。
強いの平気でしたよ
スペインのバールでテキーラのダブルのストレートを
ライムかじりながら2杯ほどひっかけて
さらにバールはしごして
朝まで踊って。。。なんて人でしたから

それが今では お酒も煙草も肉も魚もなくっても
なんの不自由も物足りなさもガマンもないです

ひとのことは、まあいいですよ
家族や会社の人も、心にも体にもいいからやってみてほしいとは祈りますが
あれもこれもダメダメ〜どうして私の言ってることわからないの〜
という感じだと 不調和が生まれます
アレルギーなんで、すみません、ってとりあえず流しますあせあせ
それでも興味ある人は、後でいろいろ聞いてくるので
そしたら いろいろお話しますけど

一緒にお酒飲めないなんてつまらない、っていうひともいます
でも お酒飲むための関係なら別に私でなくてもよいかなと思うんです
お酒飲まなくてもお話しできるのですから
だからその人は、私と話したいというより、お酒が飲みたいんです
きびし〜ふらふらかな?ごめんなさい

お酒を飲んで何かを紛らわしたり?発散したり?ひとときの夢を見たい?
味覚を満足させたい?ハメをはずして仲間とはしゃぎたい?
とかありますよね〜
でもいつも ほんとうに 幸せに満たされているなら、
それは なくてもよいはずなのですよね。。。

だって今を忘れたいと思わないだろうし
いつも自由で はずすハメも ついていない
(ハメは馬をコントロールする道具)
味覚の刺激も必要ない。。。
お酒に限らず、全てにそんな考えが当てはまるかと思います

ひとときの幸せと
ずっとつづく 深い幸せ
どちらでも 選ぶことができるのです
それが 人間と動物の違いだそうです

アーユルヴェーダはその具体的な方法を
教えてくれています
 
家族でも友達でも、離れて行く人もいるかもしれません
でも 新しい仲間も増えてくるんです
今の自分に 心地よくお互いに高め合える関係の人たちが
引き寄せあってきます
だから 心配いらないですよハート

コメント(15)

そう、それで そのつぶやいたAさんは
家族が 家で料理するという習慣がないそうです

みんなが各自なにか買ってきたり 外食に行く

だから、今日は何食べに行く?!という誘いを
断り続けると 不調和が生まれる

ほんとうは 家で料理したものが食べたい
だから自分で作ってあげたりもした
でも、味が薄いとか あまり喜んでもらえなかったそうです

こういうのは、どうしたらいいのか?
ということでした

詳しい家庭事情がわからないものに
あれこれいう資格もないかと思うのですが

相手(家族)を変えようとか、自分の価値観を理解させようとか
すごく大変です
ときには 余計なお世話かもしれません
家族もそれぞれに なにかしら この人生で学んでいると思うのです
それぞれが それぞれのペースで
神聖な力が きっとサポートしてくれてると思います
だから 心配はいらないと思います
究極的には、病気や死でさえも その人に必要な経験と学びであることもあるそうです

それでも 変えようと思う時は
もしかすると 自分のエゴの声かもしれません
相手に認めてもらいたい自分
相手をコントロールしたい自分

あるいは 執着
もしも そのことが ずっと離れないなら
そうかもしれません

みんな それぞれに 自分で生きて癒していく力がある
だから それを信じて 執着を手放して 神聖な力にゆだねて
出来る努力をしたなら、あとは祈り、見守っていく

それは 忍耐強さを試されることでもあります

すべての外食にお付き合いすることもないかと思います
誘ってくれてありがとう。一緒に楽しく食事したい。
でも、今日は胃が疲れているから、家で消化の良いものを手作りしたい
などと、お断りすることもあってよいかと思います。

または、ヘルシーなお店をリサーチして
そういう所へ行くようにしたり。

おいしい料理が作れるように研究したり。
まずは、家族の味覚に合わせて。お家で食べたくなるように。
そしてすこしづつ、オーガニック素材や、ヘルシーなメニューを
加えていったらどうでしょう?

私は肉を食べたいという欲求もないので、
あまり興味がないのですが
家族はなんちゃってヴェジハンバーグや
大豆タンパクの唐揚げを作ると喜びますので、たまにつくるようにします
これ本当に肉じゃないの〜?!!とびっくりして
食べても胃にもたれたりしないので気に入ります

何年もかけて、ちょとづつここまで来ましたよ
自分がちょっとづつ変化すると
まわりも ちょっとづつ変化していって
それが おもしろくて 心地よくて
続いてきています






2 さくらんぼ さん
>ビール135ミリリットルとおまけにタバコも吸います。どうしたらやめられるのでしょうか?家族仲もいいし仕事も人間関係も全てうまくいっています。でも嗜好品珈琲などもやめられなくて汚れているのかな心構えと体がそれか意識、習慣を変えればいいのでしょうか?

これについてと、前に話題になった肉食について、賢者たちの教えを引用してみますね。ちょっときびしいところがありますがげっそり

●肉や魚を食べる人に、急にそれをやめるよう、求めているわけではありません。ただ、徐々に完全な菜食に変えていく方がスピリチュアルな訓練には良いです。習慣を一気にやめることはとても難しいものです。
心を研究し、徐々にコントロールするよう努めましょう。

●喫煙や飲酒が健康に有害であることは、誰もが知っていることです。
にも関わらず、そのような習慣がある人は皆、それを止めるのは難しいと思っています。
きっぱりとタバコを止めにくい人は、吸いたいという衝動が起きたら、
代用としてカルダモンやリコリス(甘草)を噛んだり、水を少しずつ飲んだりすると良いでしょう。

●コーヒーやお茶は、一時的に気持ちを良くするかもしれませんが、
そのような習慣を持つことは、実際には健康にとって有害です。
このような習慣も同様に、手放すことです。

ということです。
ほんとは、もっと厳しいのもありましたが、
急激にストイックすぎると、無理無理〜もういいですふらふら
となりそうなので やめました(笑)
私個人としては、前に書いたように、お酒や煙草の他、コーヒー、紅茶、激辛キムチといった刺激物を常飲、常食してましたあせあせ(飛び散る汗)

自分が経験した限りでしか、今は言えませんが...

お酒は出来れば飲まないにこしたことないですよ涙
残念なことに、人間の体はアルコールをとるようにはできてないんです
おなかもぽっくりになるしね(;一_一)

でも 抑制するとよくないから
飲みたければ ほどほどに飲んだらいいですビール
ターメリック(ウコン)のサプリでも飲んで
肝臓をいたわたってあげてくださいねハート

私が、お酒とたばこをやめたのは、初めてインドに40日行った時からです。
アーユルヴェーダセンターに滞在していたので、完全菜食、アルコールもカフェインもなし。

でも、自分が菜食になってることも気づかないくらい、
料理はおいしくて、お腹も心も満たされてました。
味付けは、香辛料は適度に使っているけど、
街で食べるような日本人にはかなり刺激的な使い方ではなく、油も控えめ。
食間は白湯を少し、食後は消化を良くしたり、リラックスするハーバルティー。

2,3週間もすると、なんかすごく穏やかになってる自分に気づきました。
肉とかカフェインの興奮物質をいただいていないせいか。
こころだけでなく、胃も、いつもすっきりして、体は軽い走る人
朝の目覚めがすがすがしいぴかぴか(新しい)などなど。。。

一番気に入ったのは、いつも攻撃的になりがちなアグレッシブな性格が
草食動物のように、まったり落ち着いていることでしたいい気分(温泉)
ああ、わたしこれから ずっとこうありたい。。。と感じたんです
いつも有り余る情熱とパワーが怒りダッシュ(走り出す様)になって発散されてきたりして
それが すごく 困るし、嫌だったんです

しかし、せっかくインドに初めて来たんだし、インドの有名な料理も食べてみたいと思って、あるとき、センターの外の有名なレストランに食べに行きました
センターにはないチキンの料理を食べることに。

すると、肉を食べる(油っぽい&刺激的香辛料)→お酒欲しい→タバコ吸いたい→コーヒー飲みたい→甘いもの食べたい
といった具合に、刺激物欲求衝撃の連鎖反応が起こりました

やあこれは、大学時代のハチャメチャ放課後のお茶コーヒーを思い出しましたよ

ホットケーキ食べる→フライドポテト食べる→サンデー食べる→抹茶飲む→団子食べる
これは甘→塩→甘→塩 連鎖ですあせあせ

まあ、学生時代のことはさておき、
刺激物連鎖は、どれか一つ手をつけたら、続いていってしまうと気付きました
それがなくても いい感じの自分がいるのに、どうして 手を付ける必要があるでしょう?

一つの理由として、条件反射があります
たとえば、日本に帰国すると、たくさんのものがあふれています。
肉を焼くにおい、ガーリックの香り、ワインの甘い香り、
美しくおいしそうな料理の写真、ごくごくおいしそうにビールを飲むテレビのコマーシャルなどなど

それらを感知すると、それを食べたり飲んだりして一時的に気持ち良く、楽しくなった記憶と結びつくのです。
そして またその気持ち良さを得ようとして、記憶につながるものを取り入れたいと欲します。

もし その時、すごくお腹が減っていたり、疲れていたり、気持ちが満たされていなかったり、楽しくなかったりしたら、よりいっそう、欲求は強くなって、実際の行動に出ます。

ときには、コントロールが利かなくなって 必要以上に とりすぎてしまうこともあります。

なので、やっぱり、満たされて、楽しい、幸せな自分がいないと
別のものに 求めるのは 仕方がないと感じました

ここでいっている 幸せぴかぴか(新しい) は、一時的なものでなく 永遠に続く方のものです

さくらんぼさんの幸せは、もちろん幸せに変わりはないですが
究極的な 永遠の幸せとは また違うものです

なぜなら それらは常に変化していくものだからです
人は変わるし 死んだりもする
もし その人たちが 自分を愛さなくなったりして、今の関係が変わっても
それでも 幸せでいることができますか?
こちらは 変わらずに 相手を愛し続けることができますか?
もし 死んでしまっても 幸せでいることができますか?

もちろん!といえる人は、あまりいないと思うんです
つまり、 相手が変わったり いなくなったら しあわせでいられなくなる
ということは ほんとうの自分 をまだ知らない、ほんとうの 幸せを まだ知らない ということなんだそうですよ

まずは よく自分を観察してみることから始めてみてはいかがでしょう?
7.8.さくらんぼさん
いつも一生懸命でまじめで、尊敬します。
無理しないで 自分の変化を 肉体も 心も
楽しみながら 観察していってくださいね〜

ストレスがたまってしまうのは、どんなことでかな?
お仕事が とてもたいへんそうだから そのことかな?
お酒、タバコ、コーヒーや紅茶のカフェイン、甘いもの

こういったものが なかなかやめられない理由として
今までの経験からくる 習慣的なものがあると書きました

もう一つの大きな理由として
中毒していく ということがあります

ニコチン、アルコール、カフェイン、砂糖、
これらは、とり続ければ 中毒します
そして 今までの量ではだんだん足りなくなって
さらに 量が増えていきます
それが得られなくなると 不快症状が心にも肉体にも出始めます

私の経験や周りの人たちを観察してみると
インスタント食品やスナック菓子などに使われているある種の化学物質にも
同じような反応があると感じます。

残念なことに、人は自分が上手に消化吸収や解毒できない(不耐性)のものに
中毒しがちなんだそうです。
おそらく 太古の自然とともに生きていた時代には、そんなこともなかったのでしょう。自分にいらないものは体が拒否していたはずです。

でも、刺激に溢れ、感覚器官が麻痺した現代では、
その 本来誰もが授かっている識別力まで 麻痺してしまっているのかも。。。

ところで、私は 例えば食後にたばこを吸わないと
なんとも 落ち着かない気分でした

朝には コーヒーを飲まないと
目覚めがすっきりしない 落ち着かない気分でした

それで、家でないときは、どこでタバコ吸えるか?
どこでコーヒーをゲットするか?
そういうことを 心配して それが得られるまで
ずっと 何かが足りない感 を持っていなければならなかったんです

それは、不便だな、とずっと感じていました
そのことに 執着して 行動や感情が 縛られている感じ

だから、それらを必要としなくなった時、
すごい解放感でした。

これは、経験がない人にとっては わからないかもしれません
ちょっとした ささいなことです
でも、 明らかに 自由を感じました

きっと こういう嗜好品の摂取だけに限らず
私の いろんなこと 物 人 状況 への想いに
このような 執着が たくさんあるんだと思います

それらすべてから解放されたい
ほんとうに 自由になって
ほんとうの 自分を生きたい

そう思ったら アーユルヴェーダ的暮らしが
一見 束縛するもののようで
実は 束縛から解放する方法なのだ とだんだんわかってきましたよウインク
9さくらんぼさん
中毒になるのは タマスの質が増えてきているとなりやすいです
タマスとは、怠惰、惰性、暗質、闇、迷妄といった性質です

この性質は、
重い 脂っこい 古い 不浄 太陽にあたっていない 化学薬品の入った 食品
を取り続けることで 増えてきます
そして 貪欲 怠惰 執着 といった 心で増えてきます
タマスが増しているから このような心になるともいえます

または
ラジャスの質があまりに増え過ぎるとタマスに転じます
ラジャスは 激質 活動 です
刺激の多い 活力を与えすぎる食事の過剰摂取、めまぐるしい行動
いらいら 怒り といった 心で増えてきます
ラジャスが増しているから このようになるともいえます 
9さくらんぼさん
>電話、メール中毒とかもありますよね。

ミクシィもそういう面がありますよね。
おもしろい記事があります。ご参考に。

「mixi疲れ」を心理学から考える
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0607/21/news061.html
>>[12]

「ニコチンの身体依存による離脱症状は、一般に禁煙開始後3日以内がピークとなり、その後徐々に消失していく。その後でもなかなか禁煙ができないのは、心理的依存・習慣依存の影響も大きいといわれる。」

と一般的に言われているようですが、
一度中毒と自覚するようになったら、分析してみないとですね。

成分の不足によるものは、今はいろんな良い禁煙方法もありますよね。
問題は、心理的依存、習慣依存ですかね。
それには、アーユルヴェーダ、ヴェーダーンタ、ヨーガなどの学びが役立ちます。

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