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◆日本の神話と古代史と日本文化コミュの鬼と呼ばれた、優しき先住民

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日本列島に住む先住民、に対して
【特に環太平洋・海洋系の民族では無い】
大陸から入った、弥生系の文化から見た
縄文時代における先住民「アイヌ・・・北海道」
           「エミシ・・・東北地方」など
に、住んで、
主に狩猟・採集で、暮らしている集まり
国、部族、民・などを

当時から、今まで勢力を持った
ヤマト・日本と呼ばれる中央政権が
『まつろわない』民として、困るため、ソレラを
侵略・討伐のため
蔑視して【鬼】と、指している場合が多いだろう
先住民の「シャーマン」対
渡来人の「巫女あるいは、陰陽師」
呪術の争いもあった、と思う
侵略のための、強姦、政略結婚もあった
生まれた、子供が何も知らず
侵略の先兵になって闘いを
挑んだ、ことも遭った

アテルイの闘い・・・東北

コシャマインの「乱」シャクシャイン「乱」・・・・・北海道

クナシリ・メナシ(ノッカ・マップ)の闘い・・・同じく北海道
の歴史は、何を物語っているか

関連して、つづけたい
このような、コトに対する過ちを繰り返さない、と言う
国家の真の反省と、慰霊が無ければ
日本の恒久平和・不戦の誓が
うそ、偽になり
再び、この過ちが、起きるだろう
そのときは、世界の破滅と言う
言葉が、当てはまるだろうと
私は思う
食料自給率・・・エトセトラ
不安は大人だけでないのです
子供たちが、色んなメッセージで
あらわしています、若年層の犯罪
弱い者イジメの行為
そして自殺と

鬼は、私の中に在るのです

【トピックの定義、編集です】
・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−
過去・今、現在
先住民を指してると思う、名前としての
トピックを今まで無ければ、創りたい。
ソレラ、「一部が、鬼」と呼ばれたのでないか

名前  地方  由来  神話

ウチナワ・チュウ・・・現在・沖縄

隼人・・・地方の名前 ?九州

熊襲・・・ 上に同じく

土蜘蛛・・・分からず?中部

出雲・・・鳥取?『渡来人の一部友好的で』残る

安曇野・・・海洋系?長野

『サンカ』・・・本州の山

エミシ・・・東北」

アイヌ・・・北海道には、現在
      平取・静内・白老・浦河・阿寒・十勝
      樺太・サトポロ・根室・旭川・函館他まだまだ
アイヌ部族がいます、部族と語って、いいでしょうか?
          そのわけは、色々在りますが
          ユーカラ(口実の叙事詩)の話に地方性が          あります
          衣装も、模様も、違います
          歌も少しずつ違います
          言葉も、少しちがいます
          特産物も違います
          部族同士の争いもありました
ー・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・
言いたい、追加として
以上の、アイヌ民族を対象に
最近まで北海道旧土人保護法
と言うものがありました

もう一度言います、エミシ・アイヌは
鬼と言われて
差別、偏見、蔑視と言う屈辱の
ラベリング(レッテルハリ・決め付け)の中

侵略の滅びる道(エミシ)と

分断支配・逆差別・同化(アイヌ)を受けてきました

鬼は、ソレ(上記)を考える行為と
戦争と否循環と支配と言う行為・行動です

アイヌと言う意味は人です
人を鬼と言うなら、言う人が、
いないものを、作ったのです
それを、作り出した文化・文明、人こそ、
化け物もしくは、妖怪になっていったのでは
ないでしょうか

公害・自然破壊・武器を体にくっつける物となりながら

勘違い、誤り等ありましたら
ご指摘、ご注意お願いします

尚、トピック【説話に出てくる、鬼について教えてください】  と、回答として出した、文面を使ってます

謹んで、宜しく失礼いたします         
 
拝      礼     拝

コメント(370)

>>[330]
何の根拠があって?
根拠なしに風説を付け加えるのは、歴史学ではタブーですよ?
>332
鬼 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC

なんのこっちゃわかりませんね。
中国を起源とする説もあるようですが。これも明白ではないようです。
ホツマのオニモノのほうがよっぽど的を得ていますね。
>332
鬼 - Wikipediaより中国における「鬼」、中国で鬼(グウェイ、拼音: guǐ)
中国ではグウェイでありオニは完全な日本語であるようです。
キともいいませんよね。オニはオニなんですね。
つまりオニは中国由来の言葉ではなく、日本古来からあることばなのです。
オニを鬼という漢字にあてはめたため、オニ本来の意味がかわっているのですよ。


中国由来の漢字に、日本語の訓読をあてがったんだから、それ言ったら、全部の日本語が明白じゃないとなってしまいかねません。所謂詭弁。

日本での擬人化が記録され始めるのが、平安末期であり、
安倍晴明のいたであろうとされる、平安初期~中期ではないですね。
この頃はまだ日本文化が国風文化への移行期で体系化されていない。

また、安倍晴明に関する伝説自体も、後付が多い事多い事。
聖徳太子などもそうですが、後代の人間が理想化偶像化した姿であり、実像からは徹底的に離れてしまっていると言ってしまっても過言ではない。

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=4987353&media_id=54&from=shared_ranking
>日本における“擬人化”を歴史的に見れば、平安時代末期から鎌倉時代初期に書かれた国宝『鳥獣戯画』までさかのぼると言われる。これは兎や猿、蛙といった野生動物が水遊びをしたり、弓矢をひいたり、相撲を取ったりという“人間っぽい”動作をする様子を描いた絵巻物で、まさに擬人化の元祖。

>また、江戸時代の歌川国芳の擬人化作品も有名だ。『猫のすずみ』や『かえるづくし』など、人間のように着物を着て生活する姿が描かれている。また、1855年に安政の大地震が起きると、「ナマズが暴れると地震が起こる」との言い伝えと融合し、ナマズを擬人化した絵が多く描かれたりした。
本職で建築をやっていて、鬼瓦なんかを研究している手前言えることですが。。。

安倍晴明が活躍したと記録に残るのは丁度10世紀中頃。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%99%B4%E6%98%8E

陰陽の祖の二大巨頭の一派としての祖神信仰に近い崇められ方をしています。

日本の記録上で、ほぼ最古級の鬼の絵が出てくるのが平安宮清涼殿の鬼の間に描かれたもの
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B6%BC%E6%AE%BF
>鬼の間は建物の南西隅、すなわち裏鬼門の位置にある。平安遷都(延暦13年・794年)時の内裏に大和絵師飛鳥部常則が康保元年(964年)、この間に鬼を退治する白澤王像を描いたとされる。壁に描かれていた王は、一人で剣をあげて鬼を追う勇姿であり、それを白澤王といい、李の将軍、名目ははかた王、假名をはくた王であると、『禁秘抄講義』3巻上(関根正直著)に記述されている。<

丁度、安倍晴明が活躍した時代と被りますが、
この白鐸王、李の将軍とも、インドの剛勇の武将ともされています。
https://kotobank.jp/word/%E7%99%BD%E6%B2%A2%E7%8E%8B-600336

つまり、ここで追われている鬼は、現在の鬼ではなく、中国経由の、インド神話での悪霊の事ですから、安倍晴明の時代に現在の鬼感があったとはいい難い。普及前ですね。。。。。。


また、
中国と日本の風水の違いは、その環境から来ています。
中国に比べて、日本の気候は湿気が多く、夏蒸し暑い。(温暖湿潤気候ですからね?)

http://www.reizan-fusui.jp/FengShui-comparison.html
>日本の場合は、「夏の暑さ」を和らげる家です。
鎌倉末期の歌人「兼好法師」の言葉がある。「家の作り様は 夏をむねにすべし。暑きころ、わろき住居は、堪へ難き事なり」(徒然草55段)。簡単に言えば、「家を建てるなら、夏の過ごしやすさを優先するのがよい、暑い家は堪えられない・・・」。昔からこれが日本の家作りの特徴です。<

家相学につながる、陰陽道がその後平安末期にかけて最盛期を迎える。
が、安倍晴明の時代にはまだ未発達で、吉凶の定義も限定的。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%B6%E7%9B%B8#%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A7%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
>当時は、室内設備の吉凶はなく、「井戸」、「竈」、「厠」の吉凶の記載に限られていた。<

で、こうした温暖な気候に伴う、日本建築のあり方が決まるのが、10世紀にピークを迎える平安温暖期と言われるもの。
https://www.bioweather.net/column/essay2/aw34.htm

地域差はあるが、古墳寒冷期からの反動でありますから、それよりも古い時代に現代的な家相学につながる建築のあり方が定義されるのは有り得ず。つまりは、陰陽の祖の安倍晴明の時代に現代的な鬼が形成されるということも、現代的な鬼門につながる家相学が形成される事もなかった、あとから付けられた嘘だったということになりますね。

ここでもホツマの矛盾が現実と大きく異る点が上げられてしまいますね。
残念ながら、ホツマは、江戸時代、後代(江戸期)に振り返った時に不鮮明だった時代(江戸以前の時代)のフォークロアとして書かれた幻想、二次創作物と思われます。

歴史にはそれ以上遡りようがない、"分水嶺"のようなものがあります。
東北の名前が、江戸の五街道整備以前にはありえない(五街道の一部の頭文字を取ったものだから。)ように、
国風文化の発展が遣唐使の廃止以前には遡れないように、、、

ホツマには、まだそうした歴史研究がまだ未発達だった時代=江戸時代にしか形成され得ない要素がたくさん詰まっていて、残念ながら、信仰の対象にはなり得ても、事実書の対象にはなり得ないということが示されておりますので、信頼性には値しないものとして楽しんだほうが宜しいかと。
もちろん信仰されている方に押し付けはしませんが、同時に、信仰されている方も事実であるかのような押しつけはご勘弁願いたい。願い下げです。
確か伝承で伝わる、安倍晴明が式神として使役していたとされるオニも、一般のものには目に見えない存在として描かれています。
一條戻橋の下に式神を隠していた、、、というのは、それそのものがオン=隠の存在であったことを示しておりますので、現代的なオニ観とは大きく異なることが伺えます。

伝承の実際は、天文学などの観測や数学に長けた一派であり、
当時の為政者の祭りごと、日食などの予測での人心掌握に貢献した当時としては、秘術が、
一般の人間には、あたかも見えないチカラを意のままに操っているように感じられた、という誤解から来るものとも考えられます。

http://www.news-postseven.com/archives/20120622_122021.html
> 晴明が精通していた陰陽道は、平安時代に最先端の学問であった「天文道」や占いを体系化したもの。陰陽道のエキスパート、つまり当時の最高レベルの知性を獲得していたのが陰陽師である。

 晴明にはこんなエピソードも。陰陽師は、祈祷や占いで、「式神」(しきがみ)という人には見えない精霊を使うとされているが、晴明は、普段から自分の屋敷で式神に雑用をさせていた。ところがある日、妻に「気持ちが悪いので追い出して欲しい」と言われ、仕方なく式神を一條戻橋の下に隠して、用があるときに呼び出して使うようになったという。当時のスーパーヒーローも、妻には逆らえなかったというわけである。<
以前に私の意見へ、想像力が足りないと仰っていた方があったが、
もし本当に想像力があれば、性的マイノリティーに対しての差別的発言などその方はなさらないはずなんですがね?

その方がもし欠けているとしたら、想像力ではない、人間としての心だと思われますが?
>>[336]


>本職で本職で建築をやっていて、鬼瓦なんかを研究している手前言えることですが。。。 をやっていて、鬼瓦なんかを研究している手前言えることですが。。。

建築をやっているのですね。
ぜほこれを読んでいただきたいw。
ニハリ宮法定む文
http://gejirin.com/hotuma21.html

家を立てる法がくわしく書かれていますよ。


>>[340]
デタラメだらけです。

まず斧は古語では、鐇(タツキ)と呼ばれていた事実がありますし、
室町前後ではマサカリ(金太郎で有名)とも呼ばれています。
http://www.takenaka.co.jp/corp/archive/daiku/tools/masakari/index.html

また、
柱を逆さまにするのは、古代の建て方ではタブーです。(呪われるとすらされます。
)
現存する法隆寺や五重塔などの解析から、柱は、立っている上下から、
生えていた方向まで、考慮されて、そのままに建てることがよしとされています。
http://wada-sika.blue.coocan.jp/sasae/sasaetekitaki.htm

また、尺貫法の導入は大宝期であり、
しかも高句麗からの大尺が用いられ、2寸長かったことなども知られています。。。。

当時の尺は中国、半島、日本、それぞれが独自の単位を形成し、バラバラだったことも上げられます。

また、それよりも、ずっと昔の青森の三内丸山などから柱の太さ、柱間の距離、建造物全体の大きさ、高さ、などは、人間の肘から手首までの大きさ(=ほぼ足の大きさ)をある程度の基準としているだろうことも、研究結果によって分かりつつあります。

また、平安や室町期(地域や場合によっては江戸前期)までの庶民は殆ど縄文時代と然程も変わらない竪穴式住居に住まうのが一般的でしたし、
https://hobbytimes.jp/article/20160604c.html

貴族階級でも、鴨居など、建具が発生してくるのは、平安の国風文化が浸透後の寝殿造りが確立してからです。
https://www.weblio.jp/content/%E9%B4%A8%E5%B1%85

書かれているものは、明らかに江戸時代に入ってからの感覚での捏造といえます。

>>[341]

諏訪大社は一間(180cm)を基本としているそうですよ。
これは古代イスラエルのものと同じだそうです。
>>[342]
諏訪が正確に出来たのは中世以降ですよ。。。
前身の須波二座ありますし。。。

古代イスラエルは幕屋の仮設ですし、
米倉庫を起源とした、大社造り、神明造りとは全く構造も性質も異なるものです。

一間をその基準としたのは、明治に入ってからメートル法の影響受けてですよ。。。。。。。。。。。。×100(呆)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%93

江戸期、徳川幕府が徴税のために度量衡を統一したためなのも有名な話。
だからこそ、京間・中京間・江戸間などの地域差もある。
また、商店建築の入り口がそうした度量衡の歴史を引きずっているため、
商家の暖簾は入り口の幅に合わせて、3分割にされており、
寿司屋などの老舗が3文字で名乗るのが多いという話も。

ホツマのデタラメの話に戻りますが、
大黒柱の発生は幾つか説があります。
http://gogen-allguide.com/ta/daikokubashira.html

一番古いので、朝堂院の大極殿の柱=大極柱からとも。
しかし、これは様式から考えると異なる。

室町からの大黒信仰、江戸の七福神ブーム以降でしょうね。
各家の竈に祭る形は。
室町前後の数寄屋造りには床柱はあっても大黒柱は無いですもの。

そして何より、在来工法での大黒柱は、荷重を一番に支える役割が有るのに対して、
神明造り、大社造りに共通する神社建築にある、心の御柱信仰の中心となる忌柱は、荷重を支えていない、構造的な意味が無いとされるものです。(法隆寺などにも共通する。)

役割や意味合い、構造が全く異なるのです。
したがって、神社建築との関連も見られず、大黒柱=大国柱というのも、後世、江戸以降のブームでの混同が原因でしょう。


矛盾さんは勝手に自滅してるようですが、
本題の鬼と鬼瓦はどういう関係でしょうかね?
重さや、枡、量の単位はイスラエルとはどうなのかね?
独り言でトピズレm(_ _)mなので回答厳禁!

オニと呼ばれざるをえなかった人達を考察してあげましょうよるんるん
何が鬼で、何が鬼ではないかの定義も難しいですよね?

魑魅魍魎、全部鬼偏のつく漢字です。
平安以前は何らかの害をもたらすもの全部に鬼という概念を当てはめてたのかもしれません。
>>[344]
実は関係なかったと言ったら、驚かれるでしょうかね?w
>>[348]
じぇじぇじぇですね。
鬼瓦はただの飾りなんですかね。
>>[349]
>鬼瓦はただの飾りなんですかね。

そんな事一言も書いてないのに、なんでそんな曲解をなされるんでしょうかね?
>>[350]

答えがないところを見るとわかってないのですね。

ぜひこれを読んでいただきたいw。
ニハリ宮法定む文
http://gejirin.com/hotuma21.html

家を立てる法がくわしく書かれていますよ。
>>[351]
>答えがないところを見るとわかってないのですね。

いいえ。
質問が、全く文脈に合っていない捏造になってますので、印象操作です。

貴方がお答えになっていないので、わかっていないのは貴方ご自身です。

家の建て方については、いくらでもデタラメが出てきますが?
今まで書いてきたことを全く無視されているので、貴方の知識不足です。

ちなみにリンク先は、「家の建て方」ですら無いです。
宮造り、出雲、と出ているので大社造についての記述のはずなのに、
単なる東屋の建て方と相応しい、、全く別の書き方になってますから、
書いている人間も、引用している貴方も、全くご理解がなく、事実であるかのような錯覚をなさっていて、それでいて、他者に責任をなすりつけるという、
とんでもなく、横柄な態度に出ていらっしゃるので、デタラメですと。
>>[348]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC%E7%93%A6
>ルーツはパルミラにて入口の上にメドゥーサを厄除けとして設置していた文化(ゴルゴネイオン)がシルクロード経由で[2]中国に伝来し、日本では奈良時代に唐文化を積極的に取り入れだした頃、急速に全国に普及した。


メデューサ起源って本当ですか?
それなら鬼全く関係なさそうですね?
>>[353]
メデューサが起源というのは一説であり、
シルクロード経由というのも、中々断定しづらい部分があります。

しかしながら、シルクロード付近の都市で、同時多発的に、
目には目を的な、
そうした、悪いもの怖いものに対しては悪いもの怖いものといった発想が生まれたのも事実です。恐らく、万民に共通の潜在意識として、原始社会ではそのような信仰が根底に共通するものとしてあったとも考えられます。

先に記述しましたように、雨樋の装飾にあった、ガーゴイルがそうであり、
日本の鴟尾や鯱などもそういった系列の物となっております。

メデューサが女神アテナの盾に組み込まれて、言わば、悪霊などに対しての鏡に成っていると考えられていたのも神話的に残っています。
昨今北朝鮮情勢が緊迫していて、自衛隊の艦名に、イージス艦とついているのも、アテナの盾、アイギスが語源と成っているからですね。

http://99ya.gozaru.jp/mon/mazin/2medosa.htm
メデューサ自体が、「女王」の意であり、元々のペラスゴイ(エーゲ海周辺の文明)の民が進行していた祖神であったことがわかります。
ペラスゴイはトロイの木馬で知られる、トロイと同盟関係にあったところです。
これをギリシャ文明が占領した形。

日本だと、ハイヌウェレ型の説話の一つで、
スサノオとオオゲツヒメの関係、
或いは、天照と保食神の関係
伊勢の御饌神が辰神さんと呼ばれるのも面白い共通性。

被占領地域の土着、産土神が、後の占領民の神の眷属などに追いやられるのは神話形成では定形句。(平和的な権利の禅定)

キリスト教文明下では、蛇は堕落や悪を表しますが、これはより古い文明がそれらを祀っていたからですね。

鬼瓦のルーツはやはり中国にあり、
四凶(四方の悪霊など)の一つ、とうてつがモデルと成っていると言われます。
http://oni3.jp/?page_id=837
http://oni3.jp/?page_id=15

四凶とは「渾沌」「饕餮」「窮奇」「檮杌」の事
『書経『春秋左氏伝』より

その後日本では、四方神として格付けが上がった金剛力士や、その前の四天王は邪鬼を踏みつける形で、門番の役割をしています。

また地域によっては、端午の節句で有名な鍾馗様を鬼瓦の代わりに祀っているところもありますし、江戸時代の七福神ブーム以降には、恵比寿様を頂いているところもあります。

以前ご紹介した、日本建築会の水木しげること、伊東忠太(明治神宮、築地本願寺設計)は、自身の建築の中に、様々な幻獣を魔除けとして配しています。

その中でも面白いのは、湯島聖堂。
こちらは、鴟尾としてのルーツを持つ火除けの龍や、鬼瓦をルーツとして持つ幻獣が、それぞれ別個の役割で配置されております。

シルクロードを戦前に渡り、建築進化論を唱えた彼らしい作品です。

SVO形式の話にトピで触れられていますので、脳科学的な研究の一例を乗せておきますと、
現在SVO形式で記述、話される英語圏を始めとした言語も、もとを辿れば日本語と同じようにSOV式であった可能性が高いことが一説で示されています。後発の言語が、より合理的な体系を持ち、意思伝達により特化した形で伝搬したようです。

>英語式語順は、自然な思考の順番に反するらしい
http://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2011/08/post-5a01.html

>>[355]

SOVとSVOの世界MAP、どこかにありませんかね。
さがしたのですけどみつけられませんでしたので。
>357
なぜならアイヌ民族は明治の前は北海道から千島、樺太、カムチャッカ半島までいましたよね。
普通に言語の語族分けなら、中学の教科書にも出てますけどね?
習わなかった世代なんてあるんでしょうか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%9E%E6%97%8F
>>[345]
>鬼瓦の研究はCADさんでは?

344を読んでいただければ分かる通り、貴方に聞いていませんよ?
>>[359]
まるほど良く解るmapですね。失礼しました。
このMAPを見るとアジアでは中国のほうが異端なんですね。
なぜなんだろう。
>361
あれ、これSVOとSOVのmapじゃないじゃん。
>>[362]
リンク内の語族辿るとわかりますけどね?
まさか、リンク辿ることもご存じない?

>>[363]

語族ってなに?
このMAPをではモングル系とヨーロッパ、アメリカ大陸は同じに見えるんだけど・・・
凡例の読み方は小学生でも習うと思うのですが。。。

言語学ではむしろSVOは派生系、変化しやすいものですから、もっと大事な基準有るんですけどね?母音の多さとか。

鬼に全く関係ない。トピズレ。いつもの矛盾手法。
荒らしておいて、論点矛盾疲れると、話題ずらし、トピずらし、。質悪い。
ホツマ伝ではカナサキが地方の言語(母音)をまとめ、アカハナマ、イキヒニミウク、フヌムエケ、ヘネメオコホノ、モトロソヨ、ヲテレセヱツル、スユンチリ、シヰタラサヤワの48声(音)にまとめたことが書かれています。これをアワ歌といいます。
このアワ歌を使う国がアワ国、すなわちワ国、倭国となるわけです。

カナサキはヒルコ(和歌姫)の育ての親で廣田神社でヒルコを育てました。
このカナサキを祭っているのが、スミヨシ神社になります。

カナサキはムナカタ、アズミらと同族で、ハヤアキツヒメの父になります。

ハヤアキツヒメがアマガツを造り病から子を守る事を行ったようです。
ただアマガツに通ずるものが縄文から続く土偶ではないかと考えます。

土偶は乳を持つ母をかたどっていますね。地中海のどこかでは、母が身ごもったとき、パンをこね乳房の付いた人形をつくり、木につるし、子が無事生まれるとこのパンを食べるという風習がいまでもあるようです。


松本清張の小説に砂の器というものがあります。
事件の深層に島根の方言と東北弁がおなじであったことから、ややこしい事件を書かれています。

ホツマ伝から推測しますと、オオナムチが島根(出雲)から津軽に移され、出雲の人たちが津軽に移住した事が書かれています。

江戸時代にタル回線経由で方言が移ったと解釈されているようですが、島根のズーズー弁は山奥であり、船だけで方言が移るというのは考えにくいですね。

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