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◆日本の神話と古代史と日本文化コミュの◆「鎮花祭」と大神神社「三枝祭」と率川神社

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◆「鎮花祭」と大神神社「三枝祭」と率川神社

◆◇◆鎮花祭と大神神社

 四月十八日、 大神神社(奈良県桜井市三輪) で、「鎮花祭(はなしずめのまつり) 」が行われた。大神神社の神前に薬がうず高く献納された。

 「のどかな春のまつりの花しずめ 風をさまれとなほ祈るらし」(『新拾遺和歌集』)の古歌で有名なこのお祭りは、本社と摂社狭井神社の両社で行われる。

 『大宝令』(701)には、国家の大祭として毎年必ず行うように定められ、国民の無病息災を祈願したことが記されている。この祭りは別名「くすりまつり」とも言われる。

 当時、春の花が飛び散る頃は疫病の神も分散し、流行病を起こすと考えられていたため、これを鎮めようと鎮花祭(はなしずめのまつり)が行われた。そのため、疫病除けの祭りとして有名で、全国の薬業関係者が参列し、奉納の薬がたくさん供えられる。

◆◇◆三枝祭と率川神社

 大神神社の拝殿から山の辺の道の方に向かうと、眼前の三輪山から小川が流れてくる。これが、『古事記』に出てくる狭井川(さいがわ・佐韋河、挟井とは山百合<山由理草>のこと)である。

 ササユリが咲き乱れていたこの川の辺(ほとり)で、神倭伊波礼毘古(神武天皇)がイスケヨリ姫(伊須気余理比売、大神神社の祭神・大物主神の子)という娘と出会い、后にしたという。

 古来より此の地は「出雲屋敷」と呼ばれ、ヤマトの建国にかかわる極めて重要な場所であった。「挟井河よ 雲立ちわたり畝火山 木の葉騒ぎぬ」

 そして、畝火の白梼原宮で即位した神倭伊波礼毘古(神武天皇)は、大久米命の仲立ちによってイスケヨリ姫(伊須気余理比売、大神神社の祭神・大物主神の子)と結婚するのであるが、二人が高佐士野で初めて出会って歌を送ったのちに一夜の契りをなす場面を、『古事記』では次のように語っている。

 「是に、その伊須気余理比売命の家、狭井河の上に在り。天皇、その伊須気余理比売の許に幸行して、一宿御寝し坐しき。<その河を佐韋河と謂ふ由は、その河の辺に、山由理草多に在り。故、その山由理草の名を取りて、佐韋河と号けき。山由理草の本の名は佐韋と云ふ> 後に、その伊須気余理比売、宮の内に参入る時、天皇の御歌に曰はく、『葦原の 穢しき小屋に 菅畳 いや清敷きて 我がふたり寝し』、と」。

 大神神社の摂社になる奈良市の率川神社(いさがわじんじゃ))では六月十七日に、この話にのっとった「三枝祭(さいくさのまつり)」が行われ、四人の巫女がササユリをかざして舞を奉納する。

 狭井川の辺(ほとり)には、夏アザミとともにササユリの花が何輪か見られるそうだ。川面を走る初夏の風に揺れる姿には、日本古来の可憐さを感じさせる。

 狭井川に近い摂社の狭井神社でも、四月の「鎮花祭(はなしずめのまつり)」で薬草としてスイカズラと百合根が奉納されるなど、ササユリはこの大神神社の神花として大切にされてきた。

 道沿いのところどころに咲くササユリの近くには「御神花に触れないでください」という立て札が立っているそうである。


スサノヲ(スサノオ)

コメント(1)

お見事な解説ですね。地元民としても感嘆です。
狭井神社は、三島由紀夫の「豊饒の海」シリーズ(この前映画になった「春の雪」も一部)で、やや詳しく描写されてましたね。

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