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◆日本の神話と古代史と日本文化コミュの古事記に隠された飛鳥時代の史実

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 古事記は表面的には推古天皇で終わっているが、暗号が隠されていて暗号を解読すると大化の改新など、古事記が書かれた直近の歴史である、飛鳥時代の史実が記述されている。

 古事記は日本書紀の1/8位の分量しかありません。しかし、因幡の白兎など日本書紀にはない挿話があります。古事記の編者は何らかの意図があってこれらの挿話を古事記に挿入したと思われます。

 それを私は古事記を書かれた時代の直近の飛鳥時代を表すために、神代の大国主神と人代の応神天皇を天智天皇のモデルにして、暗喩して表した、と私は考えています。このように考えると、飛鳥時代の歴史もよりはっきり見えます。その上、今まで謎だった古事記の表現の意味も明らかになります。

●因幡の白兎
 因幡の白兎の挿話は弟が母と協力して兄を破ったことが主題になっています。
負けた兄は「庶兄」で母の身分が本人より低く、「八十神」と複数で、女性にもてないという属性を持っています。
 これは大国主神=天智天皇/母神=皇極斉明天皇と考えると当てはめることが出来ます。

1.大化の改新で蘇我氏出生と母の身分の低い古人大兄皇子を殺害している。
2.孝徳天皇妃の間人皇女は天智天皇と不倫関係にあったといわれている。
 正にもてない兄(間人皇女は天智天皇の同母妹であるから義兄)と弟の天智天皇が争っている。
3.その他、有間皇子も斉明天皇の御代に天智天皇に殺害されている。

●秋山下氷壮夫
 応神天皇記に出石乙女を兄と取り合う秋山下氷壮夫と春山霞壮夫の話があります。話の内容は弟が兄よりも女性にもてて、弟が兄に勝つ話です。前後関係に脈略がなく、唐突に挿入されている話です。この話がなぜあるかは謎です。

 これは応神天皇=大国主神/神功皇后=母神と喩えられて、負けた兄・忍熊皇子が女性にもてなかった話がなかったので古事記の編者が挿入した、と考ると、存在意義が明らかになります。

この仮説を「古事記の暗号 裏読みすると見えてくる真実」という本にまとめました。
立ち読みは下記HPで
http://homepage3.nifty.com/kojikino-angou/index.html

写真は取材で行った宇佐神宮と甘樫東麓遺跡(蘇我蝦夷館跡)

コメント(27)

トピ立て、ご苦労さまです。
神話と史実を構造的に重ね合わせてみるという試みは面白いですね。
ヒビキさん

 実は、神話の中に史実がある、というロマンチックな話ではなく、因幡の白兎の挿話は大化の改新・中大兄皇子による孝徳天皇の暗殺・有間皇子の変・壬申の乱の話が隠されている。という、生臭い話です。

 古代史に興味のない知人・友人は畑違いの本を売りつけられて怒っていますが、古代史が好きな人には好評で、面白く一晩で読んでしまうそうです。
大国主=応神=天智

 この三人の続柄・人間関係がそっくりなのです。

・影の薄い父
 大国主:天冬衣神、譜系に名前が伝わっているだけで、本文には出てこない
 応神:仲哀、応神が胎児のときに神の怒りを受けて崩御
 天智:舒明、天智即位は舒明崩御の27年後
 父からの後継指名・後ろ盾といった恩恵を受けていない

・大活躍する、子供を助ける母
 大国主:母神、何回兄神に殺されても蘇生、根国に逃がしてもらう
 応神:神功皇后、三韓征伐・庶兄の忍熊皇子と戦争して殺す
 天智:皇極斉明天皇、大土木工事・白村江の戦い・大化の改新で庶兄にあたる古人大兄皇子を有間皇子変で有間皇子を殺害
 強い母に助けられている

・負ける兄
 大国主:庶兄弟は追い払われる
 応神:忍熊皇子は殺される
 天智:大化の改新で庶兄にあたる古人大兄皇子を有間皇子変で有間皇子

・もてない兄
 大国主:ヒロインは八上比売・因幡の白兎では兄神はもてない
 応神:胎児なので弟が兄よりもてる話を補うのが『秋山下氷壮男』の挿話、ヒロインは出石乙女
 天智:ヒロインは間人皇女・孝徳天皇の后妃だが、間人皇女は天智と通じていた、という先学の説がある
 わざわざ古事記の編集者が因幡の白兎・秋山下氷壮男の話まで持ち出してこの三人の人間関係を喩えている。私はこれに気付いて本を書く気になった。

・新勢力に天下を譲る子供
 大国主:言代主と建御名方が天孫に天下を譲る
 応神:宇遅和気郎子が仁徳天皇に天下を譲って自殺する
 天智:大友皇子が壬申の乱に負けて自殺する

・不幸な母は(やか**)
 大国主:八上比売(やかみ)は兄神より大国主を選択したのに、子供を木の股に挟んで帰る
 応神:宇遅和気郎子の母は矢河江比売(やかわえ)
 天智:大友皇子の母は宅子娘(やかこ)
 后妃の最初の二字が同一になる確率は0.1%程度。古事記に出てくる后妃の名前は154通り。三人の名前を任意に取る組み合わせは
  C(154,3)で596,904通り(これが分母)
  同じ名前は746通り(分子)で 
  746÷596914=0.00124 (偶然の一致の確率)
 99.9%は意図的な名前の一致(古事記編纂者の意図)

このように続柄の一致は統計学的にも証明できるのです。
 カルチャーセンターの古代史クラスの旅行で四国に行きます。(2泊)岡山集合なので先発して、造山古墳・鬼ノ城なども見ます。(2泊)旅行の後は大阪の近つ飛鳥博物館の講演会を聞く予定です。(1泊)旅先で本を買い込むのでパソコンを持参する余裕はありません。今日出発です。一週間ほど欠席します。
 旅の報告はこのトピでします。
岡山・四国から帰って来ました

 5/11から8泊6日(往復夜行バス利用のため)今朝帰りました。350枚撮った写真の整理が終わったところです。
旅程は下記の通りです。
●岡山
 造山古墳・作山古墳・こうもり塚古墳・江崎古墳
 両宮山古墳・牟佐大塚古墳・神宮寺山古墳
 王墓山古墳・楯築遺跡・真宮古墳群
 吉備津神社・吉備津彦神社
 鬼ノ城
 倉敷美観地区・阿智神社
 岡山県歴博
●広島
 広島県歴博
●四国
 松山城・松山市歴博・快天山古墳
 栗林公園・岩清尾山古墳群・田尾茶臼山古墳
●大阪
 近つ飛鳥博物館で『継体天皇の時代』の講演を聞く
足もパンパン・疲労困憊です。書類の整理もしなくちゃ。

また、コメントしますのでよろしく。
大国主命は、霊的な観点から申しますと、極悪非道な連続婦女暴行魔なのです。

これは真実でありますが、世の中には、古事記という漫画ちっくな物語を信じる人々が多く不思議であります。

いつの世も、人の考えは同じであり、間違った理屈は恥ずかしいものです。

大の大人が子供の如くに、穴に入ってかくれんぼは、幼稚すぎます。

科学者は誰も信じない事でしょう。

霊的に霊視致しましても、アマテラスという神は、個人の神名では無く、神の位が正しいのです。

このアマテラスの位にいる存在は、現在では「文殊菩薩」「十一面観音」「地蔵菩薩」の三神のみであります。

古代より伝わりし物語、有識者が挙って研究するのはドラえもんを研究するのと同じだと思えます。

残念でなりません。

私は伊勢神宮を代々清める旅人です。

大変失礼なつづりとなりましたが、平にご容赦願います。


まお
まおさん

 私は霊的なことは分かりません。古事記・日本書紀にはマンガチックな伝承もありますが、マンガチックな伝承の中にも古代の事実が隠されている、と思う謎解きが面白いのです。

 『古事記の暗号』では強調しませんでしたが、古事記にあり日本書紀にない挿話、因幡の白兎・秋山下氷壮男・ホムチワケ王(垂仁天皇紀)は3つとも古事記が書かれた時代の現代史・飛鳥時代を暗喩していることを論証しました。

 このような挟雑物を取り除いていけば、真実に迫れると確信しています。
・新勢力に天下を譲る子供
 大国主:言代主と建御名方が天孫に天下を譲る
 応神:宇遅和気郎子が仁徳天皇に天下を譲って自殺する
 天智:大友皇子が壬申の乱に負けて自殺する

「新勢力に子供が天下を譲る」ということは 仁徳・天武は新勢力=外来者ということです。

他のトピでも「天武が韓半島から来た」と書いたら論争になりました。
私が天武が天智と兄弟ではなくて韓半島出身、という論拠は下記の通りです。


1.先述したとおり、天武は天孫、仁徳といった新勢力に喩えられている。
2.吉野会盟は天武と天智が兄弟でないことを前提とした誓いの言葉が述べられている。
3.斉明・天智母子と天武は政策が大きく違う。斉明・天智=膨張主義、天武=内政重視。
4.後世の資料では弟である天武のほうが年が上。(鎌倉時代の『一代要記』など)
5.『神皇正統記』の謎の記述。
6.御寺泉涌寺の謎(天武系の天皇が祭られていない)
7.天武が神代では少彦名神&『海を照らして渡り来る神』・人代(応神紀)では天日矛に喩えられていて、いずれも韓半島から来たと思われる。

このような天武渡来説はいくつかの論拠があり、天武自身が韓半島から渡来したとしか解釈できません。
 大国主=応神=天智という史観に立つと、宇遅和気郎子の「郎子」という呼称の謎が解けます。本来、天皇の子供は「皇子」、孫は「王」であり、記紀に「郎子」と皇族としての尊称のないこの呼称は謎でした。この謎は鎌倉時代の『一代要記』にも宇遅和気郎「皇」子と書かれているくらい、昔からの謎です。

 しかし、大国主=応神=天智の史観では、御井神(建御名方)=宇遅和気郎子=大友皇子です。壬申の乱で勝利した天武が敗北した大友皇子を「最初から皇位を継げる身分ではない、皇族ではない」という主張を込めて、「郎子」と罵ったと解釈できます。

 大国主=応神=天智の史観に立つと1000年近く謎だった記紀の表記の謎が解けるのです。
・影の薄い父
・大活躍する、子供を助ける母
・負ける兄
・もてない兄
・不幸な母

こういう遊びは、たぶん記紀じゃなく平家物語であるとか太平記であるとか、そういう登場人物の相関関係が複雑な大河ロマン的なお話をベースにすれば、洋の東西を問わずいくらでも置き換えられそうですね。

え?統計学じゃないでしょう(苦笑
 統計学もありますよ。

 大国主=応神=天智の関係だと、御井神(建御名方)=宇遅和気郎子=大友皇子のそれぞれの母親、八上比売(やかみ)=矢河江比売(やかわえ)=宅子娘(やかこ)と語頭の2文字が一致しています。偶然一致する確率は0.00124です。つまり、99%は意図的な一致。名前を合せてつけた、ということです。

 特に『夜加美郡』(やかみ)という地名が因幡国にあるから、事件の舞台を強引に因幡国に持っていったと思います。韓半島・新羅・麗水市の桐梧島に『因幡の白兎』と同じような話が伝わっています。この桐梧島は現在、本土と防波堤でつながっています。『ワニを並べて数えて渡る』に丁度いい距離です。因幡の隠岐の島は『数えて渡る』には本土から遠すぎると思います。

詳しくは上記のHPを参照して下さい。統計の話は本文で10ページ・『桐梧島の白兎』の全文も2ページあります。

 八上比売が生んだ子供、「木股神、又の名を御井神」の「御井」もなぜ、御井という表現になるか謎でした。

 しかし、大国主=応神=天智の史観では、御井神=宇遅和気郎子=大友皇子です。大友皇子の子供が三井寺を創建しているのです。三井寺は平安時代以降の表記で奈良時代の表記は「御井寺」です。また、三井寺には「天智・天武・持統の三天皇の産湯を供給したから御井寺」という伝承があります。
 交通不便な飛鳥時代に水を大津から運んだ、と考えるより、天智・天武・持統が裏で書かれた古事記の中に登場する「御井神」は大友皇子の関係・・・と考えたほうが適切と思います。
歴史 全然詳しくないのですが 好きで 興味深く読ませていただいています。
別トピの 天武天皇の話なども・・・。

質問なんですが 負ける兄 のところで、有間皇子が出てくるのですが、中大兄が626年生まれ 有間が640年生まれと Wikipediaに載っていました。(あまり詳しくないもので冷や汗

とすると有間は 兄ではない? ですか?

それとも 生年について他の説があるのですか?

『古事記の暗号』を否定したいと意図した質問ではなく(もとより 古人大兄のこともありますし否定になりません)、なんだか一致し過ぎて怖いくらいだと思って 読んでいる中で生まれた疑問です。


あと、この古事記に隠された暗号は 誰かに宛てた暗号なんでしょうか。それとも、当時の人にとっては 天智天皇のことを書いているのね!って 分かってしまうような感じなんでしょうか。


ちなみに古事記という言葉自体が 歴史の授業で覚えた時以来 久々に見たくらいのドシロウトですm(._.)m

変な質問をしていたら 申し訳ありません。
興味が湧き 眠れなくなっているところです冷や汗
長文 失礼致しました。
みじこさん

 拙文をお読みいただきありがとうございます。

>それとも 生年について他の説があるのですか?

 大国主神に対する須佐男之命の託宣に「庶兄弟を追い払って・・・」とあります。負けるのは兄だけでなく、弟もいるのです。

 負ける兄は2人、弟が1人います。
 兄は古人大兄皇子・孝徳天皇、弟は有間皇子です。

 古人大兄皇子は天智から見ると、父は同じ舒明天皇ですが、母の身分は天智のほうが高くまさに「庶兄」に当たります。

 孝徳天皇は血縁的には叔父ですが、天智の妹・間人皇子の旦那は孝徳天皇ですから、義兄にも当たります。


>あと、この古事記に隠された暗号は 誰かに宛てた暗号なんでしょうか。それとも、当時の人にとっては 天智天皇のことを書いているのね!って 分かってしまうような感じなんでしょうか。

 私は日本書紀が本編、古事記が予告編である、と思っています。古事記・日本書紀の編纂者に同じメンバーがいたと思います。編纂者が当時の元明天皇に
 「こんな方針で書きますが宜しいでしょうか?」
 「大化の改新ははっきり書きましょうか?」
 「天智の孝徳天皇暗殺事件は隠しましょうか?」
と奏上・相談した時に持参したか事前に渡した資料が古事記、と思っています。

 口頭で元明天皇と古事記編纂者が相談するときの材料ですから、当時の人はわかると思います。しかし、平安時代初期に編纂されたといわれる『先代旧事本紀』の著者はこの暗号はわからなくなっていた、形跡があります。
> 古事記の暗号さん

早速ありがとうございますm(._.)m
(すみません。気づいたら 寝ちゃってましたあせあせ(飛び散る汗)

私でも スッキリ分かりやすい説明をありがとうございます。

本来は とても限られた極一部の人間にしか読まれるはずのないものだったのでしょうか。
>本来は とても限られた極一部の人間にしか読まれるはずのないものだったのでしょうか。

 本来はごく限られた人しか読まれないものだったと、思われます。しかし、「和銅の日本紀」と書かれた文書があること。『先代旧事本紀』などに参照された形跡があること。などから非公式ながら流出していたと思われます。

 日本書紀と古事記を比較すると、古事記のほうが記載されている氏族の先祖が多いです。日本書紀に載っていなくて、古事記に載っている氏族は古事記の写本を大切に保管したり、積極的に流通させたと思います。
> 古事記の暗号さん

> 古事記に載っている氏族は古事記の写本を大切に保管したり、積極的に流通させたと思います。

とありますが、古事記にのみ載っている氏族は きっと 積極的に流通させたいですよね!
ですが・・・、

> 平安時代初期に編纂されたといわれる『先代旧事本紀』の著者はこの暗号はわからなくなっていた、形跡があります。

ということは、逆に 古事記の本来の内容を流通させたくない という働きもあったということでしょうか?。
>ということは、逆に 古事記の本来の内容を流通させたくない という働きもあったということでしょうか?。

 この大国主=応神=天智という暗号は一部の人にだけ判れば良いのであって、本来の内容ではないと思います。私のようにうがった解釈をしないで多くの人は素直に古事記を読んでいた、と思います。

 日本書紀は奈良時代から朝廷で正式に講読されて、そのときに記録されたノート(釈日本紀)まで残っています。しかし、古事記にはそのような形跡はなく、写本も最古の写本が南北朝時代と新しく、偽書といわれたこともあったくらいでした。「流通させたくない」ということではなく、単に無名だったと思います。
確かに 歴史で習うことが 全てずっと有名だった訳ではないですよねあせあせ(飛び散る汗)

ところで、
>「新勢力に子供が天下を譲る」ということは 仁徳・天武は新勢力=外来者ということです。

天武天皇が高句麗の王だったという説は 別トピでも拝見しているのですが、仁徳天皇も新勢力=外来者なのですかexclamation

またまたWikipediaですが、応神天皇は 菟道稚郎子皇子を皇太子にしていたが、異母兄である 後の仁徳天皇と皇位を譲り合ったことで 3年にも渡り皇位が空席になったため 菟道稚郎子皇子が身を引いて自殺してしまったという主旨のことが書かれていました。
中には応神・仁徳は実は同一人物という説も。

「皇太子ではなかった異母兄」ということ以上に 仁徳天皇が新勢力=外来者にあたるという説があるのでしょうか?わーい(嬉しい顔)
みじこさん

>天武天皇が高句麗の王だったという説は 別トピでも拝見しているのですが、仁徳天皇も新勢力=外来者なのですか

 古事記の中巻と下巻の堺は応神と仁徳の堺です。
 古事記に祖先を求めている譜系は応神以前が200氏、仁徳以降が4氏と圧倒的な差があります。各豪族は応神以前が氏族の祖先が出現するのにふさわしい神話的な時、という認識があった模様です。
 日本書紀の各天皇の生年・没年・即位年から法則性を割り出した『古代天皇の聖数ライン』江口洌著でも仁徳から武烈は別王朝として描かれています。
 『騎馬民族征服説』の古墳時代の副葬品等で境目をもうけるとすると、やはり仁徳登場くらいの五世紀初めです。
 古いことなので天武のように精密に論証できませんが多くの先学と同じく私も外来者と思います。

 菟道稚郎子皇子は別伝承では「宇治天皇」などとも伝えられ、壬申の乱で負けた大友皇子のように即位までしていた、と考えています。


>中には応神・仁徳は実は同一人物という説も。
 私の大国主=応神=天智説をとると、応神天皇紀の記事が殆どなくなってしまい、応神仁徳同一説には有利ですが、旧勢力の最後の王と新勢力の最初の王が同一とは私は考えられません。


>「皇太子ではなかった異母兄」ということ以上に 仁徳天皇が新勢力=外来者にあたるという説があるのでしょうか?
 仁徳は外来者であるということは先に説明した通りです。
 「皇太子ではなかった異母兄」は応神仁徳の時代は忍熊皇子です。菟道稚郎子皇子とは一世代違います。
 大国主=応神=天智の視点に立つと考古学の世界でも解ける謎があります。

 大古墳の比定です。
 延喜式に定めた古墳の被葬者の元は記紀が書かれた時代、持統天皇が定めたと思われます。持統天皇にとって、天武は最愛の夫であり、天智は大切な父親です。天武に喩えた仁徳に最大の古墳を天智に喩えた応神に第2の古墳の被葬者にした、と私は思います。そうしないと古墳の編年が合いません。

 私は伝応神天皇陵は雄略天皇が被葬者、伝仁徳天皇陵は武烈天皇が被葬者と思います。伝応神天皇陵には崩された痕があります。これは地震が原因ということになっていますが、顕宗天皇が雄略天皇陵を少し壊した話が記紀にあり、その痕と思います。武烈が自分の子供に天皇位を継がせることが出来なかったのは大工事にやりすぎ、墓が大きすぎたせい・・・というのが私の見解です。
>古事記の暗号さん

ご丁寧なご返答を いつもありがとうございます。

なんだかとっても面白く興味深いような 自分には難し過ぎて分からないような ところをさまよっておりますあせあせ(飛び散る汗)

でも 読んでると楽しいことは確かですわーい(嬉しい顔)
古事記の暗号さんの説には全く同意できないけれど、オオクニヌシと応神と天智が同一人物だったらどう謎が解明されるとしているのかは聞きたい。
もんぶらんさん

 判りにくくてすみません。
 大国主=応神=天智と数学の等式で書いてしまいましたが、天智・天武の時代を暗喩するために、大国主と応神をダシに使った、という意味です。

 たとえば、『因幡の白兎』で「母と共同して兄を倒す。」のは大化の改新のことであり、倒された兄は古人大兄皇子です。「弟がもてて兄が女性にもてない」のは間人皇女に天智がもてて、孝徳天皇がもてなかった、ということを暗喩しています。従って、孝徳は天智に暗殺された、ということになります。

 日本書紀には、「中大兄皇子が孝徳に都を飛鳥に戻すことを奏上したが、孝徳は断った。中大兄皇子は公卿百官を連れて飛鳥に引っ越した。」と書いてありますが「公卿百官」天皇の元を去ることは職場放棄です。真実は奏上したタイミングで孝徳は中大兄皇子に殺された、と考えられます。このことは遷都まで伴っている当時は広く知られた事件でしたが、正史にそのまま書くことは憚られます。だから、暗喩した書き方をした、というのが私見です。

 通説では中大兄皇子が実権を握っていたから、という説明ですが、孝徳の死後、斉明天皇の御世になると、孝徳の内政重視の政策から、膨張主義(大土木工事を催し・白村江で戦う)に転換することが説明できません。

詳しくは下記HPへ

http://homepage3.nifty.com/kojikino-angou/index.html
ビラまき開始

 著書『古事記の暗号』のビラを撒きます。対象者は少しでも古代史に興味がある人、ということで今までは発掘現場の現地説明会、博物館のセミナー、講演会場でビラまきをしました。
 今回は江戸東京博物館の『発掘された日本列島2010年』の出入口でビラまきをします。昨日、管轄の本所警察署に道路使用許可を申請して来ました。本格的には6/22より、大江戸線側の路上で開始します。毎日通うので定期券まで購入しました。
 本日は雨ですので、下見程度にビラまきをします。
皆さんが書かれてる事は専門知識がないと解りませんね。

ちょっとソフトに壬申の乱を扱った小説があります。読みましたが面白く当時を知る事が出来て有意義でした。

「天の川の太陽」黒岩重吾作で、他にも推古天皇を扱った小説も書いてます。
結構身近に当時を知る事が出来て良かったです。お勧めです。
マルコメさん

 分かり易く書いているつもりでしたが・・・

 天智天皇・天武天皇の時代は 大化の改新・白村江の戦い・壬申の乱がありました。白村江の戦いは対外戦争ですから、秘密はなく、そのまま日本書紀に記述できます。

 しかし、大化の改新・壬申の乱は内乱で、勝ったほうにやましいところがあり、そのまま正史の日本書紀に書くことが出来なかった。

 だから、天智天皇を大国主神・応神天皇に見立てて、暗喩した、と思っています。

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