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◆日本の神話と古代史と日本文化コミュの誰と誰が同一人物か?

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神武天皇と崇神天皇は同じハツクニシラスで同一人物ではないかとの説がよく聞かれます。
このように記紀の中には同一人物ではないかと思われる人物が多数登場します。
では誰と誰が同一人物なのかということを検討していきたいと思います

個人的には
天照大神=倭迹迹姫命=神功皇后(卑弥呼つながり)
神武天皇=崇神天皇=応神天皇(神武と応神は共に九州で生まれ大和に東征)
倭武尊=雄略天皇(雄略天皇=倭王・武=倭武)
蘇我入鹿=蘇我善徳=聖徳太子(なんとなく)

みなさんどう思われますか?

コメント(14)

同一人物なのかどうかは、将来の研究で解明したいと思います。
蘇我入鹿=蘇我善徳=聖徳太子

これはあるかも。関裕二さんの本はおもしろかったです。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4584391114/sr=1-7/qid=1158566131/ref=sr_1_7/250-8956514-0269861?ie=UTF8&s=books
記紀の原典、ヲシテ文献による天皇名を記事に書きました。
ご参考までにどうぞ。

記紀では、イミナ(実名)多くの称え名などをごっちゃにしています。偉い方ほど、多くの名を持っているケースも多く、それを別の人、あるいは別のカミとして奉っていることも。

http://julian.way-nifty.com/woshite/2006/05/post_b1d2.html

ただしこの文献は、12代景行天皇に捧げられたものですので、
それ以後は当然のことながら書いてありません。

また、ご参考までに神武天皇までのカミノヨ(祖先の世)皇統略系図もご紹介しておきます。
本当はもっと詳しく、各妃、皇子・皇女方も記されていますが、畳2畳ほどにもなり、ややこしいので大幅カットしています。
たとえば、アマテルキミの場合、12人の妃の親元、位を継がれたオシホミミ以外の皇子・皇女など・・・
称え名も有名なもの以外は略しました。

http://julian.way-nifty.com/sophy/2005/11/post_2fcb.html
>かんチャンさま。

アマテルキミのご誕生は、今の富士山の麓にあったハラミノミヤです。

私の書きましたことは、みなこの1番古い文献に固有文字でしるされております。
当然我が国が漢字化される以前の文書なのです。



オオクンヌシは、アマテルキミの弟ギミ、ソサノヲさまの孫。
イミナ(実名)はクシヒコ、他に称え名として、オオモノヌシ(2代目)、コトシロヌシ、ヤマトヲヲコノ、ヨコヌカミ、ミタマカミなどのお名があります。
三輪山に穴を掘らせ、カミ上がりなさり、お墓は三輪山。
大神神社は、そこに建てられたカミヤシロです。

このいきさつも、詳しく述べられています。
この頃のお方は、みな政治的配慮によって、後世神話化されてしまったことが、明らかになりました。

それについては、下記の記事をお読み戴ければと思います。

「ヲシテ文字が消されたわけ」1)物部氏
http://julian.way-nifty.com/woshite/2006/04/post_9a50.html
ちなみに、出雲の国譲りをなさったのは、オオクンヌシ・クシヒコさんの父、初代オオモノヌシのクシキネさまです。

国譲りの話も、この方の成功による慢心が元となり、糾されることとなりました。
息子のクシヒコさんの諌めにより、従順に従われたので、
ツガルに移され、そこをしっかりと開拓なさり、豊かな国となさいました。
後に朝廷にも復帰なさっています。
ツガルヲキミ、ウツシクニタマ、カルキミ、カルキミヲキナなど、称え名多数。
長生きをなさったようですが、お墓は岩木山。
岩木山神社が古伝を残し、それを伝えています。

後世の大国主命のお話は、この方と息子のクシヒコさまをいっしょくたにしたものです。
> びーちぇさん
ヲシテの信憑性はどの程度確かなものなんですか?
蘇我入鹿=聖徳太子

僕も関祐二さんのファンなので、この説に一票。
>ごんべえさま。

信憑性は、私の意見では確かなものです。
しかし、異論は少なからずあります。

それを簡単に述べてみますと、
まず、ヲシテ文献が隠れていた時代が長かったせいと思われます。
なにしろ、日の目を見るようになったのが、まず江戸時代。
これは、一氏相伝の秘伝書としてで、代々密かに書写を重ねられてきたという事情もありました。


けれども生憎というか、この時期には創作としての古代文字と称するものも相継いで発表されて、まずは、いっしょくたに扱われる羽目になりました。

しかし、真書であるという人々(学者)もかなりいたのですが、
文献を見たこともない本居宣長により、偽書とされてしまったことが大きかったのです。
それは、本居宣長が公家や、高位の人々に認められたという事情により、彼の言葉が、大変大きな力を持つようになったからだと思われます。


それ以来、ヲシテ文献は省みられることもなく、埋もれてしまいました。
江戸から明治にかけて、生涯をかけてこれを守り、世に出そうとされた宇和島の小笠原家の人々。
この小笠原家は現小笠原流礼法の祖先、それも嫡流(本家)の血筋の方です。(現小笠原家は分家筋)
けれども、
その活動もむなしく時は過ぎましたが、やっと松本善之助先生により小笠原家の写本が発見されてから、日の目を見ることになりました。(40年前)

しかし、最古の江戸時代の写本(完本)が発見されたのは平成4年です。

小笠原家の写本(完本)と写し比べ、また古事記・日本書紀と照らし合わせ、これが記紀の原典であるとの証明がなされ、「定本・ホツマツタヱ 三書比較」が出版されたのは、平成14年のことです。

しかし、この世紀の尊いお仕事もまったく理解されなく、
相変わらず、本居宣長説に従って偽書扱いしているのが学者さん達です。
アカデミックな世界では未だに、取り上げてもいただけません。

また、いわゆるトンデモ本と一緒くたにされ、否定される方々も良くあります。
しかし、ヲシテ文献を直接読んではいないのですね・・・そういう方は。

しかし、幸いなのはインターネットというメディアが普及したことにより、これが偽書などでなく、真正な文献であるとのことが広まりつつある今日この頃です。

とにかく、原書を読んでいただければ以上のことを納得戴けると思います。

その手助けとして、
有名なエピソードを取り上げ、記紀原文と比較なさってその真実を丁寧に検証されているのが、
「真名の日本巡礼」さまです。
1例としてコノハナサクヤヒメのお名の由来、白子の櫻や、アマテルカミ誕生の子細。
アチヒコ・オモイカネさまのこと。

いずれも、記紀以外の漢字文献、ゆかりの神社伝承、その土地での伝承・・・ほとんど全てを取り上げ、かならず現地での調査もなさっております。
写真も綺麗です。
やや、専門的とは思いますが、ヲシテ文献の真偽を問うのであれば、必読のサイトです。

ニニキネ様とサクヤヒメさま  1〜13 連載中
http://blog.goo.ne.jp/manasanda/c/2caa814bff79bb12f685844530a275e6

アマテル様の生誕  1〜13
http://blog.goo.ne.jp/manasanda/c/1c755bddf82b894f273ebc2d33b52814
すみません。
「誰と誰が同一人物か」という定義に、何となく何ですが違和感を感じます。
「誰が実在してたか」を考えることが歴史を語る上では必要なことだと思います。そして、その実在していた人から、神話の中で構想された人物がどの様にして生み出されたのかを考えるべきと思います。

私は水野裕先生の「3王朝交代説」を採りますので、実在するのは崇神からだと考えています。
応神と仁徳が同一人物だった可能性はあると思います。
それから後が確実とは言えませんが、蘇我入鹿=聖徳太子の可能性は低いでしょう。
奈良以降は文献が多いから確実にいえるんですけどね。
> びーちぇさん ありがとうございます! 参考にします
>かんチャンさま。

天津神=渡来人
国津神=土着人
というくくりは、もちろん記紀以後の大陸思想が入ってきてからの文献をもとにしたもの。

記紀により、ご先祖からの伝承をみな「神話」に書換えたからです。それこそ、渡来系の人の力を借りて漢字化したので、文化も習慣も違う人たちが、日本の言葉の概念をわからぬままに、音で漢字にあてはめたり、似ていると思われる字を当てたり・・・誤訳につぐ誤訳となってしまいました。

渡来人が目立って多くなるのは、神功皇后の新羅侵攻以来のこと。そして多数の人々が我が国に住み着いたのは、なんといっても「白村江」での百済滅亡の後といえるでしょう。
以来、渡来人は増え続け、平安時代になると実に上流社会の30%以上が、渡来系の人々となりました。

ま、それは置いておくとして。

日本人の民族としての血統について、詳しく調べ書いて見ました。

「日本建国 クニトコタチのころ」
http://julian.way-nifty.com/woshite/2006/07/post_47c5.html


参考になる他の記事としては
「ウケモチさんの稲はどこから」
http://julian.way-nifty.com/woshite/2006/07/post_1a5b.html

最古の稲は朝鮮から渡ったものではなかったことが、DNA解析ではっきりしました。実に6000年以上も前のことだったのです!

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