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映画を語るコミュの「ミュンヘン」

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昨日、丸の内プラゼールにおいて「ミュンヘン」を観てきた、色々な意見はあると思うが、これが現時点でのスピルバーグの最高傑作だと思う。

幼少の頃、「レイダース」で映画の面白さを知り、TV放映された「ジョーズ」に恐怖し、「E.T」の長い列に並び、「カラーパープル」や「太陽の帝国」で感動した(フリかもしれないが・・・?)、そんなオレはダイレクトなスピルバーグ世代である、アカデミー賞を受賞した「シンドラーのリスト」以降も数々の問題作や話題作を作り上げてきたが、今回の「ミュンヘン」は今までの彼のテクニックと表現力を全て出しきった作品である、そして彼の恐ろしいまでの本質を体験する事が出来るのだ。

よく指摘される事だが、彼の作品における残虐性は極めて高い。
代表的な作品を挙げると、「ジョーズ」での切断された足、「レイダース」でのプロペラによる切断、「魔宮の伝説」の心臓鷲掴み、「宇宙戦争」での人体破裂、そして「プライベート・ライアン」における戦闘シーン。普通の感覚でも目を背けたくなるシーンばかりだ、しかしそれこそが彼の作品の最大の魅力である事も間違いない。
撮影監督のヤヌス・カミンスキーと組む事になってから、この傾向は顕著になった、今回の「ミュンヘン」では今までに培ったテクニックを全て使って衝撃を与えてくれる。
ユダヤ人の血をもつスピルバーグだが、ごく普通のアメリカの家庭に生まれ育ってきた、虐殺も無ければ身近な場所で戦争も敵国もないはずだ、そんな彼の心の中にあるもの、彼を創作へと駆り立てるエネルギーとは何か、その答えの一つが「残虐な心の闇」であると思う。
アメリカ人としては身長も低くハンサムでもない、学歴も無い、そんなコンプレックスの固まりの中で、彼は「残虐な心の闇」を、映画製作をする事によって育て上げていった、それは犯罪者と紙一重であるだろう。その「残虐な心の闇」はこの「ミュンヘン」で一つの到達点に達したのだ。

1972年9月、ミュンヘン・オリンピック開催中、武装したパレスチナのテロリスト集団“黒い九月”がイスラエルの選手村を襲撃、最終的にイスラエル選手団の11名が犠牲となる悲劇が起きる。これを受けてイスラエル政府は犠牲者数と同じ11名のパレスチナ幹部の暗殺を決定、諜報機関“モサド”の精鋭5人による暗殺チームを秘密裏に組織する。チームのリーダーに抜擢されたアヴナーは、祖国と愛する家族のため他の4人の仲間と共に冷酷な任務の遂行に当たるのだが…。

世界中にテロの嵐が吹き荒れているさなか、しかもワールドカップドイツ大会の前年に、こんな内容の作品を製作するなんて、いったいどんな思考回路の持ち主なのか?
かなり政治的な題材だけど、こんな題材で感動させる事なんて出来るのか? ウェインさんの記事によると残酷なスピルバーグ節が全開らしいが、全然繋がらない。
映画を見る前には、出来るだけ情報を遮断していたので、そんな思いであった。
出来上がった作品を観たところ、ビックリした、上映時間164分、全編リアルなアクションとサスペンス、画面からは強烈なまでの緊張感が漂っていたのだ。
ただ、普通のアクション映画と違いそこには爽快感などまるでない、いかにして人は死んでゆくのかを、執拗にまた念入りに描く。殺人に至るまでの描写で、息の詰まるような感覚は何度でもあるが、小刻みに震えるなんて事は今までになかった、オレにとってはそれほどの衝撃であったのだ。

はっきり言おう、スピルバーグが今回この作品でやりたかった事は70年代硬派アクション映画の再現である、世間が騒ぐ程、複雑なメッセージも小難しい理論もない、自己の持つ残虐性を70年代硬派アクションにうまく取り入れたのが、今回の「ミュンヘン」なのだ、ただし忘れてはならない、これが全て事実に基づいているという事を、そこには爽快感も痛快さもまるでない。

冒頭のイスラエル選手団への攻撃は、非常にあっさりと流している、その後に当時のニュースフィルムと合成したテレビ画面が出てくるが、荒れた画面なのでどこまでが合成だか分からない、テンポよく進む展開は、職人編集者マイケル・カーンの腕の見せ所。
殺された11人の選手達と、殺す予定のパレスチナ幹部の写真を交互に見せるシーンはゾクゾクしてくる。
その後、主人公のアブナーがイスラエル政府の首脳部にチームリーダーとして選ばれる、国から一言「暗殺に必要な経費は全て用意する、しかし君と国家との関係は一切ない。」、そしてアブナーと4人のエキスパート達は報復任務のため、世界中を飛び回る。

スピルバーグは「007」の監督を夢見てきた、だから冒頭の展開はそのままである。
(ゴルダ・メイア首相を女王陛下、管理職のエフライム(メガネをかけた姿は「タワーリング・インフェルノ」でのW・ホールデンそっくり)を「M」、経理課を「Q」と思えば、あら不思議、そのまま「007」になる。)
「当局は一切関知しない。」は「スパイ大作戦」の有名な台詞、各専門職のエキスパートという設定もそうである。

その後、一人一人を見つけ出し、暗殺実行に移るのだが、これがまたスリリングなシーンの連続であり、暗殺シーンは「ゴッドファーザー」を彷彿させる。
一人目、尾行して追いつめ、拳銃を突きつけるまで、お得意の揺さぶりとかわしで緊張は高まる。
「できるだけ目立つように爆弾で殺せ。」、その指示通リ二人目以降はベッド爆弾、電話機爆弾で息の根を止める、特に電話機爆弾を仕掛けた部屋に、女の子が戻るシーンは強烈なサスペンスで、震えが止まらなかった。
パレスチナ幹部を探す為に、情報屋のフランス人ルイと接触するのだが、このルイの「パパ」との食事シーンなんかも「ゴッドファーザー」そのものであった。
「パパ」を演じるのは「007/ムーンレイカー」や「ジャッカルの日」で有名なマイケル(ミシェル)・ロンズデール、得体の知れない貫禄はさすがである。
強烈なまでの残酷なシーンが次々に現れる、ナイフで貫かれる脳天、マシンガンで吹っ飛ぶ脳漿、爆弾により壁や天井に張り付く手足、頬を貫通したまま呆然と捕虜になる選手、吹き矢のような拳銃でゆっくりと殺される女スパイ・・・・等々、ジョークを交えながら演出するスピルバーグはやはり恐ろしい。
次々と標的を倒し、仲間もまた倒れていく中で、自分を見失うアブナー、憎しみが新たな暴力を生み、いつ果てるともしれない戦いはいつまでも続いていく、最後に写り込む世界貿易センタービル、現在も変わらずむしろ悪化していく状況を示唆しながら物語は幕を閉じる。

この作品では多くのシーンや展開において、過去の名作から引用されたシーンが登場するのだが、スピルバーグが今回このタイミングで映画化するにあたって、最も意識をしたのが「ブラックサンデー」であろう、「黒い九月」とモサドの活躍と聞いて、この作品を思い出さないわけにはいかない。
「プライベート・ライアン」で黒沢明リスペクトを果たしたスピルバーグは、兄貴分や先輩監督達へのオマージュを本作で捧げている、残酷でリアルな殺人シーンはコッポラやデ・パルマから、獲物を追いつめる緊張感ある演出はフランケンハイマーやフリードキンから、風穴を開けて死に逝く描写は「俺たちに明日はない」から、70年代を代表する男性派監督の名作群を、見事なタッチで再現している。
そして上記のように「007」に縁のある俳優達を使い(ダニエル・クレイグは新ボンド)、自らの残酷趣味と実話を元にした政治的なメッセージを振りかける事で、世間的にも物議を醸し出す作品を作り出すのであるからさすがである。

娯楽映画にはふさわしくない、粒子が荒れて暗く青味がかった映像も、本作のようなドキュメンタリータッチの作品には最も効果を発揮する、J・ウィリアムスの音楽も控えめである、そして感情移入する事までを一切排除したスピルバーグの非情までの演出力は、現代でも最高レベルの映像作家である。

スピルバーグが活躍し、鍛え上げられたのは70年代の映画界であった、その時代の主流であったアメリカン・ニューシネマの原点は「俺たちに明日はない」である。
あの映画の最後のボニーとクライドは体中に無数の風穴を開けられて絶命した。
当時の観客達は87発の銃弾に震え、驚愕した。
「ミュンヘン」ではたった3発の音も無い銃弾で、それ以上の恐怖を観客に与える。
スピルバーグは「ミュンヘン」でその70年代の名作群にオマージュを捧げ、自らの70年代にピリオドをうった。

現実に起こった政治的な事件を、中立的な立場で描き、ビジュアル的にも強烈な残酷性を持たせながら、過去の名作群にオマージュを捧げる、そんな複雑な構造をもった作品を現代の監督の中で他に誰が作れるだろうか?
最後にもう一度言うが、「ミュンヘン」こそ凶暴で心に深い闇を抱く監督、スティーブン・スピルバーグの最高傑作である。

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