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映画を語るコミュの「エクソシスト」における悪魔の存在

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「エクソシスト ディレクターズカット」は、1973年の製作当時に撮影はされていたが、様々な事情で封印されていたスパイダー・ウォークや別オープニング・エンディング等の15分間の未公開映像を新たに付け加え、音声と映像をよりクリアにしたバージョンである。

「エクソシスト」は観る者の受け取り方によって、どのようにでも解釈出来るように仕上がっている。多くの観客は幼い少女に取り憑いた悪魔とそれを追い払う神父との壮絶な戦いを描いたオカルト・ホラーとして捉えているであろう。しかし、細かい場面展開をじっくりと観ていくと、多くの不安を抱える思春期の少女と女優であるシングルマザーとの葛藤を描いた、家庭内ドラマとしても観る事ができるのである。

この作品で実際に殺される人間は3人である。1人は主人公クリスの男友達である映画監督のバーク、もう1人は以前に悪魔祓いの経験があったメリン神父、そして最後の1人はクリスが最初に悪魔払いを依頼するカラス神父である。劇中では悪魔によって殺されたように描写されてはいるが、実はそうとも言い切れないのだ。

まず、バークはクリスに娘のリーガンの子守りを頼まれて、何かのきっかけでその部屋から飛び降りて死ぬ事になる。直接的な描写はないのだが、観客は悪魔に取り憑かれたリーガンによって、突き落とされたのだと受け取るであろう。当のクリスも「まさかうちの娘が・・・」と悩み、悪魔祓いを決意させる発端ともなるのだ。しかし、その直前にあるクリスのホームパーティーの場面では、酔っぱらって使用人に執拗に悪態をつくバークが描かれている。この使用人はクリスの外出中には当然家にもいた、パーティーの時のバークの態度を恨んで突き落としたのでは?、と疑う事もできる。また、酔い覚ましに窓を開け放ち、その弾みで下に落下した可能性もなきにしもあらずだ。

次に、悪魔祓いの経験者である高齢のメリン神父は、リーガンの中にいる悪魔を追い出さそうとして心臓に負担がかかり、それがきっかけで死ぬ事になる。冒頭の場面から、震えてニトログリセリンを頬張る場面があるので、心臓疾患を持病として持っていたのであろう。そんな持病を持っている老人で、極度の興奮状態が続けば、死に至るのは当然の事なのである。

最後にカラス神父であるが、彼はメリン神父の死体の脇でいたずらっぽく笑うリーガンの姿に激高し、彼女を殴りながらこう告げる、「俺に取り憑いてみろ! 俺の身体にはいってみろ!」、悪魔はその痛みに耐えかねて、望み通り彼の身体に乗り移り、意識を支配しようとする。だがその直前に、窓から飛び出し自らの身体を石段に叩き付けて命を絶つ。この映画の真の主人公と言えるカラス神父は、宗教家でありながら精神科医の資格を持ち、さらに肉体をボクシングで鍛えているエリートであった。しかし、生活は貧しく痴呆気味の母親を精神病院に預け、結果としてそこで死なせてしまう。またホームレスに物乞いされても、何ら救う術を持たないのでその無力さに打ちのめされる事になる。「もし神が実在するのであれば、この世はなぜこれほどまでに苦しみに満ち溢れているのであろうか?」彼はそれらの事で思い悩み、信仰に疑問を持つ事となる。この結果が神父の自殺と言う、神への最大の冒涜行為で幕を閉じる事になるのだ。

果たしてリーガンの中に悪魔は存在したのであろうか?
それでは、この映画の中で起こる超常現象に付いて検証をして見る事にしたい。

クリスとリーガン親子の住むマクニール家に悪魔は静かに忍び寄る。それは屋根裏部屋から聞こえる謎の音から始まり、リーガンの身体へと乗り移って行く。激しいベットの振動、ホームパーティの最中での放尿、十字架での自慰行為、首の回転、緑色の反吐、傷まみれの顔、それは次々にエスカレートして留まる事を知らない。しかし製作されて30年以上が経過した現在でも、最も衝撃的な場面は12歳の少女リーガンの口から吐き出される様々な呪いの言葉である、

「Let Jesus fuck you! (キリストにファックさせてやれ)」
「Lick me,Lick me!(ナメろ ナメろ)」
「Stick your cock up her ass, you mother-fucking worthless cock sucker!
(この娘にペニスを突っ込みに来やがったな)」
「Your mother sucks cocks in hell,Karras! You faithless slime!
(カラス(神父)のお袋は地獄の淫売だ)」
「Shove it up your ass, you faggot!(ケツに突っ込め)」
「Fuck Him, Karras! Fuck Him! (ファックだ)」

(これらの日本語訳はDVDに収録されている高瀬鎮夫氏によるものである。かなり抑え気味に訳しているが、実際にはもっと酷い言葉を喋っているのが一目瞭然である。)

昨日まで「ママ、ママ」と可愛く笑い、人形遊びに興じていたあどけない少女の口から発せられる卑猥で邪悪な言葉の数々にクリスは愕然となる、それは観ている観客にも同じ衝撃をもたらしている。まさに悪魔がリーガンの身体に入り込み、そうさせているとしか思えないのだ。

だがほとんどの怪奇現象には何らかの説明がつく、少なくとも映画版「エクソシスト」において、監督のウィリアム・フリードキンはそのように演出をしている。そんなバカな? と思われるかもしれないが、何度も繰り返し鑑賞する事で答えは導きだされる。

まずは屋根裏部屋から聞こえる謎の音だが、クリスはネズミの存在を疑った、しかし執事のカールが仕掛けた罠には捕まってはいない、従って犯人はネズミではない。マクニール家は閑静な住宅街の一角に建ち、周囲を街路樹が囲んでいる。秋の夜風は木の枝や幹を揺らす、その枝が天井や壁に当たり、反響していたのではないだろうか。

ベッドの激しい振動は、リーガンの痙攣から引き起こされていると専門医は診断する。そんなバカなとクリスは否定するが、彼らに言わせればよくある症状だそうである。

リーガンの悲鳴により、クリスが駆けつける部屋の場面では様々な遊び道具が宙を舞っている、これは有名なポルターガイスト現象である。しかしこの場面をよく見るとリーガンの姿は同時に画面に映り込んでいない、つまり彼女が投げている可能性もあるのだ。この直後に衝撃的な十字架での自慰と180度の首回転がある。想像してみるが良い、自分の娘が(あろうことか)十字架で自慰をする姿を、言葉を失ってしまうほどの衝撃を受ける事であろう。クリスの悲鳴を聞きつけ、マネージャーのシャロンや執事のカールが階段を駆け上がってくるが、部屋に入る直前に扉は閉じられてしまう、それは悪魔の力によってだ。しかし、誰が可愛らしい自分の娘の淫らな姿を他人に見せられるであろうか、つまり扉はリーガンの行為と姿を恥じたクリスの手により閉じられたかもしれないのである。

首の回転についても簡単に説明ができる。この場面の直前に、殺人課のキンダーマン警部がクリスのもとに訪れ、亡くなったバーグの死亡時の状況を彼女に話す。バーグは死の直前までリーガンの近くにいて、部屋の窓からすぐ下の階段に転落をし、首が180度回転した状態で死んでいたという。その状況を聞かされたクリスは、こう考えるのであった「まさかうちの娘が・・・」、その事からリーガンの首が回転したように見え、バークの声で「このバークに お前の娘は何をしたと思う」と言う場面に繋がるのだ。さらに映画のクライマックスである後半の悪魔祓いの場面でリーガンの首が360度回転するが、一心不乱に祈りを唱えるメリン神父に対して、カラス神父はその回転に恐れおののく、まるで悪魔の誘惑に導かれるようにである。実はカラス神父もキンダーマン警部から捜査の秘密であるバークの死亡時の状況を聞かされた、数少ない関係者であったのだ。

最大のクライマックスである悪魔祓いの場面での怪奇現象は、どうなのであろうか。これも簡単に説明ができる。原作にあるように他の登場人物がその場に駆けつける事もなく、メリン神父とカラス神父はリーガンの中に潜む悪魔と、ただひたすら2対1で戦い続け、最終的には命を落とす事になる。悪魔を追い払う目的で全力で立ち向かい、その攻撃によって死を迎えるのだ。リーガンに現れる悪魔的な怪奇現象の全ては、そんな彼ら2人が精神的に受けた抽象的な攻撃を、具体的に映像化したものである。なぜならそれを証言出来る関係者は1人もいないのであるから。

それでは、リーガンの口から発せられる悪魔のような淫らな言葉の数々は誰が教えたのであろうか、それは他でもないクリスである。彼女の台詞を良く聞いていると「GOD」「Jesus Christ」「Ass」「Fuck」「Shit」「Goddamn」といった言葉の数々があらゆる所で登場してくる。また、その言葉を自分の寝室で聞いているリーガンの場面もある。モーゼの十戒にはこうある、「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。」、クリスは台詞にもあるように無神論者であるから、「Jesus Christ」を連呼する。だからこそ彼女は罰せられ、悪魔祓いという古典的な方法で娘の救済に希望を託し、それが叶う事で真の信仰心が芽生えるのである。

その他にもただの水道水でリーガンが苦しむ場面があったり、カラス神父の母親の旧姓や、カラス神父のミドルネームすらわからない。さらにカラス神父が悪魔祓いを決意する聖痕の場面では、シャロンと2人で目撃するが、実際に「help me」の文字を見たのは彼1人だけである。

この映画においては悪魔など存在しないのであろうか。「エクソシスト」はただの思春期特有の不可解な現象を描いた物語なのであろうか。いや、そんな事はない。確かに悪魔は存在すると断言できる。それは意外な所に現れているのだ。

「悪魔は嘘つきだ。我々を混乱させ、その嘘に真実を混ぜて我々を攻めるのだ。」

これは悪魔祓いに挑む直前に、メリン神父がカラス神父に伝える言葉である。映画版「エクソシスト」において、悪魔に取り憑かれたように立ち振る舞ったのは、他でもなく監督のウィリアム・フリードキンであった。

リーガン役であるリンダ・ブレアは汚い言葉や反吐を吐くシーンを演じているが、これに対して「一切の代役はいない、彼女が全てこなした」と発言した。実際には代役を使い精密な装置を付けた特殊効果で撮影をしているにも関わらずにである。熱心なクリスチャンや有識者からの攻撃は、彼女に集中した事は言うまでもない。また、リーガンの身体が宙に浮かぶ場面では「強力な磁場の応用で撮影した」と答え、身体を吊るすピアノ線の存在を巧く誤摩化した。さらに「この映画には撮影した覚えの無い奇怪な影が移っている」とか「ヴァチカンで少年に対して行われた実際の悪魔祓いの音声がミックスされている」と答え、この映画のオカルト性を高めていった。他の出演者達にもその悪魔のような攻撃は止まる事を知らず、クリス役のエレン・バースティンをピアノ線で強烈に引っぱり、腰を強打させて病院通いを余儀なくさせた(劇中の悲鳴は彼女の本物の悲鳴である)。ダイアー神父役のウィリアム・オマリー(本物の聖職者で演技は素人)の演技には、何回もNGを出した後にいきなり頬を平手打ちし、悲しみと恐怖に打ち震える表情を演出した。撮影現場にショットガンを持ち込み、演技をしている役者達の前で、いきなりそれをぶっ放した。劇中の登場人物達が恐れおののいている表情は、すべてフリードキンがいつ引き金を引くのかわからないショットガンの恐怖に脅えていたのである。

なぜフリードキンはこれほどまでに悪魔に取り憑かれたような行動にでたのであろうか?それは映画版「エクソシスト」を、現実に起こりうるリアルな作品に仕上げたかった為である。それまでの恐怖映画はモンスターや怪獣達に代表されるように、あくまでも作り物でしかなかった。ドキュメンタリー出身であり「フレンチ・コネクション」のリアルなタッチで才能を開花させたフリードキンは、同じ手法でこの作品を撮り上げ、映画史上に残る最高の恐怖映画を作り上げた。プロデューサーで原作者でもあるウィリアム・ピーター・ブラッティから、多くの場面を残して欲しいと懇願されたにも関わらず、自らの意志を決して曲げなかったフリードキン、プロデューサー至上主義の現代では決して考えられない事である。70年代初頭に最もパワーと情熱があったフリードキンのエネルギーが周囲をも巻き込んで、悪魔的な力を発揮したのであろう(余談だが、ブラッティの望む多くの場面を盛り込んだディレクターズカット版とオリジナル版を見比べれば、その完成度は一目瞭然である)。

映画版「エクソシスト」(もちろん原作も)は世界中で興行記録を塗り替える大ヒットとなり、様々な影響をもたらした。この映画によって、実際に悪魔に取り憑かれたような若者達が次々に猟奇的な事件を引き起こしたのである。「自分が社会で適応できないのは、この映画のように悪魔が取り憑いているせいかもしれない」、こういった考え方が蔓延し、ある物は自殺をし、ある者は悪魔祓いと称した殺人事件を引き起こしていった。それは、非キリスト教圏である日本でも同様であった(http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/fujisawa.htm)。

さらに「エクソシスト」はノストラダムス以上に、現代に起きる悲劇を正確に予言した。シングルマザーを始めとする家庭内崩壊・信仰心の喪失・引きこもり(ニート)・新薬や精神薬による被害等々である。中でも最も恐ろしいのは、アメリカによるイラク攻撃を予言した事である。物語の冒頭でメリン神父は、イラクにあるニネヴェ遺跡でパズズ像を発見する事により、その後の「善と悪との戦い」を予感する。これはアメリカのブッシュ大統領が仕掛けたイラク戦争に、そっくりそのまま符合するのである。

もともと「パズズ」はメソポタミア(現在のイラク地方)に伝わる風と熱風の悪霊であった。しかし逆に悪霊の王であることから、その彫像が悪霊を統御する護符として用いられていた。このような考え方はキリスト教圏である西欧にはない、なぜなら西欧には善と悪との根源的対立という考え方があるからだ。全一なる神がこの世に善と悪をもたらし、その闘争を繰り返しながら、最終的な解決方法としてハルマゲドンに至るのである。それとは逆に日本やアジア諸国では、たたりをなす悪霊や怨霊は祀られる事で善となり、守護的な働きをするのである(将門の首塚や菅原道真の天満宮は特に有名であろう)。この宗教観の大きな違いが現代の悲劇的なイラク情勢を反映しているのだ。

それでは本当に悪魔は存在するのであろうか?

間違いなく存在するであろう。それはこの映画のリーガンに取り憑いたような姿ではなく、姿や形のある物ではない。人間の心の中に音も無く忍び寄り、圧倒的な力で周囲を巻き込み、壊滅的な状況をもたらすのである。多くの戦争や凶悪な殺人事件はそんな悪魔に取り憑かれた人間が巻き起こしたのである。そう、人間は誰しも悪魔に取り憑かれる可能性を持った生き物であるのだ。

*ここでは「悪魔」に統一したが、本来「悪魔」と「悪霊」は別物である。詳しくは「悪魔と悪霊」で検索してもらいたい。

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