ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ムジーク・ヨ−ゼフ【オーボエ】コミュのヨーゼフ四方山話

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
こんにちは。元ヨーゼフ社員のつかさです。mixi内にもヨーゼフのファンがたくさんいらっしゃって嬉しいです。(^^)

ここでは私の知っているヨーゼフの楽器製作にまつわるいろんな話を紹介したり、皆さんが体験したヨーゼフに関するお話を聞かせていただいて、楽しく交流したいと思います。

私はH3年にヨーゼフに入社、H9年まで設計と製造に携わっていました。機種でいうとS-1の開発までは関わっています。その後もファンクラブホームページを作ったり、トーマス・ローデのCDの通信販売をしたりとヨーゼフにはずっと何らかの形で関わりを持っていまして、クレメントモデルの開発の裏側も少し見てきました。

最初に楽器を作ろうと社長が思い立ち、試作品が完成し、製品として世に出せるようになるまでの日々は、今思えば懐かしい思い出ですが、当時はとてつもなく大変な日々でした。でもとても楽しく充実していました。

ぜひ皆さんもヨーゼフにまつわる思い出やエピソードなど、何でもお書きください。どうぞ宜しく。(^^)

コメント(11)

つかささんお久しぶりです☆
私は高校3年間吹奏楽でオーボエを担当し、
現在は大学のオーケストラでオーボエを続けています!!
大学に入って1年ちょっとの間は、大学の楽器を使っていました。。。その楽器が古くて、保管状態も良くなかったので、とても辛かったです。音程はバラバラだし、音自体出にくくて↓
そんな楽器で臨んだ演奏会は、まともに音が出るかが不安で、オケのメンバーに迷惑をかけっぱなしでした。。。。
演奏会が終わってから、父がやたらとオーボエについて聞いてくるので、内心面倒くさいと思いながら応えていました。
私が面倒くさそうにしているのを見て、母が「お父さんはあんたに楽器を買ってやりたくていろいろ調べよるとよ」と話してくれました。
私は音楽を専門にやっているわけではなく、大学では全く別の勉強をしなくてはならないので、私がオケをやっていることを父が応援してくれているとは思ってませんでした。
父は「一生モノだから」と言ってヨーゼフを買ってくれました。。。
その日から、ヨーゼフは私の宝物です!!
りぃさん、こんにちは。(^^)

いい話ですね。ぜひ一生使ってあげてください。

ところで、ヨーゼフのマーク知ってますよね。あのマークの由来はご存知ですか?

実はあれの最終デザインは私が書きました。(^_^;)
鯨の絵を選んだ理由ですが、当時社長の娘さん(まだ幼稚園くらいだった)が鯨が大好きでお絵書きをしていた絵がヒントになりました。しかし一番の理由は、ちょうどヨーゼフの最初の立ち上げ時に大変お世話になり現在でも技術スタッフとして力を貸して頂いている鋳物すり職人の「鯨井さん」に敬意を表したということと、私が大の大洋ホエールズファン(当時・現ベイスターズ)だったということです。(^_^;)

これは昔のファンホームページにも書いたことですが、見た方は覚えていらっしゃるかな?
そうなんですかぁ☆知りませんでした。
何でくじら!?と思ってました。
他のメーカーのマークがシンプルだから、目立ちますよね。
私ヨーゼフのマークかわいくて好きです!!
友達も「かわいいね」って言ってくれました。
2年ほど使っているので、バッグについているマークが消えてしまっていてちょっと悲しいです↓↓
つかささん、こんにちは。
くじら可愛いですよね〜、お気に入り♪
久々にヨーゼフのサロンに行きたくなりました。
リードもなくなってきたし・・・
まつまつさん

どうもご無沙汰です。(^^)
(でよろしいですよね?あのまつまつさんですよね。)
こちらでもどうぞ宜しくです。
お久しぶりです、覚えててくださいましたか?
うれしいな〜(#^.^#)
ヨーゼフは私にとっても一生の宝物に
なりました。
こちらこそよろしくお願いします!
なかなかネタがないようですので、僭越ながら、僕が体験したヨーゼフ話を語ることにします。思い出話みたいで恐縮ですが。(^_^;
20代半ば、Y社フルート設計からヨーゼフに転職しました。そこでは大企業Y社の工場の作り方とかなり違いました。まず日本ではオーボエを自社で作っている会社は当時Y社のみで、小さな会社でオーボエを作ることは考えられませんでした。それは製造技術的にかなり高度な技術を要求されること、そのため量産や自動化も困難、しかもコストがかかりすぎることなどが理由で、よほどいい楽器を作る自信がなければ商売としては成り立たないからです。しかし社長にはそれをやるだけの実力があったのです。(その時は賭けに近かったが今となっては間違えでなかったと思える)僕はこの会社がこれからオーボエを本格的に開発するというその時に入ったので、最初の苦労を社長と一緒に経験したのでした。 続く
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。m(__)m

前回の続き。
社長はドイツで演奏家をしていましたが帰国してまずは楽器の販売を始めました。そこでの経験が楽器作りの基礎となったのです。その話もまたするとして、楽器作り開始の話から書きますね。製造に関しては全くの素人だった社長は、最初にドイツのオーバーマイスター(マイスターを指導する資格ある特別なマイスター)を招聘します。本場の技術者は凄かったです。楽器を本当に手作りします。角材をノミで粗削りして、中心に穴を空けて旋盤で外形を加工、内径も指穴も専用刃物で手加工。しかもその刃物も鋼を叩いて焼き入れして作りました。キーも洋白の棒を熱して叩いて曲げて削って作ります。本当に全て手作り。こんなことが出来るなんて信じられないという感じでした。続く。
昨年埼玉のTV局が特集でヨーゼフの紹介をし、工場での製作状況を放映したそうです。私はヨーゼフのTさんからその時のDVDを頂きました。原材料から始めて上に書いてあるような手順を全部紹介していました。
私もメーカーの人間なので、つい原価計算をしてしまうとあの工程で売値100万円は安いと思います。
購入者の立場だと高いですが(笑)
先日、仲村社長と会った時に管の中の仕上げ具合を訊いたらば、外と同じようにバフをかけたようなテカテカにする主義と、ヨーゼフのように結構表面粗さある主義に分かれているとか。
その辺の話をご存じでしたらご紹介下さい。
つかさです。

ペガソの登場は、まだ渋谷で社長と夢を語り合っていたころに、思い描いていた楽器にかなり近づいたと思います。社長曰く、初心者こそ、一番いい楽器を吹くべきだと。最初は安い楽器で成らして、ある程度吹けるようになったらもう少し高い楽器を買って、、、などというのはかえってオーボエの上達を妨げると。。。まあ、安いものじゃないので、そうもいかないんですけどね。(^^;

四方山話、ヨーゼフのことだけではありませんが、少々自分の日記に書いていくことにしましたので、ご興味ある方はご覧下さいね。m(__)m

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

ムジーク・ヨ−ゼフ【オーボエ】 更新情報

ムジーク・ヨ−ゼフ【オーボエ】のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング