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現代人にも通用する仏教思想コミュの040-慧能という方は、どんな人か?

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 続き・・・

 慧能(えのう)という人の出身は、南の方からやってきた人でした。当時の中国は「随」の時代で文化的にも北方の民族が発展した時期でもありました。南の人間は・・・まぁ野蛮人みたいに言われていた時代でもあります。
 慧能はその南方からやってきた人で、体も小さく山猿のような顔をしていたようです。そのため、弟子達からは非常に馬鹿にされていたんですね。
 話によると、禅宗がよりどころにしている経文の一つである金剛般若経の話を聞いて出家する決意をしたと言われています。
 五祖弘忍は、慧能を寺に入れてはあげたんですが、何せ文字も読めないためにね。出家の作法もかなわずに、戒も授けられずにいたんです。そのために、雑用係として米つき小屋で米をついていたんですね。

 お坊さんが字が読めないというのは、これは致命的な問題です。字が読めなければ、お経の読経もできないわけですからね。現代風に言えば、小学校さえ出ていない人だと言うことになります。

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 慧能は、寺で騒いでいるようなので何があったのか仲間に聞きます。仲間の一人が、「師範代の神秀が偈を書いて発表したので・・・跡継ぎが決まったと、みんなで騒いでいるのだ。」と、そう言ったんですね。

 慧能は、自分は字が読めないので仲間に、その偈を読んでくれと頼みます。

 仲間は、「この体は、菩提樹である。心は明鏡の台である。だからときどき、きちんと汚れを拭き取って、塵や垢をつけないようにしなさい。そういうような意味の偈だ。」と、答えます。「師の弘忍も神秀の通りやれば、間違いないだろうと言っている。」そういうことを言ったんですね。

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 慧能は、当時は二十代の前半だったそうですが、「ふん!そんなものは大した悟りではない。」そう、言い放ちます。(^_^)v

 仲間は、「おまえのような米つき男が何を言うか!」と馬鹿にします。慧能は、「それでは、おれが言うから書いてくれ。おれは字が書けないから、おまえが代わりに書いてくれ。」と、言って偈を述べたんですね。

 それは、次のような偈でした・・・

 菩提樹本樹無し
 明鏡も亦台に非ず
 本来無一物
 何れの処にか塵埃を惹かん

 この偈の意味は・・・

「悟りなんぞもともと樹なんぞない。澄んだ鏡もまたまた台ではない。人間は、本来、何も持っていない。どこに、そんな塵やら垢やら付けるというのだ。付けるところなぞ、どこにもないではないか。」

 そういうことですね。(^_^)v

 これを、廊下の壁に貼ったものだから・・・「何かすごい人が出てきたらしい。」「大変なことらしい・・・」というように寺が揺れるような衝撃が起こったようです。
 師の弘忍も、その偈を読んで「これはすごい」と思ったんですが・・・その場では、「いや・・たいしたことはない」と、言って無視します。
 そして、その夜に米つき小屋に出かけていって慧能に「米は熟したか?」と聞きます。つまり、米はよくつけたかと聞くんですね。すると、慧能は「米、熟すること久し。なお、ふるいを欠くことあり」と答えます。
 これは、米は長い間、もう充分つけています。しかし、まだ仕上げはできていません。つまり、「私はもう充分悟っているのだけれども、その悟りに対する認定が、まだきちんとなされていません。」そういう意味ですね。

 まぁ、これがいわゆる・・・禅問答ということなんですね。(^_^)v

 五祖弘忍は、決心して慧能を六祖にしようと思います。何も言わずに、コンコンコンと持っていた杖で臼を叩いて帰って行きます。それは、寺のしきたりで太鼓が三つ鳴る時刻を示しています。つまり、真夜中頃に来いということになるんですね。
 慧能は、その時刻に弘忍の部屋にやってくると・・・弘忍は、「金剛経」についての悟りの趣旨を教えて達磨大師以来より伝わる衣鉢を渡します。
 弘忍は、「おまえが衣鉢を継いだとなれば、大変なことになるであろう。たぶん、弟子達が許さないだろうから、その衣鉢を持って逃げよ。」と言います。
 なぜなら慧能は得度していないし・・・とくど:つまりお坊さんになっていない・・・字も読めなければ字も書けない。年齢も若すぎる。へたをすると殺されるかもしれない。そこで、弘忍は船着き場まで送っていき師自ら船をこいで川を渡り、南方へ逃がします。

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 その後、弘忍の寺では・・・先生の弘忍がまったく説法に出てこないので、おかしいと思った弟子達は何かあったのかといぶかって弘忍の部屋に行きます。
 すると、「わしはもう引退した。」と先生の弘忍が言うんですな。「引退したとはどういうことですか?」と、弟子達は問い詰めます。
 弘忍は、「衣鉢は、もう慧能に譲った。」と言うわけですね。

 これを聞いた弟子達はびっくり仰天です。「先生はぼけたに違いない。あの米つき男が衣鉢を盗んで持って逃げたに違いない。追いかけて、取り戻そう!」と、言うわけで後を追って行きます。しかし、逃げられてしまうんですね。(^_^)v

 その後、慧能は師の弘忍のすすめもあって、南に行って長く潜んでいたんですが・・・ほとぼりが冷めた頃世に出てきます。そのエピソードもあるんですが・・・機会があれば語りましょう。(^_^)v

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 これが、慧能が興した「南宗禅」と呼ばれる宗派になります。慧能が衣鉢を持って逃げたにもかかわらず神秀も寺を継いで、そこに「北宗禅」として独立します。神秀は立派な方だったようで、その当時の皇帝に諡として大通禅師という名前をもらったそうです。ただ、神秀の弟子に大物が続きませんでした。北宗禅は廃れてしまいます。
 慧能が開いた南宗禅は、「頓悟禅(とんごぜん)」と呼ばれるようになります。神秀の禅を「漸悟禅(ぜんごぜん)」と呼びますので、南頓北漸とかも呼ばれます。

 中国の禅宗は、頓悟禅が主流になります。ゆえに、日本に伝わってきた禅宗は、すべて頓悟禅になりました。

 (続く・・・)http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=46714497&comm_id=4273190

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