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現代人にも通用する仏教思想コミュの036-信仰心とは?

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 世界中には、さまざまな宗教があります。西洋では、イスラエルで誕生したキリスト教が世界中に広がりました。アラブの国では、モハメッドが啓示を受けたイスラム教が世界中に広がりました。2500年前のインドで仏教が誕生して、これもまた世界中に広がっています。
 これらの宗教を一般的には、世界宗教という呼ばれかたをします。呼ばれる所以は、国とか性別とか人種とか差別をつけないで、広がる要素を持っている宗教だからです。

 宗教の原点とは、なんでしょうか?どんな宗教でも共通する原点とはなんでしょうか?それが、「信仰心」です。キリスト教ならば、イエス様が語った言葉を信じると言うことです。イスラム教ならマホメッドが神より啓示を受けて書いたコーランの言葉を信じることです。仏教ならば、釈尊が残した言葉を信じることですね。そうです。救世主の言葉あるいは神そのもの言葉・・・そして、天上天下唯我独尊である仏陀の言葉。この言葉を信じること。これに尽きます。信仰というのは、人間の証明であるとも言えます。動物は、神仏の言葉を信じるようには出来ていません。神仏の言葉を聞いて信じることが出来るのは人間だけだからですね。
 イエス様だって後世の信者によって神格化されていますが人間ですし、マホメットに到っては神格化さえされていません。神の啓示を受けた選ばれた人間であって、あくまで人間です。釈尊だって、シャカ族の王子でした。悟られて仏陀になられましたがこの世に生きる限り人間としての役目を全うせねばなりません。
 この世に生きる限り、人は人の言葉を聞いて、それが神仏の言葉であると信じることが出来るのか?出来ないのか?二つに一つしかございません。信じれば信仰というものですし、信じなければ不信心です。ゼロ対一のどちらかですね。

 二河白道のたとえでも語りましたが・・・どこの宗教でも同じである・・・この神仏の言葉を信じるという信仰という行為は、とても難しい事です。その白くて狭い道を通ろうとすると、とても勇気がいります。
 世の中には、自分の都合の良い部分は信じるが、都合の悪い部分は信じない。そういう生き方が良いのだ。それが合理的な生き方だとおっしゃる方々がほとんどです。つまり、神や仏は合理的ではない。あるかないか見せてくれないものを信じるなんて馬鹿げている。

 そういうことですね。そこが、神仏に対する信仰心最大の難関です。(^_^)v

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 仏教では、この信仰心と似た言葉で、少し違う言葉で表現します。「菩提心(ぼだいしん)」ですね。菩提心とは、悟りを求めることです。大乗の教えでは、自利利他(じりりた)。あるいは、上求菩提、下化衆生(じょうぐぼだい、げけしゅじょう)といいます。
 自分も悟っていく道を究めるが、他の人も同時に救っていこうと願うこと。あるいは、悟りを求めてのぼっていこうとし、多くの迷った人々を救済していこうと志すこと。これが、大乗仏教が説くところの真髄です。仏教という宗教が持っている神髄が、ここに結実します。

 仏教の説話の中で、「貧者の一灯」という話があります。

 釈尊が王舎城の近く、霊鷲山で説法していた時。マガダ国の阿闍世王は沢山の灯を捧げます。信仰心篤い城下に住む老婆も何とか仏様に供養したいと望んだものの、一文のお金も持っておりません。そこで通行人からお金を恵んでもらい(自らの髪を切り、それを売ってお金に換えたという説もあります)、わずかばかりの油を買いそれで法座を照らす灯りとしました。釈迦の前には他の信者からの灯もあり、老婆の灯りはいかにもみすぼらしく、今にも消えてしまいそうなものでしたが、そこに風が吹いて、全ての灯明を消し去ってしまった時のこと、たった1つ老婆の捧げた灯りだけが残っていたという話ですね。豊かな財力によって灯された万灯よりも、実の真心による一灯のほうが尊い、という教えです。

 これは、言い換えると信仰心の強さは、貧者の一灯をも消し去ることは出来ないという比喩を表しているとも言えます。


 信仰・・あるいは、信心と言っても構わないと思いますが・・・神仏を信じる心こそが、宗教を学ぶ上でもっとも難しい心です。えてしてね、人間の都合の良いように神や仏を配置したがるのが人間心です。このさかしらな心を捨てねば、仏教が説く「易行道(いぎょうどう)」への法門は開かれません。
 ただ、南無阿弥陀仏と唱えればお浄土へいけるのか?南無阿弥陀仏と唱えるためには、阿弥陀仏への心からの帰依が必要だという事ですね。浄土系の宗派では、この南無阿弥陀仏という口唱念仏が言えるだけでも信心に近づいたとするんですな。口唱念仏というのは、私はどうやっても悟れません。助けてくださいってことですね。

 その信仰心の原点の心こそが・・世界に広がる様々な宗教を発展させてきた原動力なんですな。それは、仏教においても同じです。仏教には沢山の法門が用意されていますし、様々な仏が現れますが・・・その元になるのは、仏という目には見えない存在への信仰心がなければなりませんね。私は、そう思います。

 (^_^)vhttp://mixi.jp/view_bbs.pl?id=44735333&comm_id=4273190

コメント(2)

”自力では悟れぬものと、悟れたり”親鸞の言葉です。
悟りとは信心なり、賜る悟り(信心)です、それは行によって賜ることができるといわれます、禅は座禅行により、浄土宗と日蓮宗は昌題行により、教、行、信を実行そてこそ、仏道かと思います。

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