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現代人にも通用する仏教思想コミュの029-アングリマーラ物語1「悪人の悟り」

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 他力門の話をする前に、有名な仏教説話に出てくる釈尊の弟子でアングリマーラの物語をしましょう。この説話に出てくるアングリマーラの悟りが、他力門を語るには良い導入例になるからですね。それでは、長いお話ですが語ってみることにいたします。(^_^)v


 【アングリマーラとは?】

 アングリマーラという名前は、説話が中国に渡ったとき指鬘外道(しまんげどう)と訳されました。

 鬘(まん)とは「かずら」という意味でアングリマーラが自分の殺した人間の小指を切ってネックレスのようにして首に下げていたことに由来するようです。なんとも恐ろしい姿を連想させます。

 仏典では九百九十九人を殺したことになっていますが、これはインド人独特のオーバーな表現と思われますので九十九人ではないかと想像しますが、それでも沢山の人を殺したようです。仏典では九百九十九人となっているのでここでは仏典の通りにします。実在の人物のようで、インドのシュラヴァスティー(舎衛城)にある祇園精舎の近くのマヘートというところに見上げるような大きなストゥーパ(仏舎利塔{ぶっしゃりとう=お墓のこと})が建っています。そのあたりでは異常に大きなストゥーパで違和感を憶えるほどの大きさだそうです。きっと、インドの大富豪が大悪人だったアングリマーラが釈尊に帰依(きえ)して立派なお坊さんになったことを讃えて建てたのだろうと推測します。アングリマーラは改心して修行を積んだのち阿羅漢(あらかん)の悟りに達したと記録にあるので本当に立派なお坊さんになったのだろうと思います。
 アングリマーラは、もちろん本当の名前ではありません。本当の名前は残っていませんが、おそらく綽名(あだな)か後から付けられたのではないかと思える名前が残っていてアヒンサカ(無害とか無悩という意味)といいます。インドでは縁起の良い言葉を選んで名前をつける習慣があるので「無悩」というのはあまりいただけない名前です。おそらく、後世の人がつけたのでしょう。

 アヒンサカは、バラモン(司祭階級)の学生でした。シュラヴァスティーに住む名士のところに弟子入りして先生の家に住み込みで勉強していました。学業は優秀で体力もある美貌の青年であり、バラモン学徒としても将来を嘱望(しょくぼう)されていました。
 あるとき、バラモンの先生が外出しているとき先生の妻から誘惑されてしまいます。しかし、アヒンサカは「自分は修行中の身です。師の妻は母に等しい。そんなことは出来るはずもない。」と誘惑をにべもなく退けます。
 断られた妻は、プライドが傷つけられ悔しくて悔しくてたまりません。妻は女性特有の方法でアヒンサカを陥れるための策略を考えつきます。主人の先生が帰ってくると自分の服を破り、スカートを裂いて、泣きながら「アヒンサカが私に乱暴しようとしました。」と訴えたのです。

 それを聞いたバラモンの先生は逆上しました。しかし、「自分は指導者の身であるから、相手を殴ったり蹴ったりは出来ない。」と思い「どうしてやろうか。」と考えたあげく「策略でもってあいつを破滅させてやろう。」と考えました。
 そして、アヒンサカを呼び出して、こう言います。
 「お前は、よく学業に励み修行した。もう教えることはないが、最後の修行を与える。これを完成したならば、お前は悟ることが出来、奥義を与えて免許皆伝となる。やってみよ。」と、剣を渡しました。
 「これから、お前は毎日、街に出て人を殺し、一人から一本ずつ指を切り落として飾りをこしらえよ。」 「全部で千本の指をあつめるのだ。」

 アヒンサカは、なんと師の言った言葉に何の疑いも持たずに毎晩人殺しを続けます。シュラヴァスティーの街は、毎晩鬼のような人間が出てきて人を殺していくのですからパニック状態になります。
 アヒンサカは、人を殺しては、その指を切り、切った指をたばねて、首飾りをつくっていきました。彼は、その首飾りをつけてさらに人殺しをしたので、アングリマーラ(指鬘外道{しまんげどう}=指のかずらをつけた悪魔)と呼ばれたのです。仏典では、「あと一人で千人というところで自分の母親を殺そうとした。」と残っています。

 【アングリマーラの改心】

 毎夜、毎夜シュラヴァスティーの街に出ては人殺しをするアングリマーラのことを聞いた釈尊は、この迷える青年を救おうと決意します。

 罪の悔い改めに導こうとしました。釈尊は夜になるとシュラヴァスティーの街へ出かけていきます。
 その時丁度アングリマーラは、マンターニーという名前の自分の母親を殺そうと思って殺気立っていたのですが、釈尊が歩いてくるのを見ると「こいつを殺そう。」と思い、刀を振り上げて釈尊に迫りました。
 ところが、いくら追いかけても追いかけても、追いつかないのです。釈尊が滑るように離れていってしまうので「おかしいな。」と思ったアングリマーラは、大声で「止まれ。」と叫びました。
 すると釈尊は振り返って、「私は止まっている。アングリマーラよ、動いているのはお前の方だ。」と言いました。アングリマーラは訳が分かりません。「自分は、追いかけていたのに追いつけなかったのだから、相手が動いていないはずがないのだが、相手は、動いているのは俺の方だと言っている。そんなことがあるのだろうか。」と、きょとんとしてしまい、「こんなことは、初めてだ。」と言って、わなわなと震えながら地べたに座り込んでしまいます。アングリマーラは、そこで初めて「ハッ!」と我に返って目の前に立っているのが釈尊だとわかりました。

 そして、釈尊は言いました。
 「アングリマーラよ私の心は凪いだ湖面のように波一つ立たない静かな境地である。ところが、お前の心は荒波のように波立っているではないか。あと一人殺せば千人になると、母親であろうが、誰であろうが、人間を見れば血眼(ちまなこ)になり、阿修羅(あしゅら)の心になって、炎のように燃えている。私の心は全く動いていない。動いているのは、お前の心である。」

 アングリマーラは、「ああ、お許し下さい。」と言いながら涙をポロポロ流しました。身体を地べたに伏せるようにして釈尊に「私が間違っていました。私を助けてください。」と叫びました。アングリマーラは罪を悔いて釈尊に頼みました。「私を教団に入れて下さい。」と言いました。
 釈尊は、「よろしい。ついてきなさい。」といって教団につれていき頭を剃って衣を着せ、弟子にしてしまったのです。驚いたのは何も知らないまわりの弟子達でした。

 【アングリマーラの修行】

 教団の中では深刻な事態になっていました。釈尊がシュラヴァスティーの街の人達から恨まれている恐ろしい凶賊を弟子にしてしまったので「このままではシュラヴァスティーの街に托鉢に行ってもお布施がもらえなくなります。」と、考え直すように釈尊に懇願しますが、釈尊は「私がいったん弟子にした者は僧団の規律を破らない限り、生涯に渡って私の弟子である。」と言って受け付けてくれません。

 アングリマーラの出家を知って収まらないのはシュラヴァスティーの街の人々も同じです。「新興集団の釈尊教団は人気もあり、人も大勢集まっているが、なんと殺人鬼のアングリマーラを弟子にしてしまった。」と大騒ぎになりました。
 釈尊は、そんなことはお構いなしのようにいつものようにシュラヴァスティーの街に弟子達を引き連れて托鉢に出かけて行きます。その中には、もちろんアングリマーラも混じっていました。
 そのころ、コーサラ国のプラセナージット(波斯匿はしのく)王は、「あまりにも凶暴な悪人が出没して人殺しをするので、街の治安のために、なんとか捕らえて欲しい。」という街の人の要望を受け軍隊を率いてアングリマーラを捕らえに来ていました。やがて、プラセナージット王は、釈尊の教団に会います。
 釈尊が聞きました。
 「王よ、何をしているのですか。」
 「釈尊よ、アングリマーラと言う凶賊がいると聞いたので捕らえに来ているのです。」と、うやうやしく答えました。
 「アングリマーラでしたら、私の後ろにいます。」
 王が見ると、剃髪(ていはつ)をした修行者が立っていました。
 しかたなく、王は、「いくら凶悪な者だとしても、釈尊の弟子になった以上捕まえるわけにはいかない。むしろ供養すべきである。」と言って立ち去りました。
 ところが、街の人々はアングリマーラを許しません。身内を殺された人が大勢いるので、「あんな者を許せるものか。釈尊の教団はけしからん。」という声が次から次へと湧き起こりました。アングリマーラが街に托鉢に出かけても当然のごとく、人々から石をぶつけられ血を流して帰ってきて、釈尊に泣きながら訴えます。
 「私は、街に托鉢に出てもお布施が頂けず、逆に石を投げられます。」
 釈尊は答えました。
 「お前は、今、過去の罪を滅ぼすために、尊い修行をしているのだ。耐えよ。」
 それを聞いたアングリマーラは、石を投げられても耐えて血を流しながら修行を続けました。街の人もアングリマーラが石をぶつけられながらも何も言わずに、ただ涙を流しながら毎日毎日托鉢にやって来るので、街の人々もアングリマーラの修行態度を少しずつ認めてやるようになっていきました。

 【アングリマーラの悟り】

 あるとき、アングリマーラが托鉢にいつものように出かけると、一人の女性が難産で苦しんでいるところに出くわしました。

 そこで急いで祇園精舎に帰ってきて釈尊に言いました。「女性が難産で苦しんでいます。子供がなかなか産まれなくて大変なようです。どうすればよいか、お教え下さい。」
 釈尊は、答えました。
 「私がお前に偈(げ=詩歌のようなもの)を与えるから、その女性のところに行って唱えなさい。そうすれば無事に出産できるだろう。」と言いました。
 そして偈文(げもん)を唱えました。
 「生まれてこの方、一度も命を殺したことのない尊い修行をしてきた私の法力によって、この母子は祝福されて安からん。」
 それを聞いたアングリマーラは驚きました。
 「私が九百九十九人の人間を殺したのは街の者で知らない者はいません。その私が「生まれてこの方、一度も命を殺したことのない尊い修行をしてきた私の法力によって、この母子は祝福されて安からん。」と言うのは妄語(嘘つき)になるのではないでしょうか。私には、とてもそのようなことは言えません。また、清い高僧が言ったのならまだしも、大悪人だった私が言っても、誰も信じないでしょうから、功徳(くどく)もないのではないでしょうか。」
 しかし釈尊は、「私の言った通りに唱えてみなさい。」と言いました。
 釈尊にそう言われたので、アングリマーラは女性の家に戻って「生まれてこの方、一度も命を殺したことのない尊い修行をしてきた私の法力によって、この母子は祝福されて安からん。」と唱えました。そうすると、無事に生まれたのです。驚いた家の人は涙を流して喜びましたが、アングリマーラの方がもっと驚いてしまいました。
 帰ってきてから釈尊に無事生まれたことを報告したアングリマーラはたずねました。
 「釈尊、なぜ私のような大悪人でもあのような功徳を積むことが出来るのでしょうか。私には、それがいくら考えても解りません。」とたずねました。
 釈尊は言います。
 「過去に大勢の人を殺したアングリマーラであっても、仏陀の教えに帰依し、心を入れ替えて修行に励んだならば、生きながらにして過去の罪は消える。過去にさかのぼって、生まれた時点から清らかになるのだ。悟りにはそういう力があるのだ。すなわち、悟りを得ることによって、過去の数十年間に犯した罪を、来世、地獄で償わねばならないところを、今世のうちに償うことが出来るのだ。そして、よく悟った者はさらに功徳をも積むこともできるのだ。」
 釈尊の言葉を聞いたアングリマーラは、その後も修行を積み有名な僧侶となっていきました。

 (続く・・・)http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=44038896&comm_id=4273190

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