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現代人にも通用する仏教思想コミュの025-三一権実論争

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 「仏性」について語ったトピで・・・一闡提(いっせんだい:イッチャンティカ=どんなに修行しても絶対に悟れない者の意)の例をあげて、「断善根(だんぜんこん)」とか「信不具足(しんぐふそく)」などの例を含めて、本当にどうしようもない者でも悟れる余地があるのか?ということを語りました。しかし、釈尊は、それでも悟れるという説法を数多くしていると述べました。
 後世、その教えが「如来蔵思想(にょらいぞうしそう)」へと繋がって、易行道(いぎょうどう:悟れない者は、救いの道があるという事ですね。)への道へと繋がったことを簡単にですが述べました。
 つまり、仏性は人間なら誰しも持っている。仏の姿を隠しているに過ぎない。信ずれば、仏になれるという簡単な話ですね。これは、「法華経(ほけきょう)」の中に、あるいは「涅槃経(ねはんきょう)」に出てくる「一切衆生、悉有仏性(いっさいしゅじょう、しつうぶっしょう=すべての人には、仏性が宿る)」の革命的な宣言によって、たとへ末法の世であっても救いの道はある。悟りへの道はあると・・特に最澄(さいちょう)が比叡山に開いた「天台宗(てんだいしゅう)」で、広く仏教徒に宣言されたんですな。

 それに、敢然と立ち向かったのが・・法相宗(ほっそうしゅう:唯識派)の徳一和尚でした。それは、後に「三一権実論争(さんいつごんじつろんそう)」と呼ばれる法相宗、徳一と天台宗、最澄との手紙のやりとりによる論争でした。三とは?「三乗思想(さんじょうしそう)」一とは?「一乗思想(いちじょうしそう)」で「権実(ごんじつ)」とは?どっちが正しいかという事ですね。

 仏教を語るとき、それも「自力門」と「他力門」の関係を語るとき重要な示唆を与えてくれますのでね。ちょっと、その論争の内幕を語ってみましょう。

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 まず、一乗(いちじょう)と三乗(さんじょう)について、語りましょう。読んでそのとおり、一乗とは、一つののりもの。三乗とは、三つの乗り物ですね。
 三乗思想というのは、「始覚(しがく)」とも言いますが、悟りには段階があるという考え方ですね。アビダルマにも列挙してあるんですが・・・三つの悟りの段階があると説きます。ちょっと現代風に解説しましょう。(^_^;)

 「声聞(しょうもん)」・・・釈尊の説く教えを聞いて理解した段階の者。
 「縁覚(えんがく)」・・・いわゆる阿羅漢の悟りに達した者。
 「菩薩(ぼさつ)」・・・一切衆生、度一切苦厄。つまり、すべての人々を救おうと願う段階に達した者。

 それぞれ、段階があって修行のやり方が異なる。そういう事ですね。これは、釈尊在世時から説法されていることですから伝統的な考え方です。

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 これに対して、「法華経(ほけきょう)」に出てくる一乗思想は、仏が沢山出てきてそれぞれに修行のリーダーシップを取るのだ。声聞・縁覚・菩薩といった種類について説いたのは、方便(ほうべん:理解の少ない衆生を導くためにあえて本当のことを言わなかった手法の意)に過ぎない。本当は、一乗(仏乗とも言う・・)なのだ。一乗とは「菩薩乗(ぼさつじょう)」ともいいますが・・菩薩になることが仏になると解釈する向きもあるんですね。けっして、「仏」つまり「如来(にょらい)」になる必要はないんですな。菩薩になれば、成仏と同じだと言うわけです。同一視する面があるんですね。

 有名な言葉が法華経に書かれています。「方便品(ほうべんぼん)」に、「シャーリープトラ(舎利仏:十大弟子筆頭)よ、私はいろいろなことを説いてきたけれども・・本当は、今までのことは全部方便だったのだ。実は、わたしは全員仏になれると言いたかったのだ。・・・」そういう下りが出てきます。
 その言葉を聞いたシャーリープトラは、「あ〜!良かった。声聞の悟りしか得られないと思ったのに、仏になれるんですか?うれしい〜!」という下りがあります。

 そこで、同じ法華経の「受記品(じゅきぼん)」に、「お前も仏に成れる。おまえもだ・・・おまえも・・」と、次々に受記(釈尊が、未来仏の保証をあたえること・・)を授ける下りが出てきます。

 この法華経という経文は、釈尊が入寂されて数百年たった頃、法華経教団みたいな集団が・・なんだか、釈尊が説いた「人には、みんな仏性がある」ということを拡大解釈したとしか思えないんですね。あなたも法華経に書いてあることを信じれば、成仏できる。あなたもだ、あなたもだ・・・なんてね。そうすれば、信者がどんどん増えていくでしょ。日本のどっかの、宗教団体の教義みたいですね。(^_^;)

 「一切衆生、悉有仏性(いっさいしゅじょう、しつうぶっしょう)」が、「一切衆生、悉皆成仏(いっさいしゅじょう、しっかいじょうぶつ)」に変わってしまうことになります。みんな、成仏するんだ・・みたいな雰囲気ですね、

 よくTVドラマで、刑事が「仏さんは?どこだ・・」みたいなことを言いますね。それこそ、死んだらみんが仏さんと呼ばれるのも・・この思想が広くひろまったのが原因なんですな。死ねば、みんな仏になれば、こりゃ〜ねぇ。修行なんて必要ないでしょ。(^_^;)

 お釈迦様もイエス・キリストも極悪人もみんな一緒だと誤解されても仕方ないですね。これを、「本覚思想(ほんがくしそう)」と、言います。根本のところは、みんな覚っている存在だということですね。簡単でしょ。(^_^;)

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 法相宗(ほっそうしゅう:唯識派)の徳一和尚から、最澄(さいちょう)さんは、厳しい批判を浴びます。「あなたの勉強は間違っている。釈尊の教えは、そんな簡単なところに本心があるわけがない。間違っている。」てな具合で論争をふっかけられます。聞くところによると、真言宗に、その手紙が残っているそうですね。
 対して・・最澄さんは、非常な危機感を感じたようです。この論戦に敗れるようなことがあれば、天台宗自体の危機になるかも知れない。そう、思ったようですね。
 法相宗のほうからは、容赦ない攻撃がかけられて最澄さんは窮してしまうんですね。ただ、最澄さんが論争の決着を待たずに、お亡くなりになるので・・・立ち消え状態になってしまうのは、天台宗にとってはラッキーでした。

 そうこうしているうちに・・・天台宗は、天皇より大乗戒壇(だいじょうかいだん:大乗仏教のお坊さんを任命するシステムですね・・)を許されて、独立した宗派を比叡山に開きます。これで、論争の決着はつかなかったけれども、なんとかなったわけです。

 けっきょく、法華一乗の思想をどんなに訴えても南都六宗(なんとろくしゅう:奈良仏教の宗派)のお坊さん達を納得させるだけの論理的勝利は得られなかった。と、いうことになりました。

 (^_^)vhttp://mixi.jp/view_bbs.pl?id=42828828&comm_id=4273190

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