ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ネイティブなんてあきらめろ!コミュのNo. 223 日本人がめざす英語人のモデルとは?

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
No. 223 日本人がめざす英語人のモデルとは?

アメリカで経営上の問題が起きたようなとき、Listening(聴き取り)は通訳にやらせても、Speaking(話し)は自分でやれば受け手の印象が違う。

これは一昨日話しをした盛田さんの例を思い出していただければわかるだろう。

逆に、2000年にファイアストンとフォード車のタイヤクレーム問題が起きたとき、米国現法の日本人社長はSpeaking(説明)も通訳にやらせていたが、印象がすごく悪かった。ヘタでも堂々と発言すべきだのだ。後の法律問題を恐れたのはわかるとしても、責任者の肉声での説明が与える、逃げも隠れもしないという印象の方が大切だ。

さて、アメリカで長い間音楽活動を続けてきた指揮者の小澤征爾さんは完璧な「受信兼発信型」の英語人である。英語を駆使し楽団員を指導している。しかし発音はかなり日本人の訛りがあり、日本人が聴くと顔を赤くしたくなる発音である。同氏は、国際人としては完璧であるが、いわゆるネイティブスピーカーではない。

小澤征爾さんこそ日本人がめざす英語人のモデルではないかと私はおもう。

日本人は小澤征爾さんのように、ネイティブスピーカーになる必要はまったくない。ネイティブになんかなれなくても英会話はちゃんとできるのだ。同氏は英語人としては既に完璧であって、これ以上望む事は不要かつ無益である。

小澤征爾さんがTOEICやTOEFLを受けたらどうだろうか? TOEICやTOEFL対策には独特の受験法のようなものが必要で、仮に結果がよかったとしても英会話における「十分条件」とは違う。「必要条件」ですらない。TOEICやTOEFLが悪くたって日常の用に足るからだ。

既に完璧に通じる以上、英語に何を求めるのであろうか? 逆にネイティブの発音になった小澤征爾さんなど、想像できない。無国籍っぽくなって存在が薄れたりするのではないか? ありがた味もなくなる。カリスマ性だって薄まるだろう。出身を隠しようもなく訛りで体現するから、アイデンティティが形成されもする。

訛りは恥ではなく、誇りだ。背景にある文化だ。極論すれば「R」と「L」が区別できないのが、何故悪い!、くらいに考えよう。

完全に日本語・英語をスイッチングできる能力なんて、どっちつかずのこうもりになるのがオチだ。問題は語る中身であって、ネイティブっぽい発音ではない。妙にネイティブ的にしないことだ。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

ネイティブなんてあきらめろ! 更新情報

ネイティブなんてあきらめろ!のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。