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うつ病を考える家族会コミュの愛情とは何か

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幼い子どもを見ていると分かりますが、子どもは親に愛されたいという感情があります。
すべての大人は子どもだったことがあるわけですから、その感覚は分かると思います。
愛されたい感情は、安定的に食料を確保し、安全でいるための手段として本能的に
備わっている感情だと考えられています。

愛されるということは、どのようなことでしょうか。
愛という言葉は世の中にあふれているはずなのに、愛とは何かと言われると
その答えは難しい。だけど愛についての漠然とした感覚は確かにある。
大人は、自分が欲しいものを金銭的やり取りや利害関係がない形で
与えることを愛だと感じているようです。
確かにそれが愛だと言えなくはないでしょうが、愛とはそんなに難しいものではなく
幼い子どもでも分かるシンプルな次元で考えるとどうなるのでしょうか。

幼い子どもでも分かる愛とは、自分の飼っているペットを可愛いと思う気持ち
で考えてみると分かり易いではないかと思っています。
そこには、言葉では表現しずらいですが、確かに愛がありますね。
敢えて、言葉で表現すると、愛とはありのままを認めると言うことではないでしょうか
ペットがどんなに我儘で、手が掛かろうとも、許せるし、認めてあげることができます。

ペットを愛することは結構簡単にできるものです。
しかし、人を愛すること、つまり、ありのままに認めることは結構難しいものです。
なぜだかお分かりでしょうか。
なぜ難しいかと言えば、人には、無意識に期待するからです。
何を期待するか?
愛されることを期待するからです。
人はペットから愛されることはさほど期待していません。
ペットから認めて貰おうという気持ちはそんなに強くはないのです。
だから、ペットのありのままを認めることができるのです。

人を愛することが難しいのは、人に対して無意識に期待するからです。
子どもが自分を表現したときに、何でも認めてくれる親は居ないと思います。
子どもの成長過程において、社会性を身につけるための教育が必要です。
子どもは自分を表現してばかりでは、愛されないということを知ります。
そうやって子どもは社会性を身につけて行くわけです。

社会性のレベルであれば良いのですが、親に過剰な期待がある場合
子どもは親の期待に応えられないと、愛されないと思うようになります。
そうして、本来の自分ではない、他人(親)に見せる自分を作るようになります。

親の過剰な期待とは、親自身にある愛されたいという気持ちに他なりません。
過剰な期待とは、子どもを愛するということではなく
子どもから愛を貰おうとしている行為なのです。

言い換えると、親自身にある愛されたいという気持ちが子どもに向かってしまうと
子どもから愛情を得ようとするのです。
子どもに対して自分の都合に良い存在であることを無意識に期待するのです。
その期待によって、子どもは、他人(親)に愛されるためには、本当の自分で
あってはならないということを学習してこころを作って行くのです。

親自身にある愛されたい気持ちを親は、子供に対する愛情と勘違いしていることが多い。
自分が経験できなかったこと、自分のあるべき理想を子どもに期待している親は多い。
本当の愛情は、子どものありのままを認めることです。
しかし、愛されたい気持ちを一方的に子どもの押し付けておいて
それで子どもを愛したつもりでいる親は意外に多いものです。

精神疾患の方の親に話を聞くと子どもに対しては、十分な愛情を掛けたと
話してくれることが多いです。子どもの方も、十分な愛情を受けたと言うことが多いです。
子どもは、他の親の愛情など知りませんから、それが愛情なのだと思い込まなければ
こころの安定が保てなった経緯があります。
愛情を受けていない子どもは本当の愛情を知らないのです。
なぜ自分が自分を好きになれないのか、なぜ些細なことでイライラするのか
なぜやる気がでないのか、なぜ不安なのか、その原因はどこにあるのか
根本を辿ると、親自身にある愛されたい感情を満たす為に行動してきた
自分が見えてくるものです。そして現在もそれに縛らている。

うつ病、パニック障害、摂食障害等の精神疾患の根本には怒りと不安の感情があるのです。
精神疾患の方はこの感情に気付かなければなりません。

本当の自分と他人に見せている自分
この2つにギャップが多きけれ大きいほど問題は大きくなります。
通常は、本当の自分を自分で意識することができません。
他人に見せている自分を自分だと思い込んで生きているのです。

本当の自分と他人に見せている自分が解離することは
常に緊張状態を強いられます。他人に嫌われないように生きることは
かなりのストレスとなるのです。自分にできないことを無理に頑張ってしまう
からです。そのような人は他人から見ると良い人に見えるのです。
だけども、こころの奥底では怒りと不安が蓄積しているのです。

人間は、自分の意思に反したことをしなければならないときは
必ず怒りの感情を持つのです。通常は怒りには気付きません。
怒りの感情を持つことが悪いことだと思っているので
こころの奥に仕舞われてしまうためです。
本当の自分と他人に見せている自分が解離することは、怒りの温床となるのです。
こころの奥底に仕舞われた怒りは、他人に見せている自分で旨く立ち振る舞えている
間は表面に顔を出すことはありませんが、漠然とした生き辛さとなって感じられます。

本当の自分と他人に見せている自分が解離していると、自分の意見が言えない。
人間は、自分の意見を言い、それが認められることで自信を付けます。
本当の自分と他人に見せている自分が解離することは、自信の欠如に繋がります。
自信の欠如が生み出すものは不安です。人から嫌われて
低く評価され相手にされない不安です。
不安を解消するためには頑張るしかありません。
しかし、頑張っているのは他人に見せている自分です。
本当の自分の意思で頑張っているわけではありません。頑張って認められることで
一時的なその場しのぎの安心感を得ることはできるでしょう。しかし、本当の自分は
他人に見せている自分が頑張れば頑張るほどに自信をなくし
そして不安が強くなる悪循環なのです。

人生においては大きなストレスが避けられない時期があります。
大きなストレスにぶち当たると、本当の自分と他人に見せている自分が解離すること
に耐えられなくなって崩壊するのです。それが精神疾患の発症です。

医療における精神疾患の治療は
他人に見せている自分を維持できる状態に戻ることを目標としています。
投薬、サプリメント治療で取敢えず症状を抑えて、なんとか乗り切りつつ
他人に見せる自分を回復させるのです。
本当の自分を誤魔化し、他人に見せている自分を正当化する作業にすぎない。

運良く回復したとしても、本当の自分と他人に見せている自分が解離してる状態
は変わらない。生き辛さは残るのです。むしろ増強されるかもしれません。
本当の自分と他人に見せている自分が解離している状態ではもう生きられない
ほど体が弱っていますよというサインが精神疾患となって現れているのです。
それを無視して元に戻ろうとする行為は、取敢えず症状が消えれば楽にはなりますが
一時的な逃避にしかすぎないのです。生き辛さは増強されることが多いのです。

一時的に楽な方に流されることがもたらすものが何であったのか
良く考えてみる必要があると思います。
それが、こころの奥底に怒り、自信の欠如を生み出し、不安を増強させた
原因となっているのではないでしょうか

本当の自分に向き合う作業は、苦しい。しかし逃げてばかりでは
怒り、自信の欠如、不安の渦から抜け出すことはできない。

他人に見せている自分で旨く立ち振る舞えなくなったとき
怒りの感情は爆発するのです。それが、自分に向かえば自分が嫌になり、自己嫌悪
に陥る。この世にいなくなりたいという感情を強くするのです。
他人に向かえば、暴力、無視、口を利かない。引き籠り等の行為となって現れます。

精神疾患の方、それを支える家族の方は、根本を考えてみてください。
他人に見せている自分を取り戻そうとする行為は、決して病気を治す結果には
繋がっていないのではないでしょうか

精神疾患の方に必要なものは
まずは、自分の怒りの感情に気付くことです。
怒りは、本当の自分と他人に見せている自分が解離してるために生まれた。
怒りの原因を自分にも他人にも求めてはいけません。
原因を求めて責めても解消できるものではないということを認識しましょう。
そして、自ら努力しなければ、それを解消することはできないと認識することです。
本当の自分を出しても、自分を認めてくれる人は居るという勇気を持ちましょう。
そして、本当の自分を出せる人を一人で良いから作ることです。

精神疾患を支える方に必要なものは
その人に対して以前と変わってしまったなという感情を抱くならば
それは、その人に対して過剰な期待がある証拠です。
ありのままにその人を認めてあげてください。
過剰な期待をしないことです。すぐにできることではないと思います。
自分はなぜ期待するのか、自分の満たされていないこころを
その人に求めたのではないか。
精神疾患は家族の病です。診断を受けた人が病気で家族は正常だということは
決してありません。

人は、自分が欲しくて得られなかったものを愛情だと勘違いしてしまう。
そして、無意識にそれを得ようとする。
しかし、それは本当の愛情ではない。その証拠にそれが得られたとしても
まだ、こころは満たされないからです。また次に欲しいものが現れる。
他から得ようとすればするほど、満たされない。
なぜ満たされないかと言えば、自分を好きではないからです。
自分で自分を愛することができれば、他人に対して愛情を求める必要はないのです。
自分で自分を愛する為には何が必要か
それは、自分を偽って生きないことではないでしょうか

コメント(2)

いつもありがとうございます。なるほどと思う部分は自分に当てはまり、でも・・・と一足止まることは夫に当てはまっています。(同じ内容なのに)随分自分の気持ちは落ち着き、愛を定義しなくても夫は夫。そのままでいいよと考えています。ただし夫の態度が怒りや悲しみに感じることはまだあり、妻だけ抜きでお出かけするぞというところなんか???となります。期待しないことでほっとするときがあり、昼間はそういう時間が増えてきました。
初めましてほっとした顔
最近、読ませて頂いてます。
妹がパニック障害と診断されて約3年。3ヶ月前に再発してうつ病とも診断されました。

妹のそばにいるのは母親と妹の子供です。
わたしは結婚して出ております。

離れてはいるものの家族です。何ができるのかと考え、いろいろしています。わたしが妹と母親に伝えたいと思うことがたっちゃんさんの日記ではこと細かく書かれていてわたしの考えが間違っていないんだと安心し、わたしの言葉では足りなかったことを補わせてもらえて、とてもありがたく読ませて頂いてます。

これからもお世話になりますクローバー

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