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聖書のおはなし小部屋 Part2コミュの人を赦す方法?

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このお話小部屋パート?は、イエスの喩え話を中心に書いておりますが、
前回書き込みしたのが、七月七日で、もう、今日は、23日。2週間も書き込みしておりませんでした。申し訳ありません。ただ時間の過ぎるのが早くて早くて、
2週間、あっという間でした。

前回は、1万タラントを支払えなくて、王様に支払いを全額免除された僕の話でした。そして、この僕は自分の仲間に100デナリを貸していましたが、この仲間が僕が王に向かって言ったと同じ事を訴えをしましたが、この僕は仲間に王が赦したようにはせず、王がしたような赦しを与えませんでした。つい先ほど赦されたばかりであったのに、この僕は、やさしい心も、同情ももちませんでした。

『今日、いかに多くの者が、同じ精神をあらわしていることであろう。負債を負った者が主人に憐れみを願った時、彼は自分の負債の大きさを本当には理解していなかった。彼は「どうぞお待ちください。全部お返しいたしますから」といったのである。同様に、自分の行いによって神の憐れみを得ようと望んでいるものが多い。彼らは自分の無力なことを知っていない。彼らは値なくして、与えられる賜物として、神の恵みを受けず、自分の義をたてようと努力している。彼らの心は罪のために砕かれる事なく、謙遜になっていない。彼らは他人に対して厳しく、寛容ではない。彼らの神に対する罪は、彼らに対する兄弟の罪と比べると、1万タラント対100デナリで―ほとんど100万倍に当たる。しかし、彼らはあえて人を赦そうとしないのである。』(希望P1279)

イエスの話された1万タラントと100デナリの意味は私達の神に対する罪の負債であり、そして、同じ仲間の罪など、比べ物にもならないということを強調されたのでした。

『赦す事を拒む者は、それによって彼自身が赦される望みを捨てているのである。』(同)

このような意味がわかっても、それは、わたしたちが神に服従する義務が減少するものではありません。お互いに仲間に対して許しの精神を持つからといって、なすべき義務を果たさずにするものでもありません。

『キリストが弟子たちに教えられた祈りの中に「わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもお許しください」(マタイ6:12)と主は仰せになった。これは、私達の罪が赦されるために、わたしたちから借りている人に、当然支払いを求めてよいものまでも要求してはいけないという意味ではない。もし彼らが支払うことができない場合、たとえそれが不十分な管理の結果ではあったとしても、彼らを獄に入れたり、しえたげたりして、ひどい取り扱いをするべきではない。しかし、このたとえはわたしたちに、怠惰を奨励するように教えるものではない。』(同)

ここでいう「不十分な管理の結果」というのは、けんめいに働く人に、なまけ者を扶助することを求めてはおられないということであり、時間の浪費と努力をしないで、貧しく乏しくなった怠惰な人々がその誤りを正さないなら、彼らのためにいくら努力しても、穴のあいた袋のようになってしまいます。

しかし、このような人々に対しては同情心と、やさしさを示すべきです。

■フィリビ2:1〜5
<そこで、あなたがたに、キリストによる勧め、愛の励まし、御霊の交わり、熱愛とあわれみとが、いくらかでもあるなら、

どうか同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つ思いになって、わたしの喜びを満たしてほしい。

何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。

おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。

キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。 >


兄弟や姉妹が罪を犯すなら、軽く見過ごすのではなく、はっきりとそれを示す義務があります。しかし、実際にはまちがった寛容の精神が示されているかもしれません。

『このたとえの偉大な教えは、神の憐れみと人間の無情との比較にある。また、それは、神の憐れみ深い赦しが、私達の赦しの尺度であることを教えている。

「わたしが憐れんだように、あの仲間を哀れんでやるべきではなかったか。」

 わたしたちは、自分が赦すからゆるされるのではない。わたしたちが赦すように赦されるのである。すべての赦しは、何の功もなくして得られる神の愛に基づいている。しかし他の人々に対するわたしたちの態度は、私たちがその愛を自分のものにしたかどうかを示すのである。

キリストが

「あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう」

と言われたのはそのためである。(マタイ7:2)』(P1281)




コメント(2)

私には赦さなければいけない人がたくさんいます。
私も神様に赦されて生かされているのですから、心から赦さなければいけないと思いました。私も今まで罪をたくさん犯してきたのですから。

今までは赦すということが難しいと感じていました。

今は生活も落ち着いてきて平穏な日々を送っています。
キリストの愛は、人の心を溶かしますね。
愛の深さ、高さ、広さは計り知れません。

人間は神に反するように産まれています。
キリストの十字架が悔い改めに導き、
そして神と和解できるようになりました。
そのために、学びます。
そして、信仰によって
義とされ、永遠の命へ導かれます。

神の寛大さははかりしれません。
アーメン

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