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聖書のおはなし小部屋 Part2コミュの道やかきねのあたりから招かれた客?

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(ルカ14:1、12〜24に基づく)

ユダヤ人の行う宴会は、『イスラエル人に実物教訓となるべきであった。人々は、このように真の親切の喜びを教えられて、その一年の間、親しい人に先立たれた者や、貧しい者のために世話をすべきであった』(希望P1270)のです。しいかし、実際は、異なっていて、プライドと間違った教えで希望のないものでした。

『イスラエルに与えられた霊的祝福は、彼らのためだけではなかった。神は、彼らが世に分け与える事のできるように、彼らに命のパンをお与えになったのである。彼らはこの働きを成し遂げなかった。キリストの言葉は彼らの我欲に対する譴責であった。』(同)

*ルカ15:15
<15列席者のひとりがこれを聞いてイエスに「神の国で食事をする人は、さいわいです」と言った。 >

パリサイ人たちはイエスの言葉を不快に思い、彼らの1人が話題を他に向けようとして信心深げに15節のように言ったのでした。

『この男は神の国に確実に入れるという、大きな確信をもって語った。彼の態度は、救われるための条件を満たさないでいて、キリストによって救われたと喜ぶ者の態度と同じであった。彼の精神は、「義人のように死に、私の終わりは彼らの終わりのようでありたい」と祈った時のバラムの心と同じであった(民数記23:10)。このパリサイ人は、自分が天に相応しいかどうかは考えないで、自分の望んでいる天での楽しみだけを考えていた。』(同)

キリストは表面的な言葉を語る者の心はすぐに読まれます。
それで、彼に目をとめ、『彼らが今もっている特権の性質と価値』(同)を示されたのです。

そこで、この盛大な晩餐会の話をされたのです。


*ルカ14:16〜24
<16そこでイエスが言われた、「ある人が盛大な晩餐会を催して、大ぜいの人を招いた。

17晩餐の時刻になったので、招いておいた人たちのもとに僕を送って、『さあ、おいでください。もう準備ができましたから』と言わせた。

18ところが、みんな一様に断りはじめた。最初の人は、『わたしは土地を買いましたので、行って見なければなりません。どうぞ、おゆるしください』と言った。

19ほかの人は、『わたしは五対の牛を買いましたので、それをしらべに行くところです。どうぞ、おゆるしください』、

20もうひとりの人は、『わたしは妻をめとりましたので、参ることができません』と言った。

21僕は帰ってきて、以上の事を主人に報告した。すると家の主人はおこって僕に言った、『いますぐに、町の大通りや小道へ行って、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の悪い人などを、ここへ連れてきなさい』。

22僕は言った、『ご主人様、仰せのとおりにいたしましたが、まだ席がございます』。

23主人が僕に言った、『道やかきねのあたりに出て行って、この家がいっぱいになるように、人々を無理やりにひっぱってきなさい。

24あなたがたに言って置くが、招かれた人で、わたしの晩餐にあずかる者はひとりもないであろう』」。 >


招待した客は、一斉に断りました。それは、「行こうと思っていない」という本音をおおっているだけでした。

『口実は、皆心が他のことに奪われていた事を示す。招かれた客は、他の興味に心が奪われて夢中であった。彼らは、行きますと約束した招待を破棄して、彼らの無関心によって気高い主人を侮辱した。』(同P1271)

大宴会のたとえは、どのような意味があるのでしょうか。

●大宴会=福音が提供する祝福
●ごちそう=キリストご自身

●主の使者たちは、救い主の来臨をユダヤ人に宣べ伝えた。
●「世の罪を取り除く神の子羊」(ヨハネ1:29)としてキリストを示した。
●神は、お供えになった宴会において、天が与える最大の賜物――見積もる事のできない賜物を彼らに提供された。
●神の愛は大宴会をもうけ、くちない富を供給された。
(同)

このような尊い賜物を提供されたのに、彼らはその価値を我欲や自己を高めるための道具に利用したのでした。そして、キリストのみ言葉を聞いた人々は自分たちが憐れみ深い招待を軽んじていることを示しています。この世の交わりや富や物質的な楽しみや快楽に心を奪われ、言い訳をするのです。

このイエスの宴会の招待を断って言い訳する人々は、現代も同様です。永遠のものより、現世のものを重要視します。三つの言い訳は見えすいていて、『宴会の主であるお方は、ご自分の招待に対する侮辱であるとみなされる』(同)のです。

21節で、宴会の主は怒って、「いますぐに、町の大通りや小道へ行って、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の悪い人などを、ここへ連れてきなさい」と僕に命じます。

『主人は彼の賜物をさげすんだ人々を捨てて、満たされない階級、家も土地ももっていない人々を招待した。彼は貧しく飢え乾いている者、与えられた賜物を喜んで受ける者を招待した。キリストは「取税人や遊女は、あなたがたより先に神の国にはいる」と言われた(マタイ21:31)。人々に相手にされず、顔をさむけられるような惨めな人々ではあっても、しかし彼らは、神の注目と愛を受けられないほど低く、惨めに成り下がってはいない。キリストは、心配にやつれ、疲れ、しえたげられている人間が、ご自身のもとに来る事を切望される。

キリストは、・・・・・手のつけようのない罪人こそ、主の深い熱い憐れみと愛の対象なのである。主は彼らをご自身にひきつけようとして、聖霊をつかわし、やさしくせつせつと訴えられるのである。』(同)

僕が戻って、まだ席がございますと報告した時、主人は、「道やかきねのあたりに出て行って、この家がいっぱいになるように、人々を無理やりにひっぱってきなさい。 」と、命じました。

この意味は、

『ここで、キリストは、ユダヤ教の境界を超えて、世界の大通り、小道に福音の働きがなされることを指摘された。』

このことは、使徒行伝13:46〜48にパウロとバルナバの言葉に示されています。


<パウロとバルナバとは大胆に語った、「神の言は、まず、あなたがたに語り伝えられなければならなかった。しかし、あなたがたはそれを退け、自分自身を永遠の命にふさわしからぬ者にしてしまったから、さあ、わたしたちはこれから方向をかえて、異邦人たちの方に行くのだ。

主はわたしたちに、こう命じておられる、『わたしは、あなたを立てて異邦人の光とした。あなたが地の果までも救をもたらすためである』」。

異邦人たちはこれを聞いてよろこび、主の御言をほめたたえてやまなかった。そして、永遠の命にあずかるように定められていた者は、みな信じた。 >

ルカ2:32のシメオンの言葉が引用されています。


では、今日はこれでおしまい。








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