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聖書のおはなし小部屋 Part2コミュの求めよ、そうすれば与えられる。―その?

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■ルカ11:9
<そこでわたしはあなたがたに言う。求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。 >


この聖句のお話を、初めから読んでみましょう。
ルカ11章の1節で、弟子たちが、イエスに祈りの仕方を教えて下さいと願い、2節からから4節までは、クリスチャンがいつも口にする、祈りの仕方をイエスが弟子たちに説明されています。
そして、5節からは、たとえによって、祈りを熱心にすべきである理由を説明されています。

*ルカ11:5〜8
<そして彼らに言われた、「あなたがたのうちのだれかに、友人があるとして、その人のところへ真夜中に行き、『友よ、パンを三つ貸してください。
友だちが旅先からわたしのところに着いたのですが、何も出すものがありませんから』と言った場合、
彼は内から、『面倒をかけないでくれ。もう戸は締めてしまったし、子供たちもわたしと一緒に床にはいっているので、いま起きて何もあげるわけにはいかない』と言うであろう。
しかし、よく聞きなさい、友人だからというのでは起きて与えないが、しきりに願うので、起き上がって必要なものを出してくれるであろう。 >

神は、友人と違って、愛と憐れみに富むお方なので、神を信じて神に懇願する者の願いを聞こうと切望されておられます。しかし、その願いは、自己中心的なものであっては、神は聞かれません。

この話の友人も、自分のためではなく、自分の友人のためでした。私達クリスチャンの他に奉仕するための願いは聞き入れてくださるのです。

『たとえの中の哀願者は、何度も断られたけれども、簡単にあきらめなかった。そのように、わたしたちの祈りも、常に速答があるとは思われない。しかし祈りはやめるべきものではないと、キリストはお教えになる。祈りは、神を変えるものではない。祈りは、わたしたちを神に一致させるものである。わたしたちが神に願っている時に、神は、わたしたちの側に自己反省と罪の悔い改めの必要があることを認められる場合もあろう。そのような時に、神は、わたしたちにさまざまな試練と、恥辱をお与えになる。そして、聖霊がわたしたちを通してお働きになるのを、妨げているものが何であるかをお示しになる。』(実物教訓P117〜120)

今日のお話はこれでおしまい。

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