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元露スパイ死亡で深まる謎…外務省元主任分析官・佐藤優氏に聞く

亡命先のロンドンで毒を盛られたとされ、入院中だった情報機関のロシア連邦保安局(FSB)の元幹部リトビネンコ氏が23日、死亡した。病院当局者が明らかにした。ロシアの情報機関の関与も疑われ、英警察が捜査に着手。だが、ロシア側は関与を否定しており、謎は深まるばかりだ。果たしてロシア政府は関与しているのか? 背景は? ロシアと太いパイプを持つ外務省元主任分析官・佐藤優氏(46)=休職中=に、今回の事件について聞いた。

http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20061125-OHT1T00069.htm

コメント(11)

三ヶ月でリンクが切れるそうなので、全文転記します

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「逆風満帆」外務省職員 佐藤優(上)

■対ロ外交から獄中へ

 不思議な和やかさが、その場を包み込んでいた。

 1月31日。東京・赤坂の韓国家庭料理屋で開かれた急ごしらえの宴(うたげ)。主賓は、30分ほど前まで東京高裁の被告人席にいた。背任と偽計業務妨害の罪で、05年2月に懲役2年6カ月執行猶予4年の一審判決を受け、この日の控訴審判決で控訴棄却を言い渡された「外務省のラスプーチン」こと、佐藤優元主任分析官だ。

 集まったのは、同志社大神学部の同窓で、02年5月、佐藤が逮捕されたその日に支援会を発足させ、以来一貫して佐藤を支え続ける前千葉県印西市市議の滝田敏幸(47)や出獄後、親交を深めたジャーナリスト魚住昭(55)ら30人近い支援者と妻。昼からのビールが効いたのか、佐藤の表情からは、裁判所でのぞかせた硬さは消えていた。

 佐藤が問われた罪は背任と偽計業務妨害。前者は00年、ロシア情報に通じたイスラエルの大学教授を日本に招き、後に同大が主催した国際学会に日本の学者を派遣した費用3300万円を外務省関連の国際機関、支援委員会に払わせたとされるもの。後者は、同じ年、国後島ディーゼル発電施設工事の入札で、三井物産に落札させるため、予定価格に関する情報を漏洩(ろうえい)させたとされる。

 「本当に残念だ」。宴のさなか、佐藤の携帯電話の向こうに、甲高い声が響いた。衆院議員の鈴木宗男(59)だった。鈴木自身、北海道・帯広の林業会社「やまりん」へのあっせん収賄罪などで04年実刑判決を受け、控訴中である。

 その電話の少し前には、現在は米国に在住している元外務省欧亜局長東郷和彦(62)が電話してきていた。佐藤の上司だった東郷は、一時帰国し控訴審で証言台に立ち、「(支援委に支出させたことは)通常手続きで決裁され、合法」と証言していた。

 ソ連崩壊という激動期をはさみ7年8カ月、モスクワで人脈づくりと情報収集に取り組んだ佐藤。ロシア外交と北方領土問題にいわば政治家生命を賭していた鈴木。佐藤はいまも鈴木を「師のような存在」と語る。そして、鈴木にまつわる一連の疑惑の中で、外務省と鈴木をつなぐキーパーソンとされた東郷。短いやりとりの間にも、佐藤の胸中に、両人への言い尽くせない思いが去来したに違いない。

 佐藤は東京地検特捜部による逮捕で外交官人生は絶たれたが、それが彼に「新しい命」を吹き込んだ。

■言論界に転じ寵児に

 一審の有罪判決後に出版した「国家の罠(わな)」(新潮社)は14万部を売るベストセラーになった。この著書で佐藤が展開した「国策捜査」の論理に、だれもが目を見張った。

 産経新聞元モスクワ支局長の斎藤勉(58)はいまも複雑な気持ちにとらわれる。「この異能の外交官こそ、外交の最前線に温存し続けるべきではなかったのか」。80年代終わり、最初のモスクワ駐在で、まだ30歳前の駆け出し時代から佐藤を知るがゆえだ。

 〈「ソ連の要人の家に連日、夜討ち・朝駆けを続けている日本大使館員がいる」。…中略…この外交官が当時…「ノン・キャリア」の三等書記(ママ)官「佐藤優」なる人物であることはすぐに知れた〉

 逮捕に遡(さかのぼ)ること2カ月半の02年3月初め。モスクワにいた斎藤が、「彼の力量 誰が認めたか」の見出しで書いた記事は、こう始まる。その年の1月に東京で開かれたアフガニスタン復興支援会議に大西健丞らの非政府組織(NGO)が招かれなかったのは、鈴木の圧力によるとの疑惑が急浮上。佐藤は、鈴木ともども、すでに嵐の中にいた。

 北方領土返還の道筋をめぐり、「四島一括」か「二島先行」かで、佐藤と鋭く意見を対立させたこともある斎藤だが、佐藤の戦略眼を高く評価していた。日ごと激しさを増すメディアの佐藤たたきに、いち早く異議を唱えたのだ。

 「塀の中で見せた知的強靱(きょうじん)さ、出所後、矢継ぎ早に繰り出す数々の著作や寄稿。かつてのインテリジェンス活動を再開させたかのよう」と斎藤。当の佐藤は「食べていくため。ネタがあるし、面白い」。てらいのない言葉に、逆風を自らの力で追い風に変えた自負がにじんだ。=敬称略

(鈴木淑子)

 〈さとう・まさる〉 1960年生まれ。85年同志社大大学院を修了、外務省入省。在英国日本大使館、在ロシア日本大使館勤務をへて95年から本省国際情報局分析第1課。02年背任容疑で逮捕(後に偽計業務妨害で再逮捕)、512日間勾留(こうりゅう)される。現在、休職中。
「逆風満帆」外務省職員 佐藤優(中)

■宗男氏への情と打算

 佐藤が陥った「罠(わな)」を知るうえで、欠かすことができない鈴木宗男とのかかわり。突き当たるのが、「なぜ、鈴木という政治家と近くなったのか?」という疑問だ。

 〈「プロトコール(外交儀礼)に従い、鈴木大臣より前にお待ちし、大臣が出られてから私も小菅を後にすることにします」〉「国家の罠」

 逮捕直前、鈴木と電話で交わした通り、佐藤が保釈されたのは、鈴木保釈の40日後。02年6月の鈴木逮捕では、抗議のハンガーストライキを48時間行う。いずれも鈴木への忠誠の厚さを物語るエピソードだ。しかし、500日以上獄中にとどまったのは、無罪を導き出すうえで、有力な証人となるはずの元外務省欧亜局長の東郷和彦らの出廷の可能性を、「ぎりぎりまで見極めようとした彼なりの戦略の方が大きい」と、主任弁護人の大室征男(ゆくお)弁護士(61)。

 佐藤はいう。「鈴木さんに対しては、罪の意識が強い。つき合いの奥には、私なりの打算があった。彼の力を使うことが、国益にかなう、私の出世にプラスになると」

 2人の出会いは、91年10月。ソ連から独立したバルト3国との国交樹立のため、当時外務政務次官の鈴木が派遣された。通訳兼世話係に命じられたのが佐藤。4泊5日、「ズボンのひざが出るのも構わず、寝ないで働いていた。こんな外交官もいるのかと驚いた」。鈴木の語る第一印象だ。同年8月に起きた保守派のクーデター未遂事件の渦中、ゴルバチョフ生存を、他国の対外情報機関に先駆け打電し、当時のブッシュ米大統領をうならせたというのも、「この男なら」と思えた。

 一方、佐藤はこのとき、鈴木の「地アタマ」のよさに触れる。地アタマとは佐藤によると、学校の成績とは別の、物事の本質をつかむ力だ。

 鈴木が意欲を示したのは、第2次大戦中、本省の反対をものともせず「命のビザ」を発給し続け、約6000人のユダヤ人を亡命させた杉原千畝(ちうね)元リトアニア領事代理の名誉回復。人道を説き、先方の大統領を動かす。そこに、対米ロ外交で無視できない力を持つ「命のビザ」で救われたユダヤ人との関係をつくる腹があったと知るのは98年になってから。鈴木は小渕内閣の官房副長官になっていた。

 北方領土問題の打開と日ロ平和条約に意欲を燃やした橋本首相。その後継の小渕政権も、側近政治家の鈴木に頼った。恫喝(どうかつ)と懐柔、抜群の集金力。とかく風評が絶えないが、「うそをつかない数少ない政治家の一人」と佐藤。

 何より、それ以前に、のちに外務次官となる川島裕(ゆたか)ら首脳陣から「北方領土にしろ、予算獲得にしろ、とにかく鈴木さんとちゃんとやれ」と、省益確保のため、「唯一の族議員」である鈴木のもとに、「差し出されたのが、ほかでもない自分」だったのだ。

■「権力に近寄りすぎた」

 00年春。2000人近くの戦死者と20万人以上の避難民を出したロシア政府のチェチェン侵攻への対応をめぐり、鈴木との二人三脚が、省内に火種を残す。当時、外相はハト派の河野洋平。首脳陣は、沖縄G8サミットの外相会議で、人権問題として「ロシア締め上げ」をねらった欧米につこうとした。噛(か)みついたのが鈴木。紛争の裏にイスラム原理主義の動きを嗅(か)ぎとり、佐藤の分析を支えに「いまロシアを締めれば、領土交渉は止まる」とまくし立てた。屈したのは、首脳陣の側だった。

 佐藤との共著もある外交ジャーナリストの手嶋龍一(57)はいう。「言葉という武器を使って、外交政策を精緻(せいち)に組み立てていくのは、政治ではない。条約や協定などの有権解釈をもっぱら握っている条約局のライン。そこに、外からはうかがい知れない、外交の静かな戦いがある。しかし、当時の首脳陣は、そうした誇りを捨てて、ラスプーチン佐藤を安易に使い、自ら破局を招いた」

 同年12月。自民党総務局長だった鈴木が、プーチン大統領の側近とロシアで会談、領土問題に踏み込んだことに、省内外の批判が集まる。矛先は、傍らにいた佐藤にも向かう。そして、小泉政権の誕生で、外相に反鈴木の田中真紀子が送り込まれてくると、事態は、「国策捜査」と佐藤が呼ぶ状況を生む異常な方向へと一気に流れていく。

 「権力に近寄りすぎた」。佐藤はそう振り返る。官僚機構の保身、首脳陣の寝返りを目の当たりにした今も言う。

 「官僚が政権中枢の意向を無視すれば、民主主義の否定になる。結果として誤ったのかも知れないが、当時の国益に照らせば、自分は、間違っていなかった」=敬称略

(鈴木淑子)
「逆風満帆」外務省職員 佐藤優(下)

■「言行一致」を貫いて

 佐藤の人となりを知る人間は、佐藤を評して「言行が限りなく一致している」と異口同音にいう。その佐藤がいま力を注ぐのは「バカの壁」の打破。「冷戦が終わり15年以上たつのに、いまだ日本には、『右』と『左』という『バカの壁』がある。これを破りたい」

 この1月、控訴審判決の前の週。佐藤は、村上正邦(74)の東京・永田町の事務所にいた。モスクワ大学の宗教哲学科で教鞭(きょうべん)を執った経験もある佐藤は、この日、勉強会に招かれ、戦前の右翼の国家改造運動の思想をひもときながら、天皇制を論じていた。

 突然、佐藤が咆哮(ほうこう)した。会場から「日本も核保有すべきではないか」との質問が飛んだときのことだ。相手を見据え、腹の底から絞り出すような凄(すご)みのある声で切り返した。日本が核を持てば、核不拡散条約(NPT)体制は崩壊する。米国とことを構える覚悟がいることを理解しているのか、と。

 その前日は、魚住昭や作家の宮崎学(61)と運営するフォーラムに出席。政治学者の山口二郎北大大学院教授(48)を相手に、新自由主義的な傾向を強めるポスト小泉の政治状況に、どう対抗すべきか、討論に臨んでいた。

 01年にKSD事件で参院議員を辞任し、受託収賄罪で実刑判決を受けた村上(現在上告中)は、佐藤が「政治犯ネットワーク」と呼ぶ同士の一人。自らも120日あまり勾留(こうりゅう)された村上が02年8月、「塀の中」の佐藤に差し入れをしたのを縁に親交を結ぶ。

 一方の魚住は、「野中広務 差別と権力」などの著作で知られる。佐藤にとって、2人は「人生の転換点で決定的な影響を受けた人」。魚住はやがて、村上からの聞き書きで、日本の右派思想の成り立ちを引き出し、日本人の中にあるナショナリズムの源流を探る連載を、雑誌「世界」で始める。「佐藤が触媒になって生まれた」(魚住)新たな動きの一つだ。

 佐藤の父は、陸軍航空隊で従軍し、戦後はコンピューター技師として銀行に勤めた。母は沖縄の久米島生まれ。牛島司令官自決後、摩文仁(まぶに)の壕(ごう)で、近づいてくる軍靴の音に身を縮めた記憶を持つ。

 「自分の根っこは、沖縄にある」と佐藤。なぜ、いまも北方領土問題にこだわるのか。この問いかけに、「幼いころ、母から聞かされた沖縄の人々の物語が、スターリンによって故郷を追われた北方四島の人たちの運命とどこか重なるから」と応じる。

 佐藤はいま、島津藩の統治下で、独自に米仏蘭と和親条約を結んだ琉球を題材に、統一国家・日本との相克を説き起こす執筆に着手した。ソ連崩壊の過程であらわになった、国家をも超える根源的な共同体意識。それが日本で最も息づいているのが、縁辺の沖縄だとの仮説に立脚する。


■キリスト者・母の影響

 母の影響は、縁辺の地への思いばかりでなく、思想にも宿る。戦後、キリスト教の洗礼を受けた母は、熱心な社会党支持者でもあった。佐藤は高校生のときにマルクス主義に触れ、当時まだ学園紛争の余燼(よじん)がくすぶっていた同志社大の神学部に進む。

 「彼には、理論家が陥りがちな『エゴ』がない」

 こう語るのは、同志社大名誉教授の緒方純雄(86)。大学時代の佐藤の恩師だ。佐藤が鈴木宗男バッシングの嵐の中にいた時に手紙を出す。「すべての出来事、すべての行為には、定められた時がある」という旧約聖書の「コヘレトの言葉」を引き、「周囲から理解されない状況では、時を待って言葉を発することが大切だ」と説いた。

 「盟友を裏切る人間は決して幸せな一生を送ることができない」。佐藤は、情報の専門家として、ソ連崩壊前後の人間模様を見た経験から確信したという。緒方は、そんな佐藤に昔と変わらない「一途で、厳しい」面を見る一方、緒方が長男を事故で亡くした時、20代の佐藤が見せた心遣いに、信仰に裏打ちされた「温かさ」を感じたという。それが、今なお続く鈴木との絆(きずな)をはじめ、佐藤という人間を読み解くカギではないか。

 〈「おふくろ。すぐに行きます」と言って、小走りに面会場の方へ向かって行くうれしそうな隣人の後ろ姿を私は一生忘れることはないと思う。〉(「国家の罠(わな)」)

 佐藤は、独房で隣り合った死刑囚に、こんなまなざしを注ぐ。ある偶然で、この隣人の名前を知った佐藤は、彼の母親にあてて手紙をしたためる。そこには、76歳になる佐藤自身の母への思いも投影されていたに違いない。=敬称略

(鈴木淑子)


http://www.be.asahi.com/20070303/W14/20070224TBEH0002A.html
『別冊・正論Extra.05』の「もし核武装のためにアメリカを説得せよと命じられたら」佐藤優のP40の記述です。


「日本が核武装をする場合、NPTから脱退しなくてはならない。そのとき日本に対する経済制裁を懸念する向きもあるが、日本の購買力を考えた場合、経済制裁をかければ、アメリカ、中国をはじめとする世界経済に対して与える影響が大きすぎる。逆説的であるが、NPTから日本が脱退するシナリオははじめから誰も想定していないので、仮にそのような事態が生じてもNPTの枠組みで日本に対する効果のある制裁はとれないと思う」

さらに

◆「二つのアプローチ」として

アメリカの政治エリートに直接働きかけるロビー活動として
<その1 親米保守時代の終焉>
<その2 日本人の対米観の変化>
<その3 帝国主義時代の反復>
<その4 核保有は現行日本国憲法によっても認められていること>

第三国を経由して背後で影響力を与える
<その1 日本の覚悟を明らかにする>
<その2 イラン・カードの活用>

以上のような方法を07年1月12日の日付で同書のP40〜P52に亘って述べています。
バランスよく評価するために。
記事紹介です。
そういえば、文藝春秋の手嶋X麻生対談で、
佐藤ラスプーチンと書かれただけで、
麻生氏が誰のことだかあっさり認識していたのは
結構驚きました。部下なんだから当然と言えば、当然だけど。

http://ameblo.jp/rintaro-o/entry-10027020425.html

Raspoutin Japonais
テーマ:その他雑感

 「インテリジェンス武器なき戦い」という本を読みました。元NHKワシントン支局長の手嶋龍一、休職外務省員の佐藤優の両名が書いた本です。本屋ではベストセラーに入っています(http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%AA%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B9-%E6%AD%A6%E5%99%A8%E3%81%AA%E3%81%8D%E6%88%A6%E4%BA%89-%E6%89%8B%E5%B6%8B-%E9%BE%8D%E4%B8%80/dp/4344980115/ref=sr_1_1/250-4891905-1066658?ie=UTF8&s=books&qid=1172976119&sr=1-1 )。


 結論から言うと「内容的にはなかなか面白い」です。国際情勢を知るに際して色々と示唆的なことが書いてあります。両名ともなかなかの奇才だと感じます。ただ、大きな欠点があります。それは「両名ともコンプレックス丸出しで、しかもお互いを褒め称えている」気持ち悪さがあるのです。NHK、外務省という、各人がかつていた組織において適正な処遇を受けることができなかった恨み、つらみが読み取れてしまうのです。「オレ達ってこんなに優秀なのになんで世間はもっと評価してくれないんだろうね」という感情を共有しあいながらお互いを誉める。とても気持ち悪いのです。「読んでいて気持ち悪くないか?」と疑問でなりません。


 手嶋氏についてはあまりよく人となりを知らないので、もう片方の佐藤優氏について思ったことを書いておきます。とても有能な人間だと思います。最近、立て続けに著作を出しています(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url/250-4891905-1066658?%5Fencoding=UTF8&search-type=ss&index=books-jp&field-author=%E4%BD%90%E8%97%A4%20%E5%84%AA )。小説を書いてみたり、外交論を書いてみたり、情報論を書いてみたりとどれも洞察の深い本だと思います。外務省で専門にしていたロシアだけでなく相当に幅広く学んでいることは容易に分かります。あれ以上の知識人は外務省広しと言えどもそうそういないでしょう。外務官僚現役やOBが著作を出すことがありますが、そのうちの9割はつまらないものばかりです。自慢話か、説教めいた内容か、政府の擁護者となるかのどれかで知的深みがないものをよく見ます。そういうのに比すると、同氏の書くものはどれも傑作と言えるでしょう。


 今、同氏は起訴されています。起訴自体は検察と司法に属する話なのであえて立ち入りませんが、まあ簡単に言えばお縄にかかった状態です。とても優秀だった同氏が何故お縄にかかり、外務省を追われるようなかたちになったのか。これは一個人の資質を越えて、興味深いテーマなのです。とどのところ、同氏の優秀さを同氏が望むかたちで評価してもらえず、そこで溜まった鬱々とした感情とプライドのはけ口を某北海道選出国会議員の政治力に求めたということなのだと思います。オレは優秀だという感情・自負心からスタートして、自我の増大が組織の器を越えそうになる、その自我を満たしてくれる場を某国会議員に見出してからは自我の増大を抑えられないようになり、最終的には潰されてしまった、まあ、こんなところです。同氏の自我の増大が異常だったのか、外務省という組織が小さかったのかは難しいところですが、まあ、色々な意味で行政組織において分不相応だったのでしょう。そう思いながら同氏の著作を読んでいくと幾ばくかの憐憫の情が湧かないでもありません。


 同氏は非常に巧みなやり方で外務省批判をしています。ポイントは2つです。
● 自分に都合の悪いことは隠す。
● 日本外交において本来秘密に当たるような部分を自分に都合の良いかたちで公開している。

 非常に上手く世論誘導をやっているなと思います。同氏は「日本外交の秘密に当たる部分に触れても絶対に役所が反論してくることはない」とタカを括っているわけです。それは読みとしては正しいのです。同氏があれこれと秘密を暴いていることに反論すると同じ土俵に乗って議論しなくてはなりません。そうすると、秘密に相当する部分の真贋にまで立ち入らなくてはならなくなる、その議論に乗ってはいけないという判断を外務省側がすることを知っているのです。かつて、西山事件という事件がありました。某新聞の記者が外務省幹部の秘書と情を通じて(←渋い表現です)、沖縄返還交渉に関する秘密情報を取ったことが問題にされたケースです。その秘書は国家公務員法で起訴されました。この時は当時の佐藤栄作政権の不退転の決意があったから、国家公務員法による秘密漏洩というかたちでの起訴まで持ち込まれましたが、佐藤氏については、日露交渉の秘密や外務省の秘密を少々バラしたところでそこまでは行かないことと踏んで、現在、あれこれと著作を書いているわけです。


 ただ、彼が外務省で何をやっていたかということを思い直すと、彼の著作の出来や世論誘導が白々しく見えるのも事実です。こういうことは現役の外務官僚は絶対に書かないので、こっそりと部分的に書き残しておこうと思います。


● 外務省内に恐怖政治を敷いた。
 某国会議員と密接につながり、某国会議員にすべての情報を流し、気に入らない相手は某国会議員が介入してくるシステムを作っていました。佐藤氏全盛期の時代、彼は自分のスクールを作り、どんどんお仲間を増やし、そのお仲間が省内をゲシュタポのように闊歩していました。ロシア外交に関わる人たちの間では疑心暗鬼が増大し、その圧力に耐え兼ねて多くの有為な外務省員が辞めていきました。その損失は大きいです。私自身、ある案件で某国会議員に説明に行ったら、同氏が横に聳えていて強権的にご託宣を垂れていたのを思い出します。「おい、おまえ外務省のお役人じゃないのかよ?」と思ったのが懐かしいです。

● 相当程度、ロシア外交を私物化した。
 まあ、これはちょっと書きにくいですんですけどね。ただ、両国で作った「支援委員会」という国際機関に溜まったお金をあれこれと変なことに使っていたのは事実です。よく変な出張をしていました(目的地、同伴者等が変だった)。お金の使途に少しでもストップがかかると、佐藤氏ルートですぐに某国会議員(当時、官房副長官だった)に伝わり、内閣総理大臣官邸に呼びつけられ怒鳴られるという構図が相当罷り通っていました。まあ、あれを私物化と言わなければ、私物化という言葉が死語になってしまうくらい私物化していました。


 そんなこんなで某国会議員と共に失脚してしまったのです。


 と、ここまで書くと、私が元職場の外務省を擁護しているように聞こえるでしょう。もうちょっと筆を進めます。何故、某国会議員が外務省の中に容喙することができるようになり、そしてそこに付け込むようなかたちで省内にいる有能な人物だが自我を抑えられない人物の増殖を防げなかったのかということを考えてみます。結論は簡単なのです。外務省が某国会議員の介入を幾度となく求め、内部への容喙への道を開いたからなのです。外務省というのはあまり国会議員の応援団もおらず、そういう応援団を作ろうという努力もしないので、政治の風が吹くと辛い立場に置かれることがあります。「ODAを減らせ」、「組織を削れ」・・・、こういった圧力がよく掛かるのですが、こういう時に外務省は幾度となく某国会議員を頼ったことがあるのです。「先生、ODAが減らされそうです。何とかしてください。」、「●●局が潰されそうです。何とかしてください。」、何度も頼りました。某国会議員は馬力があったので、外務省から物事を頼まれると八面六臂の活躍で政治の風を押し返してくれました。

 しかし、アメリカとの通商摩擦でも経験したように、この手の「ガイアツ(組織外からの圧力)」に結果としてお高くつくのです。日本の国内制度を改革するために、まずそれをアメリカに主張させ、頑固な改革反対派を篭絡するきっかけとする手法を1980年代に使った政治家・官僚がいました。それはお手軽ではありましたが、アメリカから国内経済制度への介入を許すルートを確立してしまいました。それと同じです。外務省は某国会議員というガイアツに頼りすぎたのです。そして、そこに隙が生まれ、更に悪いことに一人の異才外務官僚が巣食ってしまったのです。某国会議員が失脚しかけた時、そして失脚した後、外務省は某国会議員を叩きに叩きました。しかし、そのきっかけを作ったのは「ガイアツに頼りすぎた自分自身」であることへの反省が足らないようです。経済学の世界に「ただのランチは存在しない(ミルトン・フリードマンがインフレ論について述べた言葉)」という警句があります。外務省は「某国会議員による介入」というランチに手を出しすぎた結果、大きな代償(日本外交そのものへの容喙)を招いたことへの反省はあって然るべきなのです。


 本の紹介のつもりが、支離滅裂に長々と書きました。しかも、ある程度事情通でないと意味が分からないでしょう。もう少し分かりやすく書きたかったのですが、私の筆力の限界です。ご容赦ください。
あつろーさんの書き込みを興味深く拝見しました。元とはいえ外務省に在籍なされていた方の見解を直接伺えるのは幸いです。

ただ、佐藤優氏や鈴木宗男氏の書かれたものを読みますと、そもそも佐藤氏は外務省の命によって鈴木氏の元へ派遣されたという経緯が述べられています。

また、鈴木氏は橋本内閣、小渕内閣と首相直々から特命を得てロシア外交を行ったと書かれています。森内閣まではその路線が継承されていたと述べられており、佐藤氏や鈴木氏が独断専行して行っていたようには理解出来難いのです。

当然ながら、外務省としては外交の二元化に繋がるものとして警戒していた事情は理解出来ますが…。

ただこれだけの時間とチャンス(ソ連崩壊時)が有りながら、北方領土問題や日露平和条約が進展しないのは、大きく言えば外務省の無能と怠慢に映ります。

それとも…何か米国との関係において、領土問題や平和条約を解決・締結できないような秘密でもあるのでしょうか?
木村剛氏が発行人を務めるファイナンシャルジャパン誌5月号で、堀江貴文氏との対談が12ページ掲載されています。
お互い、東京拘置所の「同窓生」として、国策捜査について語っています。
http://www.financialjapan.co.jp/

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