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バーチャルトラベル?コミュの2003年1月8日〜10日

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1月8日

 今日は朝から雨がずっと降っている。ラバトでは、ちょっと降ってもすぐに止んだが、どうやらFésでは、そうもいかないみたいだ。傘を差して出かけていく奴もいるが、僕は雨が止むまで、宿にいることにする。

 夕べ、ユースホステルについた後しばらくは、洗濯をしたり、パトリックへのメールの文面を考えて過ごした。洗濯物を干している時、メイドらしきおばちゃんと挨拶を交わしたが、おばちゃんはフランス語が話せないらしい。何とか打ち解けようと、僕は手帳にはさんである、子供と僕の写っている写真をおばちゃんに見せた。これはあなたの子供か?という感じで身振り手振りをしていたので、
「そう、僕の子供だよ。彼が三歳のときの写真」
とフランス語で言うと、理解したのか、おばちゃんは突然Je t'aimeと言って、僕の大切な写真に、熱烈なキスをしてくれた。やれやれ。
 夜6時過ぎに、同室の奴らが戻ってきたので、挨拶をする。その中で、Stevenというフランス人の学生がいて、彼はほとんど、いや全くと言っていいほど英語が話せなかったが、何故か少し話しているうちにだんだんと仲良くなっていったので、一緒に晩御飯を食べに行くことになってしまった。彼もまたパトリック同様、モロッコには研修で来ているらしく、3ヶ月間滞在するらしい。
 食事の前に、彼が今後滞在するためのアパートを友達に紹介してもらうとのことで、僕も一緒についていった。タクシーに乗ってNew Townの方まで行き、降りてから少し歩くとモロッコ人らしき若者が3人いて、それぞれと挨拶をした。それから、彼らにくっついて歩き、いくつかのアパートを回った。何軒目かを見終わったところで、ふと時計を見ると、すでに一時間半が経過していた。さすがに腹が減ってきたが、Stevenの用事を中断させるわけにもいかず、一人で飯を食べに行ってしまおうかとも思ったが、New Townの中をぐるぐると歩き回ったせいで、現在地もつかめなくなっていたのでそれも諦め、結局2時間近く、彼らに付き合うことになってしまった。
 アパート巡りが終わった後、Stevenは
「長く付き合わせてゴメン。お腹すいたでしょ?」
と言ってくれたが、僕も彼に気を使い、言った。
「確かに腹は減ったけど大丈夫だよ。マドリードにいた時はもっとひどかったからね。」
彼は何故?と聞いてくる。
「そんなの簡単な理由さ。スペイン語が話せないからだよ。レストランにも入れないし、何も買えない。」
苦笑いするStevenを促し、またタクシーに乗って、宿の方へと戻った。

 今、宿から移動して、夕べStevenに連れてきてもらった近所のカフェに来て、この日記をつけている。理由は簡単。寒いからである。
 しかし、caféの店内にいるにもかかわらず、物売りが非常にうっとおしい。外を見ると雨は上がったようだ。ラバトは首都だけあって、メディナ以外の場所はとても洗練されていて、居心地がとても良かったが、ここフェズは、モロッコの中では大都会であるにもかかわらず、とてもとても・・・皆行儀が悪く、観光客擦れしていて、おこがましく、面白いことに、皆が皆、
「他の人間を信用するな」
と僕に言うのだ。つまり、誰も信用できない街だと、自分達で言っている様なものだ。宿でこっそり、他のツーリスト達とこんな話をすると、皆ゲラゲラ笑って、面白い街だね、と言いあっている。皆、同じような目に遭い、同じように辟易しているので、合点が早いのだ。

 夕食を、またCafé Mauritaniaで食べた。今夜はTajine de Viandeを食べた。ALAMEのタジンよりさっぱりした味付けになっていた。あと、大きく違っていたのは、タジン用の円錐形の蓋がついた土鍋が熱かったのには驚いた。こちらのほうが本格的なのだろう。味はALAMEのほうが、僕としては好みなのだが。

 夕方、Alessandraと散歩に出た。彼女はイタリア人で、友達と一緒にモロッコを旅しているそうだ。その友達Riccardoは、どうやら体の具合が悪いらしい。あてもなくブラブラと歩き、駅のほうから繁華街のほうにかけて見て回った。他愛も無い話をしつつ、途中から僕の旅の目的を少しずつ説明した。やはり英語で説明するのは難しかったが、彼女がよく質問してくれたり、僕の言ったことを言い直してくれたりしたおかげで、なんとか理解してもらえたようだ。彼女はロンドンに留学していたことがあるらしく、流暢に英語を話した。小一時間ほど二人で散歩をし、宿に帰ってからも、お互いの国の言葉を教えあったりした。
 雨は、散歩していた時以外、ずっと降り続けていた。部屋では、中国系アメリカ人(名前は忘れた)が、ぶつぶつ独り言を言いながら、何事かをしていた。ベッドで毛布に包まって、寒さを凌ぎながら本を読んでいる僕に、折を見てやたら話しかけてくるウザイ面もあるが、悪い奴ではないみたいだ。
 Stevenは今夜もまたアパート探しに出かけた。いくらモロッコの物価が安いとは言え、一泊500円の所にいつまでもいるわけにはいかないみたいだ。

 雨のせいか、今夜のカフェ・モーリタニアはとても静かで居心地が良い。室内であるという点では、Balima Hotelのcaféよりも居心地は良いと思う。店のオーナーらしきのっぽのひげおやじは、もう僕のことを覚えてくれて、店に入ったとき、握手をして迎えてくれた。とても静かなFésの夜。

 1月10日

 何故9日分の日記が無かったかというと、昨夜はずっと、リカルドとアレサンドラと一緒に過ごしていたからである。
9日も朝から雨が降り続け、昼間のほんのわずかな間げきをぬって、飯を食べに行ったり、本屋を探したりしただけだ。Café MauritaniaではStevenに会ったが、他愛も無い話をしただけで、すぐに彼は仕事に戻った。
午前中には、リカルドとアレサンドラと一緒にカフェに行っておしゃべりした。映画や音楽やイタリア文化について話したが、特にリカルドはちょっと変わっている印象で、しかも、よく日本の文化について知っていた。
「コーネリアスの大ファンなんだよ」
と言っていたが、僕もコーネリアスが好きで、ギターがあれば何曲か弾くことができることを言うと、とてもうれしそうだった。
 リカルドはベジタリアンだった。夜、一緒に晩御飯を食べに行こうと誘われたが、少し迷った。僕は最後のつもりで、カフェ・モーリタニアに行こうと思っていたが、店のメニューに野菜だけの料理があったかどうか、憶えていなかったからである。しかし、いざ3人で店に行ってみると、オーナーは事情を理解してくれたらしく、タジンからもクスクスからも、肉を抜いて出してくれた。
 閉店時間が迫っていたこともあって、落ち着いて食事をするというわけにはいかなかったが、それでもとても楽しい、いかにも食卓という感じの夕食だった。きっと、イタリアで料理がとても発展している理由の一つには、この食事の時間の楽しさがあるのだろう。リカルドもアレサンドラも料理を楽しみつつも、おしゃべりすることも全然止まらなかった。僕も負けじと話し続け、心から食事を楽しむことができた。
 宿に帰ってからも、彼らの部屋で過ごした。夕方に僕が買っておいたスコッチを飲みながら、いろんな話をした。
 誰かと仲良くなるといつもそうだが、話題がだんだん難しくなる。そして多岐に渡る。とても僕の語力では話を続けていくことが、だんだん困難になっていくのだが、彼らもまた、僕が言葉を探しながら、次の言葉を話すのをじっと待っていてくれた。
 夕べの話題は、宗教についてや、僕の旅の目的や、リカルドが専攻している学問(人類学)などだった。一番説明に困ったのは、日本の近代史における、日本経済の移り変わりを説明するのには、骨が折れた。
結局、AM1時過ぎまで、つまりアレサンドラが最初のあくびをするまで、僕らの話は盛り上がり続けた。

今朝はとても良い天気だった。夕べ星空を確認した時に、「あぁ、明日は晴れるのかな」とぼんやり思ったのだけれど、そのとおりの快晴になった。
 Swee Kongは宿を発った。たぶん僕らはCasablancaで合流し、一緒にサハラを越える。僕に日本人のパートナーが見つからなければの話だが・・・。
 宿で朝食をとった後、リカルドに誘われて、僕と同室のダクランも一緒にカフェに行くことになった。気温は低いが明るい日ざしの下、アーケードから商店街を抜け、しばらくnew townの繁華街を歩いて、清潔で小洒落たカフェを見つけて、入ることにする。そこで彼らは再び朝食と称して、クロワッサンだのパンケーキだのを注文し、僕はいつも通りカフェエクスプレスを注文した。彼らがムシャムシャ朝食をほおばりながら、何事かをずっと話し合っている間、僕はほとんど会話には入らず、もくもくと日記をつけることができた。リカルドと二人きりだったら、もちろん日記なんて一行も書けなかっただろう。
 フェズでは皆が退屈だったと思う。メディナへ行っても、ガイド代などという不本意な出費があったり、ガイドを避ければ人にわんさか声をかけられるだろうし、しかしメディナ(old town)以外の場所では、とりたてて面白そうな場所も見当たらない。あげくに、この何日かずっと雨降りで、しかもものすごく気温が低かった。外に出てウロウロする気なんて無くなってしまう。そして持て余して、誰か話し相手を探す。
 夕べから同じ部屋にいる、日本人のカスヤさんというおじさんも、僕と会うなり怒涛のごとく話し続け、僕は10分でうんざりした。おまけに、彼は自分のことしか話さない。質問というものが全く無いのだ。旅先では、お互いに、自分のこれまでの旅の思い出などを話し続ければ良いのだろうが、日本でカスヤさんのような振舞いをしたら、たぶん友達なんてできないだろうと思う。少なくとも僕は、彼とはこれ以上付き合いたくない。

 カフェから戻ると、なんとRabatで会った中国人のケントが宿に来た。再会を非常に驚き、抱き合って喜び合ったが、すぐに彼の人となりを思い出して、僕はcoolになった。案の定、彼はチェックインの手続きを済ませると、早送りしているビデオの中の漫才師のごとくしゃべり続けた。ただカスヤさんと違うのは、彼とはちゃんと会話が成り立つのである。つまり、お互いに話を聞き、質問し合うということができるので、その点ではまだましだった。
 それでもケントは本当におしゃべりだ。日本風に言うところの天然ボケタイプで、今回フェズに来るときも、当初の予定では、バスを使ってダイレクトに来るはずだったらしいのだが、何を思ったのか、急に変更して列車で来ることにしたらしい。何の支度もしていなかった彼は、道すがら何も食べることすらできず、フランス語も前述の通り全く話せない為、とても辛い思いをしたらしい。彼は自分自身でも言っていたが、
「一人で旅を続けていると、時々自分をコントロールできなくなることがある。そんな時の自分は、とてもナンセンスだし、必ず馬鹿な行動をしてしまう。自分でも良くわからないんだ。」
と、頭を掻きむしっていた。

 午後はアレサンドラの誘いを断って、部屋でのんびりしていた。ケントはリカルドとアレサンドラにくっついてメディナへ行った。しかし30分ほどで部屋に戻ってきた。「どうした?」と聞くと、寒くて行くのを止めたとのこと。
「ロンドンよりはましだろ?」
と聞くと、
「いや、向こうには必ず全部の部屋にヒーターがある。だから寒くない。それと、ロンドンではなくウェールズだ」
とのこと。そう言ってから、彼はベッドにもぐりこんで寝てしまった。
 僕は、少しの昼寝の後、散歩がてら本屋と電器店を探して歩いたが、目当ての英語の本と乾電池は見つからなかった。
 夕方宿に戻ると、すぐ後から帰ってきたリカルドに呼び止められた。
「ハーイ、コウジ。どこに行ってたの?」
僕は本屋と電器店を探し歩いてきた事と、それに疲れてカフェに寄ったことを言った。
「君たちはメディナに行ってきたんだろ?どうだった?何か面白いものとか見つけた?」
「いや、実はね、メディナに向かってすぐに例のガイドだという奴らに囲まれてしまってうまくメディナの中に入れなかったんだ。それでケントが先に帰ってしまった後、アレサンドラともう一度別の入り口から入ろうとしたんだ。ぐるっとかなり歩いて迂回してみたんだけど、どこまで行ってもガイドだらけだった。それで今日もメディナへ入るのは諦めたんだよ」
やれやれといった感じの表情で、彼は言った。
「で、今は一人でどこへ行ってたの?」
「cyber caféに行ってきたんだ。それでね、僕がちょっとアダルトなサイトを見ていたら、周りの連中が、びっくりした顔で、そう・・・こんな感じの顔で、僕のコンピューターの画面をじっと覗き込むんだよ。で、僕がそれに気づいて振り返ると、サッと見ていないような振りをするのさ。だから、僕はその店にあったコンピューターの画面を全部、女の裸が出ているページにしてきてやったのさ。」
メイドのおばちゃんが、何事が起きたかと見に出てくるほど、僕らは大声で笑った。

 夜はカスヤさん以外にまた、宿に日本人が来た。あれほどラバトでは日本人に会わなかったのに、フェズでは毎日日替わりでやって来る。そのキタムラさんという彼とともに、もちろんリカルドやアレサンドラやダクランも一緒に、5人で夕食に出た。
 キタムラさんは、トルコからずっとヨーロッパを旅してきたらしく、そんな彼の道中の話を聞くのは、とても楽しかった。キタムラさんの話を僕がリカルド達に伝えていると
「英語ペラペラなんですね。いいなぁ」
なんて言われてしまった。今までもちろん、誰にもそんなことを言われたことなかったしむしろどの言葉もうまく話せない自分自身に、コンプレックスすらあったので、
「いや、全然話せませんよ。適当に単語並べてるだけ。恥ずかしいですよ」
と言っておいた。実際、彼はこれまで通ってきた国では、すべて英語で通してきたらしいが、その英語ですら、僕から見ても怪しい感じだった。よほど度胸があるというか、その場のノリでこなしてきたのだろう。ペチャクチャおしゃべりしながら繁華街まで歩き、入ったレストランはイタリアンだった。そこに決めたのはやはりリカルドだった。メニューにはピザやスパゲティはもちろんのこと、ハンバーガーやサンドウィッチなどもあったが、僕はトマトのピザとコーラを注文した。出てきた皿は、(これがピザか?)と疑わせるくらいひどいものだったが、それは僕だけではなく、別々の料理を注文していたみんなのもひどいようだった。僕はラバトに着いた最初の夜の夕食を思い出した。どうやらモロッコでは、レストランでピザは注文してはいけないようだ。値段もモロッコ料理に比べるとずいぶんと高かった。しかし、僕たちの会話はとても盛り上がり、ほとんどパーティーのような感じで、楽しい時間となった。
 宿に戻ってからは、夕方に僕が買っておいたワインとスコッチウィスキーを飲みながら、リカルドたちの部屋で過ごした。僕がMDプレーヤーと、ワインオープナーがついたナイフを持参していることに、彼らは大いに喜び、
「コウジ!君は準備が良すぎる。すごいぞ!」
と、大受けして笑い転げていた。

 前日だっただろうか、何につけ遠慮がちな僕に、リカルドがこう言った。
「僕達は、今までの旅の間、ずっと寂しかったんだ。天気にも恵まれず、体調を崩し、モロッコでは行く先々で嫌な思いをし、友達もあまりできなかったんだ」
と。だから、僕が遠慮がちにでも、食事に誘ったり、酒を持っていって彼らの部屋で一緒に飲んだりできることがとてもうれしいんだと言っていた。
 僕はとてもうれしかった。彼らは僕に対して、とても優しい気持ちで接してくれていたし、いつでも僕と一緒にいることを望んでくれた。だが、こういうことは今に始まったことではない。マドリードでもラバトでも、何故か僕の周りには、とても素敵な連中がいつもそばにいてくれた。僕が無口で三十二歳の(つまり、彼らよりはずっと年上の)日本人であるにもかかわらずだ。そして僕もまた、彼らによって、旅を続ける勇気をもらっているのだ。

 酒を飲みながらの他愛も無い話の中で、紙巻タバコを細く作りながら、ダクランが僕に質問をしてきた。
「あのさ、日本は安全な国だとは聞いているけど、どういう風に安全なの?」
どう説明しようか少し迷ったが、例を挙げてみた。
「例えば、マクドナルドでテーブルに荷物を置きっ放しにしてトイレに行っても、絶対大丈夫。無くなったりしないよ。」
と言うと、三人ともすごく驚いていた。
「もしもローマでそんな状況なら、私だって取っちゃう準備を始めるわ」
と、アレサンドラは笑いながら言っていた。
 やっと楽しい飲み会が終わったのは、午前様になってからだった。ダクランと部屋に戻ると、彼はすぐに「あー寒い寒い。オヤスミ。」と言いながら全裸になり、シーツに包まった。まあ彼の国の習慣なのだろうが、寒い時くらい、何も裸で寝ることはないのにと思う。僕はいつものように、服を着たまま寝袋に入り、それからズボンだけ脱いで寝袋の奥のほうへ蹴り押し込んで、さらに毛布に包まって眠った。

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