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バーチャルトラベル?コミュの2003年1月6日〜1月7日

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1月6日

 今日は待望の日だ。やっと日本チックな正月休みが明ける日だ。
 朝はいつも通り九時少し前に起きて、顔を洗って髭を剃った。いつものパン屋でクロワッサンを2つ買い、向かいのカフェで朝食を済ませ、その後すぐに、プチタクシーに乗って、いざ日本大使館へ向かった。

 大使館では、中に通されるとすぐに来館用件を書くよう言われ、それを提出するとすぐに日本人のスタッフが現れた。僕はJICAのモロッコ事務所の所在地や、青年海外協力隊員を訪ねたい旨など、用件を説明すると、ちょっと待つように言われた。4、5分ほど経つと、受け付けてくれたスタッフが戻ってきて、
「今連絡してみたら、これから行ってもいいそうですよ。はい、これ一応住所。で、事務所に着いたら、奥田さんって方に話しておいたから、その人を呼んでもらうといいわ」
と、言ってくれた。アポまで取ってもらえるなんて、本当に感激した。
「場所はここの前の通りをまっすぐ行って・・・近くまで行ってわからなくなったら、人に聞けばすぐわかると思うけど・・・あっ、アラビア語は大丈夫かしら」
「あ、フランス語なら、道を聞くくらいならなんとか」
僕は礼を言って大使館を後にし、すぐJICA事務所へと向かった。
 途中、スコールのような雨が急に降り出したので、街路樹の下で、たばこ一本分だけ雨宿りをした。雨はまもなく止んだ。
 大使館のスタッフは「すぐ近くだから」と言っていたが、実際にはかなり歩いた。教えられた通りにまっすぐ行くと大きな通りにぶつかり、そのあたりにはフランスのガソリンスタンドやパン屋などがあったので、そこで場所を尋ね、30分以上かけてやっとJICA事務所にたどり着いた。

「ムッシュオクダに面会したいのですが」
と門のところで言うと中に通され、入り口を入ってからも三人の人に用件を聞かれた。三人目の中年のご婦人には英語で話しかけられ、
「あなたはボランティアの人?」
と聞かれたので、やっと説明することができた。
「いいえ、僕は隊員ではありません。これからボランティアの人達の活動を見学をしに行きたいのです。だから、奥田さんに会いに来ました。」
そう言うと、婦人はにっこり笑って、入り口すぐ脇の応接室に案内してくれた。
 奥田氏は関西人だった。さゆりちゃんのときもそうだったが、外国でコテコテの関西弁を聞くと、何か変な感じだ。奥田氏とは小一時間位話しただろうか。内容はボランティア関係半分、日本の世間話半分といったところだった。ただ、ここでも素晴らしかったのは奥田氏がすぐに、一人の村落開発普及員と連絡を取り始めてくれたのだ。しかし、もっと驚くべきことが起こった。何と、彼が連絡を取ろうとしていた人が、偶然事務所に現れたのだった。これはもうSUPER LUCKYとしか言いようが無い!そう、世の中悪いことばかりじゃないのだ。
 隊員の名前は堤さんといった。彼女は一時間ほど、自分の赴任している現場の状況を聞かせてくれた。いつか、誰かの体験談でもそう言っていたように、彼女の現場もかなり困難な状況であるらしかった。当たり前だが、彼女にも、最初ははっきりとした要請内容があった。海辺の貧しい村に赴任し、当地の産物であるアサリの収穫に関連するシステムを確立、改善するというものであった。しかし、彼女が赴任して一年半、今ではその状況は全く違ったものになってしまった。つまり、当初の要請であった、アサリシステムの確立において、彼女は断念せざるをえないようになってしまっていたのだ。過去に金銭関係のトラブルが、漁村と政府の間(正確に言えば、その中間にいるエージェント)であったらしく、今なお、アサリ流通問題について、漁村民はかたくなな態度でいるらしかった。堤さんは、一年半もの間、何とかシステム(協同組合のようなもの)を確立しようと努力したが、ついには断念し、今は当地において、識字教育や元々ある産物のタペストリーを商品化する活動を始めようとしているらしい。しかし彼女の任期はあと半年。あせっている様子だったが、どうなるか。後日結果を知りたいと思う。そして、できれば数日後、彼女の任地を訪ねたときに、実情をこの目で確かめたいと思う。
 そう、堤さんは、僕の旅の目的である、協力隊員の活動現場を見るという希望を快諾してくれたのだ。僕の手帳に、彼女の住んでいる村までの行き方を細かく書いてくれて、
「この通りに来れば大丈夫ですよ。ただ、3、4日は忙しくてバタバタしているから、その後だったら、どうぞ来てください」
と言ってくれた。
 話し終えた後、部屋を出ると、さっき僕に英語で話しかけてくれた婦人がいて、堤さんと親しげに話し始めた。堤さんのフランス語は完璧だった。協力隊員のすごさを垣間見た気がした。

 事務所を出た後、またタクシーに乗ってメディナに戻って、昼食をALAMEでとり、食後は散歩がてら繁華街をぶらぶらし、絵葉書を3枚買ってから宿に帰った。
 久しぶりに日本から持ってきた地図を広げ、明日の行き先を考えた。ラバトでの用事がやっと済んだ。堤さんの村を訪ねるのは4日後以降。そう遠くまでは行けないが、新たに一つの町に滞在するのには、ちょうど良い期間だ。しばらく地図を眺めていると、宿のオーナーに話しかけられた。
「おや、そろそろ出発かい?」
僕は、やっとラバトでの用事が済んだことを説明し、4、5日後にMoulay Bousselhamに行く事を話し、それまでに行くことができる町はないかと相談してみた。
「それじゃあ、フェズに行くといいよ。あそこのメディナはラバトよりずっと大きいし、観光客も多いから楽しめるよ。ムーレイブッセラームも近いしね。」
モロッコの情報を全く持っていなかったので、とりあえずFésに行ってみることにした。するとオーナは、モロッコにある全部のユースホステルの所在地が記してある一覧表のようなものを、コピーして僕に渡してくれた。

 夜はいつものように、この日記を時間をかけてつけていたのだが、みんなが寝た後、いつものように勉強して中庭に残ったパトリックと、ちゃんと別れの挨拶をすることができた。長く同じところに留まれば、こんな僕でも理解してもらえ、友情を共に感じられる人に出会える。本当に素晴らしいことだ。
 たぶん、この僕の旅において、最後まで残るのは、写真でもなく、観光地でのお決まりの説明でもなく、パトリックやグナのような友との関係だと思った。この先も、素晴らしい出会いがあることを切に願う。

 1月7日

 昨夜はあまり眠れなかった。ラバトを発つ日だったからか、酒を飲まなかったからか、はたまた、さゆりちゃんの夢を見たからか(笑)。理由は定かではないが、とにかく朝までに2回目を覚まし、いったん目が覚めてしまうと、またしばらくは寝付けなかった。しかし、おかげで、朝パトリックが出勤するときも、ちゃんと見送れた。
 宿を出るときは、アイシャ他一通りちゃんと挨拶をし、特にオーナーにはお礼のつもりで、マルボロ2箱をあげた。するとオーナーは
「ここは君の家だ。いつでも帰って来い」
と言ってくれ、大変喜んでくれたようだ。
 いつも通り、いつものパン屋でクロワッサンを、今日は4つ買って、Balima Hotelのカフェで朝食をとる。最初はニコリともしなかったウェイターのおやじも、僕の顔を見ると
「Bonjour!Café?」
と、笑顔で聞いてくれるようになった。

 駅で切符を買って、しばしホームで待つ。時間ばかり気になった。列車には行き先は記されておらず、ホームにも(こちら方面がカサブランカで〜)というような看板も無く、ホーム内のアナウンスは当然アラビア語とフランス語だけだった。とりあえず、時刻表で調べた時間がくるまで、列車が何台来ようが乗らないことに決めていた。なぜなら、モロッコの列車が遅れることはあっても、時間通りに発着するとは思えなかったからである。Kénitraから乗った時の教訓である。
 僕の乗る予定の列車は、時刻表によると、11時15分発である。11時10分頃アナウンスがあった。
「ケニトラ、メクネス、フェズ〜何たらかんたら・・・」
あっ!もう列車が来るんだな、と思った。
 しかし、実際には時間になっても列車は来ず、15分遅れで到着した列車に乗り込んだ。やっと一息ついたと思いきや、車掌が検札に来たとき、僕にこう言った。
「フェズ?ならば君は、ケニトラで乗り換えなければならないよ」
僕には意味がわからなかったが、乗り換えて次の列車に乗れと言うんだからしかたない。そうするけど、大丈夫かな?という気持ちが強かった。周りの乗客たちも、「そうだそうだ」と言うから、
「この列車は、ケニトラが終点ですか?」
と聞いてみたら、みんな、そうだそうだと言う。半信半疑だったが、いざケニトラに着くと、ちょっと離れたところに座っていたおばちゃんが、英語で
「この駅で降りなさいよ」
と教えてくれた。
 ホームに降りて、しばし次の列車を待つ。やはり不安だったので、近くの駅員らしき人に
「あの・・フェズに行きたいんですけど・・・」
と言って、切符を見せたところ、
「ここで待て。で、次の列車に乗れ」
と、簡潔に答えてくれた。
 次の列車をホームで待っている間、モロッコに入って以来初めて(大使館とJICA事務所以外で)、日本人に会った。そして声をかけられた。ただ、日本の方ですか?と聞かれただけだったが・・・。
 列車に乗ると、10分か20分かそこらの間、空いている席を探してウロウロした。やっと空いているところを見つけ席に着くと、僕は、時折外の風景を眺めつつ、読みかけの文庫本を読んで過ごした。
 はっきり言って、この後から、しかもまだ車内にいるにもかかわらず、Fésの街のうっとおしさが始まるのだ。
 Meknesの駅で、僕が座っていたボックスの人が皆降りてしまった。ほんの少しの間だけ一人でいられたが、すぐに浅黒いモロッコ人がボックスに入ってきて、僕に話しかけ始めた。しばらく英語で世間話をしていると、また人がやってきて、そのモロッコ人と、何やらもめ始めた。後から来た人は、僕と目が合うと、POLICEと書かれた手帳のようなもの見せて頷いた。浅黒いほうのモロッコ人は、身分証を出させられたり、切符を見られたりしていたが、しばらくすると、特に何事も無く、ポリス達はボックスを出て行った。僕は不審に思い、尋ねてみると、彼は「何でも無い」とだけ言う。その後、今度は私服だが「自分はPoliceだ」と言う男が現れて、僕の向かいに座っている、浅黒いモロッコ人を指して「この人は別に怪しくない。自分の友達だから大丈夫。安心して。モロッコ人みなfriendly。君はモロッコ好きか?」
とか話しかけてくる。適当に相槌を打って流していると、
「Fésはとても良いところ。セラミックのハンドメイドの細工がとても有名で、素晴らしいよ。ぜひOld Townで買いなさい。ところでホテルはもう決まっているのか?」
などと、話題がヤバイ方向へ進み始めた。そこで僕は、
「ユースホステルに泊まるんです」
と言った。すると、
「もっと安くて良いホテルがあるよ。場所を教えるから、紙はあるかな?」
とか、もうバレバレの線で押してくる。それも全部適当に流していたら、やっと(自称Police)はボックスから出て行った。その後、残った浅黒モロッコ人も、似たような口上を並べ始めた。本当にうっとおしく思ったので、もちろん僕は、彼に嘘をついた。
「ユースホステルに行かなきゃならないんです。たぶん友達が僕を待っているから」
と言うと、
「君の友達は、フェズに住んでいるのか?日本人か?」
としつこく迫ってくる。僕はグナを思い浮かべながら、
「いいえ、旅行者でドイツ人です。マドリードで知り合ったんですよ。で、昨日Eメールのやりとりをして、彼が今Fésにいると言うから、今から会いに行くんだよ」
と嘘を並べた。
 しばらくの沈黙。
 すると彼は、何も言わずに、ボックスから出て行った。
全く何が「僕らは友達だ」だよ!でもそういう話をしたせいで、少し疲れた。しかし、本当のFésらしさは駅に着いてからだった。
ホームに降りるなり、知らない人に話しかけられる。それも一人ではなく、ずっとだ。列車を降りたばかりで、のんびりタバコも吸えやしない・・・。キオスクで、地図はあるかと尋ねたら、あると言って出されたちゃちな地図に、30DHも取られた。しかし、地図が無ければ、ユースホステルにすら、たどり着くことはできないから仕方ない。ラバトの時と同様、人に尋ねながら歩いて探した。でも、「一緒に探してあげる」とか「僕が案内するよ」などと言ってきた奴らは、全員無視した。
こんなことが明日も続くのならば、Fésにはもうあんまりいたくないとさえ思った。やっとの思いでユースホテルにチェックイン。荷物を降ろしてやっと一息ついた。やれやれ・・・続きは明日。

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