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バーチャルトラベル?コミュの2003年1月31日〜2月1日

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1月31日

 ダカール2日目の正午です。前日からの続きは折を見て書き足すことにする。
 昨日から泊まっているクリスチャン専用の宿は、とても快適だった。熱いシャワーもあるし、ちゃんとしたキッチンもあるし、今朝は洗濯もしたし、トイレは水洗だし、おまけに部屋には机と椅子と電気スタンドまであった。室内でタバコを吸うわけにはいかなかったが、それでもアフリカ大陸に入ってから、一番快適に過ごせている。当初SKは宿泊費がタダといっていたが、実際には一泊3000cfaかかるらしい。まあそれにしても安いけど(100円≒500cfa)。昨夜はきちんとした食事をとることができた。白いご飯とマトンと野菜の煮込みだ。食べる間際になってヘレン(管理人)が来たので、一緒に食事をした。食後はシャワーを浴びてから、午前2時近くまで日記をつけることができた。
 今朝は洗濯をしているときに、メイドらしきおばちゃんと少し話をした。プラスまでタクシーでいくらかかるのか聞いてみると、最初は4〜500cfaと言ったのに、あとから来た男性に確認すると、おばちゃんは言い直し、「やっぱりもっとかかるわよ。たぶん1000cfaくらいじゃないかしら。だってあなたの肌は白いから・・・アフリカでは大体何でもそんなものよ」と言った。僕は呆れてしまったがゲラゲラ笑うと、おばちゃんたちも一緒になって笑っていた。出かける前にJICA事務所に電話をかけると、午後4時過ぎにアポが取れた。そして今、銀行の両替所にいる。Swee Kongが金をおろすのに1時間かかった。

‐時間が空いたので昨日の続きを‐

 Nouakchottでの2日目、僕らはまずタクシーに乗って中心地へ向かい、銀行を探した。僕は金を引き出す必要は無かったが、Swee Kongの所持金がほとんど無くなっていたからだ。しかし2つ目に入った銀行で詳しく事情を聞くと(実は1件目でも同じことを言われたのだが)、モーリタニアにはATMが存在しないことがわかった。Swee Kongは愕然としていたが、僕は万が一と思い、有り金を全部モロッコで引き落としておいたので、問題は無かった。この頃から、Swee Kongの軽率さや不注意な点が気になりだした。そして僕らは有り金を両替することにして道を歩いていると、何人かから両替の声がかかり、レートを聞くと、結構良かったのでその男についていった。グランマルシェの中をくねくねと
進み、いざ両替の時になって255UMと言い出した(1$US=270UMと言っていたと思う。今考えるとありえない数字)ので、Swee Kongが怒って両替しないと言い出すと、また違う場所へ連れて行かれた。そこで事件が起こった。Swee Kongの金をひゅっと取ると、「両替するから待ってろ」と言って、その男はその場を離れてしまったのだ。でも何故かSwee Kongはその男をすぐには追わなかったので、「大丈夫か、行かなくて?」と言うと、Swee Kong は急に我に帰ったように、僕に「ここで待っててくれ、男を追ってくるから」といってその場を離れた。20分ほどしてSwee Kongが戻ってきて「あの男は来た?」と僕に聞いてきたが、そんなものは来るはずもない。彼にもそれはわかっていた。Swee Kongはものすごく興奮して英語で僕にまくしたてたが、僕には彼の軽率さのほうが信じられなかった。男が金をひゅっと取ったと言ったが、実際には彼は手にした金を、男のほうに差し出していたのだ。僕はしばらくの間、彼の発言には返答せずに、また歩き出した。マルシェの出口へ向かう途中、1軒のForex Bureauに立ち寄ると、そこには北京語が堪能な男が一人いて、その男に事情を話すと、「道端で両替をしてはいけない」とのこと。あたりまえだ。その後、また別のForexで僕らは両替をし、マルシェを出た。セネガル大使館へ向かう途中、僕は少しだけSwee Kongを諭した。彼は「Today is not my day」と言っていたが、これはついてなかったという意味だろうか。だとしたら、また同じことを繰り返すに違いないと感じた。そしてこのすぐ後、彼は同じような失敗を繰り返した。セネガル大使館の手前にベトナム人が経営するチャイニーズレストランがあり、そこで昼食をとることにした。料理が出てくる前に、Swee Kongは「ちょっとセネガル大使館に行って、場所を確認してくる」と言って出ていってしまった。ほどなくして料理が揃い、彼はまだ帰ってこなかったけれど、料理が冷めてしまってはもったいないと思い、先に食べ始めていると、10分位してから、一人の見知らぬ男と一緒に彼は帰ってきた。彼はとてもフレンドリーにその男と話し(いつものことだ)、飲み物やご飯を勧めていた。僕は呆れて口がきけなかった。そしてその男と店のマダムがフランス語で何事かを話し、しばらくすると、春巻きみたいなものが出てきてその男の前に置かれた。Swee Kongはびっくりした顔で僕を見たが、僕は共感なんてしなかった。ただ単に彼は同じ過ちを繰り返したのだ。食後そのモーリタニア人の男は、一度家に戻って妻を乗せて20分後に帰ってくるからと言って店を出て行った。僕は戻ってこないと思ったが、その男は戻ってきた。しかし、タクシー代よりずっと高価な食事をおごったことに変わりはない。

 Nouakchottでの3日目については、Fufuの店での話しから始める。Philippe、Swee Kong、僕の3人は宿を後にすると、前日にSwee Kongが申請しておいたセネガルビザ収得のために大使館へと向かった。荷物を抱えて大使館で小一時間ほど待っていたところで僕らが呼ばれたので、やっとGetかと思いきや、大使館の中で待たないで、向かいのカフェで待っていろと言われただけだった。なんでも大使はそーとーに忙しいらしく、なかなかサインをする暇が無いらしい。信じられないルーズさだと思ったが、でもここはアフリカ。Time is not moneyの土地だと再確認して、向かいのカフェで待つことにした。向かいの店のマダムFufuはとても親切な人でレバノン人。旦那もこれまた親切でモーリタニア人。僕らは、サンドウィッチは買ったものの、それだけなのに何時間も待たせてもらい、コーヒーをご馳走になった。待っている途中で、近くのcyber caféに行ってみると日本語が読めた。cyber caféから戻ると、僕らに大使館から出て行けと言った秘書らしき女性が、Fufuの店に昼ごはんを食べに来た。彼女は愛想は良くなかったが、僕らの事情を一応聞いてくれて、そして「いつもこんな感じなのよ。だから私にもいつパスポートを返してあげられるかわからないのよ」と教えてくれた。僕らはこの日にセネガルに向かうことをあきらめて、その夜泊まるホテルを探しに出た。そして、結局近所で見つからずに、またFufuの店に戻ると、FufuがSwee Kongのパスポートを持って店の前に立っており、僕らの帰りを待っていた。僕らは諦めてしまっていた中での突然のラッキーに、完全に有頂天になってしまった。パスポートは、秘書の女性がわざわざ持ってきてくれていた。僕らは彼女たちに礼を言い、促されるように、Fufuがつかまえてくれたタクシーに飛び乗り、その場を後にした。・・・そもそもこれが、その夜の悪夢のような出来事の始まりだった。僕らはビザの収得に時間がかかり過ぎ、セネガルへの出発の準備ができていないためもあって、出発を翌日にしようと話していたにもかかわらず、何の算段も無いまま、タクシーでガールルティエールに向かってしまったのだった。ガールルティエールに着くと、すぐに人が群がってきて、「Rossoか?1700UM+バッグ代だ」と口を揃えて僕らに喚き散らしてきた。事前の話では、タクシー満席(6人・運転手除く)で1人1000UMと聞いていたので、冗談じゃないと思っていたが、皆が皆、口を揃えて、運賃+バッグで2000UMだと言うのだ。それでも20分くらい粘って車を決めずにいたら、1人の男が2人で3500UMでいいと言い出した。これには周りの運転手たちがすごく文句を言っていたが、僕は荷物代込みかを確認すると、すぐにそのタクシーに乗った。後で思ったのだが、時間がもっと早くてもっと粘る時間があれば、たぶんもっと安く乗れるのではないかと思った。


2月1日

 今日は表面上は実に穏やかな一日であった。午前中は部屋の掃除をしたり、洗濯をしたりして過ごし、午後はインタネットと散歩をして過ごし、夜は時間をかけて、食事を作って過ごした。どのくらい料理に時間と手間をかけたかというと、ハンバーグのためのパン粉を作り、トマトソースを作り、マッシュポテトを作った。無ければ作る、当たり前のことだ。このままここにいたら、いつか僕はラーメンまで作ってしまうかもしれない。


 Nouakchottのガールルティエールからタクシーに乗った時には、すでに4時近かった。Rossoまで204km。6時に国境が閉まってしまうらしいのだが、どう考えても6時より前には着くとは思えなかった。自分が冷静になっていくと同時にだんだん不安が増してきた。日が暮れた見知らぬ町で、どうやって宿を探そうか真剣に悩んだが、人に尋ねたりするのは危険の元だと知っていたし、かと言って、真っ暗闇の中を地図も無くうろうろするのもとても危険だ。Swee Kongは何も考えていないのか、どうにかはなると思っているのか、いつもと変わらずベラベラとしゃべり続けていた。結局4時間くらいかかってRossoの町に着いた時には、すでに外は真っ暗闇だった。案の定、ターミナルはまさに黒山の人だかりだった。外国人は僕たちだけだったので、あっという間に取り囲まれてしまった。しばらくは何を言われても何を聞かれても、「Non Non!」と言ってかわしていたのだが、そのうちに何故だかは忘れてしまったけれど、一人のノッポの奴に付いていってしまった。しばらく話しながら歩いてついていくと、ここがホテルだと言って、すでに閉まっている表札の無い門をノックしたり開けようとし始めた。だが当然誰も出てこない。代わりに、反対側の門の前に車が到着した。ノッポは車を運転していた白人と何やらアラビア語で話し始め、その後その白人は僕にこう言ったのだった。「これから私は食事をするので、それが終わったらホテルまで送っていく」と。すぐに正しく理解できた自信が無かったので、何度も自分の言葉でその白人と話をし、確認をした。しかしこれも当然だが、いつまで待っても、白人は出てこなかった。そのうちにノッポが1000UMよこせと言い出し始めた。ただこれは事前に予測していたので、きっちり流暢なフランス語で断った。「こんな夜遅くに余分なお金は持っていない。もし今お前に1000UMも渡したら、僕らはホテル代が払えなくなる」と。その直後、ノッポは何を思ったか突然歩き出し、ついて来いといって隣の建物へ歩いていった。全然気付かなかったのだが、そこはとても立派なホテルだった。しかし中へ入って値段を聞くと、ありえない金額だった。確か、8000だか9000UMと言われたのだ。そして、「ここはRossoで一番安全で高級なホテルだ」とフロント係に銜えたばこのまま言われた。フロント係の態度があまりにも横柄で悔しかったので、よっぽど泊まってやろうかとも思ったが、今後のこともあるので諦めて外に出た。その後またついて来いといわれて歩くと、自分の家に来て泊れと言ってきた。しかしそこは、ガソリンスタンドの(つまりガラス張りの)とても小さな控え室だった。とてもじゃないが、そんなところで泊れるはずもない。うっかり眠ってしまったら、荷物を全部持っていかれるに決まっている。しかも、4000UMとかぬかしやがった!あまりのバカさ加減につい笑ってしまって、しかしすぐ後に真顔で「もうホテルには行かない」と言うと、ノッポは500UMよこせと言い出した。僕はこの時すでにやけになっていたので、「絶対に払わない。どうしても金が欲しいのなら、安いホテルについてからだ!しかも3000UMまで」と言ってやった。ノッポはまた「来い」と言って歩き出したので聞くと、「安いホテルに連れて行く。少し歩くけど、タクシーは高いから歩いていこう」と言ってきた。僕達に無駄な金を使わせないために(つまり自分が金を得るために)少しは頭を使ったようだ。そして連れて行かれたところは、おおよそ人が泊れるとは言い難い、工事現場のようなところだった。しかもそこに着くと、その場所の持ち主らしき白人が出てきて、4000UMよこせと言ってきた。Swee Kongも英語で何かベラベラと抗議していたが、英語を解さない彼らには全く相手にされず、僕は僅かなボキャブラリーを搾り出して交渉した。いつになく僕が頑なだったせいか、10分後くらいにはとうとうその白人も折れて、3000UMで良いと言った。金は前払い。ノッポはしぶしぶ500UMを取って去っていった。前述の通り、とてもひどい部屋だったが、水だけだがシャワーとバスタブがあり、トイレは洋式の水洗で、マットレスは3つ、クッションは2つ、そして天井にはファンが付いていた。しかしドアノブは壊れていて、しかも2つのドアに対して1つのノブをいちいち外して共用しなければならなかったし、網戸は破れていて、後から蚊がたくさん入ってきた。トイレは水洗だったがタンクが壊れていて手動で水を溜めなければならなかった。

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