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バーチャルトラベル?コミュの2002年12月29日〜30日

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第2部〜興奮のモロッコ、憂鬱のモロッコ〜

十二月二十九日

ラバトでの初めての朝。僕は昨夜眠る前に、わざとカーテンを閉めないでおいたので、窓から差し込む強い陽射しで目覚めた。マドリード以来のたばこFortunaに火をつけ、窓から顔を出すと、すでにラバトの街は動き始めていた。遠くを眺めると、想像以上の量の車が、アスファルトで鋪装された道路を行き交い、ホテルの真下を見ると、何かの作業車らしき車が、隙間に路上駐車をしているところだった。そしてマドリードではありえなかったが、昨夜遅くに洗って干しておいた洗濯物が、もうすでに乾いていた。
とても清々しい朝だった。僕は無性にコーヒーが飲みたかったが、コーヒーは無い。仕方なく、昨夜買っておいた、アラビア語でラベルが書いてあるペットボトルの水を一口飲み、宿を出る支度にかかった。
僕がホテルを出発する時間には、昨夜一緒にチェックインした彼等はまだ眠っていたらしく、たまたまトイレに起きてきた、まだ寝ぼけまなこのダビッドにだけ別れを告げ、早々に宿を出た。

朝飯に、マクドナルドのビッグマックを食べた後、とりあえず僕はRabat Villeの駅へ戻った。そしてツーリストインフォメーションを探したが、駅にあるインフォメーションカウンターを訪ねると
「ここでは列車の旅のインフォメーションだけ」
と言われ、しかも
「ラバトにはツーリストインフォメーションは無い」
とまで言われ、挙げ句に
「そういう時は、そこの旅行代理店に行け」
とまで言われた。本当にその通りに言われたのか自信も無かったし、くやしかったので、駅の外で、お巡りさんに同じ事をたずねたが、全く同じように言われ、旅行代理店の場所は教えてくれたが、
「今日は日曜日だから開いてない」
と言われた。 モロッコについての情報をほとんど持っていなかったので、本当に困った。せめてラバトの地図だけでも手に入れなければ・・・。
駅までの行きがけに、本屋があった事を思い出し、戻ってみた。一応店内を一通り探してみたが、アラビア語かフランス語の本しか見当たらなかったので、店員に
「ラバトの地図はありますか?」
と聞いてみると、一冊の本を見せてくれた。
「地図は?」
と聞くと、本の裏表紙にはさんであるやつを広げてくれた。ぱっと見ではよくわからなかったが、本屋の店内で、僕のリュックサックがとても邪魔そうだったので、その本を買うことにして、そうそうに店を出た。
近所のカフェでそれを広げてみたが、やはりすぐには理解できそうになかったので、リュックから辞書を引っぱりだし、新しい単語を覚える勉強のつもりで、最初のページからじっくりと読んでいった。しばらく読んでいって、やっと日本大使館の場所をつきとめた。 
通りの名前だけだが。
あとは、ユースホステルの場所を探さないといけない。なかなか見つからなかったが、ようやく住所を発見した。探すのにだいぶかかったが、それには理由があった。僕はその時まで、ユースホステルのことをフランス語でAuberge de jeunesseと言うのを知らなかったのだ。やれやれ。しかし地図を見ても、その場所がわからない。何と、住所表記のアルファベットのミスプリだった。カフェでコーヒー2杯分、時間を費やしたが、とりあえず歩いて向かってみた。
宿へ向かう道すがら、モロッコに来て初めてATMを使ってお金をおろしてみた。アーケードの途中に、囲いも何にもなく並んだ2つのATM。そして何故か片方だけに少しの人の列。つまり片方だけが動いていたので、僕もその列に並んでみた。首から下げた貴重品袋から、キャッシュカードをとりだして機械に差し込むと、まわりの人達にじろじろ見られているようで、少し緊張した。しかし、現金の引き出し自体はとてもスムーズにできた。モロッコはやはり観光立国だ。諸処のサービスは行き届いているのかもしれない。
途中何回か場所を人に尋ね、ようやく僕はオーベルジュドジュネス(youth hostel)に辿り着くことができた。

フランチェスカ登場!
宿にチェックインした後は、やっと落ち着いた気分になり、しばらく書き残していた日記をつけていたが、四時を過ぎた頃、何となくMedinaへ買い物にでも出ようとしたところ彼女に呼び止められた。簡単な挨拶の後に、一緒に外出して良いかと聞かれ、断る理由もなく、一緒に出かけることにした。
フランチェスカはイタリア人で、二十二歳。Piacenza在住で、通訳の会社に勤めているらしい。今回のモロッコ旅行は一人旅で、Marrakeshにいる友達に会いに行くのだと言っていた。
「メディナへ何を買いに行くの?」
と彼女に聞かれ、僕は、
「トイレットペーパー」
とだけ言うと、彼女はとてもおかしそうに笑い、それでも僕が、宿のトイレにトイレットペーパーが無いことを教えると、今度は少し呆れた様子で
「じゃあ私も買わなきゃ」
と笑っていた。

まず僕達は、メディナの入口にある雑貨屋でトイレットペーパーを買い、その後は彼女に連れられて、メディナの奥へと進んでいった。彼女はイタリア語のモロッコガイドブックをもっていたので、進みたい方角は彼女の好きに任せたのだ。
メディナとは、市場のような所で、あらゆる生活雑貨、食品、スパイスなどや、服、おもちゃ等を売る店が並び、それと同じ多さでモロッコ特有の茶器やアラビア楽器など土産物を扱う店と、食堂が軒を連ねていた。食堂はだいたい、自家製ソーセージやブロシェットをはさんであるサンドウィッチかTajine(モロッコの代表的な煮物料理)かハリラスープを専門に出す店か、それらを全てに加えて、クスクスも提供してくれるレストランがある。そんな店が立ち並ぶ細い路地を、ひしめき合うように人々が行き交う。中には、明らかに盗品ばかりをござの上に並べて売っている奴らが集まる場所などもあった。ちなみにメディナの中で、僕は酒を売っている店を一軒しか見つけることができなかった。
僕らはそんな大混雑のメディナの中を、スリのことと、はぐれないようにすることを注意しながら進んでいった。一件一件ではなかったけれど、時折立ち止まり、店の中をのぞいた。
フランチェスカはフランス語が(いや、フランス語も)堪能だったので、全ての僕の質問を、僕の代わりにお店の人に聞いてくれ、それをちゃんと英語で説明してくれた。
メディナの雑踏を抜けると、交通量の多い通りをはさんで、カスバ(qasbah)の前へ出た。カスバとは、小高い丘に城壁のような高い壁がそびえ囲ってあり、その中には住居が密集している地域である。フランチェスカは、そのカスバの地域に隣接している、古い作りの庭園を訪れたかったらしい。信号の無い、大きな通りを横切り、その庭園の入口の前に行ってみると、すでに目当ての庭園は閉園しているようだった。あまりにゆっくりと、メディナの中を見て回ってしまったようだ。彼女は残念そうだったが、また僕をうながし、カスバの入口の方へと連れていく。緩い坂道の両脇には、右に花壇、左側には芝生が整えてあり、そして沢山のhennaを書くおばちゃんたちがたむろしていた。彼女は一人のおばちゃんの前で立ち止まり、二言三言話した後、両方の肘から指先までにかけて、ヘナを書いてもらい始めた。草から得られる染料のようなもので、独特の草模様を両腕一杯に書いてもらっていた。彼女の真っ白な細い腕に、ヘナ独特の草色で、細かい模様を書き終えるのに十分位はかかったと思う。最後の線が爪元まできて、彼女の手から、おばちゃんの絞り出すヘナが離れると、今度は僕にもhennaを試してみてと勧められてしまった。僕は何となく恥ずかしい気がして、それでもうまく断ることができず、右手の甲だけ書いてもらうことにした。ヘナを書いてもらっている最中に、フランチェスカは僕に言う。
「本当はヘナは女の子がするファッションのひとつなのよ」
そんなこと途中で言われたって、ただ苦笑いするしか無かった。
ヘナを書いてもらった後は、カスバの門の中へ入っていった。緩やかな坂道を並んで歩きながら、乾いてきてポロポロとはがれていくヘナの塗料を払いながら、お互いの手に書かれた、オレンジ色の模様を見せあった。何度か角を折れてしばらく進むと、広く開けた場所に出た。カスバの丘の一番高いところにあるその広場には、カップルがたくさんいて、皆、大西洋に臨む石垣に腰掛けたりして、寄り添ったり、語り合ったりしていた。僕らもその石垣まで行き、目の前で真っ赤に染まり、夕陽を溶かしていく大西洋を眺めた。
しばらくは、海を眺めながらぽつりぽつりと話していたが、そのうち、他愛も無い会話も途切れ、ふとフランチェスカの方を向くと彼女の小さい顔がまっすぐ僕の方を向いていた。急に訪れた、初めて味わうヨーロッパ映画のワンシーンみたいにロマンティックな雰囲気に、僕は押しつぶされそうだった。そして、気付かぬうちに、僕らの距離は十センチしかなくなっていた。僕は頭の中が真っ白になって固まってしまっていると、フランチェスカは目線を外さずに囁く。
「なに?コウジ」
ちょっと前に話していた会話の続きなわけがない。僕は愛の言葉を返せば良いことは感じていた。しかし、こんな時に限って全く言葉が浮かんでこない。フランチェスカの、あまりに整った顔を間近で見ていると、日本語ですらどこかに飛ばされてしまった。いっそ何も言わないで、抱き寄せてもいいような気もしたが、それでも何か言わなきゃ何か言わなきゃと、そればかりが頭の中を駆け巡った。そして度胸の無い僕は、何も言うことができないまま緊張の時間をやり過ごし、結局やっと出てきた言葉がこれだ。
「涼しくなってきたね。何か食べに行かない?」
すっかり日が沈んだ海の方へ、やっと視線を外して、フランチェスカは「そうね」と言い、それからすっと、来た道をのほうへ歩き出した。2、3歩遅れて僕も歩き出し、そして今頃になって、やはり僕の勘違いなどでは無く、愛を囁くタイミングだったのだと確信して、本当にがっかりした。
僕らは再びメディナの中へ戻り、ガイドブックが勧めていたレストランに入り、クスクスのチキンのせとコーラの夕食を取った。チュニジアを旅行したことのある友人が言っていた通り、一皿のクスクスの量は半端では無く、とても一人で食べきれるものではなかった。味は、珍しいから許せるかな?という程度だった。トマトベースのスープが、てんこ盛りのクスクスにかけられていたわけだが、なにせクスクスが多すぎて、食べても食べてもスープの味は感じられることは無く、おまけに、だんだんクスクス自体がスープを吸収しているようで、これまた食べても食べても減らないような錯覚がしたくらいだった。
「クスクスは私の大好物なの」
と言っていたフランチェスカもさすがに食べあぐねているようで、華奢な体なりに、チキンだけきれいに食べて、皿のほとんどを残した。僕らは苦笑いしあったが、僕にとってはそんなことくらいどうということはなかった。なにせ夕食を共にしているのが、こんなに可愛い女の子だったのだから・・・。
食後はミントティーを飲みながら、またいろいろな話をした。僕らは一緒にいる間、かなりいろいろな話をしたが、僕の英語が(もちろんフランス語も)あまりにもひどく、僕は途中から軽く自己嫌悪に陥っていたが、フランチェスカもまた、辛抱強く、僕が話し始めるのを待ってくれた。まあ今夜の話題は、ボランティアや旅の目的やイタリアと日本の日常生活の違い、価値観についてなどだった。僕の語学力では、いささか無理な話題だったと思う。しかし、それでも楽しいことに変わりはなかった。
思いがけず楽しい一日。

さっき、皆がベッドに行ってしまってから、僕が一人で中庭のテーブルでこの日記をつけていると、シャワーを浴びてきたフランチェスカが僕の側へやってきた。
「今日はありがとう。楽しかったわ」
彼女はそう言って、僕の肩にそっと手をおいた。
「僕も君のおかげで楽しい一日だったよ。ありがとう」
僕はたどたどしくそう言ったが、やはり、もっと気が利いた言葉をかけるべきだっただろうか。「おやすみ」と言って、彼女は部屋へと入っていったが、これで彼女と会うことが無くなってしまうとしたら、僕は後で、本当に後悔するに違いない。やれやれ・・・。

十二月三十日

今朝は珍しく寝坊をした。時計を見ると、九時十五分だった。本当は朝早く起きて、フランチェスカを見送るつもりだったが、できなかった。
とりあえずベッドから起きて部屋を出ると、この宿で働いている女の子、アイシャが手招きするので、朝の挨拶をしつつ、しばしそこで会話。彼女は二十四歳で、今は学生だそうで、将来教師になるための学校に行っているらしく、教育実習なのだろうか、十三〜四歳くらいの子供達に、フランス語とアラビア語を教えているらしい。僕も、聞かれたことだけだが、少し身の上話しをした。
その後、僕は日本大使館に電話をかけてみようと思い、宿から出た。道端に公衆電話などは全く見つからなかったが、駅の中にあったことを思い出し、向かってみた。しかし、Rabat Ville駅にある公衆電話8台中、6台までもが故障しており、残りの2台にはそれぞれ行列ができていた。距離のわからない日本大使館へ直接向かう前に、せめて開いているかどうかだけでも確かめたかったが、僕は諦めて直接歩いて行ってみることにした。
昨日買った地図を何度も確認しながら、どんどん歩いて行った。距離がわからなかったし、道すがらほとんど人ともすれ違わなかったので、とても不安だったが、途中からタクシーに乗る気には到底なれなかった。地図上のポイントとなる建物を確認しながら進んで行ったのだが、この地図がまた微妙だが間違っているので、やっとの思いで大使館のある通りまで出てから、2度ほどお巡りさんに場所を確認して、結局、駅を出てから一時間かかって、僕は日本大使館に辿り着いた。
大使館では、門が閉まっていたので、少し辺りを見回すと、門の脇に掲示板があった。それを見ると、どうやら閉館時間のようだった。次に、門番らしき人がガラス張りの小屋にいたので、たずねてみると、三十日(つまり今日)から一月五日まで正月休みだと教えてくれた。
「最初の月曜日まで閉まっているよ」
と言われ、「えっ!月曜日?」と叫んでしまったので、警備員のおじさんは、わざわざスケジュール表を出してきて、僕に見せてくれた。つまり新年開けて六日の月曜日に年始の業務が始まるらしい。
「何か問題でも?」
と、おじさんは心配げに聞いてくれたが、
「いいえ、ちょっと聞きたいことがあっただけですから」
と、僕が言うと、おじさんは安心したようだった。やれやれ、正月休みか・・・マドリードに続き、またここでも足留めを食らってしまった。
仕方なく、僕は来た道を引き返した。少し歩いた所で振り返ると信号待ちをしている車の先頭のタクシーが、パッシングをしてきたので、試しに乗ってみることにした。
「メディナまで行きたいのですが、いくらかかりますか?」
と運転手に尋ねると、メーターを指して教えてくれた。初乗り1・4DH。往路で一時間かけて歩いた道のりは、タクシーでわずか十五分しかかからなかった。近くまで来てから「このあたりで降りたい」
と僕が言うと、運転手は
「メディナは左側だからそっちにつけてやる」
みたいなことを言う。少し進んだが、メディナの入口付近はとても渋滞していた。
「もう、ここでいいよ」
と言って車を止めてもらい、料金を少し余計に払ってあげたら、
「メディナで昼飯だろ。Bon appetit!」
なんて言って笑っていた。
通りを渡ってメディナの中へ入り、腹も減っていたけど、喉も乾いていたので、一番最初に目についたレストランに入った。
店内に入って適当な席につくと、すぐにメニューが置かれた。フランス語とアラビア語で書かれたそのメニューは、僕にはほとんど理解できなかった。メニューを持ってきてくれた男の子も、フランス語は話せないようだった。それでも僕はじっくりとメニューを見て、〜viande、〜poulet、〜poisson、と書かれた内のviandeつまり牛肉の料理と、コーラを注文した。
待つこと五分。出てきた料理は、骨付き牛肉の野菜煮込みだった。土鍋のような器が運ばれて、円錐形の蓋が開けられると、湯気と共に野菜の甘い匂いがホワっと広がった。器の中にはオリーブオイルがたっぷりと入っており、良く煮込んであることが一目でわかった。料理と一緒に出てきた、丸いアラビアパンをちぎって、そのソースをつけて口に入れると、肉と野菜の旨味とスパイスの香りが口一杯に広がった。
うまい!。
続けて、フォークとナイフを使って肉を切り、ソースをよく絡ませて食べてみた。
本当にうまい!。
昨夜フランチェスカと食べたクスクスよりもずっとずっとうまかった。僕は物も言わずに、ガツガツとその料理を食べていった。犬が餌を食べた後のお皿みたいに、ソースの最後の一滴までパンにつけて、きれいに食べ終えた。これでしめて25DH。
安い!。
大満足で店を出た。

その後、一度宿へ戻り、夕べ遅くなってしまったため浴びることができなかった、シャワーを浴びることにした。シャワーと言っても、この宿には水シャワーしか無かった。アフリカと言っても今は真冬だ。日中陽射しを受ければ汗をかくほどだが、それ以外の、つまり日陰や建物の中といった場所では、日本と同じ冬とは言わないまでも、かなり涼しい。夜にいたっては、寝袋にくるまり、その上に毛布をかぶって寝て丁度良いくらいなのだ。水しか出ないシャワーと知って、怯むのは当たり前だと思うが、そんなことも一瞬でおかまいなしに、意を決して裸になり、シャワー個室のドアを閉め、コックをひねった。
業かと思った。
あまりに冷たくて、一人でハウハウと声をあげてしまった。それでも、体中にボディーソープを塗りたくり、一通りからだをさすって、そして体を流した。シャワーの水を止めた後、心拍数がやけに高かいのがわかった。今度はいつ浴びようか迷うほど寒かった。でも、少しはさっぱりとした気持ちになることができ、取り直してまた外へ出かけた。

メディナの中には入らずに、駅に向かう道をぶらぶらと散歩し、露店で絵葉書を4枚買った。そしそのまま、昨日も行ったカフェで手紙を書くことにした。オープンテラスのこのカフェは、夕方だからなのか、とても混んでいたが、昨日と同じ席が開いていたので、そこに座り、cafe express(エスプレッソコーヒー)を注文した。葉書は、両親と友達に宛てて書いた。
のんびりコーヒーを啜りながら書いていると、カフェの入口あたりで、カメラマンを背に女性が客にインタビューをしているらしいのが見えた。やばいな、こっちに来たら嫌だなあと思っていると、案の定つかつかと寄ってきてインタビュアーの女性が僕にマイクを向けてきた。最初、無視してやり過ごそうと思ったのに、インタビュアーの女はたたみかけてきた。女の話すフランス語が、僕にはちょっと速すぎて、良く聞き取れなかったが、「どこから来たの?」と「なぜモロッコに来ているの?」と「旅行なの?」はわかったので答えたが、途中何度も僕が「ゴメン」とか「わからないから・・・」と言っているにもかかわらず、バカ女性インタビュアーは容赦が無かった。そのテレビインタビューを受けている間、まわりの人達の視線が僕に集中しているのがわかった。何しろスペイン人でも無くフランス人でも無く、ましてやモロッコ人でも無い人は、僕一人しかいなかったからだ。
最後に、テレビカメラに向かって何事か言い、女性インタビュアーは去っていったが、僕は本当にはずかしかった。顔を上げるのも、何か嫌な気がして、そのあと僕は一気に葉書を書き終え、カフェを出た。
そのままその足で郵便局へ行き、切手を買った。一枚6・5DH。東京からアイルランドへ送るのと変わらないなと思った。
宿に戻ってから、日記をつけようとソファに座ったが、アイシャが寄ってきたのでおしゃべりをした。彼女の英語は、たぶん僕よりも語彙は多そうだが、発音が聞き取り辛かった。フランス語にしてもそうだった。アイシャだけではないが、モロッコ人のフランス語は、僕が日本で勉強した時ほど「R」の発音が息を抜かない。むしろ巻舌だ。でも、当たり前だが速い。聞き取るのはまだ無理だ。フランチェスカのフランス語は、とてもきれいだった。できることなら、このままずっと習い続けたいくらいだった。
しばしアイシャとおしゃべりした後、晩飯を食べに出た。わざと昼と同じ店に行って、今度は同じ料理(Tajine)のチキンの物を注文してみた。やはり円錐形の蓋の皿にのって、半羽のチキンの煮込みが出てきたが、僕はチキンの方が、よりこの料理には合っていると思った。とてもこの店が気に入ったので、明日も明後日も行って片っ端から食ってやろうと思った。宿に帰ってから、そのことをアイシャに言うと、
「じゃあ明日は魚でしょ?」
と言われた。その通りだった。
昼間、ちょっとした経緯で、アイシャのことを綺麗だと言った。つまり、僕の隣にくっついて座ってきたので、「君は綺麗だけどはずかしいから・・・」と言って少し席を離れたら、「なんで?」と言われ、その後少し弁解じみたことを言ったのだった。しかし、何故か気を良くしたらしく、今も僕のすぐ隣に座っている。
このまま彼女を口説くのは簡単そうだが、ここはイスラムの国、気をつけなければいけない。下手に口説いて結婚なんてことに追い込まれたら大変だ。酔っていないのが幸いだった。
しかしおかしなものだ。モロッコの男達は、観光でやってくる外国の女性を口説いては、もてあそぶか、あわよくば結婚しようとしているらしいのだが、僕が気がつかないだけかもしれないけれど、女性の方は全くそんなことはない。イスラム教においても、男性より敬虔な印象を受ける。実際、このアイシャにしても、二十四歳にして、いまだタバコも酒もセックスも経験がないと言っていた。そして、結婚したら、名前は知らないが、あの独特な布を頭からかぶり、絶対に離婚はしないと言っていた。
僕の左側にはスイス人3人組がいる。このホステル自体が空いているせいもあるが、バルビエリとの差をはっきりと感じ、今とても退屈だ。この分だと、この年末年始で、物凄い量の文字を書いてしまいそうだ。

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