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国鉄コミュの国鉄分割民営化の悲しい現実

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私が津田沼に住んでいた時に、国鉄分割民営化前の悲しい現実がありました。
近くに津田沼電車区があったのと、もう1つは幕張電車区がありました。
田中邦衛さん主演のテレビドラマ北の国からが始まった時は昭和55年秋のダイヤ改正の時である。
国鉄分割民営化の前に退職して田中邦衛さんを演じる黒板五郎のように、郷里へ帰る職員のお父さんもいました。

コメント(118)

国鉄といえば有名なのがスト権ストによるストライキで、ストライキが問題視されたのは国鉄の場合は身分が国家公務員の為に、労働三法で禁止されているのに行った所に問題があるといえます。
小泉政権の規制緩和によって公営交通であるバス事業から撤退したのが札幌市交通局で、嘱託乗務員の失業問題を見ると、国鉄分割民営化で国労の組合員を新会社であるJRが採用拒否した時と全く一緒である。
国鉄分割民営化のもう1つの目的は赤字ローカル線の廃線を簡単にする目的があったといえます。
現実に国鉄分割民営化したら、赤字ローカル線もそうだけどもう1つは新幹線建設によって並行在来線が切り捨てられていくような現実がありました。
国鉄分割民営化によって、津田沼電車区の近くにある谷津6丁目のアパートはJR東海の持ち物となり、JR東日本関係に所属している同級生たちは、私が高校を卒業した時ですが、谷津6丁目のアパートから追い出されてしまうという、厳しい現実を間の当たりにしました。
国鉄の85年3月のダイヤ改正は、ほぼ分割民営化の原因の色が明るみに出た改正でもあるといえる。
東北・上越新幹線の上野開業によって、余剰となった185系電車が新特急なすの・あかぎ・草津・谷川の急行列車群の格上げに充当された。
常磐線のオール特急化は、九州で余剰になった車両の捻出により、急行ときわ・十和田の廃止である。
その他に昼の特急列車からの食堂車廃止である。
このダイヤ改正で国鉄分割民営化に至った原因は、新幹線を含めた、昼行列車のスピードアップによる莫大な線路改良への投資、我田引鉄による地方交通線の建設やそれに伴う維持費用による赤字問題があげられるといえる。
14系寝台車を20系使用の急行銀河に転用する為に、急行きたぐにの583系化(特急雷鳥の定期運用廃止)、急行妙高・津軽の寝台車の連結を中止していることや、全車寝台車の急行天の川(20系使用)、全車座席車の急行十和田・きそを廃止している。
その他にも、山陰本線の鈍行山陰の廃止の結果として、寝台普通列車が国鉄から姿を消している。

国鉄は宇高連絡船、青函連絡船があったから当然だけど、当然だけど多くの船乗りが国鉄に必要でした。
分割民営化によって、宇高連絡船は四国、青函連絡船は北海道に帰属しました。
だけど国鉄分割民営化の僅か1年後にこれら連絡船は使命を終えて、航路がなくなるわけだから、当然だけど、船乗り達は失業してしまいます。 
これが青函トンネル、瀬戸大橋開業の負の部分です。
夜行急行列車に多かったのは、新聞や小荷物などの荷物輸送の他に、郵便や小包などの郵便輸送です。これが夜行列車にとっての収入源にもなっていました。
これが国鉄分割民営化で、基本旅客輸送しかできなくなったのも、夜行列車にとって負の部分であるといえます。
国鉄の分割民営化前の最大の事故といえば、昭和57年のダイヤ改正前に名古屋駅構内で起きた、特急紀伊号の機関車の衝突事故です。
紀伊号は出雲3・2号と、東京〜名古屋間を併結運転して、出雲3・2号を名古屋で切り離して、そこで特急紀伊号の電気機関車を切り離して、ディーゼル機関車に付け替える作業をする為に、下りは名古屋駅での運転停車、上りは名古屋駅で新幹線に乗り遅れた乗客救済の関係から客扱い停車でした。
この事故の原因は、機関士が仮眠中に飲酒していたことに加えて、居眠り(韓国によくある事故)運転だから、最悪だといえます。
とにかく国鉄の職場が荒れていたのは、歴然たる事実だといわざるを得ないです。
この事故で14系寝台車の一部が廃車になりました。
国鉄分割民営化によって、急速に姿を消していったのが、夜行列車を含む在来線の長距離優等列車であるのは、紛れもない事実だといえます。
その他に会社間を跨ぐような、在来線普通列車だといえます。
JRになってからの1993年3月改正では、夜行列車は急行まりも・能登・かいもん・日南といった寝台列車が姿を消すと同時に、急行妙高の廃止がありました。
もう1つは私が津田沼に住んでいた時代の小学校〜中学校で一緒だったりして、よく色んな付き合いのあった国鉄の奴と疎遠になり始めたのも、この時期だといえます。
国鉄の赤字の原因は、皮肉なことに、世界初の高速鉄道システムである、東海道新幹線が開業した昭和39年度からですが、東海道新幹線を開業する為には莫大な建設費が掛かったことが原因です。
新幹線開業前は、東京〜名古屋でも特急列車で4時間11分掛かっていたことから、東京からの東海道本線の夜行列車が10分間隔で運行していました。
中には北陸方面に行く、初代急行能登が米原経由金沢行きで運行されていて、上越線経由の北陸が富山・石川県がメインターゲットなら、東海道本線経由の能登は福井県がメインターゲットでした。
昭和51年の国鉄史上最悪の5割値上げは、寝台特急と航空運賃の格差が縮小されたのは、有名な話ですが、航空機と対抗出来る限度ラインは新幹線を含む昼行優等列車では、4時間のラインです。
その為に、東北・上越新幹線や伯備線辺りは政治家の力をバックにして高速鉄道システムや電化開業によって振り子電車を導入したのは、有名な話です。
東北・上越新幹線は鈴木善幸、田中角栄。
伯備線の電化開業は竹下登が関わってました。
昭和51年の史上最悪の値上げは、70年代以降の生まれ(団塊ジュニア世代辺り)が物心ついた時はすでに高かった。
さらに昭和57年の急行列車の大削減は76年以降の生まれ(ブルセラ世代辺り)が物心ついた時は、急行列車自体からしてない。
一番の追い打ちは、国鉄分割民営化で80年代生まれ(規制緩和世代辺り)が物心ついた時は、すでに国鉄はなかった。
これが世代毎のターニングポイントだといえます。
国鉄分割民営化のもう1つの目的は、国鉄職員の合法的な解雇であるといえます。
国鉄のこのやり方は、私がいたホテルオークラの下請け会社である東洋空調(当時の加藤所長)が別の会社を作って、そういうやり方で東洋空調を解散させたやり方とそっくりです。
国鉄が分割民営化となった結果、荷物・郵便輸送がトラックに置き換えられて姿を消したのと、食堂車はエキナカビジネスに置き換えられて姿を消したのと、寝台列車はホテルなどの宿泊ビジネスに置き換えられて、姿を消したといえます。
国鉄のもう1つの悲劇は、民業圧迫に加えて、国鉄職員の身分保障の問題から副業を禁止されていたという、厳しい現実がありました。
だから、国鉄は本業の鉄道、自動車(バス)、船舶の他に、それに関連するものとして、車両、施設管理、保線、電気、ボイラーを炊くような作業しか出来なかったといえます。
その他に、国鉄は郵便輸送、新聞輸送、荷物輸送を請負っていました。

国鉄分割民営化前の組織は、各地に鉄道管理局があり、所属している管理局が違えば、別会社みたいな所がありました。
国鉄が分割民営化に際して、発売されたのが国鉄謝恩フリーきっぷ(当日限り有効)でしたが、東船橋の近くで、私が歩いている際に、俺の1学年下のイタケン(親父が国鉄)に会ったら、謝恩フリーきっぷを買いに行くといっていて、私に対して威張っていたけど、私自身は、その時は、中学校を卒業して、その次に待つのが厳しい高校生活なわけだから、そんなことに興味すらなかった。
イタケンが如何に舐めた態度だったのかみれば、解るように、これが国鉄であり、千葉の実態だったことや、団塊ジュニア世代の現実だといえます。
自分たちの世代の時に起きたのが、東京都中野区立富士見中学校いじめ事件があったことでも解る位です。
国鉄は、確かに舐めた態度の職員が余りにも多かったのは事実ですが、それでも全国ネットを維持してきたのは事実だといえます。
特に時間がかかる夜行列車は東京駅から九州・四国・中国・近畿地方といった西日本方面。
上野駅から北信越・東北地方・北海道連絡をメインにして活躍してきたといえます。
だけど新幹線開業や国鉄分割民営化による利益配分や長距離によるダイヤの乱れから、急速に姿を消したのも又事実であるといえます。
国鉄が全盛期だったもう1つの一面は、地方から都会である東京・大阪へ出稼ぎや集団就職が多かったことに加えて、もう1つは地方の高校生が都会の大学などへ進学する人が多かったからだといえます。
新幹線建設は、列島改造論を掲げた中央工学校の校長で当時の政治家である田中角栄によって、新幹線建設を推進を強引に推し進めてしまったことに、国鉄の悲劇があるといえます。
新幹線は、人口の多い都市でないと成り立たないともいえます。
東海道・山陽新幹線で人口の多い都市をあげると以下の通りです。
東京・横浜・名古屋・京都・大阪・神戸・広島・福岡です。
だから成り立っているともいえます。
その上、山陽新幹線は元々からして東海道新幹線の延伸みたいな所があったからです。
幹線の売上は元々からして、優等列車(特急・急行)の料金収入で成り立っていたからです。
国鉄分割民営化の影響は、会社間を跨ぐ直通列車が姿を消したことがあげられるといえます。
長距離列車は、何かあったりするとダイヤが乱れてしまうから、その影響で他の線区にも波及しやすいからです。
そのことが一因となり、夜行列車を含む、多くの長距離優等列車が姿を消して行きました。
国鉄分割民営化の原因になったことは、莫大な線路改良への投資と鉄建公団が作り続けたローカル線の維持管理でもあるといえます。
特に豪雪地帯を走る東北・上越新幹線は、融雪用のスプリンクラーを設備したりするなどの施設面でも莫大なお金が掛かりました。
その他に、青函トンネルや瀬戸大橋は、やはり土木工事でも相当のお金が掛かりました。
国鉄の分割民営化によって姿を急速に消していった夜行列車(特に寝台列車)ですが、その原因は国労・動労の反対で合理化が進まなかったことにもあるといえます。
夜行列車の多くは機関車牽引の客車列車であり、蒸気機関車(SL)時代からの名残で、機関士(機関車を運転する人、船でいえば航海士)、機関助士(ボイラーを焚いたり、圧力計とにらめっこしながら水を焚べる人)の二人乗務でした。
私自身、似たような仕事の職場にいたから国労・動労の反対する気持ちはよく解ります。
余談ですが、帝都高速度交通営団の筆頭株主は国で2番目は東京都という特殊な会社でした。
東京都交通局に地下鉄への参入を認めた経緯は、東京の地下鉄建設や整備の促進といった意味合いが大きかったともいえます。
昭和時代に出来た地下鉄をあげると、東京は銀座線、丸ノ内線、日比谷線、東西線、千代田線、有楽町線、半蔵門線、都営浅草線、都営三田線、都営新宿線なのに対して、大阪は市営地下鉄で御堂筋線、谷町線、四つ橋線、中央線、千日前線、堺筋線といった所でも解る位です。
>>[108] 、民間資本排除がされた営団。都の独自建設の名目は促進だが営団の建設が遅かったとは言えない。株数増やして負担増すれば借入れずに済む。理由は別のところにあるね。
少し話題からそれますが、都営バスでは、運行時間帯や営業所の立地条件の関係からメインの通勤沿線などが決まっていました。
品川自動車営業所=京急線。
目黒自動車営業所=中央・西武新宿線。
渋谷自動車営業所=小田急・東急線。
新宿自動車営業所=京王・小田急線。
杉並自動車営業所=中央線。
小滝橋自動車営業所=西武新宿・東武東上線。
早稲田自動車営業所=有楽町線。
練馬自動車営業所=西武池袋線。
大塚自動車営業所=東武東上・西武池袋線。
志村自動車営業所=板橋区、戸田市。
北自動車営業所=東北・赤羽線(現埼京線)。
巣鴨自動車営業所=京浜東北・千代田線。
千住自動車営業所=東武伊勢崎線。
南千住自動車営業所=常磐・京成線。
江東自動車営業所=総武線。
江戸川自動車営業所=江戸川区、浦安・行徳。
葛西自動車営業所=船橋界隈。
深川自動車営業所=東西線。
八王子は新宿の支所、青梅は杉並の支所、青戸は南千住の支所、今井は江戸川の支所です。
>>[110] これは恐らくドラマだけの世界で現実には同じ会社の中で転職するか、もしくは再就職せざるを得ないのが現実です。
国鉄そのものからして、典型的な男性社会だったことは否定もしようがない事実だったことは、間違いないともいえます。
国鉄自体からして労働組合が強いことから、管理者に対する吊し上げや他の組合に属している人に対する吊し上げは盛んに行われるほど、荒れた野郎たちの集団だったといえます。
国鉄が分割民営化してから、津田沼の社宅にいた殆どの人が国鉄を退職したらやはり別の土地へ引っ越しをせざるを得ませんでした。
津田沼で目の前にあったのが国鉄、京成電鉄、新京成電鉄というのは疑いようがない事実だからです。総武線が黒字だったもう1つの背景には、並行する京成電鉄の方が走行ルートからして条件が悪かったこともあげられます。
浅草橋駅での中核派による焼き討ち事件があったのは皮肉なことに、千葉鉄道管理局管内であるのと、もう1つそこで有名な組合が千葉動労です。
国鉄時代からの黒字線区は僅か7線のみで、山手線・新幹線・大阪環状線・高崎線・総武本線・根岸線・横浜線でした。
黒字の要因は、山手線は東京の私鉄のターミナル駅を上手く繋いで環状している。
新幹線は東京・横浜・名古屋・京都・大阪・神戸・広島・福岡の大都市を上手く繋いでいる上に、当然だけど客単価が高い。
大阪環状線は大阪での客の回転が良い。
高崎線は優等列車の通過量(長野・新潟方面)が多い上に、埼玉県から東京への普通列車の利用が多い。
総武本線は周辺の京成線や東西線よりも都心へ行く条件が良いことで解る位である。
都営バスの営業所で近いのをあげると、京成線は南千住、総武線は江東、東西線は葛西である。
根岸線は横浜市を完結している。
横浜線は丁度東京のベッドタウン(30キロ圏内)を上手く繋いでいる。
岸田首相退陣のニュースで思い出しましたが、労働組合のもう1つの悲劇は国労・動労を支援していたのが日本社会党や日本共産党などなどに対して、鉄労を支援していたのが民社党などだったことにあるといえます。
東京都の都電廃止によるバスへの代替や郊外民営バスとの相互乗入れ線撤退は、革新系(日本社会党)の美濃部都知事の時でした。
80年には国鉄は赤字1兆円を出したことは有名で、その結果としてローカル線の建設中止法案が出されて特定地方交通線の廃線対象が赤字額や輸送密度などを中心に割り出されて行きました。
赤字ローカル線が北海道・九州に集中していたのは、元々からして炭鉱を運ぶ為に線路を敷いた鉄道だからだといえます。

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