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国鉄コミュの国鉄時代の周遊券

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国鉄時代はワイド周遊券やミニ周遊券やニューワイド周遊券や普通周遊券何てのもありました。
かなりお得なチケットだったと思います。

コメント(59)

>>[019]
93年3月で 北海道では急行まりもが特急おおぞら13・14号へ格上げ編入に加えて、九州では急行かいもん・日南を特急ドリームつばめ・特急ドリームにちりんに格上げ。客車急行の能登の電車化による急行妙高への戦力外通告がありました。93年12月には、寝台特急出羽の鳥海への統合や寝台特急ゆうづるのはくつるへの変更もありましたが、周遊券利用客への影響が大きい急行八甲田・津軽への戦力外通告がありました。
>>[013]
ミニ周遊券の件で思い出しましたが、それがなくなった為に客車急行だいせん=大阪〜出雲市の客が激減してしまった例もあります。
周遊券は元々からして、農耕民族である日本人の農閑期の物見遊山の便宜を図って、国鉄が販売した割引乗車券です。
一般が2割引きで、学生割引が3割引です。
他の交通機関が基本1割引です。

均一周遊券=ワイド周遊券は、目的地の物見遊山で国鉄を使うことを前提にして往復と急行自由席がサービスにした周遊券です。

ニューワイド周遊券は、基本的に北海道、四国、九州を航空機等とタイアップした周遊券です。
ワイド周遊券は急行自由席乗り放題で、周遊券区間は特急自由席乗り放題というのがありましたが周遊券で特急を乗ると、露骨に嫌な顔をするのがJR北海道でした。
昭和43年の時刻表の復刻版を買って読んだら見たら国鉄運賃にも1等運賃と2等運賃があり周遊券にもそのような制度がありました。
その当時は急行列車がメインで日本の隅々まで走っていました。
>>[25]

「グリーン車」化後もガラスに残っていた「1等」表示。
 「あまぎ」。
昭和63年の時刻表を見ると周遊券で移動するのに便利な夜行急行は北海道地区ははまなす、まりも、大雪、利尻。
東北地区は八甲田、津軽。
信州地区はアルプス、妙高、ちくま。
北陸地区は能登、きたぐに。
北近畿・山陰地区はだいせん。
九州地区はかいもん・日南。
の僅か14種類です。
高山本線の高山だとジェーアールになってから名古屋方面に行くより富山方面に行く方が不便になった。
急行妙高の戦力外通告はこの影響も関係しているなと思いました。
さらに国鉄時代からの周遊券で使いにくくなったのは赤字路線の切り捨てで第三セクターを利用すると料金も割高になるのは、88年の3月の時刻表から計算してわかりました。
それと急行列車が全盛期だった昭和43年の時刻表を見ると普通周遊券は全部1割引で均一周遊券は学割が1割五分引きでした。
その当時の均一周遊券は北海道・東北・北陸・北近畿・南近畿・山陰・四国・九州エリアのみだけで往復は国鉄サイドによる経路指定で急行列車の自由席に限り乗り放題でした。
昭和53年の時刻表で見るとやはり運賃は1割引で均一周遊券の種類も増えていきました。
それともう1つはミニ周遊券やルート周遊券というのも発売されていて自由周遊区間でも急行列車乗り放題でした。
いくら国鉄が運賃・料金を50%値上げしてもまだ安かった時代だといえます。
ワイド・ミニ周遊券は急行列車の自由席が往復と自由周遊区間は乗り放題は言うまでも無いのですが、急行列車の寝台車なら昭和53年の時点だと急行料金+寝台料金で¥4300でした。
感覚としては特急料金+宿泊料金がセットだと思えば安いといえます。
こういった移動手段も逆に有りだといえた時代だといえました。
もう1つ山陽本線夜行急行列車が昭和49年度〜昭和51年の時に14系座席車とする代わりに全車指定席にするといった措置をとりましたが、そうすると急行料金+指定席料金で閑散期は¥1100、通常期は¥1300が九州ヘ往復するのに追加料金がいるから関西人にとっては抵抗があったのはゆうまでもないといえます。
周遊券のもう1つの特徴は周遊指定地に接続する会社線(ローカル私鉄・バス)は一律1割引でした。但し準指定地の扱いの所は1割引はするけど1か所に数えないという扱いでした。
夜行急行列車の需要は周遊券関係だったといえます。
周遊券のワイド版の地域は北海道、道南、東北、南東北、信州、北陸、南近畿、北近畿、山陰、北九州、九州の11種類でした。
>>[33] 関西―九州間には、フェリーというライバルもあります。急行に14系座席車を導入したからって、バタンコの簡易リクライニングシートでは、さほど快適とは思えず、しかもオール指定席で、周遊券利用者を締め出した、とあっては、利用者から反発をされるのも当然でしょう。
>>[35] 私は北海道、東北、九州のワイド周遊券を使ったことがあります。首都圏へは東京ミニ周遊券が定番で、東京―静岡は急行「東海」に乗るのが楽しみでした。
>>[36] 仰る通りで関西〜九州はフェリーの二等(雑魚寝)の運賃は割安だといえます。
但し難点をあげると港に行くまでのアクセスに時間が掛かるのと一般周遊券でないと行程(1割引)に組めないのが難点です。
それとバタンコである簡易リクライニングシートはいくら特急型の車両で(当時の急行料金の2倍以上とっているから)全車指定席にしたらそれは苦情が出るのも当然だといえます。
夜行急行列車の需要の多い客層からかけ離れた政策だからです。
結局の所は昭和51年から一部を自由席にしましたが昭和55年の時に関西〜九州の夜行急行列車の他に陰陽連絡のちどりが廃止されてしまい結局の所は寝台特急での移動を強制させられる結果になりました。
>>[37] 周遊券で北海道・東北・九州はユースホステルでもよく聞く周遊券であるのと東京・京阪神ミニは結構売上が良いとの噂です。
さらにワイド周遊券とミニ周遊券を2枚買う選択をする人もユースホステルでも聞く位です。
周遊券の売上のピークはやはり急行列車の勢力が4桁の本数だった80年の辺りです。
車中泊など移動手段として重宝されたのが夜行急行列車であったことは否定しようもないといえます。それが崩壊のきっかけになったのが秋のダイヤ改正による九州での急行列車の全面特急格上げによる寝台特急列車ヘの強制誘導であり、北海道での航空機とのタイアップによる札幌中心のダイヤヘの再編による急行すずらんのリストラ(青函連絡船接続)。
こうなると当然だけど急行列車の往復自由席の他に自由周遊区間急行列車乗り放題のワイド周遊券が売上低下するのも当然だといえる。
北海道の場合は本州からの自社の青函連絡船よりも他社の航空機との連絡を優先した施策であるといえるし、九州の場合は本州から来るなら寝台特急利用を強制した施策であるといえる。
ワイド・ミニ周遊券の往復で東海道線が入っている場合は、国鉄バスの東名高速線も当然利用可能ですが、但し国鉄バスのドリーム号(夜行高速バス)を利用する場合は別途1500円かかります。
値段からいって、急行列車指定席と同等の扱いです。
昭和47年3月の時刻表の周遊券の一覧を見ると、ワイド周遊券に信州が加わったのと、ミニ周遊券が発売されたのが特筆されるべき点だといえます。
均一周遊券やミニ周遊券の特徴は、出発地が限定されているのと、もう1つは、周遊券の入口の駅まで国鉄が指定した経路でないと、ダメという決まりがありました。
普通周遊券の行程を組む際は、自分で決めた出発地から経路を組んで、国鉄線に最低でも201キロ、周遊指定地を2か所以上回って、自分で決めた出発地に戻ることを条件に発売する周遊券で、有効期間は、1ヶ月ですが、もう1つ行程を組む際は順路通り回るという条件だから、活用したいのは、車中泊に加えて、次の場所に移動出来る夜行列車です。
途中下車に便利だとなると、やはり座席車が連結している夜行急行列車が便利だといえます。
その他に、もう1つ活用したいのが、やはり車中泊出来る上に、運賃が1割引になる連絡船(フェリー)です。
>>[46]

せっかく追加料金なしで自由席急行に乗れる均一周遊券なのに、急行券+寝台券を手配して寝ることもよくありました。
そして十代の頃は眠りが浅く、真っ暗な未明の下車駅に着く頃に必ず目が覚め、乗り越したことは一度もありませんでした。一度は当該駅に着いてから起床して間に合いました。

写真:狩勝7号@白糠
 6月下旬なのに蒸気暖房の湯気が出ています。
>>[47] 写真アップありがとうございます。
急行狩勝の編成を見ると旧型客車で前方が寝台車で、写真の目の前がグリーン車(スロ62形)の他に、蒸気暖房は、やはり寒冷地北海道ならでは、だと思います。
あと、急行狩勝の昼行は、テレビドラマ北の国から(田中邦衛主演)のドラマでも出てきました。
北海道は、やはり10日では極めてキツイのが、旅行で最悪だったこともあり、身にしみて解るようになりました。
その他にも、周遊指定地をクリアする為に、観光バスピリカ号にも乗りました。
>>[48]

たしか連続ドラマの第17回か18回あたりで、島ノ下の空知川沿いで蛍と母親が互いに手を振る場面も急行「狩勝」でしたかね。

写真:島ノ下信号場(野花南〜富良野)付近
>>[49] もちろん急行狩勝です。
北の国からの始まりの頃は、石勝線は開業していなかったから、特急おおぞらも根室本線経由でした。
昭和47年3月復刻版時刻表で、特筆されるのは、ミニ周遊券を発売していたという点です。
ミニ周遊券は東京、名古屋・岐阜、京阪神は比較的出張のビジネスマンには人気がありました。
周遊券の話題とは少しはずれますが、国鉄が都営交通とセットで販売していたのが、国電(都区内区間)+都営交通1日乗車券です。
範囲は国電が山手線、京浜東北線(蒲田〜赤羽)、中央線(東京〜西荻窪)、常磐線(上野〜金町)、総武線(御茶ノ水〜小岩)の他に、都営地下鉄・都電・都営バス全線でした。
ワイド周遊券の他に、コンパクトで有効日数が少なく、往復と自由周遊区間がワイド周遊券(80年辺りまで)と同条件で急行列車自由席乗り放題というミニ周遊券がありました。
ミニ周遊券は往復で行けるような大概にして、急行列車は決まっていました。
急行列車解体の影響が極めて強かったのは、やはりミニ周遊券だといえます。
急行列車がなくなることは、即ち現地まで事実上からして新幹線もしくは寝台特急への強制誘導で、余分な追加料金を支払わないとならないからです。
もう1つは夜行急行列車で、非有効時間帯(0時〜5時)に停車する駅で降車しても、その駅の待合室で一番列車を待つといったことさえ出来なくなるからです。
80年のダイヤ改正は、山陽本線の夜行急行列車の全廃は、この典型だといえます。
(岡山・倉敷、広島・宮島、山口・秋芳洞)。
82年の東北・上越新幹線開業の時のケースは、急行越前(信越本線経由)の廃止は越前・若狭湾ミニ周遊券を使えなくした時点で解る位だ。
急行越前に乗れば、小浜・長浜辺りまで行動範囲になっていたわけだから。
国鉄時代のワイド周遊券は、北海道、道南、東北、南東北、信州、北陸、北近畿、南近畿、四国、山陰、九州、北九州の12エリアですが、その他にミニ周遊券があり、函館・大沼、青森・十和田、秋田・男鹿、鶴岡・酒田、盛岡・八幡平、盛岡・陸中海岸、平泉・南陸中、仙台・松島、福島・会津磐梯、山形・蔵王、日光・那須、水戸・奥久慈、南房総、東京、名古屋・岐阜、能登・加賀温泉、越前・若狭湾、京阪神、城崎・天橋立、鳥取・三朝、松江・大社、津山・みまさか、岡山・倉敷、福山・尾道、広島・宮島、山口・秋芳洞、徳島・鳴門、高松・こんぴら、松山・高知、福岡・唐津、長崎・佐世保、鹿児島・宮崎の32エリアがありました。
国鉄時代の名残である一般周遊券で九州の桜島、四国連絡船、伊予鉄道の道後温泉などを回ってきた時の写真です。
一般周遊券で国鉄時代の宮津線から転換した北近畿タンゴ鉄道に乗ってきた時の写真です。
特定周遊指定地である立山黒部アルペンルートの写真です。

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