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LA MISTERIOSA FIAMMA DELLA…コミュのp.144,8行目、In due giorni presso....から

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 泉の傍で二日間を過ごし、光が弱まって物の形をようやく認めることができる程になった時、私は考えたのだが、児童文学全集のページによって、確かに私は空想的なことに対する偏愛を育んだのだ。ただし、たとえ作者がCatalanyと呼ばれているにも拘わらず、主人公はLilianaあるいはMaurizioと呼ばれねばならない国で暮らしていても。
 泉のほとりでのそのバカンスを終えて、屋根裏部屋に戻ってから、私は紐でくくられた一つの包みをほり出した。その包みにはBuffalo Billの冒険の載った30冊の雑誌(一部60チェンテジミ)が入っていた。それらは出版の順には纏められてはいなかった。そして一冊目の表紙を一目見て、それが私に神秘な炎のスパークを閃かした。ダイヤのメダル、Buffalo Billだ。拳を構えてピストルで彼を脅かしている赤茶けたシャツを着たならず者に向かって、恐ろしい目付きで跳びかかろうとしている。
 しかしそのシリーズの11号を眺めながら、他の題名も見る前から判っていた。小さな使者、森の大冒険、野生児ボブ、奴隷商人ドンラミーロ、呪われた大農園...表紙がBuffalo Billを見せていることが私には印象的だったー大草原の勇者。一方内側の標題ではBuffalo Billー大草原のイタリアの勇者、と述べていた。その経過はー少なくとも古書籍商にとってはー明らかだった:1942年の新しいシリーズの第一号を見れば十分だ。そこではWilliam Codyは、実際にはDomenico Tombiniと呼ばれていたと、そしてロマーニャの住民であったと、太い活字で目立つ注釈が書いてあった(まるで統帥のように、たとえその注釈がこのとんでもない一致について、慎ましく触れていないにしても)。私に判っているところでは、わが国は1942年に合衆国と戦争に突入していた。そしてこのことで何もかも説明がつく。出版社(フィレンツェのネルビーニ)はWilliam Codyが問題なくアメリカ人であり得た時代に、表紙を印刷していた。そののちにヒーローはいつもイタリア人に限らなければならない、ということが決められたのだ。経済的な理由から、多色印刷の古い表紙はそのままにしておいて、第一頁だけを組み直すほかなかったのだろう。
 面白い、Buffalo Billの最後の冒険について、だらだら読みながらつぶやいた:私はフランスやアメリカ製で、しかしイタリア化された冒険物語を与えられたのだ。もしこれが独裁政治下で子供たちが受ける国家主義教育であったならば、結構なまぬるい教育だったといえた。
 いや、生やさしくなかったのだ。その翌日、私が手にとった最初の本はPina Ballarioの、世界の中のイタリアの子供たち、だった。黒と赤でべた塗りを生かした効果で、モダンで力強い挿絵付きだった。
 数日前、自分の小部屋でVerneとDumasの本を見た時に、自分がバルコニーで小さくなって、それらを読んだという感じを持った。その時にはそのことを重要視しなかった。ほんのひらめきで、単なるデジャブーであった。しかしバルコニーが一つ、本当に祖父の棟の中央にひらけているのを今、考えていた。明らかにそこで私はそういった冒険にふけっていたと思った。
(注:この文中の riflettevo は他動詞の形で使われている。しかし他動詞では「反射する、映し出す、反映する」といった意味であり、一方、自動詞で「熟慮する、考察する」という意味になる。そこで「私は...を目に映し出していた」と訳したが、K氏は「...を考えた」と訳すべきで、著者が他動詞と自動詞を誤用していると結論ずけた。なお伊伊辞典も、伊和辞典と同様の解釈で、vt,viの意味を分けている)      バルコニーでの体験を実施するために、私はそこで、世界の中のイタリアの子供たち、を読むことに決めて、そのようにした。足を手摺の隙間に通して下に垂れ下げ、腰を下ろそうとさえ試みた。しかし今では私の足は、その狭い場所には通らなかった。私は何時間も陽光の下で肌を焼いた。ついには太陽がその見かけを二倍にした、その光を控えめにしながら。(注:astroは、ここでは太陽、辞書の用例にもastro del giorno 太陽とある)しかしこんなふうに私はアンダルシアのような太陽を感じていた。あるいは、たとえ物語がバルセロナで展開されていようとも、その時、私がそう感じていたに違いないように。家族と共にスペインに移住したイタリアの若者のあるグループは、フランコ総統による反共和制派の反乱に驚かされたのだった。とはいえ私の物語では、権力を不当に握った者は左翼で酔っ払いで流血を好む私兵であるように見えることは別として。そのイタリアの若者たちは、彼らのファッシズムの勇気を取り戻して、黒シャツを着て、広場で暴動にとりつかれたバルセロナを大胆に通って、共和主義者が閉鎖していたファッショの本部の団旗を救い出していた。そしてその勇敢な登場人物は、社会主義者で大酒飲みである父親を、統帥の教えに転向させることにすら成功していた。一度読めば、ファッシストの誇りに私は胸を焦がしたに違いなかったろう。私はこのようなイタリアの子供たちと一体化していたのか?あんなBernageとかいう小さなパリっ子たちと、あるいは結局はまだTombiniでなくCodyと呼ばれていた男と。誰が私の子供時代の夢の中に住んでいたのか?世界の中のイタリアの子供たちか、あるいは屋根裏の小さな女の子か?


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