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200×年映画の旅コミュの2007年10月上旬号(新作・2)

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「サイボーグでも大丈夫」(10月6日 新宿武蔵野館1)
2006年/監督:パク・チャヌク

【★ 主人公たちの荒唐無稽な思考の飛躍に頭がついてゆかず、睡魔を呼び寄せてしまい、4分の3は惰眠】
 韓国映画は、あまりにもブームが大きかったせいか、駄作も次々と輸入されたことにより、一時期の傑作揃いだったヴォルテージの高さが失われ、正直なところ、こちらのモティヴェーションも低下してしまったのですが、例えばキム・ギドクやホン・サンス、ポン・ジュノといった名前と並んで、パク・チャヌクもまた、追い掛け続けたいと思わせる監督であり、今回の新作は予告篇を観る限りでは相当に風変わりだと思えるものの、前売り券を買ってあった映画なのでした。
 TV受像器の組み立て工場で、ベルトコンベアの一部として機能していた娘が、ある時脳をスパークさせてしまって、精神病院に収容され、母によって虐げられていた祖母の思い出に捕われつつ、自らはサイボーグだと信じて疑わない中、サイボーグは給油は必要でも食事を採る必要はないと思い込み、与えられる食物を一切摂取しないがゆえに栄養失調になってしまいますが、病院の患者仲間の青年が彼女を励まして食事を採らせようとして、次第に青年と娘との間に恋愛感情が芽生えてゆくというお話です。
 何せ、娘も青年も精神を病んでいるという設定で、彼らは荒唐無稽な信念に捕われて思考を次々に飛躍させるばかりであり、わたくしたち観客はそうした思考の飛躍に付き合わされても理解することなどできぬまま、彼らの語る言葉が右の耳から左の耳へと通り抜けてゆくこととなり、言葉が通り抜けたあとの空っぽの頭には睡魔が押し寄せて抗うことができず、寝る、目覚めるものの理解できずに寝る、という繰り返しで、結局は全体の4分の3くらいは惰眠を貪るという実態なのでした。
 従って、この映画について毀誉褒貶を口にする資格がありません。


「ストレンヂア 無皇刃譚」(10月8日 テアトル新宿)
2007年/監督・演出・画コンテ:安藤真裕

【★★ 絵は巧いし、チャンバラ場面は迫力があって悪くないが、お話はこねくり回し過ぎて退屈】
 この日はカミさん孝行デーで、アニメヲタクのカミさんのために「ストレンヂア」鑑賞のお供をしました。
 わたくしには、長瀬智也が主人公の声を演じていること以外に予備知識がありませんでしたが、ボンズという制作会社は「鋼の錬金術師」など、絵の巧さに定評があるそうで、カミさんは「ハガレン」の大ファンなのです。
 確かに絵は悪くないし、チャンバラ場面は迫力があります。作者たちは、恐らくこのチャンバラがやりたいがために、アニメとしては珍しい時代劇という設定に挑戦したのだろうと推察できました。
 しかし、中国大陸から王の命令を受けて日本まで一人の少年を追ってきた武術プロ軍団、彼らを手引きする領主とその家来たち、主人公の風来坊が赤毛という設定など、お話部分は、こねくり回し過ぎて退屈し、ところどころ寝てしまいました。
 チャンバラだけなら及第点ですが、トータルの時代劇アニメとしての出来は「クレしん」シリーズの「戦国大合戦」のほうに軍配が上がります。
 こういうアニメを観ると、わたくしが漫画として愛読している小山ゆう「あずみ」は、上戸彩を使った実写映画ではなく、アニメで観たかったと思います。


「エディット・ピアフ 愛の讃歌」(10月8日 新宿武蔵野館1)
2007年/監督・脚本:オリヴィエ・ダアン

【★★★ 前半部分が長過ぎると思ったが、初コンサート場面からは乗せられ、見世物として面白く観た】
 カミさん孝行デーのこの日2本目は、エディット・ピアフの伝記映画。ピアフについてはカミさんもわたくしもそれほど詳しいわけではなく、確か恋多き女と言われていたことを耳にした程度に過ぎません。
 しかし映画は、恋多き女としての恋愛遍歴にはあまり触れず、恋愛関係の話はピアフとボクサーとの不倫愛と悲劇に絞り込み、むしろ歌手としての誕生、成長、絶頂、衰退という歩みに光を当てており、その意味では、まだ現存する関係者への配慮も含めて、ピアフのドロドロした色情狂的な側面は脇に置いて、歌手としての栄光を強調する作りは「Ray」と共通する路線であり(ピアフが残した本人の音源を活かし、伴奏だけは新しく録音するという方式も「Ray」と同じです)、ピアフに扮したマリオン・コティヤールのものまねそっくり大賞ものの熱演ぶりからして、来年のオスカーレースの有力候補に名乗りを上げたと言えましょう。
 ヘロイン中毒によって、40代半ばにして老婆にしか見えないほどヨボヨボになった晩年のピアフ像を時折織り交ぜながら、映画は、パリの街角で歌う母を見て育ち、その母に捨てられたため、父方の祖母が経営する娼家に預けられ、エマニュエル・セニエ扮する娼婦に可愛がってもらい、父が戦争から帰ってきてからは、父と一緒にサーカスや大道芸を種に各地を巡業し、ついには母と同じように街頭で歌うようになるまでの幼少期のエピソードを延々と見せます。もっとも、こうした幼少期の描写のバックにも、ピアフの歌は流れてはいます。
 ようやく街頭で歌うようになったあとも、ジェラール・ドパルデューに見出だされてクラブで歌い始めるものの、ピアフがヤクザと付き合っていたせいか、ドパルデューがヤクザに殺される事件が起き、ピアフも事件に関与したのではないかと警察に疑われるといったエピソードを交えつつ、事件の真相には触れないまま、ようやくピアフは音楽家の指導によって歌手としての基礎を鍛え直され、ついにミュージックホールでの初コンサートで成功を収めて、第一線の歌手に踊り出るのです。
 わたくしには、こうした幼少期や無名時代の部分が長すぎると思ったのですが、そうした前半部分で有名な曲をバックに次々と流していたことが、初のコンサート場面における歌なし演出という形に活かされていたことには感心し、ようやく映画に乗せられました。
 あとは、渡米、ボクサーとの恋と悲劇、麻薬、結婚と破綻、再起への努力と失敗、そしてボロボロになった晩年という流れを経てゆくのですが、結局は生涯でたった一人本気で愛した男性に起きた悲劇が、ピアフの人生を大きく狂わせてしまったのだ、という結論へと観客を導く作りは、本当のピアフの人生がどうなのかはいざ知らず、見世物として、エンタテインメントとしてはきちんと成立しており、日本では専ら越路吹雪のカヴァーによって有名な「愛の讃歌」に、ピアフが込めたらしい想いは伝わってきたのでした。
 ボクサーの悲報に接する場面のワンカット長回しなど、日本人キャメラマン永田鉄男もいい仕事をしています。



「パンズ・ラビリンス」(10月11日 シネカノン有楽町)
2006年/監督・脚本:ギジェルモ・デル・トロ

【★★★★ 主人公の少女が蒙る受難に観客も同情を禁じ得ず、ラストにも驚愕し、作劇の巧さに唸らされる】
 妖精や牧神が登場して、少女が冒険を繰り広げるお話だと聞いて、お子様ランチのお伽話を想像していたら、大違いで、苦味が利いた辛口の人民戦線共鳴映画でした。
 冒頭、制作会社のクレジットが出る黒味画面の向こうから、死にかけた人が漏らすような荒い息が聞こえ、ゆっくり画面が現れると、丸く穿たれた井戸のような穴の入り口で、鼻から血を流した少女が瀕死の様子で横たわっています。すると、少女が流していた血が鼻のほうに逆流、即ち時間が遡ってゆき、物語が始まります。
 この冒頭から既に、何やら不吉なムードが画面を覆い、お子様ランチのお伽話という先入観は打ち砕かれ、この少女が蒙る受難の物語にのめり込んでゆくことになります。
 地底にある魔法の国のお姫様の生まれ変わりとして設定された主人公の少女オフェリアが、母親の再婚によって、山奥の政府軍基地にやってきて、人民戦線ゲリラに対する残虐行為を平然と行う義父ビダル将軍の冷血ぶりを忌避する一方、カマキリの変形のように見える妖精によって導かれたファンタジー世界、すなわち、牧神パンによって作られた迷路(ラビリンス)の先で、パンから与えられた試練(近く訪れる満月の夜までに3つの試練を果たせば、地下の魔法王国への鍵が開き、お姫様として招かれる)の世界に生きる道を選択してゆくようになるという物語。
 2つめの試練の際、絶対に食べ物を口にしてはならないとパンから厳命されていたにもかかわらず、オフェリアが葡萄を2粒食べてしまい、モンスターに追われて死にそうな思いをし、パンからも絶望されてしまうあたりは、子供ゆえの無邪気さだと笑うことができず、バカな少女だ、と呆れてしまったのですが、その後、妊娠していた母親は、難産の末息子を産んだものの、死んでしまい、オフェリアが信頼してシンパシーを寄せていた、ゲリラのスパイでもある召使メルセデスは、ゲリラと内通していたことがビダル将軍にバレて捕まってしまうなど、オフェリアを取り巻く環境は厳しさを増すばかりですので、結局観客はオフェリアを応援するように仕向けられるのであり、わたくしたちは、なんだか巧く乗せられているなぁ、と自覚しつつも、作劇の巧さに唸らされるわけです。
 そして、ラストに置かれた、幸福と絶望が同居した辛口の終幕。
 物語の随所に織り込まれた仕掛けのうち、どれが現実で、それが少女の見た幻想なのか、一度観ただけでは俄かには判断し難いような、巧みな工夫が施されている点にも、唸らされてしまいます。
 米アカデミーの撮影賞をとったギジェルモ・バナーロによるキャメラの、ブルーがかったルックが、少女を取り巻く暗い世相を反映しているように感じました。
 「ミミック」やら「ブレイド2」やら「ヘルボーイ」やらといったハリウッド製ホラー系映画の監督をしてきたというメキシコ国籍のギジェルモ・デル・トロ(ポスターやHPでは“ギレルモ”と表記されています)の映画は、これまで観たことがありませんでしたが、この「パンズ・ラビリンス」を観たら、無性に観たくなったのであり、この映画と同様スペイン内戦時代を描いたという「デビルズ・バックボーン」という映画などは、すぐにでも観なければならないという気にさせてくれました。

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