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200×年映画の旅コミュの2007年9月下旬号(シネマヴェーラ・2)

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「震える舌」(9月27日 シネマヴェーラ渋谷)
1980年/監督:野村芳太郎

【★★★ 暗くて、おどろおどろしい映画だが、野村芳太郎の巧みな作劇に乗せられ、ハラハラと観られる】
 この日のシネマヴェーラ特集の2本目は、野村芳太郎監督の「震える舌」。初めて観た映画です。
 江東区葛西の新興住宅地を舞台に、高層アパートの前に広がる湿原で遊んでいた幼い少女が、破傷風に罹ってしまい、父親・渡瀬恒彦と母親・十朱幸代の若夫婦が、大学病院に入院した娘を必死で看病するという話です。
 破傷風の菌が幼い体内で猛烈な毒素を出し、そのせいで娘は舌を噛んで全身を硬直化させ、痙攣を起こします。両親や主治医の中野良子は、光や音などの刺激が発作を悪化させるため、部屋を暗くして音を立てないよう気遣いながら、懸命の看病生活を続けます。そして、発症から3〜4日の間の死亡率が高いという破傷風に、娘が打ち勝つことはできるのか、それとも看病虚しく死んでしまうのか、サスペンスフルなドラマが展開します。
 映画の8割以上は病院の中で展開し、しかも暗くて静かな病室が主舞台となるため、画面も暗く静かで、芥川也寸志によるおどろおどろしさが強調された劇伴ばかりが観客の恐怖感を煽り、睡眠を削った看病によって疲弊衰弱してゆく渡瀬・十朱コンビの憔悴が観客にも伝播してゆくようです。
 そうした意味では、ストーリーテラーとしての野村の巧さに、まんまと乗せられたというべきでしょう。
 難病の娘が「エクソシスト」のリンダ・ブレアに見えるのは野村の計算通りとしても、渡瀬の良き父親役は今ひとつ似合っているとは思えず、看護に疲弊して、医師を呼ぶにも、娘の全快に狂喜して缶ジュースを買うにも、目に隈を作って奔走する渡瀬が、シャブ中患者に見えてしまいました。


「処女監禁」(9月28日 シネマヴェーラ渋谷)
1977年/監督:関本郁夫

【★★ 突っ込みどころ満載で笑える珍品たり得ているが、関本郁夫演出は随所で生真面目で、滑っている】
 2日連続でシネマヴェーラ、この日はまず関本郁夫監督の「処女監禁」を鑑賞しました。
 TVの戦隊ヒーローもので主役を張ったこともあるという伴直弥扮するアシスタント・キャメラマンが、住み込んでいるスタジオ倉庫の向かいに住む三崎奈美に想い焦がれ、換気口から望遠レンズで三崎の裸身を覗いては、等身大の絵にホクロを描き入れたり、観察記録を書き入れたりした上、三崎をオカズにしたマスターヴェーションで使用したコンドームを、冷蔵庫で保存するという変態ぶりを示し、設定段階から“おバカ映画”としての笑いどころ満載なのですが、関本演出は、伴と三崎の登場場面をわざわざストップモーションにして、名前、職業、出身地青森県などを字幕で律義に入れてみせ、何やら場違いな生真面目さを見せています。
 伴の片想いは慎ましく続けられるのですが、ある日三崎が男性を部屋に連れてきてセックスに及び、ショックを受けた伴が男のあとをつけると、彼には妻子がいることが発覚したことから、伴は逆上し、三崎を強引にスタジオ倉庫に連れてきて監禁するに至るのです。
 三崎奈美といえば、わたくしが大学生の頃の裸アイドルとして雑誌のグラヴィアを飾った女性の一人で、懐かしくも美しい裸身を惜し気もなくキャメラに晒してくれますし、お話のほうも、伴が監禁早々「結婚してください」などと叫んだかと思うと、次の瞬間には強姦魔へと豹変したり、倉庫内にテントを立ててキャンプごっこを始めたりするなど、相変わらず笑いどころ満載で、くだらなくて笑えるという珍品たり得ています。
 裸以外に取り柄がなかろう三崎に、セリフをほとんど与えなかったことも大正解でしょう。
 しかし、監督の関本には、例えに出しては失礼なものの、鈴木則文ほどのクレヴァーさもユーモアセンスも欠如しているがゆえに、この題材が優れてコミカルなことに充分に自覚的ではなく、随所で場違いな生真面目さを発揮して、演出が滑ってしまいました。ボンボの歌や突然青森の海が写って演歌が流れるところ、さらにはラストでスタジオから逃げ出した三崎が半裸で街中を歩く場面など、笑い飛ばしたい場面ながら、関本は至って真面目に撮っているため、椅子からずり落ちそうになりました。


「スパルタの海」(9月28日 シネマヴェーラ渋谷)
1983年/監督:西河克己

【★★★ 題材となったヨットスクールのシゴキ体質には共感できぬものの、青春映画としてウェルメイド】
 この日のシネマヴェーラ2本目は、劇場未公開の「スパルタの海」。戸塚ヨットスクールを好意的に扱って作り上げたものの、刑事事件として表面化したため、公開が見送りになったのです。
 家庭内暴力を繰り返すなど情緒不安定の子供たちを、徹底した体罰でシゴいて更正させるという教育方針は、わたくしの共感するものではありませんが、戸塚某の教育方針とは無縁なところで、映画はウェルメイドに、まともに作られており、職人監督・西河克己の安定した作劇術に感心させられます。
 それは例えば、平田昭彦と小山明子扮する両親に暴力の限りを尽くす高校2年の長男の様子を描く冒頭場面の的確なカット割りを観ただけで、充分に理解できるものであり、フレームへの人の出し入れやカッティング・イン・アクションによる編集など、島津保次郎以来脈々と受け継がれてきた松竹大船の伝統が、日活に移籍してから一本立ちのチャンスを掴んだ西河のような監督にも、着実に息づいていることを証明立てているでしょう。
 とはいえ、脚本は随所で難点を覗かせていることも事実で、スクールから二人目の死者が出て、警察による傷害致死容疑の捜査が入ったことで、クレーム電話の殺到に弱っていた戸塚の奥さんが、スクール経営に弱気を見せた夫に対して、急に激励に反転するあたりの強引さであったり、ノイローゼ気味の息子をスクールに入れる時は平身低頭だった三谷昇が、息子が死んだ途端に態度を豹変させるあたりのわざとらしさだったりに表れており、鼻白むのを抑えることはできません。
 しかしながらトータルの印象としては、ヨット競技に挑む若者たちのスポーツ根性ドラマとして、家庭内暴力の常習者だった少年少女が、次第に心を寄せ合うようになる初々しい恋愛ドラマとして、及第点の青春映画になり得ていると思いました。


「異常性愛記録 ハレンチ」(9月30日 シネマヴェーラ渋谷)
1969年/監督・脚本:石井輝男

【★★★★ 安上がりの雑な映画ながら、若杉英二演じる粘着質の役柄が異様な迫力を放ち、脳裏から離れず】
 この映画は、去年テアトル新宿のレイトショーで上映されていた時も行きたかったのに、行けず仕舞いでした。
 冒頭、白い羽根が敷き詰められたバスタブのようなところに一筋の切り裂きが走ったかと思うと、バスタブから全裸の女性が立ち上がる様子を、真上から捉えた俯瞰ショット。続いて、タイトル・クレジットのバックとして、9分割くらいのマルチ画面に描かれた人間の眼、大アップになった唇とヌメヌメしている舌、スクリーン一杯にクロースアップになった鼻の穴と鼻毛、乳首を挟む指といった、人間のパーツが次々と出てくる、その異様な迫力に圧倒されます。
 物語の主人公は、京都でバーのマダムをしている橘ますみ。彼女は、常連の若杉英二に言い寄られ、強姦紛いの強引さで身体を奪われて以来、若杉の二号同然の暮らしを余儀なくされており、本業では織物の染色工場を営む若杉は、妻子がいる身でありながら、仕事など放り出して橘との情欲生活に溺れており、いつか妻とは離婚すると甘い言葉を繰り返しては、橘の肉体を求めてのしかかってくるのであり、橘も結局は身体を開いてしまうという腐れ縁をズルズルと続けているのです。
 「だって、ボク、さみしいんだもーん」「愛してるんだよーん」「ボク、し・あ・わ・せ」などと、いい年をして幼児語を繰り返しつつ、卑猥そのものの目つきで橘に迫ってゆく若杉の粘着体質が、画面から異様な迫力を撒き散らしているのですが、冒頭のタイトルバックで示された眼、鼻の穴などは、実は若杉の肉体の部分だったことが明かされ、なるほどそうだったのかと納得させられるとともに、いよいよ若杉の異様さに圧倒されます。
 橘には、最近付き合い始めた別の常連・吉田輝雄がいて、若杉との腐れ縁に終止符を打って、吉田との新生活に入りたいと考えている橘なのですが、若杉は橘が浮気したら殺してやると公言して憚らず、橘も吉田のもとに走ることが躊躇われてしまうのです。
 映画の前半は、こうして若杉という変質的なストーカーに眼をつけられてしまった橘が、その粘着体質を忌み嫌う一方、精力絶倫の若杉によって性の奴隷となって腐れ縁から逃れられず、いわば自らの内側に潜む淫欲に囚われていることも示してゆくのですが、後半は「異常性愛記録」というタイトルに相応しく、若杉が橘以外にも、同性愛や外国人との性愛、SMなどに溺れてゆく様子も描かれ、まさしく怪人・若杉の独壇場となります。
 映画の終幕は、いよいよ若杉との別れを決意し、吉田との新生活のために借りたアパートに若杉が訪れ、ナイフを出して橘を刺し殺そうとする嵐の夜、アパートの中にいた吉田が出てきて若杉と格闘になり、その吉田に向かってナイフを向けようとした時、アパートの金属製手摺りにナイフが触れた瞬間、雷によって帯電した電流が若杉の中を走り抜け、黒焦げとなった若杉がアパートの手摺りから転落するという、呆気ないもので、爆笑ものですが、あの粘着質の怪物がついに倒れたという意味で、観ていてホッと肩を撫で下ろしました。
 映画が終わって席を立った隣の青年が、思わず「夢に出てきてうなされそう」と呟いていましたが、激しく同意したいと思いました。安上がりに作られた雑な映画で、出来だけで言えば★3つがせいぜいですが、若杉の迫力に★1つをオマケします。
 日本映画データベースによると、1952年に松竹大船でデビューし、のちに新東宝を経て東映にやってきて、若杉恵之介、天城竜太郎などと芸名も変えたヴェテラン俳優・若杉英二が、1961年の石井輝男監督「黄色い風土」で7番手くらいの役を演じたのちピンク映画に転じ、久しぶりに5社メジャーに呼ばれたのが本作なのであり、この映画史に残ると思われる奇怪なキャラクターの怪演は、観た者の脳裏から離れないでしょう。
 石井輝男はこういう映画を作るからカルトと祭り上げられるわけで、わたくし個人としては、正統的な職人芸とアクションの監督である石井のことを、一部の作品だけを強調して“トンデモ映画の巨匠”のように騒ぐのは一面的すぎると不満なのですが、この映画などを観ると、カルトと祭り上げる気持ちも理解できてしまいます。


「宇宙からのメッセージ」(9月30日 シネマヴェーラ渋谷)
1978年/監督:深作欣二

【★★ 本家「スター・ウォーズ」のパクリがあまりに稚拙で見劣りして、情けなさを通り越して笑える】
 この日のシネマヴェーラ2本目は、当初予定では山下耕作監督「徳川一族の崩壊」が編成されていましたが、プリント状態が劣悪のため上映が見送られ、深作欣二監督「宇宙からのメッセージ」に変更されました。
 公開当時、先に観た友人たちの反応が最悪だったため、観るのを止めた映画でした。観なくて正解、当時観たら腹立っただろうと思われます。
 ジョージ・ルーカス「スター・ウォーズ」の公開が待たれる中、日本ではまず東宝が福田純監督で「惑星大戦争」という便乗企画を、本家「スター・ウォーズ」の公開前に封切り、これに負けじと東映も、73年の「仁義なき戦い」でエース監督に祭り上げられた深作を起用して、この「宇宙からのメッセージ」を、やはり本家の公開前(2ヶ月前)に封切ったのでした。
 深作がこれより1作前に発表した「柳生一族の陰謀」は、「仁義なき戦い」シリーズの荒々しくも芸の細かい人間模様とは対照的に、深刻ぶっているだけの大味な映画に思えて、失望したばかりの観客だったわたくしは、今度は舞台を宇宙空間に移したらしいとはいえ、ハリウッド大作の剽窃を恥//

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