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200×年映画の旅コミュの2007年9月下旬号(シネマヴェーラ・1)

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「黒薔薇の館」(9月19日 シネマヴェーラ渋谷)
1969年/監督:深作欣二

【★★★ 60年代末期の徒花には違いないが、猛烈なおぞましさと徹底した虚構が、作品に力を付与した】
 シネマヴェーラでの特集“妄執、異形の人々2”での1本。実は、6年ほど前に文芸坐で観たばかりなので、今回はパスするつもりでしたが、時間があったので観てしまいました。
 丸山(美輪)明宏が絶世の美女という設定で、ブツジョワ紳士の小沢栄太郎や、その次男・田村正和を始め、西村晃、川津祐介、内田良平、諸角啓一郎、穂積隆信、城アキラ(のちのジョン・サンダース)といった男たちを熱狂させ、惑わせてしまうという話ですが、黒薔薇の館と名付けられたビザールな場所で、衆人監視のもとで自己陶酔劇がおぞましく演じられるという意味で、まさに今回の特集に最も相応しい映画の1本でしょう。
 何せ、日本で一、二を争うナルシストの丸山明宏と田村正和が火花を散らすのですから、これほどおぞましい見物もありませんが、怖いもの見たさで眼が離せないことも事実でした。
 この二人だけでなく、愛とは何ぞやと長広舌を振るう西村晃の自己陶酔芝居にも圧倒されますが、荒唐無稽と呼ぶほかない虚構をこれでもかと積み重ねる深作(脚本は松田寛夫と共作)にも呆れを通り越して、畏怖の念を抱きます。決して誉めるような映画ではありませんが、何やら異様な迫力を感じるのです。
 6年前に観た時は、「“女優”丸山明宏に捧げられたような作りで、深作自身の主体性は発揮されているとは思えず、60年代末期の“徒花”とも言うべき珍品」などというメモをわたくしは書いていますが、確かにビザールな珍品だとは思うものの、今回は有無を言わせない作品の力を押し付けられた感じがしました。


「博徒七人」(9月19日 シネマヴェーラ渋谷)
1966年/監督:小沢茂弘

【★★ 役柄に不具者を集めただけで、ヤクザ映画としてはフツーの出来。笠原にしてはアイディア倒れ】
 この日のシネマヴェーラでのもう1本は「博徒七人」。1975年だったか、76年だったか、新宿昭和館で観て以来二度目の鑑賞です。
 身体障害者を7人集めるという発想だけはユニークながら、任侠映画としては水準作だという昔の感想は正しかったと思いました。
 “片輪”という設定はセリフとしては活かされるものの、7人のキャラクターにも、彼らが展開するアクションにも、エピソードの根幹にも、健常者という設定に置き換えても不都合はなく、さすがの笠原和夫もアイディア倒れになっています。
 島の石切場を巡って、老舗の組と、強引に仕事を奪おうとする新興勢力が対立するという劇構造も、まあ、東映任侠映画としての平均点そこそこであり、小沢茂弘演出の職人芸の安定ぶりには感心させられるものの、取り立てて誉めるほどの映画だとは思えません。あくまでも、フツーの出来のヤクザ映画です。
 つまらないとは申し上げませんが、この映画を、フリークスものだという理由だけで必要以上に持ち上げるのは、いささかはしゃぎすぎの差別的態度ではないでしょうか。


「黒蜥蜴」(9月24日 シネマヴェーラ渋谷)
1962年/監督:井上梅次

【★★★ この題材をミュージカル仕立てにしてみせ、エンタテインメントとして成立させている】
 江戸川乱歩の小説を三島由紀夫が舞台化したこの題材は、1968年に深作欣二が松竹に招かれて、舞台でも主役を務めた丸山(美輪)明宏の主演で映画化されており、わたくしも観たことがありますが、役者の顔を遠目に拝む舞台ならいざ知らず、キャメラによってアップにもなる映画という場で、女装した丸山のことを美しいとは到底思えず、違和感ばかりを覚えたものです。
 その点、この井上梅次監督、京マチ子主演版は、上流階級夫人たる京が、宝石商・三島雅夫の娘である叶順子を誘拐する事件を、大木実扮する名探偵・明智小五郎が解決するというお話を、ミュージカル仕立てにしてみせ、京の手先であるギャングたちが歌い踊る中で、京も軽快なステップを踏むといった具合に、深作・丸山版の不気味さとは一線を画したエンタテインメントとして、きちんと成立させていると思いました。 ミュージカルは井上の得意とする分野ですし、脚本の新藤兼人はさすがの手堅さを見せています。


「ウルフガイ 燃えろ狼男」(9月24日 シネマヴェーラ渋谷)
1975年/監督:山口和彦

【★★ いかにもやっつけ仕事らしいいい加減さが溢れた話だが、渡辺やよいの裸身を観ているだけで満足】
 この日は、ミクシィで知り合った仲間が、女優の渡辺やよいさんを誘って、やよいさん出演のこの映画を一緒に鑑賞する会という趣旨だったのですが、だったら脚本を書いた神波史男氏も呼んでしまえ、というわけで、渡辺、神波両氏と一緒にこの「ウルフガイ」という映画を観て、そのあとみんなで飲むという会になりました。
 冒頭、安岡力也扮するロック・ミュージシャンが、夜の新宿の街をのたうち回っており、虎に襲われる、という妄想に取り憑かれる中で、まさしく虎に全身を引き裂かれたような傷を負って、死んでしまいます。その現場に偶然居合わせたのが、ルポライターの千葉真一で、ライター仲間の曽根晴美とともに、この事件の裏を追いかけ始めます。すると、事件の背景には、安岡らミュージシャンによって捨てられた場末の歌手で、今は梅毒に侵されているという奈美悦子がいることが浮かび上がり、その奈美の呪いが、虎の霊を呼び出し、自分をかつて陥れたミュージシャンたちを襲わせるという事件の構図が浮かび上がります。
 さらに、千葉の設定は、狼族の唯一の生き残りというもので、月齢15日の満月の夜には、死を跳ね返すほどの超能力を発揮するのでした。
 奈美がなぜ虎の霊を操れるのか、という説明は一切なされず、千葉のことを追いかける内閣情報部なる機関が登場し、物語の後半は、なぜか千葉が決心して狼族の故郷である村を訪れ、そこでようやく渡辺やよいさん扮する、狼族に味方する村の娘が登場して、千葉との濃厚なラヴシーンが演じられるといった具合に、話の筋はいい加減を極め、映画のあとに脚本を担当した神波氏に企画の経緯や話の詳細を伺っても、そのアイディアは自分のものではなく、監督の山口和彦が考えたものだろう、などとおっしゃるばかりで、いかにも東映東京撮影所のやっつけ仕事らしいいい加減さを窺うことができました。
 まあ、この日は、映画の中身などどうでもよく、渡辺やよいさんの美しい裸身を眺めていれば満足なのでした。
 ちなみに、渡辺さんは、自分の出演した映画を一般観客と一緒の映画館で観るのは、これが初めてだったそうですが、結構愉しい体験だったそうなので、また観たいとおっしゃっていました。


「花嫁吸血魔」(9月27日 シネマヴェーラ渋谷)
1960年/監督:並木鏡太郎

【★ いかにも新東宝ゲテモノ映画らしい企画だが、話は飛躍が過ぎ、扮装などもダサい限りで、呆れ返る】
 このところ頻繁に通っているシネマヴェーラの特集、この日はまず「花嫁吸血魔」を鑑賞しました。
 女優の卵である池内淳子は、映画会社から新進スターとして売り出されることが決まっただけでなく、新聞記者の寺島達夫からプロポーズされ、寺島の友人である記者・高宮敬二からも想いを寄せられるなど、運が回ってくるのですが、映画会社の契約を池内に横取りされたと思い込む天草博子、寺島のことをひそかに好きだった三田泰子、恋人の高宮を奪われた形の瀬戸麗子らの逆恨みを買い、山にハイキングに行った折、天草ら3人に突き落とされて顔に大怪我を負ってしまいます。
 ここまでは、まあ普通の話ですが、ここからが新東宝ゲテモノ映画の真骨頂。
 池内の曾祖母・五月藤江が山奥の洞窟の中でせむしの聾唖男と住んでおり、五月は蝙蝠の血を祭壇に捧げるという怪しげな儀式によって池内に呪いをかけ、池内に吸血蝙蝠に変身する能力を授けてしまうのです。
かくして池内は、吸血蝙蝠となって、自分を陥れた女たちへの復讐を果たしてゆくことになります。
 いかにも新東宝という企画ですが、五月の設定など、いくらなんでも飛躍とこじつけがひど過ぎ、池内が変身する吸血蝙蝠の扮装や手をヒラヒラさせる身振りのダサさなど、呆れ返るほかない珍品です。
 池内淳子も自分のフィルモグラフィから抹消したいと思っているのではないでしょうか。
 戦前からアラカン映画を撮ってきた並木鏡太郎は、なかなかの職人ぶりを発揮する監督ですが、この脚本では本領を見せることができなかったようです。
 いわゆる“おバカ映画”として笑い飛ばしながら愉しむには、酒の力を借りたいところですが、この日はシラフでしたので笑う元気もありませんでした。まあ、毛むくじゃらになってしまう池内を観るのも、一興でしょうか。

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