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200×年映画の旅コミュの2007年6月下旬号(川島雄三)

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2007年6月下旬に侘助が観た川島雄三監督作品。

「洲崎パラダイス 赤信号」(6月17日 フィルムセンター)
1956年/監督:川島雄三

【★★★★★ 切っても切れない男女の腐れ縁が、下町のうらびれた風景の中に浮かび上がる味わい深さ】
 この映画を観るのは4回目くらいですが、6年前の三百人劇場における川島雄三特集では観なかったので、約30年ぶりの鑑賞だと思います。
 隅田川にかかった橋のたもとに佇む男女二人。女・新珠三千代も、男・三橋達也も、着ている着物や服、髪のほつれ、表情などから疲労が滲み出しており、二人には金も、行く宛てもないことが察せられます。そして、この二人の仕草を、橋の鉄骨ナメの俯瞰や、足元を映すローアングルなどを駆使しながら見つめる川島雄三の視点からは、この二人の間に流れる空気が“腐れ縁”という3文字に収斂されることが感じ取れるのです。
 橋の上を走るバスに飛び乗った新珠は、そのまま三橋を置き去りにしてもいいというつもりもあったようですが、三橋は追い着いてバスに飛び乗り、どこまで行くのか訝る三橋をよそに、新珠は洲崎遊郭の入り口にあたる停留所で咄嗟にバスを降ります。なすすべもなくついてくる三橋。
 遊郭の入り口近くの河端に建つ一杯飲み屋(女中募集の貼り紙あり)にフラリと入った新珠は、ビールを注文すると、店の女将の轟夕起子と世間話を弾ませながら、自分を雇ってもらうよう頼み込み、轟のほうは半ば呆れながらも、強引に新珠のペースに乗せられます。そして翌日、新珠は、今度は三橋の就職先の世話まで強引に轟に頼み込んでしまうのです。
 次第に彼女自身もかつては娼婦であったことが明らかになる新珠は、男を手玉にとることなど朝飯前で、実にふてぶてしくて逞しく生きているのですが、一方、三橋のほうは、優柔不断でだらしなく、生活力もありません。映画は、こうした対照的な男女が、ついたり離れたりの腐れ縁を続けてしまうお話です。
 成瀬巳喜男の「浮雲」における森雅之と高峰秀子のように、観ているほうが「早く別れりゃいいのに」と思ってしまう新珠・三橋コンビですが、お互い同士はどうしても断ち切れぬ縁で結び付いてしまうという男女の業。
 新珠は甲斐性のない三橋を見捨てて、金回りのいい河津清三郎に一度は乗り換えようとしたり、三橋のほうも新珠の不実さに見切りをつけて、轟に紹介してもらったそば屋で一緒に働く芦川いづみのほうを向いて生きようとしたりと、腐れ縁の二人は、その縁を切るべく、自ら前進しようとすらします。そして、そうした四角関係が形成されることによって、登場人物の感情にメリハリが生まれるのです。
 相手をスパッと斬り捨て御免にする冷酷さと、うじうじと未練を引きずる切なさの往還。失恋描写を得意とする川島の真骨頂が新珠・三橋の二人に凝縮します。
 新珠・三橋の、一度は切れそうになった腐れ縁を再び物語の中心線に浮上させるために使われるのが、もう一組用意された腐れ縁の男女です。一杯飲み屋の女将・轟と、彼女のことを見限って遊郭の女とともにこの街を出奔した亭主・植村謙二郎の二人です。植村は、一度は轟のもとに戻ってきて、二人は家庭の幸福という復縁を見事に果たしたかに見えましたが、植村と一緒に出奔した女(顔がはっきり映らないのでわかりにくいですが、マキノ雅弘「次郎長三国志」の第二部「次郎長初旅」で、堺左千夫扮する沼津の佐太郎をかばって、家計をやり繰りしてみせる女房・お徳を演じた隅田恵子が扮しています)が植村を追ってやってきて、痴情のもつれから植村を刺し殺してしまうのです。絵に描いたような、腐れ縁の成れの果て。
 しかし、名手・井手俊郎と寺田信義の脚本と川島が導いたお話は、そうした腐れ縁の悲劇を目の当たりにした新珠・三橋のコンビが、己たちの現在・未来に失望し、決定的な別れを招くというものではなく、逆に、やけぼっくいに火を点す結果をもたらしたのでした。しかも、そこで腐れ縁を燃え上がらせる男女の激情を、川島は露骨に描いたりはせず、東京下町のうらびれた川端の風景の中で、男女の心象のゆらめきを川面に反映させるにとどめるという、実に粋な作劇に終始してみせたのです。
 腐れ縁がだらしなく続く話でありながら後味が悪くないのは、ラストで次なる生活場所を求めてバスに駆け込む男女にポジティヴな生命力があるからでしょう。
 それにしても、川島という男の描く恋愛劇には、観る者を心底揺るがす力を持っています。シャイで韜晦した映画ばかり作っているようにも見える川島ですが、実はストレートな訴求力をもった恋愛劇こそ得意な人なのではないかと思えます。
 川島にとっても代表作の1本と呼べる映画ですが、新珠にとっても代表作の1本です。


「特急にっぽん」(6月22日 フィルムセンター)
1961年/監督:川島雄三

【★★★ 脇役のエピソードが狂騒的すぎて、笑えずにすべる代物だが、演出センスは随所で光る】
 6年前の三百人劇場では観逃した映画です。
 1964年の東京オリンピックに合わせて開通した新幹線“ひかり”が登場するまでは、日本最速の特急であり、6時間半で東京→大阪を走る“特急こだま”を舞台に、食堂車のコック・フランキー堺に求婚の答えを迫るウェイトレス・団令子と、フランキーに共同事業の話を持ちかけるステュワーデス・白川由美の三角関係を軸に描くコメディです。
 朝、こだまに乗り込む食堂車のウェイトレスたちが東京の宿舎で目覚め、制服に着替えて集合し、そろってこだまの車両に向かってゆく光景から映画は始まり、ウェイトレスの一人・団が、大八車に食材を載せて運ぶコックのフランキーと、今後の生活設計について会話を交わします。その会話によって、大阪に自分の店を出したいと思っている団が、伴侶としてフランキーを選ぼうとしており、今日の勤務でこだまが東京を出て大阪に着くまでに、フランキーに結婚の決意があるかどうかの返事を聞き出そうとしている状況であることが説明されます。
 団とフランキーの足元からアオるような視点と、どこかのビルから二人を捉えた俯瞰のロングを組み合わせることによって、画面にダイナミズムを呼び込む川島演出の特徴が、冒頭から発揮されています。
 団から結婚を迫られているフランキーは、自分がまだ独立できるほどの自信を持っていないがゆえに逡巡しているのですが、団から見ると、フランキーに何かと囁きかけている美人ステュワーデス白川由美の存在が、フランキーの心を惑わせているように思い込んでいます。
 こうした心理的葛藤を抱えながら、こだまは東京駅を発車するのです。車内には、白川を愛人にしたいとご執心の小沢栄太郎、その小沢に擦り寄ってくる謎の女・中島そのみ、団を息子の嫁にしたいと思い、団の品定めにやってきた沢村貞子、その息子の滝田裕介、さらには、乗客ではないものの、車内に電話をかけてくる白川の自称婚約者・太刀川寛らが、東京→大阪の旅を彩ることになります。
 しかし、話を膨らませるために登場させたキャラクターや事件、すなわち、時限爆弾を仕掛けられたらしいと噂される老人・田武謙三や、平凡太郎と谷村昌彦のコソ泥コンビが繰り広げるドタバタなどは、あまりにも狂騒的すぎて笑えず、むしろ全体のバランスを崩しており、結果的には悪ふざけにしか見えないという点では、「グラマ島の誘惑」や「縞の背広の親分衆」と同じ作品群にカテゴライズされる映画だと言えましょう。
 その一方、延々と脚ばかり写す形で登場させる中島そのみに象徴されるような、ローアングルに徹した絵作り(わたくしの友人の一人は、この映画のことを“足フェチの映画”だと断言していました)、キャメラを車窓の外に置いて車内の音を聞かせずに展開させるパントマイム(人物が車内を歩くのを追うキャメラの横移動の徹底)、途中の踏み切りでトラックが落とした土砂によって、列車が急停止する場面におけるミニチュアの使用、等々、川島の演出的実験や遊び心は面白く、すべるギャグに呆れながらも、こういうポップな感覚を1961年の段階で見せてしまう点では、川島のセンスは決定的に新しかったとも思えました。また、後の映画に与えた影響は甚大だったことも感じさせてくれ、後のヒット作「列車」シリーズの先駆みたいな映画でもあると思いました。
 奇異なアングルを偏愛する川島らしい映画で、そうした川島の一面だけを称揚するのは憚られるものの、やはりセンスは光っています。
 ちなみに、この映画の助監督は、のちに青春ものTVドラマなどで監督として活躍する児玉進。“こだま・すすむ”という名前は、まるでこの映画のためにつけられたかのような名前で、恐らく川島も面白がって彼を助監督に指名したのではないかと想像されます。

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