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200×年映画の旅コミュの2006年10月下旬(日本映画古典)

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2006年10月下旬に観た日本の古典映画

「愛の町」(10月29日 フィルムセンター小ホール)
1928年/監督:田坂具隆

【★★★★ 田坂具隆の作劇の巧さと社会派リアリストとしての誠実さが出た力作。もっと評価されるべき映画】

 フィルムセンター小ホールで開催された“シネマの冒険 闇と音楽2006”という企画の一環で上映された作品。この企画は、サイレント映画に活弁や伴奏をつけて観ようという試みです。
 この「愛の町」は、あまり有名な映画ではないと思われ、田坂について書かれた略歴などに出てくる作品は「路傍の石」「五人の斥候兵」「土と兵隊」などトーキー以降のものがほとんどです。わたくしもこの「愛の町」という田坂作品については存在すら知らなかったのですが、現存する田坂のサイレントとしては唯一のものだそうです。フィルムセンターでの上映も10年ぶりとのこと。
 冒頭、満州から日本の港に帰ってくる汽船が映され、帰国の喜びに沸く甲板とは対照的に下層の船室では、瀕死の母を看病している娘・夏川静江がいます。母は娘に向かって、娘の父である夫が製糸工場の御曹司たる地位をなげうって自分と結婚して満州に渡った経緯、しかし志半ばにして満州で病に倒れ雪道の中で死んでいった経緯、製糸工場には娘にとって祖父にあたる人物が今もおり、いつか彼の許しを得て孫娘と祖父が一緒に暮らす日がくるだろうことなどを語って聞かせます。
 船室の場面も、満州の場面も、いかにも書割といった風情のセットが組まれ、時間の経過をオーヴァーラップで繋ぎながら、典型的なメロドラマを展開させてゆく田坂の作劇は、これまでわたくしが田坂に抱いていた日活多摩川リアリズムの典型的具現者というイメージを覆し、まるで新派調の衣笠貞之助を観ているような錯覚を覚えるほどでした。しかも、田坂のシーン繋ぎや役者の動かし方など、実に巧いのであり、愚直なまでのリアリストだとばかり思っていた彼の意外な一面を見た思いでした。
 結局は船中で母を失くし、満州では父も失っている夏川は、天涯孤独の身で故郷日本にやってきて、製糸工場の主として君臨する盲目の祖父の許しをいつか得たいという思いを胸に、信州にある工場を目指してゆくのですが、その道中、工場で技師をやっている南部章三と出逢います。夏川が一人でトボトボと山道を歩いていると、後ろからやってきた南部がスタスタと追い抜いてゆき、それに気づいた夏川が猛然と追い抜き返そうとするという具合に、ユーモラスな場面として構成されているこの二人の出逢いは、母の回想場面における書割のセット撮影とは対照的に、開放的な野外ロケのワンカット後退移動撮影によって描かれており、田坂のリアリストとしての資質が出ています。
 そして、夏川が祖父の経営する製糸工場で資材運搬人として働き始めることになり、汚い女子寮で暮らし始めて女子工員たちの荒んだ生活に直面すると同時に、自らも工場内で男たちと伍して働く場面などにおいて、いよいよ田坂流リアリズム表現の真骨頂を迎えます。散らかり放題の女子寮の中で、社長たる盲目の祖父の噂話に耳を傾けながら寝ている夏川を描く場面における、狭い女子寮のカット割りもさることながら、荷台に重い材料を載せて夏川が大八車を押す場面での長い横移動撮影などは、まさに田坂の面目躍如たる場面だったと思います。
 物語のほうは、祖父の工場で働き始めた夏川が次第に祖父と接近する機会を得て信用を獲得するものの、祖父は自分の息子(すなわち満州で死んだ夏川の父)の消息は知りたがっている一方、息子を誑かした女(すなわち船中で死んだ夏川の母)のことは許していないことがわかり、夏川は自分の素性を祖父たる社長に伝えることはできません。そんな中、工場を乗っ取ろうとしている社長の甥と支配人が火事を起こし、その火が下層労働者たちの住む一帯に回ってしまいます。工場労働者たちへのシンパシーを強める夏川は労働者を助けようと祖父たる社長に進言するのですが、労働者のことを信用できない祖父は、火事を消すための水を求めて社長宅の池を開放してほしいと迫る労働者たちを前にして、門を閉ざしたままです。しかし、夏川の切なる説得の末、祖父は心を開き、ついに労働者たちのために池を開放します。
 場面が変わると、工場の社長たる祖父は、眼の手術を受けて再び視力を回復し、街から工場に戻るところ。労働者たちは道のあちらこちらに連絡要員を配して、「社長が帰ったぞー」と、社長の帰りを伝達してゆきます。火事のあと、下層労働者たちが住む地域は整備され、かつて夏川が住んでいた荒んだ女子寮も今はなく、すっかり労働者の味方になった社長によって、見違えるような街に変貌しており、工場労働者たちは、ヒーローたる社長の帰りを歓迎しているのです。ちょうどその頃、満州で死んだ社長の息子には忘れ形見の娘がいて、それが夏川本人であることを調べた探偵が、祖父に事実を伝えにやってきます。労働者たちの歓呼の中で、社長は夏川が孫であることを宣言し、その夏川は、今や社長の手足として働いている南部章三と結ばれることを労働者や社長たちの前で華々しく宣言するに至るのです。
 強欲な資本家が心を入れ替えて労働者と手を携え、お互いを賞賛し合いながら大団円を迎える物語。ここでは、驚くべきほど愚直なまでに社会主義的信条を楽天的に謳い上げており、映画史的には“傾向映画”と呼ばれる左翼的映画の一群に数えるべき作品なのかも知れませんが、“愚直さ”という田坂の特徴(それは美点であると同時に彼の弱点でもありましょうか)を典型的に示してもおり、この楽天的なエンディングに対して思わず微苦笑が洩れてしまいました。田坂はサヨク的な思想表現においても、やはり愚直なまでにストレートな人だったのです。
 それにしても、書割のセットから始まった映画は、製糸工場内部の工程をドキュメンタリー風にスケッチした部分や、最後には大掛かりな火事の場面まで用意され、なかなかどうして1928年当時としては立派な大作だったと思われ、その題材を実に誠実に、かつ巧みに組み立てた田坂の職人としての腕は賞賛に値しましょう。
 この映画のことはあまり知られていないと思われますが、もっと多くの人に知られて然るべき映画でしょうから、フィルムセンターはこれからも上映の機会を頻繁に作るべきだと思います。
 今回は活弁に斎藤裕子さん、伴奏がギター湯浅ジョウイチさん、フルート鈴木真紀子さんという布陣での上映でしたが、言葉も音楽も、饒舌すぎず、かといって寡黙すぎることもなく、映画の中身に寄り添った内容に徹しており、作品理解を大いに助けてくれるものでした。大いに感謝を捧げたいと思います。


「喜劇 汗」(10月29日 フィルムセンター小ホール)
1929年/監督:内田吐夢

【★★★ 社会主義礼賛を謳い上げたお話だが、チャップリン的ドタバタ性に溢れ、吐夢の意外な一面を発見】

 前記「愛の町」に続いて、フィルムセンター小ホールにおける“シネマの冒険 闇と音楽2006”の一環として上映された映画で、今度は坂本頼光さんが活弁を担当した一方、フィルムに洋楽が焼き付けられたサウンド版だったため、生伴奏はついていませんでした。
 上映前の坂本さんの前説では内田吐夢監督による“傾向映画の1本”と紹介されていました。内田の作品歴の中において、1929年「生ける人形」や31年「仇討選手」などは“傾向映画”と呼ばれていますので、30年製作のこの映画も、確かにそのジャンルに含まれるのでしょう。
 物語は、何不自由なく暮らし、享楽的な生活に退屈している富豪の御曹司が、ある日、豪邸を抜け出して自由になりたいと山の上の別荘から駆け下りたところで気絶してしまい、そこに通りかかったルンペンによって衣服を取り替えられ、労務者の仲間入りをして建築現場で働くうち、労働の愉しさを知ると同時に、労働の対価が中間で搾取されている実態を知り、いざ富豪の御曹司としての身分が明らかになったところで、搾取層を糾弾して労働者に相応の対価を払ってあげるという、階級闘争ドタバタ・コメディといった様相を呈したものです。
 なるほどこうした粗筋からも明らかな通り、貫かれた主題は“傾向映画”と呼ばれるに相応しい、楽天的な社会主義礼賛だと言えましょう。しかし、作りは徹底してチャップリン的なドタバタに終始しているのであり、後年あれほどに重厚な世界を組み立ててみせた内田吐夢が、サイレント期にはかくもアップテンポで哄笑的で動きの激しいドタバタを作っていたことに驚愕を覚えざるを得ませんでした。しかも、長回しの中での役者のコケさせ方、編集による笑いの作り方など、ドタバタが実に可笑しくて巧いのであり、内田には「大菩薩峠」「宮本武蔵」「飢餓海峡」など、重厚な題材ばかり割り振られてしまい、彼にコメディを作らせなかったことは戦後映画の大いなる損失だったのではないかと思わせました。


「藤原義江の ふるさと」(10月31日 フィルムセンター)
1930年/監督:溝口健二

【★★ パート・トーキーという映画史上の珍品としての意義はあるが、溝口作品としては物足りず】

 フィルムセンター大ホールでは、“没後50年 溝口健二再発見”という特集が始まりました。溝口映画は、これまでにも機会があるごとに観てきたつもりですが、体系的に連続して観るという機会はありませんでしたので、今回を好機と捉え、可能な限り足を運びたいと思っています。
 この日の上映は、未見の映画「藤原義江のふるさと」。全篇の半分くらいが“ミナ・トーキー”ですが、残り半分は字幕サイレント(伴奏はついているサウンド版)という、パート・トーキーの作品です。
 冒頭は船の上。デッキで外の景色を見ている男の後姿に寄ってゆくキャメラ。そして、キャメラが横顔を捉えると、男=藤原義江が得意の喉を披露して「ふるさと」という曲を歌い、歌詞に合わせて映像は日本の山・川・海などの自然すなわちふるさとの美しさを点描してゆきます。なかなか快調な出だしだと思ったら、このあと、同じ船に乗っていたオペラ歌手のもとに若い女性が寄ってきて、「今の歌声は先生のものでしょう、ステキだわ」とか何とか、薄っぺらいエピソードが登場してシラケてしまいます。
 このあと、なかなか売り出しのチャンスをつかめない藤原が、あるホテルに滞在中、そのホテルの客室係の女性である夏川静江と恋に落ち、二人は結婚する一方、藤原はオーディションを受けに行った先で知り合った富豪の娘・浜口富士子に見初められてチャンスをつかみ、冒頭の船内で一緒になったオペラ歌手・村田宏寿を追い落とす形で人気街道を走り始めます。周囲にチヤホヤされて妻の夏川を蔑ろにし始めますが、絶頂期に車の事故で喉を痛めたと同時に、それまでチヤホヤした人々が引いてゆき、結局は妻の夏川や友人の小杉勇の尽力によって再起を果たしてゆくという、ステレオタイプのお話です。
 まだ溝口のワンショット・ワンシーン演出など固まっていない時期ですから、カットを割って作られているのですが、ここでは溝口の映像的センスによるカッティングより、トーキー機器の都合を優先した編集を施さざるを得ず、音を優先させたがゆえに絵の繋ぎには鋭さが欠けて、どこか弛緩した映像が続くのでした。音の編集にしても、トーキーによる同時録音部分と字幕部分の切れ目がブッツリとしてしまうなど、流れがギクシャクしたものでしかなく、観ていて心地よいものではありません。
 溝口は新しいもの好きな好奇心旺盛人間だったそうですから、このような新技術に対して、熟慮せずにホイホイ飛び乗ってしまったのかも知れませんが、それはやはりオッチョコチョイと呼ぶべき態度だったかも知れず、この映画の価値は“ミナ・トーキー”や“パート・トーキー”とはこういうものだ、という歴史的意義を後世に伝えるということに尽きていると思われます。

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