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寝台列車・大好きコミュの雑談&連絡板

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コメント(585)

>>[545]
寝台列車関係の合理化は以下の通りです。

91年=急行利尻の座席車をDCと共用化。

92年=急行大雪の利尻方式での特急格上げ。

93年=急行まりもの利尻方式での特急格上げ。

急行かいもん・日南の新型車両を導入による特急格上げ。

急行能登の14系寝台車連結廃止して489系リニューアル編成置き換え。

急行妙高・津軽・八甲田への戦力外通告。

特急ゆうづる(電車)のはくつるへの統合。

特急出羽の鳥海への統合による廃止。

94年=特急みずほの出羽方式での廃止。

特急あさかぜ1・4の紀伊方式での廃止による車両転配。

特急はくつるの電車リストラ及び、急行津軽方式で1往復化。
電車寝台の車両酷使による老朽化が原因である。

特急つるぎの廃止で捻出した車両を彗星に転用し、彗星で浮いた15型を急行だいせん・ちくまに転用。
14系寝台車の老朽化による車両取り替えである。

97年=特急はやぶさの鹿児島、特急富士の宮崎撤退。
特急あけぼのが秋田新幹線開業に伴う廃止で鳥海があけぼのへ改称。
急行ちくまの長野新幹線開業に伴う383系電車化。

98年=周遊券全面廃止サンライズ出雲・瀬戸の運行開始の絡みで特急出雲の浜田撤退。

99年=周遊券廃止で需要が激減した急行だいせんのエーデル(2両)の上に出雲市撤退の上に寝台車廃止である。
97年のちくまは能登方式、99年のだいせんは妙高方式でした。
>>[548]
博多あさかぜの車両の特急はくつるへの転配は、かつての紀伊の廃止でその車両が津軽へ転用した時のやり方と一緒です。
夜行急行列車の寝台車がある列車をあげると以下の通り。(昭和55年春)
狩勝=札幌〜釧路。
大雪=札幌〜網走(北見〜網走普通列車)。
利尻=札幌〜稚内。
すずらん=札幌〜函館(青函連絡)。

十和田3・4=上野〜青森(常磐線経由)。
★新星=上野〜仙台。
津軽(2往復)=上野〜青森(奥羽線経由)。
鳥海=上野〜秋田(羽越線経由)。
★天の川=上野〜秋田(新潟経由)。
能登=上野〜金沢(上越線経由)。
越前=上野〜福井(信越線経由)。
妙高=上野〜直江津(長野〜直江津普通列車)。
★銀河=東京〜大阪。

きそ=名古屋〜長野。

きたぐに=大阪〜新潟(米原経由)。
ちくま=大阪〜長野。
だいせん=大阪〜大社(出雲市〜大社普通列車)。
さんべ=米子〜博多。

かいもん=門司港〜西鹿児島(博多経由)。
日南=門司港〜西鹿児島(宮崎〜西鹿児島普通列車)。
寝台列車の急行は21往復程度あったことが解る。

内訳が北海道4往復(狩勝・すずらんがA寝台連結)。

東日本10往復(全てA寝台連結)。

東海1往復。

西日本4往復(きたぐにのみA寝台連結)。

九州2往復である。
寝台列車にとって一番の痛手になったのは昭和51年の運賃・料金の50%値上げでこの結果として西日本は航空機やフェリーに旅客が転移していったことが関西〜九州の寝台特急がダイヤ改正の度に削減になっていったことからして解るくらいです。
東日本の方が痛手が少なかったのは新幹線が出来るまで鉄道に頼るより他がなかったからです。
寝台料金をB寝台三段式基準で復刻版で見ると、昭和43年は下段料金で¥1000、昭和53年は¥3500、昭和63年は¥5000と大幅値上げしているのが、解りそこで特急・急行料金が加算されて行くから特に値段が航空機を上回るようになった関西〜九州ではそのことに原因があるといっても差し支えないといわざるを得ない。
>>[545] もう1つ大きいのは寝台列車を牽引する機関車とか24系だと電源車の問題やジェーアールになってからの機関士養成の問題もあります。
93年の辺りでは急行まりも・能登・かいもん・日南の4客車列車が姿を消していきました。
特に急行能登は三段式寝台で座席車で編成された急行ちくま・だいせんと似たタイプですが、一番やめた大きな理由は直江津で逆編成になる時にEF62型からEF81型への機関車牽引機の交換が面倒臭いからです。
復刻版時刻表で見ると昭和40年代は夜行急行列車の体質改善を名目に寝台特急列車に格上げが横行した時期で特に多かったのが東海道本線・山陽本線・東北本線系統です。
昭和50年代は国鉄の財政再建を名目に運賃・料金の50%値上げや新幹線開業や高速道路開業によって供給過剰になった寝台列車などの整理・縮小が横行した時期。
昭和60年代は国鉄分割民営化や瀬戸大橋・青函トンネル開業によって寝台列車が豪華になったり、バブル景気によってグリーン車の座席を再利用してグレードアップが横行した時期。
平成一桁年代〜平成二桁年代はバブル崩壊や株式上場や規制緩和などが理由に多くの列車が戦力外通告にされた時期。
平成二十年辺りから団塊世代の定年退職を迎えて客車列車の機関士がいなくなって寝台列車の多くが廃止に追い込まれ、北海道・北陸・九州新幹線開業などでサンライズを残して寝台列車から全面撤退した時期。
こういった色分けが出来てしまう。
寝台特急列車が数の上で全盛期なのは昭和49年度〜昭和53年の辺りで東海道・山陽・日本海縦貫・東北・上越線系統で合計42往復あった時代です。
東のゆうづると西の明星は7往復を数えたわけだから夜のL特急といわれていて有名でした。
>>[561] 昭和49年度に愛称の系統整理が行われて長崎本線系統あかつき、鹿児島本線系統が明星であかつきのブルトレの鹿児島本線系統を取り込んだ結果最大勢力になりました、日豊本線系統は彗星というふうになりました。
昭和49年度は山陽新幹線博多開業での寝台特急再編の時は東海道本線系統のあさかぜ1往復の他に山陽本線系統では彗星2往復、月光2往復が廃止されてあかつきは7往復から3往復、明星が4往復から7往復に増発され、なはがきりしまから改称されました。
この結果として余剰の車両を利用して彗星の残存3往復中2往復が電車化したのとはやぶさ・富士・出雲の24系への置き換えで浮いた車両を利用して東北本線系統は急行十和田2往復を特急ゆうづるヘ格上げでゆうづる7往復、急行北星の特急格上げ。
日本海縦貫線の日本海増発で2往復化、その絡みで季節急行北陸の特急格上げ、定期北陸は2代目能登ヘ改称、東海道本線系統は銀河1往復、紀伊をいなば・紀伊に格上げ、山陽本線系統は急行音戸を安芸格上げに持っていきました。
残念ながら20系客車を使用する列車はこの頃は評判がよろしくない上に特急安芸に到っては僅か3年で廃止の憂き目に合いました。
特急安芸は急行音戸を格上げしてから設定3年の廃止という最短記録の不名誉な結果を残しましたが、このような結果に至ったのは新大阪〜広島では根本的に距離が短いのだから、夜行急行列車の守備範囲だといえます。
特急安芸の急行音戸格上げは呉にある造船所のビジネス旅客や四国への連絡旅客を当てにして設定したといわざるを得ないといえます。
最も日本の寝台特急列車らしかったのが北陸号(上野〜金沢)で韓国の夜行列車と比較するとよく解るのがこれである。
韓国の夜行列車は朝の3時台〜5時台に目的地について強制的にそこで下車させるやり方なのに対して特急北陸は富山・金沢に非有効時間帯に到着しないようにする為に途中の長岡で運転停車して機関車交換を利用して時間調整するやり方でした。
ブルートレインの元祖である20系客車を別にすると新型といわれた電車寝台とか新系列のブルートレインはいずれも関西〜九州系統に夜行急行列車の体質改善を名目に寝台特急列車ヘの格上げ用として新車で優先的に投入されている。
二段式寝台は彗星1往復、あかつき2往復に投入された。
しらけ世代の石川さゆりさんの津軽海峡冬景色が歌われた時の昭和51年が寝台特急列車の全盛期だったのは山陽新幹線開業博多開業で余剰になった20系・14系を中心に夜行急行列車の寝台特急列車ヘの格上げが行われた時である。
寝台列車が残存出来るような所は中心となる大都市から昼行優等列車で最低でも4時間以上掛かるような距離の所であるといえます。
昭和50年代にあった急行のブルートレインといえば特急列車からの格下げ転用で生まれたもので北海道はまりも・利尻・大雪、東北は十和田・津軽・天の川、北信越はきたぐに・能登・妙高・ちくま、関西は銀河、山陰はだいせん・さんべ、九州はかいもん・日南。
まだその頃は寝台車の需要が多かった時代だといえます。
>>[573] 大阪駅だと、残念だけど、夜行高速バスドリーム号が多く走っているような現状であり、最近になると個室のバスもあるような現状の上に、駅員の勤務時間の問題があるから難しいのかなとも思います。
プレミアムドリーム号は1Fがプレミアムシートで、居住性は寝台車と大差がないといえます。
もう1つは、特急はやぶさ・富士・さくらが国鉄時代だった頃は、九州からだと時間帯からいって静岡までで、東京駅直通は九州地方からの宣伝広告みたいな所があったともいえます。 
はやぶさ・富士が廃止予定が1年延期になったのは、静岡県とのこういった絡みがありました。
寝台列車と座席列車の組み合わせのやり方は周辺線区などとのバランスもあったともいえます。
昭和47年3月の復刻版時刻表を読んで見ると、昼行優等列車と夜行寝台列車の選択の分かれ道は、4時間の辺りだといえます。
東海道新幹線はひかりが姫路、こだまは京都の辺りがボーダーラインだといえます。
東海道本線の寝台特急群がひかりの補完列車なのに対して、寝台急行銀河はこだまの補完列車という位置付けが出来るといえます。
普通347・344Мは急行銀河の座席車という位置付けが出来るともいえます。
それとドリーム号(東京〜名古屋・京都・大阪)は、当時としては急行列車の普通車指定席同等の扱いだともいえます。
事実、ワイド周遊券でのドリーム号利用では、急行列車指定席と同等の値段が料金でした。
昭和49年に24系25形(二段式寝台)が導入された際に、B寝台の設備格差から★印が導入されました。
★=客車三段式(新型は特急、旧型は急行・普通)。
★★=電車三段式(下段と上中段で料金格差)。
★★★=客車二段式。
昭和50年頃の辺りはB寝台の設備に格差が出た上に車両の近代化の結果として、A寝台にも格差が出ました。
A寝台を連結していた列車は以下の通り。
個室=特急はやぶさ・富士・あさかぜ1・4・出雲1・4号(東京駅)。
A寝台=特急さくら・みずほ・出雲2・3号(以上東京駅)、特急日本海3・2号(大阪駅)、特急北陸・北星・ゆうづる(客車)・あけぼの(2往復)(上野駅関係)。
急行狩勝・すずらん(北海道)、急行津軽(2往復)、十和田3・4号、新星、鳥海、天の川、能登、越前、妙高(上野駅)、きたぐに(大阪駅)、銀河(東京駅)。
やはりA寝台を連結している列車は東日本の方に多く西日本の方に少なかった所にも地域差があるといえます。
寝台列車が全国区で活躍していた時の系統をあげると以下の通りだといえます。
寝台特急が多く活躍していた線区は西日本方面は東海道・山陽・九州系統と日本海縦貫線系統、東日本方面は当然だけど東北本線系統だといえます。
その他に寝台列車は、北海道、東北、信州、北陸、近畿、山陰、九州のエリアでも多くが活躍していました。

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