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イエスの遺産☆キリスト教再生コミュのイエスの活動した時代

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イエスの時代のパレスチナの風景というものを、みんなはどういうふうに捉えているだろうか?
聖書から、あるいは聖書を題材とした映画やドラマから、なんとなく刷り込まれてしまっていないだろうか?
それらも全部が間違いではないとしても、正解だとも云えない。
時代考証的に正確を期した作品でも、細かく解説してくれるわけではないので、漠然とそれが二千年前の中東アジアの風景風俗なのだと受け取っているだけになってしまう。

ローマ帝国は刻々とギリシア化しており、ローマの文明はほとんどがギリシア文明のコピーと云っていい。
つまり地中海世界はギリシア文化で彩られていたワケだ。
イエスの時代のパレスチナを行き交うものは、誰でもギリシアの街を歩いているような錯覚を持った・・・ようだ。
ヨルダン川の沿岸にも点々とギリシア風の街が在る。
デカポリスはアテネをモデルにした街で、主神ゼウスやアルテミスの神殿があった。
ギリシア・ローマ風の劇場や公衆浴場もあった。
スタジアムや運動場さえ備えられていた。
街や建築物のみならず、生活様式やファッションもギリシア文化が浸透してきていた。
ピラトの政庁があるカイザリヤ。ヘロデの宮殿があったガリラヤ湖畔のティベリヤ。ナザレから数キロしか離れていないフィリポ・カイザリヤなどにも、ギリシアの建築、生活風俗は浸透してきていた。
ナザレなど片田舎の小さな村落にだけ、古来からのユダヤ式建築や生活様式が残っていたという報告もある。
これは、イエスが生まれるより早い時代からのことなので、イエスやマリアや弟子たちも違和感なく、アレクサンドリアやローマやアテネで織られたチュニックや外套を着ていたはずだ。
最後の晩餐などもそうだったのだろうが、肩肘をついて食事をするシーンを観た事があると思う。
あれも、元々はギリシア式の習慣で、ローマを通じてユダヤ人にも受け入れられていた。
(お行儀悪いので、日本では受け入れられないね)

このようなギリシア的要素=ヘレニズムは、ユダヤ教諸派にも、キリスト教の源流にも重要なファクターとなって作用します。

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