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イエスの遺産☆キリスト教再生コミュのホームルーム (コミュ運営上の意見提出トピック)

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よりよく自転・公転するためのトピックです。

小さなことから大きなことまで、ご意見のある方はコチラでお願いします。

コメント(163)

どんぐりさん☆
 −−−−−100−−−−−
議論なり検討なりすれば、それはあるものを採り、あるものを捨てることになりますから、何ものをも否定しないで通ることは難しいのではないかと思いますので、今後は「信仰ベース」による議論はしないようにしようと思います。
その意味からもトピックは分化して、私はひたすら刷毛で土埃を払い続けるほうがいいのかなと思います。
 −−−−−おわり−−−−−

これのことを言っておられるのでしょ?
これね・・・
確かにそう思っていて、今もそう思っているんですけど・・・
どんな場合にも100%適用させるのは、無理かな・・とも思っています。
言えるのは、当初、この考えの基になった<質問者への回答>の場合は、そうしたいということです。
質問の意図が<信仰に依る回答>を期待するものである場合、私のコメントは役に立ちませんからね。
それどころか質問者のスタンスごと、ひっくり返してしまいます。
そういう意味で、上記のように考えたのであって、<信仰義認は正しくないと考えるポォ★さんの個人的な意見や考え方にも制限をかける>ことは出来ません。
逆に、ポォ★さんの意見に反論する方にも<他人の思想に反駁するな>と制限できるワケがない。
他者の存在や立場を認め合うということとは、次元の違う話でしょ?
キリスト教について、何事かを考える場合、賞賛、肯定、容認、反駁、否定、攻撃・・と様々な要素が出てきますが、それは当然なことです。


≪「誰も神を見た者はいない・・・のであり、ただ証しする者を通してのみ神に会うことが出来る」のだと思います。 ≫
ここと・・・≪それだから「信仰義認」など、愚論であり、邪論だと言うのです。≫
は、繋がっています。
≪それだから≫が、その接続詞です。

「誰も神を見た者はいない・・・のであり、ただ証しする者を通してのみ神に会うことが出来る」
というのは、聖句から持ってきていますが、お気づきでしょうが聖句そのものではありません。
<証しする者>は、<私を見た者は神を見たのだ>というところのキリストを指していないんです。
それはあなたがたクリスチャンの中に居るかもしれないキリストを生きようとする者であり、あるいは世界のあちこちに居るキリストを知らぬ義人です。
「イタンだサタン」の[10]で書いた、喩えはみさにゃんこさんの言われるように舌足らずであったと思いますが、言いたかったのは・・・
「私の信じる神は素晴らしいから、あなたも信じてください」と百万遍唱えても、難解な教義論を振り回しても誰も信じない。
というか、誰も本当には神が見えない。
その人が<神の義を生きた時>彼らは、見ようとせずともその人の中に住まわれている神を見ることが出来、実感し、体感し、確証するのだということです。
(これは、実際に神が存在しているかどうかとは別の話しです。妄想でも良いのです)

≪信仰義認≫は、それとは違う、別の枠組みを設けて人を選り分けてしまう。
仏教には≪衆生≫と言う言葉がありますが、宇宙まるごとひとかかえにして一切合切救い取ろうとする、これの方がアカヌケテいる気がします。
≪信仰義認≫は、砂漠で強大国に振り回された卑屈な民俗信仰の田舎モンの神を引きずっていてアカヌケナイ。


ヘブル書の引用箇所は、じつは私は知らなかった聖句ですが・・・
実際に私が、ある福音派と思しきキリスト教徒から投げつけられた言葉です。
彼はこうも言いました。
「信仰を棄てたものが、信仰者に意見を言うなどオコガマシイ」
そして「非信仰者の意見など無視してよい」とも、言っていました。
この聖句によれば、信仰に立ち返ることは不可能なので、救われることも無いのだと。
救われない者が、救われている我々(信仰者)に、アドバイスするなど笑止千万という訳でしょう。
勿論、この考えが正しいわけでも無いですけど、こういう風に考える人がキリスト者を公然と名乗ってる日本のキリスト教界というのは、イヤハヤ不思議なところだなぁという印象なのです。
(福音派といってもピンキリのようですが、ちょっと興味が湧きましたね・・・福音派という括りって実際はどうなんだろう?・・と)
みさにゃんこさん☆

残念・・・

[126]を書いていて、「124」を見逃しましたあせあせ(飛び散る汗)
みさにゃんこさん、ポォさん、
まだまだ暑いですが、こちらは少し涼しい時間が増えてきました。
みなさんのところはいかがですか?

私は言語的コミュニケーションをいくら積み上げても解決できない問題のひとつと思います。
言語(人間の思考論理)そのものがみさにゃんこさんのいわれる「ハリ」なのしょう。

でも私は悲観しません。
根拠がないわけでもありません。
傷つけあうということも人間関係の一種ですから。
きっと、
あと一歩のところなのだと思います。
でも、そのあと一歩が届かないのです。
それが、もどかしくて悔しくて。
そんな風に思っております。

ポォさん、違うんです。
みさにゃんこさん、違うんです。

でもこれ以上続けることは、
怒らせたくないのに、ポォさんを怒らせるでしょうし。
みさにゃんこさんを、あきれさせるだけでしょう。

<信仰義認は正しくないと考えるポォ★さんの個人的な意見や考え方に>制限をかけたいと思っているのではありません。みさにゃんこさんの立場がダメだとか、その立場が私を傷つけるなんて思っているのでもありません。私たちは不完全な人間だから傷つけ合うのは仕方がある意味仕方がないけれど、だからといってトゲ剥き出しでは人が集まらないと思います。互いの警戒心をまず解き合えるような場所がまずなければ、つっこんだ議論なんて出来ないと思うのです。繰り返しになりますが、私は、信仰義認を<正しくないと考えるポォ★さんの個人的な意見や考え方に>制限をかけたいと思っているのではありません。はじめからトゲが剥き出しなら、相手の意見を聞く機会を失ってしまうと思いませんか。

ポォさんやみさにゃんこさんは、相手の意見を聞くよりも自分の意見をぶつけることが大切とお考えなのでしょうか。私は異なる立場の意見や考えを聞きたいと思っています。そして、自分としては耳を傾けて理解しようと試みてきたつもりです。ポォさんの視点も、みさにゃんこさんの視点も、ゴリ松さんの視点も、さいちゃんの視点も、私にとっての大切な宝のようなものです。(もちろん、それぞれ皆さんのほんの一部の理解に過ぎないでしょうが、本当にそう思っています。)本では学べない生きた証言です。私にとっては古い神学書や最新の神学書なんかよりよほど心に響き、心に刻まれます。

願わくば、異なる立場の意見を互いに引き出せる工夫を私はポォさんに求めたかったのです。
でも、これも多分うまく伝わらないでしょう。それが、もどかしくて悔しくて。あと一歩のような気がするのに。
(逆に、私が不理解で誤解し続けているのかもしれません。)

ですからこんどこそ本当に終わりにしたいと思っております。
ですからコミュのトップの画像変更をお願い致します。


それから、蛇足ながら、
ポォさんのおっしゃる<信仰義認>や<救われた私たち>の理解、どうも私の理解しているものとは違うような気がしてなりません。もう私からこれについて話す機会はないと思います。ただ私の印象だけを伝えさせて下さい。
みさにゃんこさん。

みさにゃんこさんのような方に私ごときが語るのもおこがましいですが、
イスラム教徒にイスラム教の矛盾を指摘したり
キリスト教徒にキリスト教の矛盾を指摘するのは重大なことですよね。

 「元キリスト教徒」という視点は私には欠けていました。
  (というか、全く想像できませんでした。)
 ご指摘お受けしました。ありがとうございます。そしてごめんなさい。

しかし、ご存知のとおり、それを突き詰めると
「命のやりとり」に発展する問題です。

実際論理的矛盾を解決するために死ぬくらいなら、
矛盾を抱えたまま生きるほうが何倍もいい。
そして、一人でもたくさんの人に私は生き続けて欲しいです。

まず「生きる」ということを第一義に考えねばならないと思います。
ゴリ松さん☆
京都が涼しくなれば、コチラもきっと涼しいはずです^^
ここのところ、夜になると空気が変わり過ごしやすいです。

今夜など群青の夜空にポッカリお出ましの月に明星が寄り添い・・・
美しい秋の夜空のようです。

実際、職場の近所ではもう虫たちが鳴き始めています。

今年は秋の訪れが早いのかもしれません・・よ。


ユックリやりましょう。
個人的に言えば・・・
<信仰義認>については、以下のウィキなどを参照されても解かると思いますが、カトリックとプロテスタントの言い争いの中でも最もクダラナイ・・・というか。
外の目から見れば、まさに「箸にも棒にもかからない」超低レベルな教義論争です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E4%BB%B0%E7%BE%A9%E8%AA%8D

私がこれに否定的なのは教義そのものよりも、それを口にして<それ以外のものを認めようとしない>自称メインラインの者たちの<みょうちくりんな選民意識>が大嫌いだからです。
どんぐりさん☆

トップ画像は、今のままが一番良いと思いますけどね・・・

多分、他の皆さんもそう思っておられると思いますよ?

私が何年ぶりかでペンを取っても、あんまりイタダケナイというか、偏ってしまいます。
>ポォ★さん
「自称メインライン」はカトリックを含みますか?

信仰義認というのは、もともと証を重視していたカトリックが金儲けに利用し出したので、プロテスタントの人たちが反発して神学を発展させたのだと思います。その後、年月を経てカトリックも心を入れ替えて、「行為だけではなく背景に信仰が必要、だから同じことを言っているだけ」としたのですよね。

つまり、反発する理由がなくなったので仲直りしただけで、カトリックは証が要らないとは言っていないし、証は重視されています(特に福音宣教で)。

あと、カトリックは他の宗教でも救われるとしているので選民意識は無い(はず)と思います。

いかがでしょうか?

#「神の存在する世界と存在しない世界は、同時に成立する」と思っているのは私だけ?
さかばさん☆
「メインライン」と言ってしまうと、当然カトリックも含まれますが、あんまりカトリックでは<信仰義認>を口にする向きは無いように思います。
・・なので、プロテスタントの主流派ということです。

カトリックとルター派とで、整合的な<談合>をやらかしましたが、なんだか当人たちも「馬鹿馬鹿しいのでやめようよ」的な仲直りの感がしますね。
このことではもうお互いを攻めないことにしようということでしょ?
プロテスタントの中には、それすらも認めない<残党>が残ってるだけで。

私は信仰なしの<行為義認>も可としています。
つまり世界の端っこで、個人的にでも村の掟的にでも、辿り着いたのが<義>であれば良し・・・なのです。

それによって救われるとか救われないとかは、知ったこっちゃないのです。

≪#「神の存在する世界と存在しない世界は、同時に成立する」と思っているのは私だけ?≫
ここは、もうちっと要説明^^;・・・お願いします。
>ポォ★さん

≪私は信仰なしの<行為義認>も可としています。≫

第2バチカン公会議以降のカトリックでは、クリスチャンは「水の洗礼」、それ以外の人にも「恵みの洗礼」があるなどと言って、クリスチャンでなくとも御旨に沿う人は救われると言っています。義とされる人であれば、キリスト教信者でないのも信仰のない方も(本人が望まなくても)みな救われると思います。

神の存在する世界と存在しない世界は、別の公理系のようなものだと思っています。それぞれの公理系内で説明できても、別の公理系では証明できない、そんなものだと思います。

ひとつの事象に対して、神の御旨ととらえることもできますし、偶然ととらえることもできます。神さまは心の中にいるともいえますし、現実にはいないともいえます。心で思えば存在するし、科学的な実証を求めれば存在しない。答えは一つと限らないと言うのが、私の考えです。
さかばさん☆

なるほど・・・よく解かりました。
みながそのような理解であれば、喧々諤々仕様の無いことで言い合わなくて済むのにと思います。

しかしカトリックの中にも時に依怙地な信者さんがおられますが、あれは何としたことでしょう?
>ポォ★さん

≪しかしカトリックの中にも時に依怙地な信者さんがおられますが、あれは何としたことでしょう?≫

カトリックでは公式な解釈のほか、個人での解釈も認められています。なるべくなら教会の方針に沿っていただきたいものですが、仕方のないところだと思います。

以前、離婚を禁ずる聖句を分かち合った際に、「最近は離婚も認められますよね」と何げなく言ってしまい、「この言葉を守ろうと必死に耐えてきたのに、、」とある女性を泣かせてしまったことがあります。人それぞれに信仰は異なるので、意見の交換は注意深くする必要があると思いました。教会の刷新と言っても時間がかかるのは、そんなところが関係していると思います。

ところで、この「ホームルーム」というのは「聖徒(生徒)の交わり」と掛けているのかと思っているのですが、関係ありませんか?
さかばさん☆
個人的な解釈を許さないということになると、中世以前へ逆戻りしてしまいますからね。
しかし、プロテスタントの「聖書信仰」ならぬ、「ドグマ信仰」のようなものがカトリックの片隅の湿った日陰に湧いているとしたら、それもナンダカナァ・・と思います。

泣き出すほど「耐えて」いたのなら、却って開放されたかも知れませんよ・・・その女性は。

「ホームルーム」というのは「聖徒(生徒)の交わり」と掛けている・・・ワケじゃないんです・・・というか、そこまで深くは考えていませんでした。
単純に中学生のような「(一見)みんなで方向性を見出していく(ように見える快感)」を現出できればイイナ・・と(笑)
本当はこういったコミュの方向や運用法というのは、ある程度予め定まったものがあって、それへ合焦点し像を結んでいくだけなんじゃないかと思うので。
みさにゃんこさん☆

ケケッ・・私があんまりパウロが好きじゃないのを知っていて、そんな本を持ち出してきたんですかね・・?
でも、せっかくだから読んでみましょう。
私もパウロを誤解してるのかなぁ?

四谷を歩いていると、今年はパウロ生誕2000年とかいう大祭のポスターがアチコチにあって・・・
「どこに紀元8年生まれって書いてあんだよ!」
街角で一人、ツッこんでいました。

しかし、けっこう高いじゃないですかw・・・その本。
まぁ、最近はどの本もなかなか高くて・・・ホントに書物が高価だった昔の書生のような気分ですよ。

そういや、清水哲郎氏も・・・「元」ですよね。
罪人の集まりと知って入ったので、文句は言えません。

たった一つの聖句の解釈ですが、その方の何十年かの人生を否定してしまいました。決して解放されなかったと思います(躓きかけさせたかもしれません)。そんな難しさが信仰の議論にはあると思います。

聖徒じゃなかったんですね。残念!
さかばさん☆
人生とユニゾンしてる場合、えらい事になったりするワケですね。
しかし、同じようなことは信仰以外でも起こりえるし、それがひとつのエポックメイキングに繋がったりもします。
我が国の場合、敗戦もそうですよね。
「躓き」を恐れず、突き進む時も必要かもしれませんよ?

みさにゃんこさん☆
たしか・・・そうだったように記憶していましたので、調べたら<脱・福音派>だそうです。
私のように棄教したのかどうか判りませんが、福音派教会からは退会し離教しているそうです。
>みさにゃんこさん

それぞれの公理系のうち、何を大切に思ってその系に生きるか、そこがポイントなのでしょうね。
わたしが大切にしている公理系は、選びとったものではなく、与えられたものです。それも人生の危機において与えられたものなので、少々ほころびがあっても手放せないものです(ゆるゆる加減もお気に入りです:-)。

>ポォ★さん

唯一絶対の解釈というものが存在するなら、そうかもしれませんね。でも、いくつもの教派に分かれている現状を考えるなら、そうではないでしょう。
昔のカトリックの公教要理(何となく公理に似てますね:-)も一つの解釈ですし、少なくとも現状の婚姻の無効が、唯一の解釈では無いと思っています。
さて・・・話しを(ずぅ〜と)戻して、トップの書き換えを考えたいと思います。

コミュのタイトルもいじるかも知れません。

旧コミュのタイトルが「Q&A」と誤解(曲解)されたような轍を避けるためにも、疑問質問というところから離れようかと思います。
もちろん質問があったり、疑問が起こったりすれば、答えられる人が答えたり、みんなで考えたりするのは<変わらぬ成り行き>だと思うし、殊更、疑問を募るような看板でなくても良いのではないかと思い始めました。

数日中に草案を出す予定ですので、それによってまた考えられても良いですし・・・

ともあれ、9月1日くらいから、新しい看板にしたいとは考えています。
こんな感じではどうでしょうか?


 −−−−−草 案−−−−−

クローバー名称についてクローバー

☆小惑星 J−730☆ 〜クリスチャニティ R6〜

ここはナザレのイエスに憧れる人たちの小さな惑星

むかし、あるカトリック司祭に言われました。
『キリスト教という日本の訳語は、あまり良くない。
 クリスチャニティは教えではない。
 生き方です・・・キリストを生きるということです』


クローバーコミュニティの目的クローバー

キリスト教ってなんだろう?イエス・キリストって?

キリスト教について、いろいろ疑問が思い浮かんでも身近に聞くべき相手が見当たらない、もしくは話題にしにくい。
そんな疑問をじっくり話し合うコミュニティです。
キリスト教には縁遠かった人、興味はあっても洗礼を受けていない人は勿論のこと、洗礼を受けていて毎日曜日教会へ行く人も、教会を離れている人も、また、自称クリスチャンも他称クリスチャンも、それぞれにキリスト教について理解を深めて、それぞれの成長に役立ててもらえるコミュニティになればと願っています。

◆キリスト教に護教的である必要はありません。批判は重要です。
◆仏教、神道、イスラーム、ユダヤ教、ヒンズー教も、ジャイナ教も、無神論者も、それぞれの宗教、イデオロギーは問いません。
 ただし<どっちが正しいかの議論>ではなく、困難ではあっても相互理解による試みと実現を目的とします。
◆ここでは全ての異端は存在しません。
みさにゃんこさん☆
old+new、ともに考慮します。

管理者と個人の立場の違い・・・これは、誰にも解かるように表示することもさることながら、自分が使い分けることからして充分に難しさを感じています。

でも、なんとか考えます。
アンチ護教や、護教という思いがあるのだと思いますが、
「護教」とか「批判」「異端」という言葉は要らないのではないでしょうか?

◆教義に関係なく自由な議論をする場です。
◆キリスト教、仏教、神道、イスラーム、ユダヤ教、ヒンズー教も、ジャイナ教も、無神論も、独自の解釈も自由です。ただし<どっちが正しいかの議論>ではなく、困難ではあっても相互理解による試みと実現を目的とします。

で良いと思います(「独自の解釈」を加えました)。
>みさにゃんこさん

だとすると、

◆キリスト教に護教的である必要はありません。探究は重要です。

で良いと思います。
いろいろ細かいところで難しいもんですね。
でも、後々のことも考えて配慮するのも・・・それはそれでひとつひとつ考えたり、確認したり・・・良いことだと思います。

たしかにこれまでも「批判」と言う言葉は誤解されまくってますから・・・
かといって、その都度<言葉の意味>を付加するのもナンダカナァ・・と思っていました。

本来の意味で言うと、このコミュの目的は<キリスト教批判>なんですけどね^^

でも・・・「意味の使われ方」というものがあるのも確かなので、誤解されないような文言を考えましょう。
もう少し・・・<もしかすると出てくるかもしれない違った意見>を待ってみることにします。

今月半ばまで待ってみて、意見が動かないようでしたら<上記コメント>を反映させた形にしようと思います。
 −−−−−草 案 <2>−−−−−

名称について

☆小惑星 J−730☆


むかし、あるカトリック司祭に言われました。
『キリスト教という日本の訳語は、あまり良くない。
 クリスチャニティは教えではない。
 生き方です・・・キリストを生きるということです』


コミュニティの目的

キリスト教ってなんだろう?イエス・キリストって?

キリスト教について、いろいろ疑問が思い浮かんでも身近に聞くべき相手が見当たらない、もしくは話題にしにくい。
そんな疑問をじっくり話し合うコミュニティです。
キリスト教には縁遠かった人、興味はあっても洗礼を受けていない人は勿論のこと、洗礼を受けていて毎日曜日教会へ行く人も、教会を離れている人も、また、自称クリスチャンも他称クリスチャンも、それぞれにキリスト教について理解を深めて、それぞれの成長に役立ててもらえるコミュニティになればと願っています。

◆キリスト教に護教的な立場も、また逆の立場も尊重されます。
 アンチキリスト【教】であっても同様です。
 真摯な検証、思索、探求、実践を歓迎します。
◆キリスト教、仏教、神道、イスラーム、ユダヤ教、ヒンズー教も、ジャイナ教も、無神論も、独自の解釈も自由です。ただし<どっちが正しいかの議論>ではなく、困難ではあっても相互理解による試みと実現を目的とします。
◆ここでは我々の<自由で多様な社会同様>全ての異端は存在しません。
 ただし、破壊的な言動、行為は除去されます。

●管理人は棄教者ですが、管理の基準と立脚点は「日本の道徳と良識と法律」に沿ったものでありたいと考えています。

 −−−−−−−−−−−−−−−−−

単語、熟語の意味に頼らず、できるだけ噛み砕いたつもりです。

ご意見が無ければ、9月20日から施行します。

(もし改良点がありましたら、細かい部分でも構いませんのでお願いします)

(ヤボ用で・・)一日、遅れましたが上記の通りトップ説明文を書き換えました。

また何か不都合が生じれば、その都度意見を求めて改良していくつもりです。
よろしく手(パー)
コミュニティの名称について・・・

けっこう気に入っているのですが、mixiの検索システムに変更があったとかで、タイトルのみが検索対象となったようです。

人集めに執心しているワケでもないのですが、今のタイトルだと、何の検索にも引っかからないんじゃなかろうかと・・・
それもナンダカナァ〜ということで、暫定的に少し言葉を加えておくことにします。

小惑星J−730☆イエスの遺産

こういうふうにしました。
タイトルは15文字までという制限がありますが、ちょうど15文字です。

あんまり良いタイトルではないかもですが、あくまで暫定的ということで、良いのがあったらまた変えます。
しばらくの間、巡回だけで放置していました。

まぁ、いろいろと雑用もあったりして・・・

でも、それよりも、どうもやはり無理な運用をしていたような気がして、少し考えていました。

いくら管理と個人とを分けていても、人はそうは見ない・・・というのも現実だし、モノゴトひとつひとつを、あ〜これは管理人で、コッチの過激なのは個人なんだと分けながら受け取ったり返したりするのも、けっこうなエネルギーかも知れないし・・・

で、近々、トップを大幅に変更したいと考えています。

画像もなにか入れるつもりです。

どちらも管理人の趣味がわりあい反映されたものには成ると思います。

タイトルも変更します。
・・・と、書いてから更に半年が経過してしまいましたあせあせ(飛び散る汗)

まぁ〜いろいろと考えたりすることも多くて・・・その割りに良い考えはまとまらず。

しかし、そろそろ始めようかと思います。

コンセプトの基本は何も変わりませんが、アプローチは・・・変わるかな。
本日、トップを更新しました。

以前から、悩みの種であった<管理人と個人>の使い分けは行わないことにしました。
そうしなくても良いように方針を整理したつもりです。


また、画像は・・・もう少し考えます。
というのも、団栗さんが云う、<ポォさんのイメージ>といっても、イエスの実像を模索しているところであるワケですから、なかなかひとつに搾れないでいます。

安易に、あるいは暫定的にテキトーなものを貼り付けるのも、ナンダカよろしくないような気もするので、もう少し固まったら・・・ということにします。

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