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イエスの遺産☆キリスト教再生コミュのイエス・実存の痕跡

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あらためて・・・というか、ダイレクトに「イエスの史実性」を探るトピックです。

まず、福音書でしかイエスについての記述に触れることは出来ないのですが、この福音書に書かれていることで史実性を証明できるものは(直裁に言うと)何もありません。
ただのひとつも無い。
実在が疑われた時代もありましたが、私自身は実在を確信してはいます。
(しかし証拠は無い)
福音書以外では、彼のことをどこにも誰も書いていない。
どうしてないのか不思議なくらいです。

ヨセフスの著書には洗礼者ヨハネに関する記述はあるのに、イエスは無い。
ただ、このヨセフスの「ユダヤ古代誌」には、後代の加筆と見られる、ホンの僅かなものですが「イエスに関する記述」が、あることはあります。
その内容から、のちのキリスト教徒の手による加筆であることは明白ですが、これがスッカリ加筆なのか、それとも改竄なのかはワカリマセン。
改竄だとすれば、元のテキストがある訳ですから、なんらかの記述があったのかも知れません。

ともあれ史実のイエスと言ったって、現在のところ、イエスの実在、イエスの思想、イエスの行動、発言、その他諸々、一切合財が証明不能というところから始めねばならないワケで、いやはや難儀なことです。

コメント(13)

なぜ、イエスに関する記述が福音書以外に存在しないのでしょうか?

先に書きましたように、ヨセフスの著作『ユダヤ古代誌』にも「洗礼者ヨハネ」や、エッセネ派、ゼロテスなどについての記述があります。
もちろん、サドカイ、ファリサイなどの主流派についても詳しい記述がありますし、人々の生活や、そこに流れるいろいろな事柄について書き記した膨大な量におよぶ大著です。

ヨセフスという人は、エルサレムの祭司の家系に生まれ、青年時代にサドカイ派やエッセネ派などを経て最終的にファリサイ派に属します。
66年に勃発したユダヤ戦争で当初ユダヤ軍の指揮官としてガリラヤの町ヨタパタを守ってローマ軍と戦いましたが敗れて投降しました。
このときローマ軍の司令官であったウェスパシアヌスが後にローマ皇帝になると予言して助命されました。
まぁ、精一杯の「お世辞」で命乞いしたワケですね。

ネロの死後、実際にウェスパシアヌスが皇帝になると、その息子ティトゥスの幕僚に加わりエルサレム攻撃にも参加しました。
そして70年、エルサレムは陥落しました。

その翌年、ティトゥスと共にローマに赴き、終生そこに留まりましたが、彼はローマ市民権と皇帝の氏族名である「フラウィウス」という名まで与えられています。
それで、彼の名は「フラウィウス・ヨセフス」として世に伝わりますが、本名というか、ユダヤ人としての名は「ヨセフ・ベン・マタティアフ」といいました。
マタティアフとは、旧約聖書の第二正典「マカバイ記」に詳しいが、ハスモン王朝の始祖の家系に由来します。

75年から80年にかけて『ユダヤ戦記』を書き、評判を得ました。
現在まで伝わっている原本はギリシャ語版ですが、アラム語版も存在しました。

さらに95年前後、ユダヤ人の歴史を天地創造から書き起こした『ユダヤ古代誌』を完成させます。
これは、ローマに対する「ユダヤ人弁護」のためという性質も含んでいます。
しかし、ユダヤ人側からは「裏切り者」と呼ばれています。
まぁ、当然ですがね。

このように、彼はローマの地で、ローマ側に立ち、これらを書き記したわけですが、それならなぜローマ統治に対する「反逆者イエス」の名が出てこないのでしょうか?
イエスの活動と、その刑死は書き留めるほどのこともない、ごくありふれた出来事だったのでしょうか?

ほんの僅かですが、『ユダヤ古代誌』には、後代の挿入、または改竄と考えられる「イエスについての記述」があると書きましたが、それは以下のようなものです。

   **********
さてこのころ、イエススという賢人 −実際に、彼を人と呼ぶことが許されるならば− が現われた。
彼は奇跡を行う者であり、また、喜んで真理を受け入れる人たちの教師でもあった。
そして、多くのユダヤ人と少なからざるギリシャ人とを帰依させた。
彼こそはクリストス(キリスト)だったのである。
ピラトスは、彼がわれわれの指導者たちによって告発されると、十字架刑の判決を下したが、最初に彼を愛するようになった者たちは、彼を見捨てようとはしなかった。
すると彼は三日目に復活して、彼らの中にその姿を見せた。
すでに神の預言者たちは、これらのことや、さらに、彼に関するその他無数の驚嘆すべき事柄を語っていたが、それが実現したのである。

 なお、彼の名にちなんでクリスティアノイ(キリスト教徒)と呼ばれる族は、その後現在にいたるまで、連綿として残っている。
   **********

「ヨセフスのキリスト証言」と呼ばれるこの一文は、とてもそのまま鵜呑みには出来ず、古くは16世紀頃から疑いの目が向けられて来ました。
ヨセフスは、祭司系の氏族に生まれ、最終的にファリサイ派となった(これはユダヤ戦争後のユダヤ教諸派の盛衰にも起因していると思われますが・・・)バリバリのユダヤ教徒です。
その彼が・・・
<すでに神の預言者たちは、これらのことや、さらに、彼に関するその他無数の驚嘆すべき事柄を語っていたが、それが実現したのである>・・・などと記述するのは、どうにも整合しない。
これは「(旧約)聖書はイエスがキリストとして降臨することを預言した書物」とするキリスト教徒の立場からの言葉でしかない。
<−実際に、彼を人と呼びことが許されるならば−>・・・という部分も同様にキリスト教徒でなければ書けない文言であります。
<我々の指導者・・・>は、イエスを神の子などとは認めてもいないのですから。

そういう訳で、これは後のキリスト教徒による加筆挿入、もしくは改竄であるとの見方がほぼ固まっています。

しかし、そうなるといよいよもって「イエスに関する記録」は、ローマ側にも、ユダヤ側にも、周辺の都市にも存在しないことになって、イエスそのものの実在すらも疑われたのです。
しかし、新約聖書に含まれる四つの福音書以外に、全くイエスに関する記述が無いのかと言えば、そうとも言い切れません。

それは、正統継承教会が「外典」「偽典」として退けた、いくつかの極めて疑わしい内容を含む「福音書」と言う名を冠した「大衆読み物」の存在です。
ナグ・ハマディ文書と呼ばれる「トマスの福音書」に代表される、「ユダの・・・」「マリアの・・・」など、グノーシス的色彩を含むいくつかのものですが、これらの著者も「イエスに関するある伝承」を集めています。
もちろん伝承というより、うわさ話の域を出ないものや、著者の想像力の産物に違いないと思われるものも含んでいて、文書としてのクオリティは低いのですが、正典以外で残っているものは、これだけですし、書かれた時期もリアルタイムとは言えないので、記録とは呼べないにしても、噂ばなしや言い伝えの中にイエスの実在につながるものが無いとも言い切れません。
これらのものも写本(という作業)によって「残ってしまった」ものでしょう。

さて、外典、偽典は残ったが、正式な文書や記録は一切残っていない(もしくは最初から存在していない)というのは、どういうことなのか?

これに関して、二つの可能性を提示してみます。

一つ目は、ナザレ出身のイエスという活動家の存在は、日常的にありふれた「ラビのひとり」であり、ホンの一瞬、世間を騒がせたこともあったが、彼のシンパ以外の者からはすぐに忘れられてしまい、記録にとどめるほどの出来事ではなかった。

二つ目は・・・
実は、ローマ側には刑罰の記録や報告書をはじめ、いくつかの記録も在った。
ユダヤ衆議会にも、民衆の間にも、それぞれの立場から書かれた物が存在した。
だが、それらは後に勢力を拡大し、教団としても、政治勢力的にもその存在を確立していき、ついにはローマ国教の地位をも手に入れた「キリスト教会」の示す信仰上のイエス像とは著しく違っており、「実在したイエスに関する書かれた物」は焼き捨てられ、伝承は逆に作り変えて、新たに「書き留める」ことによって元々存在した「イエスに関する記憶」は抹殺された。


以上は、可能性のひとつでしかなく、証明のしようもないことですが、全く記録が残っていないという「不可解な事実」について、充分に考えられる可能性ではあると思います。

それでも、尚、民衆の間に残ってしまった<いくつかの記憶の寄せ集め>を、仕方なく<外典・偽典>と呼び、取るに足らぬものとして退けたカタチで、その存在を許しているのかも知れません。
昔、ナショナル・ジオグラフィックチャンネルで外典(偽典?)の
内容を元に「キリストのライバル」という番組をやってました。
http://www.ngcjapan.com/explore/2blddp0000000oy9.html

それによると、イエスのような奇跡を行う人間が沢山いたようです。
なぜ、イエスだけが残ったか?偶然と思うか、必然と思うかは、
信仰の有無で意見が分かれるでしょうね。
さかばさん☆
ナショナル・ジオグラフィックチャンネル・・・って、ディスカバリーチャンネルみたいなヤツですか?
あ〜ゆ〜の、けっこう好きですけどね。

イエスのライバルというと、やっぱりあの偉大な魔法使いアポロニウスが出てくるんでしょうかね。
彼もまた死人を蘇えらせ、悪魔を追い出し、預言を行い、病人を治癒し、ついには生きたまま天に昇ったんですよね。
ただ、教えを宣べたり、終末論はブたなかったようですが・・・

ただ、初代教会にとっては驚異的な存在だったでしょうね。

イエスの「名」が残ったのは、偶然や必然と言うよりも、ものごとには原因と結果があるということでしかない。
結果はまた、原因の一つでもあり、経過でもある。
ひとつの原因から複数の結果が生まれるときもある。
その連なりが歴史ですから。
その番組私も見ました。

ともかく、私はイエスは必然だったと思う派です。
「史的イエス」の研究はシュバイツァーが言うように、18世紀のライマールスに始まると言って良いと思いますが、そのシュバイツァーがライマールスを覆したように、またシュバイツァーの「終末論的神の国のイエス」も、その後の研究によって・・・たとえばルナンなどによって覆されています。

しかし、そのルナンの名著と言われる「イエス伝」もすでに百年も前の著作です。
現在の史的イエス研究の成果から見れば、如何にも古い。

では、現在、手軽に読むことの出来る「史的イエス」についての考察には、どのようなものがあるか・・・
実は「決定版」というようなものは無いのです。
あらゆるイエス像が提出されていますが、決定的なものが無い。

だが、総じていえることは教会が継承していると思い込んでいるような、イエス像はどこにも語られていないということです。

私自身は、ざくっと言えばユダヤ教改革を目指したラビ(旧約にたびたび登場する改革的預言者のように)であろうと思いますが、あくまでも現時点では・・・という但し書きがつきます。
「史的イエス研究」は"タマネギの皮剥き"に似ている、なんていう揶揄を時々耳にすることがあります。


私にこれまで、そういう風に言った方っていうのは、多くは、ある程度「史的イエス」にも興味を持ったことのある現行クリスチャンで、途中で探求を投げ出した人に多いようです。
めんどくさくなったんでしょうね。
よく解かりますけどね。

タマネギやラッキョウは、どこまでも剥けてしまい、ついには何も無くなってしまう。
でも、我々はタマネギの中に何かがあると思っているワケじゃなくて、皮に付着した僅かな土から、それが採れた土壌を探る。
形や大きさや味から、品種と栽培地域を特定する。
その畑の土の中に残された糸くずのような「根」や、肥料を割り出す。
それが何処からの物か・・・誰が作り、誰がどのような経路で運んできた肥料なのか。
更には、遺伝子レベルでも分析していって、タマネギそのものの原種とその発生(原産)場所を探すような試みです。

ちなみに、タマネギの原産は中央アジアだと言われていますが、野生の原種はまだ発見されていないんですよね。
相当、昔から栽培や品種改良が行われてきたんでしょうかね。

まぁ、だからといって「史的イエス」に眼をつぶって、なんだか正体も素性も判らぬものを「信仰」したりは出来ないって話しではあります。
「教会」が伝えてきたものに誤りがあることが判っていながら喧伝することはもっと出来ない相談ですがね。
しかも、その「誤り」は、写本を繰り返すうちに「まちがっちゃった」ようなもの(も含むけれど)ではなく、かなり人為的、作為的なものですから、尚更です。
みさにゃんこさん☆

≪ユダヤ教徒側の複数の文献において、宗教的な活動をした『イエス』が処刑されたことを記しているものがあったかと思います≫

これは、もし探せるものならぜひとも読んでみたいですね。
ただ、その吊るし首になったイエスが、同一人物なのかどうかワカリマセンが、別人であったとしたら、それはまたそれで、ではなぜ<あのイエスだけ>記録されていないのかと言うことになりますし、より<記録の消失>に興味が強まります。
同一人物であった場合は、メインラインの意匠総入れ替えとなりますかね?
エホバの主張も笑い話になっちゃいますけど・・・


≪ところで古代美術の検証はいかがですか?≫
そうですね・・・その線もありますね。
だけど、絵は専門といってももっぱら描く方で、美術鑑賞の知識はあまり持ってなくて、しかも古代美術となるとサッパリです。
キリスト教美術も、どうもイコンなど、あっこらへんも含めて、歴史的価値や考古学的価値としての、「落書き美術」には興味が持てなかったもので、あまり詳しく勉強していません。
カタコンブ時代には興味はありますがね。


≪キリスト教が国教になる前のローマ帝国においては、ユダヤ教徒は他の民族とは異なりどちらかといえば保護の対象でした≫

これは、どうなんでしょう?
私は(別の視点かもしれませんが・・)ローマのユダヤ人迫害は、相当以前から続いていたと読んだことがあります。
たしか・・・「ユダヤ人とローマ帝国」(講談社現代新書)大澤武男・・・だったと思います。

【わりとドウデモイイ補足】

ここでコメントをいただいている方々は、既にお解かりのことで・・「そんなことお前に言われるまでも無い」・・とお思いでしょうが。

ある場所で、福音書の記述の史実性について・・・

≪ユダヤ属州の総督であった、ポンティオ・ピラトが在任していた26〜36年までに処刑された。
大祭司カヤパも同じ頃の任期だった。
処刑された罪状は、ローマへの反乱を企てたという政治犯であった。
共観福音書では一年余り、ヨハネでは三年というごく短い宣教期間であった。
事実として確実なのはこれぐらいしかなかったはずです。≫

などと、お書きになっている方が居られて・・・
更にはボクも昔、使徒信条の文言に対して、「とりあえず事実の引き写しと言えるのは、『ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死して葬られ』という部分のみですから」
・・・なんて、書いたことがあります。

しかしこれは真っ赤なウソでして、とりあえず、ヘロデの治世下に生まれ、ピラトの在任中に政治犯として処刑されたという報告すら証明はできない。(できていない)

一切・・・一行たりとも福音書の記述は(書かれたままには)信用できないのだということを、確認しておきます。
みさにゃんこさん☆
そうですかぁ〜見つからなかったですか?
残念!

でも、ボクは実在を疑ったことはないんですよ。
たしかに証拠は無いですが、福音書だけを見ても、誰かが創作した架空の人物と考えるのはずいぶん無理がある。
もし、福音書以前の草莽期に作られた架空だとしたら、もっと時系列を整えて細かい部分に矛盾など出ないように辻褄合わせて書くと思います。
やはり、伝承を掻き集めて並べたからこそ、マルコの雑然とした記述になり、それを律法的解釈で整えようとしたからこそのマタイであり、パウロ主義的補足説明を施したルカとなるのだと思います。

4つの福音書の全てに言えるのは、誰も生前のイエスに会った事が無い者が書いているということです。

イエスの弟子が本当は何人居たのかも不明ですが、十二使徒という直弟子グループの存在は・・・疑わしい。
これは作られた可能性があると思います。

イエスの容貌については、どこかでモンタージュが作られたりしていましたが、まぁ〜どうだかわからない。
西洋絵画風ではないことは確かでしょうがね。

3番の主張が最もソレらしいとは思います。
↑の方で、さかばさんが紹介してくれた「イエスのライバル」というナショナル・ジオグラフィックチャンネルの動画をニコニコで発見しました。
同時に「ヨハネの黙示録」を扱った番組もありました。
5編に分割されてましたけど、まぁまぁ面白かったです。
コメンテーターの立場を表示しているともっと良かったのにと思いますが。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6143833

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