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「駄文倶楽部。胡蝶庵。」コミュの桂風堂・改

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地元住民でさえ分かり辛い入り組んだ道を抜けた窪地の竹藪の中に桂風堂はある。
私はこの桂風堂の店主に会いに、ちょくちょく、さした用事もなくふらりと桂風堂を訪れる。
何度来ても入り組んだ細い道は私を迷わせ、賑やかな市街から離れている事も手伝い、歩きに歩いて必ず息が上がってしまう。お陰ですっかり秋だというのに、ワイシャツが汗で湿ってしまった。
爽やかな秋風が竹の香を鼻腔へと運び、ワイシャツを乾かした所で、ようやく私は桂風堂へ辿り着く。
竹藪にぽつねんと存在するこの桂風堂は、昭和の、古びた場末の商店街にありそうな駄菓子屋か何かの木造建築物を想像して頂ければ概ね間違いはない。
墨筆で「桂風堂」と殴り書かれた木の看板を掲げたこの随分と時代錯誤な店を目にする度、私は偏屈な店主の性格を店自体が良く表していると感心してしまう。差し詰め、店は店主を表す。といった所であろうか。
薄暗く埃っぽい店内に足を踏み入れると、私は何時もの様に
「おーい。桂いるかー?」
と未だ息の整わぬままの声を張り上げる。
「あ。山本さん。いらっしゃい。」
店内に所狭しと並べられた棚の影から一人の少年がひょこっと出てきた。
「やあ。ミカゲ君。桂は居るかい?」
「桂にーは何時も通り奥に居ますよ。俺、管さん呼んできますね。どーせ桂にーは山本さんをもてなすなんて器用なマネはぜってーしないっすから。つーか、昼寝の真っ最中なんで…。なんで、管さん来るまでちょっとそこで待ってて下さい。」
少年はパタパタと店の奥へ消えた。
ミカゲ少年が果たして何歳なのかは私には分からないが、あのぐうたら店主に教育されている割にはしっかりしている。いや、管野さんがしっかりしているからその影響で間違えない。
「只今店主の方に山本様の来訪をお伝えし、山本様をお迎えする準備が整いましたので、どうぞ奥へお上がり下さいませ。」
棚に出鱈目に陳列された漢方だと思われる薬品の瓶や、水晶などの鉱物等、桂風堂が何の店なのかを曖昧にしている品物たちをぼんやりと時を忘れて眺めていたら、音も気配すらもなく、私の背後から落ち着いた低い声が聞こえた。
左腕に嵌めた腕時計を見ると、既に此処へ来て30分が経過していた。桂風堂の陳列物は毎回変化を遂げ、何時見ても飽きない、少なくとも私にとって魅力的な物が多いからであろうか。否、この桂風堂の時の止まってしまった様な独特の空気に当てられたのであろう。
振り返ると長身痩躯の管野さんが静かに笑みを浮かべて立っている。
時代錯誤な桂風堂の店員らしく、管野さんの様相は16世紀のイギリス辺りの敏腕で老練な執事を喚起させられる。
「大変お待たせ致しました、山本様。申し訳御座いません。店主に代わりお詫び申し上げます。」
「いえいえ。どうせ僕も暇で桂に会いに来ているんで、そんなにお気遣いなく。」
私は慌てて手を振りながら、早口で弁解する。
管野さんの丁寧過ぎる物腰に、ついこちらの方も畏まってしまう。
「ご来訪を予めお知らせして頂きましたなら、この様に長い間山本様を立ちっぱなしにして茶の一つも出さぬなどという失態は犯さぬので御座いますが。」
管野さんは静かに苦笑する。
私も釣られて苦笑してしまった。
桂の事を良く知る人間ならば、皆そうであろう。
店の奥の襖を開けると和室になっている。ここが桂風堂店主、桂の根城だ。本が壁を殆ど囲う本棚をはみ出して山積みになっているなど、相変わらず雑然としている。古本屋でもやった方が桂風堂は儲かるのではないかと思う。実際そう桂にも何度も進言してきた。勿論、聞き入れられてはいない。
「おーい。桂。僕だ。」
私は和室の畳に寝そべり、吸わない癖に何故かキセルを咥えた仏頂面の人物に改めて声かける。
黒髪の長髪が乱れているのは昼寝をしていた所為であろう。
桂は私を思いっきり無視し、キセルを盆に戻すと、紺色の着物の袂から煙草を取り出し、特に特徴の無いシルバーのジッポライターで火を着けた。
私は桂の側に腰を下ろす。
「ズラ。相変わらずキセルは吸わないのか?」
桂は煙草の煙を思い切り私の顔に吹きかけると、何処を見ているのか良く分からない焦点の定まらぬ青い瞳で私を睨みつけた。無論桂の青い瞳はカラーコンタクトレンズである。
「ズラじゃない。桂だ。」
桂は物凄く不機嫌な声でようやくそう答えた。
寝起きの桂は非常に機嫌が悪い。だから、管野さんがまず直々に桂を起こしにいったのだ。
煙草の煙が苦手な私に思い切り嫌がらせで煙を吹きかけるなど、無愛想と失礼にも程がある態度であるが、この位であればまだ軽い方である。酷い時は、結構重いキセルが私の顔を的にダーツの矢の如く飛んできたり、桂の鋭い蹴りを直に喰らったりするのだから。
「それで毎度毎度、僕の楽しい昼寝の時間を邪魔して、何用かね、山本。大した用でなけりゃ、また歩けない程度に蹴りを喰らわしてやっても今ならお代は只だ。」
「それは随分とまた大安売りだな。桂。」
「ふん。ほうっておけ。貴様に言われたく無いわ。この三文文士めが。」
「いい加減フリーライターって現代の言葉を教えたのだから、それを使用して頂きたいな。時代錯誤貧乏店主。」
こうして何時も憎まれ口の応酬で始まる私達の会話であるが、私と桂の中が犬猿の様に悪い訳ではない。
アクの強い性格の上に、年中店に引きこもっている桂に友人は少ない。その中でも私は桂と仲の良い方に分類されるのだ。
高校時代に桂とは知り合ったのだが、偏屈な変人と誉れ高かった桂とつるんでいた為に、私は桂の彼氏である、という何とも不名誉な称号を得てしまった事をふと思い出した。
桂を男と誤解する人間は多い。
170cm近い女にしては長身の上に、端正な顔つきなので学生時代は男女問わずモテていた気もする。
まぁ、正体を知らなければ確かに桂鳳凰は性別不明な妖艶な美形である。
だが、周囲が何度進言しようが、年中和装の怪しい風体では折角の美貌も台無しも良い所だった。
「桂。貴様も女の端くれだろうが。もう少しなんとかならないのか?」
寝乱れた長髪をぽりぽりと掻き毟り、何とも締りの無いだらしない格好でさっきから寝そべったままの桂に私は意味は無いと分かりつつも苦言を溜息と共に吐く。
「五月蝿いな。文句があるなら僕の顔なんざ拝みに参らなければいいだけの話だろうが。無駄な事を繰り返し何度も言う山本は相変わらずの大馬鹿だな。ばーか。ばーか。」
「お前に馬鹿とは言われたくない。」
「じゃあ、用事は済んだな。とっとと帰れ。僕は寝る。」
と桂は言い放つと、私に背を向けてさっさと眠る体勢をとり始めた。
「いや。まあそう言うな、桂。今日は事件があるんだよ。お前専門のな。」
私は桂の事件への好反応を期待したが、桂は相変わらず私に背を向けて寝そべったままである。
返事は無い。
背中越しに事件に関わるのを拒絶している事が安易に分かる。
私と桂の仲だ。桂の気の乗らない事位は口に出さずとも通じ合うのだ。
矢張り、桂の重い腰を上げるにはこれでは無理があったか。
桂を動かすのに私は毎回頭を捻らされる。失敗をすれば桂は動かず、毎度の如く得意の蹴りをお見舞いされて私に即帰還を命ずるだろう。
私は又、少々汗をかきながら、和室に設えられた障子張りで開け放たれた窓の外の竹林に目をやる。
仕方あるまい。桂が退屈をしていて自ら事件に首を突っ込んでくれる様に丸い解決を望んでいたが、どうやら私の最初の筋書き通りの結末で桂を引っ張らねばならない様子だ。
私は軽く溜息を吐いた。桂にも私の溜息と困惑は伝わっているに違いないが、相変わらずこちらに背を向けて我関せずの態度を貫いて居る。
これから切り出す事件は世に言う猟奇事件の部類に分類される。ゴシップ好きの野次馬を除いて、事件解決に関われと言われて無論良い気分はしないであろうし、桂もとっくに私の切り出す事件の概要に検討を付けて居るからこそ、機嫌が寝起きという理由だけで無く、こう悪いのであろう。
気まずい空気が私達の間を流れる。
其処へすっと襖が開いて菅野さんが、二人分の茶菓子と程良く冷やされた緑茶を持ってやって来た。
「失礼致します。」
菅野さんは別室に居ても空気が読めるのであろうか。
菅野さんが来た事により、膠着しかけていた私と桂の空気が解けた。
矢張りその当りの気遣いや登場のタイミングが本物の執事の様である。
「粗茶で御座いますがどうぞ召し上がって下さいませ山本様。此処まで来るのにお疲れでしたでしょう。本日の茶菓子は三山の月餅ですよ。」
「ありがとうございます。何時も悪いですね。菅野さん。」
「いえいえ。ではごゆっくりどうぞ。」
菅野さんは長身を軽く折り曲げて挨拶をすると、微笑を浮かべてすっと襖を上品に閉め、足音一つ立てずに去って行った。
三山の月餅は大変美味しく、私も好物である。無論甘党の桂もこの餡子が絶品である三山の和菓子は大好物である。
菅野さんには本当にこの変人と付き合うに於いて、救われる事往々である。
桂は寝そべったまま、月餅に手を伸ばし、仏頂面のままそれを口に詰め込んだ。
行儀の悪い事この上無しである。
私も喉が丁度渇いていた頃合であったし、菅野さんの気遣いに感謝しながら冷茶で喉を潤した。
ふ。と場が少し和んだようである。
私は竹の香りと古書の匂いの混じった懐かしさを誘う空気を吸い込むと、意を決し桂へ再び話しかける。
「なあ桂。これは僕の何時もの好奇心から調べ上げた事件じゃ無いんだよ。その、コウさんからの頼みでね。僕はその遣いっ走りだ。コウさんの為に何とかならないか?」
「クソっ…。あの変態めが…。」
桂はむくりと起き上がり、更に機嫌さを増した苦々しい顔をようやっと私に向けた。
コウさんの名を出した事で、矢張り桂は動いた。
依頼成立とみなすには未だ時期尚早と言うところだが、桂の関心を少しでも引ければ成功であろう。
私は安堵した。これで事件を桂に吹っかける事を依頼されたコウさんにも顔が立つ。
しかし、コウさんも毎度毎度私をこうして偏屈の塊である桂を動かすのに使うのだから少々うんざりしてしまうが、コウさんなのだから仕方あるまいと私も桂も諦めている節はある。コウさんは多忙の身であるが、桂に直々に電話する時間くらいはあると思うのだが。
「まあ落ち着け桂。それで早速本題の事件の事だが。」
「ふん。どうせ加納ビルの一件だろうが。コウさん絡みで山本が僕の所へ来る事くらい、僕はまるっとお見通しだよ。ふん。気に喰わないな。あのド変態め・・・。」
「ああ。ご名答だが、何故分かった?コウさんから連絡はお前に行って無いはずだが?」
「相変わらず山本の脳みそは回転がのろいんだよ。だから何時までも一流になれない三文文士なんだ。ま、それはさておき。馬鹿な山本に、大変親切な僕が説明してやろう。コウさんの管轄を考えれば加納ビルしか考えられない。簡単な話だ。」
話は早かった。桂の頭の回転の速さには毎回舌を巻かされる。だが、引きこもりの上に新聞やテレビ等を一切見ないという時代錯誤なこいつが何故に加納ビルの事件を知って居たのだろう?
「流石だな。だが、何故お前が事件を知っているんだ?」
桂は面倒臭そうな表情を浮かべると、黙って部屋の隅にある一台のパソコンを指差した。
それは商品の会計でさえ算盤を使うという、徹底した時代錯誤を貫いている桂風堂には酷く不似合いだった。
「随分と不似合いだな。まるで東大寺にマリア像が祀ってあるみたいだぜ?」
「五月蠅いなあ。仕入れとかに便利なんだよ。まあ、時代は変わっているのさ。便利になったな。僕も流石に時代の流れには勝てなかったよ。なあ?山本。」
「僕もお前もそんな台詞を言う程、年を食って居ないぞ。」
「そうかい。まあ、ミカゲの同級生も被害者の一人だからな。加納ビルの話は一応僕でも知っているのさ。」
「ミカゲ君の中学の同級生かい?そいつは知らなかったよ。」
「ま、物騒な世の中、って奴だ。そこまでは下調べしてないんだな。山本。」
「僕は新聞やテレビでの情報位しかね。専門外だし。コウさんは相変わらず事前情報無しだ。」
「あっそう。で、時に山本。腹減らないか?僕は朝から何も食べて無いんだ。」
気付けば窓から洩れる光は橙色から薄紫に変わりつつあり、仄かに竹林から吹いてくる風も冷たくなっている。
夕飯時ではある。私も締め切り等で長い間まともなものを口にしていなかった事を思い出した。
ぐう。と私の腹が鳴った。
「はっはっはっ。ようし。山本は腹減りだな。今晩は雷來軒の醤油ラーメンと、お前は味噌ラーメンだな?菅野さんに注文してもらおう。」
漸く笑顔を見せると、さも愉快そうに桂は襖を開けて外へ出て行った。
私は赤面した。


何やら罵声と共に私の顔に冷水がかかった。
事態を丸で把握しきれずに私は顔を拭いながら慌てて飛び起きる。
「寝坊だ。山本。起きろ。」
コップを手に持ち紺色の着流しに同系統の羽織を羽織った桂が不機嫌そうに私の横に仁王立ちしている。
絶句しながら周囲を確認すると桂風堂の奥にある和室の客間で私は布団に寝ていた様だ。
夢か?
否。顔にかかった水は本物だ。私は寝惚けた頭で状況を整理する。
昨晩桂風堂へ桂を訪ねてその後夕飯をご馳走になった所までは記憶は鮮明である。
そして更に記憶を追及すれば、加納ビル連続猟奇殺人事件についてミカゲ君や菅野さんと情報交換をなし、桂と翌日現場である加納ビルへ訪問する所までかなり強引に漕ぎ着け、桂は了承した後就寝し、そして菅野さんと酒盛りになったのだった。
菅野さんの笑顔と柔らかな物腰に吊られて酒の杯を酌み交わしてしまったのがこの寝耳に水ならぬ寝顔に水の事態を引き起こしたのか。
菅野さんは酒に関してはザルである。どれ程呑んでも顔色一つ変えず相変わらずの執事の様な物腰でこちらに晩酌をしてくれる上、話術にも長けているので大変居心地良く酒が異常に進んでしまうのである。お陰で私は酔い潰れて桂風堂に厄介になったのであろう。
「何をぐずぐずしてるんだ。僕はもう行かないぞ?10分で支度しろ。ぼんくら山本」
「すまない桂。だが、人を起こすのに水をかけるのは如何なものかと思うぞ?」
「如何もくそもへったくれもあるか。起きない貴様が悪い。この通り僕はもう外出する準備は万端だ。さっさとしろ。」
桂の外出姿と言っても何時もと変わらぬ怪しい和服姿だ。変わっている点が有るとすれば足袋を履いている事と何時も昼寝で寝乱れている長髪の黒髪がきちんと櫛を通してある所位であろうか。
「どうでも良い事をぐだぐだ考えている暇があったらとっとと目を覚ませ。へたれ三文文士めが。」
寝起きでぼうっと昨晩の回想をしている所を見抜かれたのであろうか。桂が青い瞳で私を睨んでいる。私は衣服が昨日のままである事を確認すると、桂に洗面台を借りる許可を取り、出来うる限り急いで身支度を整えた。例の如く洗面台には旅館並に行き届いた気配りで髭剃りやタオル等がそっと準備してあった。無論菅野さんの計らいである。流石面倒臭がりの引きこもり駄々っ子店主の生活管理をしているだけあると妙に感心してしまった。


「おやー?ズラちゃーん!やっほぉー!!元気ぃー?今日も美人・・・あっとっとっ!!」
コウさんは桂の本気の右ストレート軽く左手で握り込み圧殺した。
「そう殺気立たないの、ズラちゃん。折角の美人が台無しだぜ?あー。またその色気ゼロパーセント寧ろマイナスな格好で来たのね。偶にはセーラー服とかチャイナドレスとかスクール水着とかブルマの体操服とか、あとメイド服とか着てくんないの?おにーさんがっかりしちゃうぜ?」
煮込んだニコチンを飲み込んだ様に桂は物凄く苦い顔をした。
「ズラじゃない!!桂だっ!!この変態大王。誰が貴様の変態趣味みたいな服装なんざするもんかっ!!そんな物を着る日は僕が首を括る日か、この世の終わりだっ!!」
「つれないねぇ。最近流行のツンデレかい?ズラちゃん?所でズラちゃんは下着ってつけて……うぉっとっ!!」
今度は桂の左ローキックが炸裂したが、コウさんはギリギリでひょいっと避ける。
「ちっ。今度は僕が金属バットを持ってる時にそういう台詞は言ってくれ、コウさん。」
「それじゃあ俺の頭がトマトみたいにぐしゃってなっちゃうぜ。勘弁してくれよ。ズラちゃん。」
桂は片眉を吊り上げて一層不機嫌そうな顔になると腕を組んで仁王立ちでコウさんを思い切り睨んだ。
そんな桂の言動ににへらと笑い、日に焼けた精悍な顔立ちとは裏腹にセクハラ発言を連発する桂より頭一個分抜き出た長身のスーツ姿の男。コウさんこと兎持浩介。私と桂の学生時代の先輩である。桂の攻撃をいなせる、私の知る限りただ一人の人物でもある。
「兎持警部。この人らなんなんすか?現在部外者立ち入り禁止っすよねっ?何を言っても聞かないんです!!何とかして下さいっ!!」
今までの事の顛末を見届けると、小柄なスーツ姿に白手袋姿の如何にも警察関係者の男が半泣き状態でコウさんにそう言った。先ほどからここに居るがほとほと困り果てている様である。
「あー。佐東ちゃん。こちらはズラちゃんで、ああ?なんだてめぇも居たのか。気付かなかったぜ。これは猿山。俺の知り合いっつーか協力者だから気にすんな」
現在午後三時を左手に嵌めた時計が示している。
身支度の済んだ私と桂は早速桂風堂を後にして加納ビルへと赴いた。
その途中桂が腹が減ったとダダをこね、昼食を取って居なかった事でもあるし桂お気に入りの小さな洋食屋へ行く途中の雑居ビル郡を丁度通りがかった所である。警察官と思しき人々が小路に群れ黄色いテープで通行禁止を宣言していた。が、此処を通過せねば目当ての洋食屋には辿り着けない。
どうしてもその洋食屋に行くと言って聞かない桂と私の悶着が続いた。
桂は「強行突破だっ!僕は腹が減ったんだっ!問答無用なりっ!」と宣言すると立ち入り禁止区域を突破し、私は汗をかいて桂を必死で追ったのだ。
そこに偶然コウさんが居合わせた訳である。
コウさんと思いがけず出会う事は災難ではあるが、今回ばかりは助かったと言えば助かった。一般人である私と桂が立ち入り禁止区域に入れるはずも無い。無論側に立っていた制服姿の警察官に見つかり通行を止められた桂は盛大によりにもよって警官に喧嘩を吹っかけていたのだから。私の言う事など聞きやしない。桂は常識より食欲の方が優先順位が高いのであろう。終わらない警官と桂の戦いは制服の警察官の手には終えず、この佐東とかいう小男が登場したのだ。
「兎持警部のお知り合いとは露知らず、失礼しました。ズラさん。猿山さん。申し訳ありません。」
「とじ警部」と「お知り合い」の部分を若干嫌味に強調して佐東は頭をぺこぺこ下げた。
推測であるがコウさんの部下であろう。苦労が偲ばれる。
「ズラじゃない。桂だ。」
毎度お馴染みの台詞を吐き出すと、桂は懐から煙草を取り出し火を着けた。
そして私の名前は猿山では無いとの旨を佐東に訂正しようと口を開きかけたと同時にコウさんが発言し、張りの有るコウさんの声に私のささやかな訂正はかき消された。
「ところでズラちゃんに猿山がなんでここに居るんだ?」
「そりゃあコウさんに頼まれた加納ビルを調べに行くためですけど?」
「本当にそれだけなのか?猿山?」
「ええ。コウさんに嘘ついたって仕様が無いでしょう?」
コウさんは渋い顔になってハイライトをワイシャツのポケットから取り出して咥え、100円ライターで着火した。
ふう、と溜息の様に煙を青空に吹き出すと真剣な顔つきになってこう言った。
「極秘情報だ。山本。また被害者が出た。手口は同じ。何なら仏さん拝んでいくか?」
「えっ?」
ごくりと私は唾を飲み込んだ。
かあ。と烏が鳴きながら蒼天の空に黒い染みを描く。

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