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栃木県の廃線コミュの雑談、参考資料など

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廃線に関する雑談や、参考資料がございましたら、こちらへ!!


おいらが、県内の廃線とかを探索するきっかけは、
著者が知り合いだったために買って読んだ「時刻表昭和史発見」。
この本に、全国の路線図が掲載されていたのを見たのが始まり。
『那須小川』『塩原口』『馬返』『出流原』『天頂』と、
今では路線が無い部分に、路線と地名が書かれていたのを見て、
色々と調べ始めたという訳です。以下は、その後参考にさせて頂いたものです。

書籍など
☆栃木県鉄道史話(主な情報源)
☆各市町史
☆わたらせ渓谷鉄道
☆足尾線70年のあゆみ
☆那須町黒田原・那須湯元間 幻の電気鉄道覚之書
☆氏家駅開設110年展 鉄道浪漫 氏家ステーション物語
☆昭和32年発行 日光国立公園観光案内図

サイト
★達磨小僧氏HP「とちぎレイルビュー」
http://www.asahi-net.or.jp/~se1t-imi/index.htm
★Mike氏HP「山とてつどう」
http://maron123.hp.infoseek.co.jp/index.html
★KYOICHI YOSHIDA氏HP「廃線跡を旅する」
http://www.kysd.net/index.html
★テツロウ氏HP「鉄路」
http://www.geocities.jp/teturohp/teturo_001.htm
★NEKOTETU氏HP「猫と鉄道」
http://www3.yomogi.or.jp/skta1812/main/index.html
★人車鉄道・人車軌道HP
http://www.kk-net.com/~tabuchi/JINSHA.htm
★フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 各路線・各駅などの情報より
★その他、検索に掛かったサイトや掲示板

その他
◎清原人さん提供の古路線図
◎駅などに掲示されていた古い資料

コメント(21)

び〜ちゃんさんこんばんは!
いつも楽しくレポートを拝見いたしております。
私もなにかUPしたいのですが、今ひとつ文面が思いつきませんでわーい(嬉しい顔)たらーっ(汗)
なんとか努力致したいと思っております。
参考資料一覧、参考にさせて頂きます!!

↓この冊子なのですが、なかなか評判がよろしいようです。
私はまだ入手しておりませんが参考までにぴかぴか(新しい)

郷愁の野州鉄道 -栃木県鉄道秘話
 大町雅美
http://www.zuisousha.co.jp/book2/4-88748-103-9.htm
☆清原人さん
 いつも見て頂いてありがとうございます。
 文章も探索も、結構簡素化しております。あせあせ(飛び散る汗)
 実は「郷愁の野州鉄道 -栃木県鉄道秘話」、セブンアンドワイで注文済みです。w
 この本は、廃線などを調べるにあたって、栃木県鉄道史話と共に、
 かなりの頻度で出てきた書籍なんですよね。
 これから探索するの廃線などは、結構下調べが必要になりそうです。
び〜ちゃんさん

>セブンアンドワイで注文済み

なるほど!!
早速探してみますダッシュ(走り出す様)
ご教示に感謝致しますぴかぴか(新しい)
☆清原人さん
資料は結構あります♪
他に……

★鉄道廃線跡紀行
★全国鉄道事情大研究 群馬・栃木篇
★私鉄の廃線跡を歩く2
★鉄道廃線跡を歩くシリーズ
★知られざる鉄道1・2
★鉄道未成線を歩く 国鉄編


などなどです。
探索する廃線も少なくなってきました。
現在、戸奈良線を調べております。
しかし1939年廃止という古い廃線のため、路線跡などの名残も無く、
調べ始め当初、情報は田沼駅から戸室駅&田沼駅から戸奈良駅の2方向だった事のみで、
路線が敷かれていた理由が、今まで分かりませんでした。が、石灰であると判明。
田沼町史の中で、在来の工業で石灰が紹介され、その中にあった挿絵がこれ。
三好村戸村における蓼沼石灰工場の引き立て風景。です。
この工場奥に、レールが敷かれトロッコに石灰を乗せ、人が押しています。
また山沿いを走っており、さらに奥まで延びている様子です。
国土変遷アーカイブで1947年の航空写真を見ると、ルートもなんとなく分かり、
また森に白い部分があり、おそらくその辺りが石灰の採石場であったと予想されます。

この戸室の三好区に「蓼沼」姓の社長が経営する三好砿業さんがあります。
蓼沼姓は、田沼において資産家・豪族だったらしく、三好村長も勤めた人物もいます。
また、その方は佐野鉄道社長でもあったのです。

戸室方面は分かりかけてきましたが、国土変遷アーカイブの航空写真を見ても
戸奈良線のルートは、判断つきかねます。

後日、田沼地区へ行って、歴史を調べたいと思っています。
企画展「栃木の人車鉄道」

栃木の人車鉄道 平成21年度栃木県立文書館企画展

・会場 栃木県庁昭和館3階展示室「近代栃木のすがた」
 http://www.pref.tochigi.lg.jp/education/bunka/monjyokan/resources/1245715160952.ppt        
・展示期間 平成21年12月8日(火)〜平成22年1月15日(金)
      (12月29日〜1月3日閉館)

・開館時間 平日 午前8時30分〜午後7時  土日祝日 午前10時〜午後7時

・問合せ 県立文書館
  〒320-8501 宇都宮市塙田1−1−20県庁南館2階



栃木県は人車鉄道・軌道の歴史において、日本一の本数を抱えていました。
個人でそれらの情報・資料を目にするのは、なかなか大変ですよね。
どの程度の資料が展示されているのかは分かりませんが、
栃木県がこのような企画をしてくださったことは、とても嬉しく思います!
おいらは、早速来週にでも見に行きたいと思っています。
皆さんも、どうか足を運んでみてはいかがですか?
関西からのニュース!!80年の眠りから覚めた亀ノ瀬隧道!!!

明治から大正に大阪―奈良間を結んだ大阪鉄道の路線で、
1931、32年の大規模な地滑りですべて崩壊したとみられていたトンネル
「亀ノ瀬隧道(ずいどう)」(大阪府柏原市)の一部がほぼ原形のまま見つかったようで、
今後、一般公開の方法を検討しているそうです。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091210-00000001-yom-soci
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009120900134&genre=M2&area=O10


その旧線探索サイト
http://www.tetsuhai.com/kamenose.html

このサイトによると、今回発見された亀ノ瀬隧道は二代目らしい。
この区間、2度にわたるルート変更があり、現在の路線のルートになったようです。

トワイライターにとって胸躍るニュースでした。
東北本線開通120周年記念、那須(西那須野)駅・黒磯駅開業125周年記念
近代鉄道事情 那須野が原に汽笛が響く

場所:那須野が原博物館
期間:10月1日(土)から12月4日(日)

第?章 日本鉄道事始

第?章 日本鉄道会社と奥州線
-東日本を貫く近代の動脈-

第?章 那須(西那須野)駅と黒磯駅の開業
-那須野が原の新たな胎動-

第?章 栃木県内の鉄道・軌道
-栃木県の鉄道と幻の鉄道計画-

第?章 鉄道コレクション
-錦絵・機関車写真・時刻表・駅弁掛紙・汽車土瓶-


記念講演会
第1回「日本鉄道会社と東北本線」
10月15日(土)PM1:30〜

第2回「東北本線と栃木の鉄道・軌道
11月12日(土)PM1:30〜


展示解説
10月23日(日)、11月20日(日)
両日とも午後2時から


ギャラリーコンサート
黒磯チェンバーアンサンブルコンサート
10月29日(土) 午後7時より



是非、何度も足を運んで楽しみましょう♪
【那珂川町】馬頭郷土資料館企画展
「まぼろしの鉄道―東野鉄道と長大線敷設計画」

両路線とも馬頭を通って茨城県大子町までの鉄道敷設を目指したが、
昭和の世界恐慌や日中戦争などで実現には至らなかった。
馬頭駅や那珂川鉄橋の平面図、建設促進 の陳情書など資料が展示 され、
同館は「鉄道敷設を願った先人の熱い思いに触れてほしい」としている。

1886年(明治19年) の黒磯までの東北線開通により、
東北線を起点とした鉄道敷設運動が広がり、
1 919年(大正8年)に真岡線、23年(同12年)に烏山線が開通。

町内では大田原市(旧黒羽町)の有力者が発起人となった
「東野鉄道」が24年(同13年)、西那須野―那 須小川区間を開通。
馬頭、大内を通って茨城県 大子町まで延長する構想だったが、
世界恐慌で延長 は厳しくなった上、台風に伴う箒川の橋脚流出で
黒羽 ―那須小川間は39年(昭和14年)廃止。
最終的には68年(同43 年)に全線が廃止された。

一方、烏山線開通に伴い、茨城県常陸大宮市長倉(旧長倉村)から茂木、
烏山、馬頭を経て、水郡線が通る大子町までの鉄道「長大線」計画が浮上。
同路線は28年(昭和3年)に帝国議会で翌年の着工が決議されたが、
日中戦争で無期延期。戦後に入り56年(昭和31年)まで
町を挙げた請願活動を展開したが、実現しなかった。

来年1月10日まで。入場無料。
8日午後1時半から展示解説を行う。
問い合わせは同館電話0287・92・1103。
那珂川町馬頭郷土資料館企画展
「まぼろしの鉄道-東野鉄道と長大線敷設計画-」

初めは、新橋-横浜間開通を軽く展示。

続いて栃木県内の鉄道図を掲示。
昭和初期なので、日光軌道、東武矢板線、大谷石材軌道と共に、
東野鉄道も那須小川まで表示してあります。

昔は、鬼怒川や思川など舟運が盛んだった栃木。
馬頭がある八溝地域も那珂川によって水戸と繋がれ、
そこから江戸へと運ばれるなど重要な役割を果たしていました。

東北線開通からは鉄道が輸送の中心となってきました。

西那須野から黒羽-那須小川まで延長した東野鉄道は、
馬頭まで延長し、大子まで延ばす計画でした。
また、烏山線烏山駅から馬頭まで延長する計画に加え、
真岡鉄道茂木駅から烏山線烏山駅まで延ばした上、
真岡鉄道茂木駅から長倉まで延ばす計画があり、
この地域の一大交通網を作り上げようという熱い思いがありました。

しかしながら、河川鉄橋の度重なる台風被害や、
世界恐慌など厳しい社会情勢から、延長計画はおろか、
線の一部そのものが廃止されてしまったのでした。

また、同時期に同地区に鉄道敷設計画があった、
「野州電気鉄道(矢板-佐久山-小川-馬頭)」も、
国家経済上不得策とされ、許可が降りませんでした。
道の駅那須与一の郷 伝承館にて。

東野鉄道、蛇尾川鉄橋です。
なかなかこのアングルの写真は残ってないですね。
道の駅 那須与の郷 伝承館にて。

昭和43年廃止日の黒羽駅。
車輌の左右に人だかりが映っており、
当時の人々の無念が伝わってきます。
安蘇史談会、史談会報第20号掲載。
東武鉄道百年史より、とあった。

東武佐野線から東武日光駅までの延線計画図です。


たまたま私が撮影してありました国立公文書館所蔵の以下の公文書に、戸奈良線(正式には田沼停車場の構外側線)の図面がありました。

鉄道免許・東武鉄道27・昭和13年
11 東武鉄道田沼停車場設計変更及同停車場構外側線廃止の件

これは廃止時のものですが、添付の理由書によれば、砂利の産出量が減ったため構外側線を廃止し、撤去したレールその他材料は小泉町、仙石河岸間軌道敷設に充当する、とのことです(要旨)。
昭和52年、黒磯駅。

駅舎に「那須・板室温泉郷駅」とあります。
駅前案内板には「黒磯駅」とあるので、
改称ではなく、愛称的な駅名として掲げられていたのでしょうか。

「ようこそ!那須・板室温泉郷へ!」
という横断幕ではないのが不思議です。
下野新聞、2018年10月20日(土)。

明治維新150年 栃木県誕生の系譜20

第2部 藩から県へ8、鉄道施設(上)
下野新聞、2018年10月27日(土)。

明治維新150年 栃木県誕生の系譜21

第2部 藩から県へ9、鉄道施設(中)
下野新聞、2018年11月3日(土)。

明治維新150年 栃木県誕生の系譜22

第2部 藩から県へ10、鉄道施設(下)
JR東日本大宮支社にて11月28日から来年1月6日まで特別企画を行います。

同日に開業120周年を迎えるJR那須塩原駅の移り変わり、
写真展や子供向けクイズラリーなど各種イベントを開催します。
12月2日は子供が駅長制服を着て記念撮影出来るイベントも。

11月28日から120周年記念パッケージ、銘菓「御用邸の月 完熟とちおとめ」を販売。

11月28日と12月2日には、先着200名に東那須野駅駅舎のクリアファイルを配布します。

>>[20]
東那須野駅舎、 初めて見ることができて感激ですexclamation
駅前にかつて私の親戚が住んでいたらしいですが…

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