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栃木県の廃線コミュの東野鉄道

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東北本線西那須野駅から、大田原を通り那須小川までの鉄道でした。
地元住民利用の他に、八溝山系の貨物路線としても重要な役割を果たし、
金丸原の奥にあった軍飛行場の軍事物資運搬にも利用されました。
 1918年(大正7年)4月に西那須野〜黒羽間13.1kmが開業し、
1924年12月には黒羽〜那須小川間13.3?が延長開業しました。
その後、世界大戦後の不景気による貨物量減少で赤字が大きくなり、
黒羽〜那須小川間は1939年(昭和14年)6月に廃止となりました。
年々乗降客と貨物の減少し、鉄道廃止が噂され始めた中、
1966年(昭和41年)9月25日、栃木県北地方を襲った台風25号で、
東野鉄道蛇尾川鉄橋が破壊されました。
翌年1月に復旧開通しましたが、その復旧費負担が廃止を早め、
1968年(昭和43年)12月に西那須野〜黒羽間が廃止になりました。

左画像:東野鉄道西那須野駅跡
現在は、西那須野ステーションビル及び東野バス停留所です。

中画像:東野ホームへの跨線橋跡1
JR東北本線の宇都宮方面ホーム側。
奥の金網辺りにも土台跡が残っているようです。

右画像:東野ホームへの跨線橋跡2
JR東北本線の黒磯方面ホーム側。

コメント(23)

左画像:東野鉄道西那須野駅構内跡からの眺め
実は、この辺りに「二十歳の原点」作者:高野悦子さんの実家がありました。
知らない方のために説明しますと、20歳で自殺した立命大3回生。
1969年(昭和44年)6月24日未明、20歳で鉄道自殺をしました。
彼女は大学ノートに10数冊の横書きの日記を残し、父の編集により
「二十歳の原点」「二十歳の原点序章」「二十歳の原点ノート」として出版。
その中「二十歳の原点」で、1月15日成人の日の日記に
「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」
と記していたのが、本の題名となりました。
主に、当時の学生より、その学生を持つ親たちに支持され、
ベストセラーになりました。ちなみに、おいらは3冊とも持ってます。
彼女は、学生運動最盛期という時代の中、全共闘に参加し、
理想と現実の狭間で揺れ動き、政治的や恋愛的に悩む一人の女性でした。
「二十歳の原点」は1973年に映画化されサントラも作られました。
出演している役者さんで知っている方は地井武男さんだけです。

中画像:東野鉄道西那須野駅前から路線跡を眺める
ここから出発し、小川まで延びていたと思うと、なんだか不思議です。

右画像:ぽっぽ通り西那須野起点
栃木の道と川百選に選ばれており、西那須野駅までの遊歩道として、
地元住民に親しまれています。
左画像:起点から300m地点
この辺りから、タイル張りの遊歩道となっています。
左が歩行者、右が自転車と別れています。

中画像:起点から500m地点
国道400号線下のトンネルに描かれた壁画1。
西那須野駅から歩いてきて、左側の壁です。
西那須野方面行きのようです。

右画像:起点から500m地点
国道400号線下のトンネルに描かれた壁画1。
西那須野駅から歩いてきて、右側の壁です。
今度は大田原行きのようです。
左画像:西那須野側のぽっぽ通りの説明版
トンネルを過ぎたすぐにあります。

右画像:蒸気機関車の形をした汽車遊具
後部の客車形の方がベンチになっています。
写真右手前側に「乃木神社前」のホームがありました。
西那須野方面に向けて撮影しています。
左画像:乃木神社前停留所のモニュメント
実際は、ここから西那須野駅方面へ歩き、乃木神社通りを超えて、
汽車遊具がある前までにありました。

中画像:敷いてあるレールと枕木
きちんとここまで作ってあり、鉄道が走ってた感が湧き上がります。

右画像:東野鉄道説明版
だいぶ風化して、文字がかすれています。
「大高前」「西那須野」の行き先が分かります。
左下は写真でも表示されていたのでしょうか。今は空欄です。
せっかくここまであるモニュメントですから、
ちゃんと直してもらいたいものですね。
左画像:ぽっぽ通りを示す看板1

中画像:ぽっぽ通りを示す看板2

右画像:ぽっぽ通りを示す看板3

ところどころで見かけましたが、全長からいうと少ないかも。
もっとあっても良いかなーって思います。
左画像:鉄道が走っていた事を偲ばせる鉄道関連の柵1
車輪がデザインの柵ですね。

中画像:鉄道が走っていた事を偲ばせる鉄道関連の柵2
こちらは四角で、中に車輪とレールがデザインされています。

右画像:鉄道が走っていた事を偲ばせる鉄道関連の柵3
こちらは汽車と客車2両のデザインですね。10組ほどありました。

この柵たちも一部でしか見られませんでしたので、
ぽっぽ通り全体にあったら、良かったのになと思いました。
左画像:経塚稲荷神社の石柱
当時からあったようです。
撮影した立ち位置辺りに「大高前停留所」がありました。

中画像:大高前停留所のモニュメント
当時の停留所とは全く別物みたいです。
戦前の駅名は「成田山前停留所」でした。

右画像:スロープに埋め込まれたレールと枕木
無理やり感がたっぷりでおかしいですね。
実際は片側はスロープがなかったみたいですし。
左画像:ポッポ公園周辺案内図
大田原側のぽっぽ通りの説明版ですね。
ここだけ「ぽっぽ」がカタカナの「ポッポ」になっています。

中画像:ポッポ公園
噴水もあり、ぽっぽ通り最大の憩いの場です。
この周辺にはかなり鉄道が走っていた感が出ています。
奥のベンチ上は、機関庫に見立てた円形の屋根です。

右画像:機関車の車輪
展示されており、目を引き、圧巻な光景ではあるものの、
説明板は全く無く、東野鉄道で実際に使われていたかは不明です。
折角展示しているのだから、説明板くらいは欲しいものです。
左画像:足元の汽車のタイル
足元を見ると、1部だけ汽車を示すタイルが貼られていました。
車輪に圧倒され、見逃すところでした。

中画像:子供用の遊び場
ここもあなどれないです。何気に周囲の壁に汽車が書かれています。

右画像:「ぽっぽ公園駅」で待つキツネとネズミ
良い天気の時に、こういうのどかな線路の駅で待つ心境は、
穏やかでのんびりとした空気が流れていたんでしょうね。
左画像:ライオンが運転する汽車
ちゃんと煙も出ています。何気に芸が細かいです。
が、なぜか灯台が見えます。海なし県なのにね。w

中画像:トンネル
きちんとトンネルまで書かれています。
山が多い土地ですから、こちらの方が実感できますよね。

右画像:逆方向のライオンが運転する汽車
熊・兎・象など、楽しそうに汽車にのる動物達も描かれています。
左画像:大田原起点に到着
大田原起点が見えてきました。

中画像:ぽっぽ通りと距離を示す表示
「ぽっぽ通り」「西那須野〜大田原 4.2km」とあります。

右画像:大田原起点
遊歩道はここまでになります。
汽車のデザインがほどこされています。


※ぽっぽ通りを散策する場合、時間のある方は徒歩でも良いですが、
 折りたたみ自転車などを持参して行くと楽だと思います。
左画像:ぽっぽ通り大田原起点から大田原駅方面を望む
正面の大型スーパーが大田原駅があった地点です。

右画像:大田原駅とその近くの食堂
昭和43年廃止前の当時からあった食堂だと思われますが、
現在はやっていないらしいです。
左画像:大田原駅跡を過ぎた鉄路跡
正面にお寺の壁が見えますが、当時はなく真っ直ぐ走っています。

中画像:寺を過ぎた辺りの鉄路跡
ずっと走って行くと、草むらの中にトンネルが残っています。
この時期は草が生えすぎて探索を断念しました。
蛇尾川側は埋められています。

右画像:蛇尾川橋台跡
わかりずらいですが、画像真ん中に橋台跡が残っています。
左の方へ真っ直ぐ伸び、黒羽方面へ走ります。
左画像:金丸原駅手前の地点
大田原側を望む。
ここで、テレビ映画「那須の太陽」の撮影が行われました。

中画像:きしゃにちゅうい
地元で有名な「きしゃにちゅうい」と書かれた表示板。
実際は「きしゃにちゅういきせらるべし」と書いてあったそうです。

右画像:農業穀物倉庫前貨物ホームがあった地点
貨物ホームに沿って建てられており、貨物列車への積荷が行われていました。
左画像:黒羽駅があった地点
現在は、スーパーになっております。
中央のプラタナスは当時からありました。

中画像:路線跡
カーブなどしていて、路線跡らしい感じがします。

右画像:佐良土停留所ホーム跡
JAなすの湯津上南部支所前に残っています。
黒羽方面に向けて撮影。
左画像:箒川橋台跡
現在は、ごらんの通り土台として利用されています。

中画像:箒川橋台跡アップ
河岸段丘のため、この下のたんぼは、増水時に川になり、
土手が築けなかったもとの思われます。

右画像:箒川の橋脚跡
しっかりと残っており、対岸にも橋台跡があります。

ここから廃線跡を進むと、小川中学校があり、
そこが終点の「那須小川駅」だったようです。
追加調査

左画像:対岸の盛土から橋台跡を望む
かなり高い橋であった事をうかがわせます。

中画像:廃線跡の盛土
田んぼの一角に、鉄道の存在感を示すかのように残っています。

右画像:盛土から先、那須小川方面を望む
鉄橋の左を、カーブしながらむかっていきます。結構、広大な残り方です。
追加調査、続き

左画像:廃線跡
ここから先は道路整備され、地元民の生活道路として活用されています。

中画像:小川中学校裏
まっすぐ延びた道路は、やがて小川中学校裏に突き当たる。

右画像:小川中学校
日章旗の横にある大木2本は、当時の面影を残しています。
>>[20]
こんにちは!
黒羽駅辺りのルートが違うような気がします。
道の駅より北のほうを通って黒羽駅に入っていく感じですね。
初めまして
google地図上に路線ルートを書いてみました
間違っているところなどありましたらご指摘ください

https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1w0n1AeWlZQccSnemQYJ4u_ekUMJ5h9Ot&usp=sharing

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