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小林秀雄 (批評家)コミュの一の文(画)に共感する心は、異なっていようが友を呼び合う

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一の文(画)に共感する心は、異なっていようが友を呼び合う

 今日のわが家の家族は、早朝に高校生は弓道の昇段試験にJRで県南の八代市へ向い、妻は宮崎で生活す大学生が、部活の九州リーグ戦が佐賀市の体育館であるので応援するために、朝早く出かけて行きました。

 私は、横井小楠生誕200年の事務局会議が、午前中にあるので熊本市へ出かけ、2時間半近く、幕末明治に活躍した熊本の偉人たちの功績や生活について意見を交わしました。

 横井小楠をはじめ、志士たちが今生きていたら、「何を日本の訴え、行動するか」多様な意見、多様な考えを知り、自分の考え人と人の価値と対比するには、人と語る意味はあると確認できました。

 また、午後は地元のNPO法人の定期総会がありました。総会の進行は、スムーズに進み、会が発展するような助言、アドバイスがあり、とてもよい総会だったのですが、最後の質問は、会の名称(文言)の捕らえ方の意見でした。

 質問内容は、「NPO法人宇土の文化を考える市民の会」と名称ですが、この言葉の意味づけ(その人なりの理由付け?)のおたずねでした。

 宇土の、文化を考える市民の会:宇土市の(市民)が、文化について考える人の集まり。
宇土の文化を、考える市民の会:宇土市の文化を、考える人たちの集まり。

他にも例えの言葉がありました。でも、たかが名称、このことに考え、悩む人がいるのか、と知りました。
 今日集まった方々は、歴史・文化にとても興味ある人たちで、その話題は論争になることはないのですが、人それぞれ言葉を捕らえる時、「いろいろな、受け止め方がある」と知りました。
 
 昭和の批評家・小林秀雄氏の文章にも、言葉ではないですが、「絵画」の興味と価値観の違いについて解説したものがありました。「人生の鍛錬」の中の一節です。

(本文)
 画を観る為に、人々は、めいめいの喜びも悲しみも捨ててかかる必要はない。各自が各自の個性を通し、異なった仕方で一枚の画に共感し、われ知らず生き生きとした自身に満ちた心の状態を作り出す。そういう心は、互にどんなに異なっていようが、友を呼び合うものです。(「私の人生観」17-181)
(以上、小林秀雄語録「人生の鍛錬」)

 ダビンチ、ルノワール、ゴッホ、ピカソ、等と著名な画家たちがたくさんいますが、画商たちの評価をそのまま受け売りで、評価する人はあまりいないと思います。自分感性、興味等で絵を見に行き感動を受けるのだと思います。
 誰かに、「観に行って」と、最初は頼まれたかもしれませんが、その絵(画)から受ける感動は、自分の心の高揚から吹き出るもで、人の強要に付随するものではないと思います。

 小林氏の言葉、「一枚の画に共感する心は、異なっていようが友を呼び合う」、師や友を呼び合う、共感し合う、ただその感動の中身の意味は、一人ひとり違って良いと思います。「感動にマニュアルはない」と思いますし、感動を吹聴する必要もないかと思います。
 
 文や画は、人を集めることが出来ます。そして、それぞれの価値観で文(画)に感動して、「同じものに共感する人と会ってみたい」というのは、人の常なのかもしれません。

 今日は、午前も午後も心の琴線に触れる色々な言葉と出会いました。
 今日に感謝です!(合掌)

*参考資料:小林秀雄語録「人生の鍛錬」

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