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キリスト教(聖書)への素朴な疑問コミュの父なる神について。

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さて、実は14世紀中頃までのカトリック世界で描かれた、
宗教画の父なる神の姿は、キリストと同型でした。

子は父の似姿であるはず、つーことだったわけですな。

ところが、14世紀後半から、父なる神は老人として描かれます。
ま、大抵はローマ法王の三重冠や、神聖ローマ皇帝の冠を被った姿でしたが。

これは、当時のキリスト教世界の分裂に対して、荘厳さを示すことで統一をはかろうとする危機感の為と言われてますが、
もう一つ、要素があります。

通常、高齢となってからマリアと結婚した聖ヨセフのイメージです。

中世ヨーロッパには、シャリバリという、年の差婚などの不釣り合いな結婚をからかう文化がありました。
だから、ヨセフは余りクローズアップされなかったんですな。

ところが、ヨセフは司祭姿で描かれるようになります。
腰に鍵が下がり、髭は短く、額は禿げ上がる。
これは何の図柄かと言えば、天国の鍵を持つペトロの意匠が重なってくるわけですな。

マリアが教会の象徴なら、
ヨセフは聖職者の象徴になり、
ひいては霊的父という性格まで与えられた。

皆さんは、父なる神と、イエスの義父ヨセフに対して、どのようなイメージを持ちますか。

コメント(10)

プロテスタントは宗教改革で、聖職者が父性を象徴するシステムを放棄します。

しかし、実はヨセフがクローズアップされるのは近代なんですな。

基本的に、ヨセフは殉教者でもなく、イエスが活躍する前に死んだとされるので、
聖遺物は残ってないとされます。

ところが、14世紀後半から「ヨセフの靴下」が崇敬され始めました。

昔の靴下は、ズボン代わりの長靴下で、幼子イエスをくるんで暖めるために切り取るよう、マリアが頼んだという伝説です。

カルヴァンは、1543年、「聖遺物論」で、このヨセフの靴下を批判します。

ところが、ニュアンスが変なんですな。
そんな下らないものを拝むな、ではなくて、
話として「小さ過ぎる」というもの。

同時期に活躍した、アヴィラのテレサは、聖ヨセフ修道院を開きますが、
彼女はこう言っている。

「神における聖ヨセフの信用は絶大なもので、
聖ヨセフを信頼して祈る者は必ず報われる」
主の平和!
今日は失礼します。
今日辺りは7月の暑さのピークかもしれませんね。

>腰に鍵が下がり、髭は短く、額は禿げ上がる。
これは何の図柄かと言えば、天国の鍵を持つペトロの意匠が重なってくるわけですな。

当時の結婚年令、平均寿命を考えるとあり得ない話で、教会の形成した伝説ですが、そこから父なる神の概念史みたいなものが出てきますね。
結婚年令は遅くても15才位までと想定されますし、没年も40才位と考えられます。イエスの兄弟姉妹も4人は触れられてますし、当時は嬰児死亡率が高かったから、ヨセフは8人はもうけた訳で?
当時は、聖ヨセフの名前を冠する修道院は稀有でしたが、
テレザは、設立した17の修道院のうち、11をヨセフに奉献し、全ての修道院に守護聖人ヨセフの大きな像を寄贈しました。

また、聖ヨセフの祝日は荘厳さを伴うようになり、音楽や説教、鐘の連打などが付随するようになります。

実は、テレザは個人的に聖ヨセフから色々「お告げ」をされたりしたそうな。

そして、1660年6月7日、南仏に聖ヨセフの泉が誕生します。
すぐに人々が殺到し、10月には、聖ヨセフのチャペルが建設され、
翌年には、巡礼者の世話をする聖ヨセフ兄弟団が結成されます。
フランスのルイ14世は、聖ヨセフの祝日たる3月1日を国民の祝日と定め、
フランスと自分を、「聖家族の家長」聖ヨセフに奉献することを宣言します。

天の父は目に見えない。
イエスは天の父の子として振る舞った。
そして具体的に、14世紀にカトリック教会が分裂すると、
ペトロら聖職者の父性や、
霊的父という立ち位置、
聖母マリアを妻とし、聖家族を危機から守るという、
「強い」父性がヨセフに加わったわけですな。

いわば近代的家父長性のモデルとして聖家族が見られ、
それに伴って、ヨセフの地位があがり、
ヨセフのイメージが、父なる神のイメージを変えていくわけです。
アウグスティヌスは、ヨセフを義父ではなく、完全な父とみなしました。

養子縁組をしたのではなく、イエスはヨセフとマリアの合法的な結婚の後で生まれた、
「ヨセフの実子」であるわけです。

16世紀から19世紀のフランスでは、家庭における父の権力が増しました。

これは戦後民主主義が、サラリーマンと専業主婦という家庭モデルから体制を形成したのと同じで、
未来の兵士や労働者を生産するために専心する母親が必要とされたわけです。

同時に、そんな家庭を守る父の役割が大きくなりました。
その頂点が1804年に出来た、近代的家父長制を確立するナポレオン法典です。

不品行の父親から父権が剥奪される法律ができるのは1889年、
父と母が子供の親権を法律上共有するのは、1970年。


[6] アリアイイネスター
2017年07月12日 13:17
>>[1] イリア・エレオスさん

>「神における聖ヨセフの信用は絶大なもので、
聖ヨセフを信頼して祈る者は必ず報われる」

ヨセフは大工、福音書の子供の数から病弱も否定的ですね。
ヨセフはむしろ当時よくあったように、ローマの拷問、反乱とか?
1870年には、ピオ19世が、全教会の普遍的守護聖人としてヨセフの名を宣言し、
「聖ヨセフへの崇敬こそが現代社会の救済だ」と主張します。

また、レオ13世は、
「ヨセフが父親の権威をもって治めた神聖な家は、
生まれ来る教会の萌芽を内包していた」と言います。

ちなみに、第二バチカン公会議の守護聖人もヨセフ。

まあ、実はオーストリア、ベルギー、カナダ、メキシコ、ペルー、中国、ロシアの守護聖人もヨセフなのですが、
それはさておき、
つまり、端的に言えば、社会における父性が重要性を増すにつれ、
ヨセフ、そして父なる神の父権性が強調された、と言えるわけです。

特にヨセフは、血のつながりのない家族の長、霊的父として、
権威が落ちた法王に代わり、ペトロ的な役割をも仮託されたわけです。

つまり、一言で言えば、
父なる神は、時代時代の社会的要請の鏡である、つーわけです。

ちなみに、現代、聖公会の女性司祭のなかには、
父なる神を、「彼女」と呼ぶ動きがあるとか。

22世紀には、一体父なる神はどのようなイメージを帯びるでしょうか。
>>[7]

伝説では8人子供を産ませてます。

一応、コプトの外典「大工ヨセフの物語」が16世紀には浸透して、
「善き死の守護聖人」とされました。

ちなみに、「大工ヨセフの物語」では、ヨセフは息子イエスの奇跡に懐疑的な普通人として描かれ、
穏やかに死んでます。
敢えて言うなら、ダビデの子はイエスではなくヨセフです。

だから、ペトロに先行するという見方もあり、
それが宗教画にも出たわけですな。

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