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キリスト教(聖書)への素朴な疑問コミュの神の絶対的力について。

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11世紀、全知全能の善なる神がおわしますのに、この世に悪が存在することについて、
とても賢い教会の偉い方は、神の力を二つにわけました。

ひとつは、神の絶対的力。
もうひとつは、神の規定された力(ポテンティア・デイ・オルディナタ)。

ある教会で天使博士と称せられた賢い人でありますトマス・アクィナスを悩ませたのが、
「全能の神は論理に逆らって行為することができるか。
神は論理的諸原理(同一律など)を変えることはできるか」
という問題でした。

で、このトマスという方は、
「神の絶対的力によれば、神は確かにそれが出来る。
しかし、神は、神の全能の力が一定の条件内部で機能するよう決定したので、こうした『規定した力』の内部では、
神は論理的諸原理を変えることが出来ない」
と結論付けたわけです。

極端なことを言ったのは、ルターが援用した進学者であるヨアネス・ドゥンス・スコトゥスで、
「神は絶対的力のもとでは、神はキリストの功績を無限のものと受け入れる必要はないし、
その功績を罪深い人類に適用する必要はない。
しかし、神の規定された力という条件内部では、神はキリストの功績をあらゆる罪に対する無限の支払いとして受け入れると自由に決定していた」
と主張しました。

で、疑問。

何故神は、絶対的力を発揮せずに、わざわざ自分で条件をつけているのでしょうか?
ISが暴れたら、神が絶対的な力で皆殺しにすれば、問題が解決したでしょうに。

コメント(131)

>>[89]

ユダヤ教での時系列が狂っている。ユダヤ教の時系列だと、イリアさんは…。

春秋時代は紀元前5世紀頃。仏陀が生きた時代と大差が無い。

で、その頃のユダヤ教ですが、三神論が主流です。まだまだ、バアル神を完全に否定していたとは言い切れない。

これが、仏教のほうにも影響しているし…。「シルクロードを舐めんな!」と言われる所以。

一神論になったのは、もっと後。イエスの時代も、まだまだ一神論が確定していた訳じゃないのに…。タルムードが成立して、その辺りでファリサイ派に軍配が上がった。

違うの?
>>[92]

〉一神論になったのは

バビロン捕囚から帰還した後の時代の地層からは、
カナンの最高神エルの像は出てきてない。
三神論ではない。
一応、ペルシャ王キュロスの勅令(本当ならば)による帰還は、
紀元前六世紀から五世紀。
エズラ改革後のユダヤは、考古学的には多神教でも拝一神教でもない。

これは考古学的な話だから仕方ない。
メタトロン(小ヤハウェ)神秘主義は、
ヘレニズム時代の地中海密儀宗教、ミトラス教の影響を受けている。
ローマ時代のシナゴーグには、馬車に乗り、星の衣を纏うミトラスと同じような姿のメタトロン(小ヤハウェ)の絵が残されたりするが、
この時代はもはや道教や仏教と接点はない。

ナザレのイエスがインドで仏教を学んだとゆー奇説はありますけどね。
まあ、そもそもバビロン捕囚前は、
学術的にはユダヤ教とは言わない。
古代イスラエル思想として区別する。

ユダヤ教は神義論との関わりで、ユダヤ人の不遇を律法の不遵守の責に帰した結果の宗教なので、
多神教の混ざる余地が(古代イスラエル思想と違って)無い。

まあ、テーマに沿った話をするなら、
何故神は絶対的な力で、バビロン捕囚を直ちに終わらせなかったのか、
つー話になりますな。

50年程も強制移住させなければならない必然性はない。
伝承によれば、エジプトに連れていかれたエレミヤもそこで殺され、
いわば見殺しにされてます。
>>[94]

考古学だけを信じていたって、仕方がない。

補囚時代に懲りたユダヤ教の人々は、ヤハウェを除く全てを排除した。これがファリサイ派の源流で、イエスの頃のサンへドリンへと繫がる。

しかし、道教や仏教などは、イエスよりも更に5世紀くらい前。シルクロードを伝わって、アジアに流入した…とされる。

ゾロアスター教の影響は否めないけれど…。しかし、ヘブル文化が無ければ、あのような陰陽論へとは繋がらない。

ただし、陰陽論のほうも、道教のものと景教のものでは多少の差異がある。

で、「天が陽で、地が陰だ」とかとの思想は、イエスの後、景教の思想じゃないか?…とおもうのです。
>>[96]
>>[96] イリア・エレオスさん

>まあ、そもそもバビロン捕囚前は、
>学術的にはユダヤ教とは言わない。
>古代イスラエル思想として区別する。

ラビ達が用いる言葉は、「ancient Jewdaism」ですぞ。

キリスト教社会が何と呼ぼうと、それは勝手だろうけれど…。
>>[98]

〉信じていたって、仕方がない。

それを言ったら、そもそもユダヤが残した史料である、旧約聖書の信憑性(史実を反映した箇所があるのか、つー点で)すら危ういですぞ。

ちなみに、ファリサイ派の源流は、マカバイ戦争時の敬虔派で、
バビロン捕囚後の歴代誌著者グループや、
ヨブ記、ルツ記、コヘレト作者らと直結してるわけではない。

マカバイ戦争で、レビ族でもないハスモン王朝の連中が祭司になった為に反発したのが、
ユダヤの保守層だが、
ファリサイ派は保守層とはまた違う。
>>[99]

それは、ラビ・ユダヤ教という、当事者の宗教の人と、
外部の人の認識の違いですな。
そもそも、セレウコス朝による弾圧以前に、
天における救済や終末論もまともにないので、
ヘブル思想なくして道教なし、なんて事はない。

元々のユダヤ教は現世における救済を主張する宗教なので、
他宗教に影響を与える程ではない。
そもそもバビロン捕囚まで、天地創造物語すら持たなかったのだし。
旧約聖書の天地創造物語は、明らかにバビロン神話の影響を受けてます。

そこで、天の射影としての地上とゆー、バビロン神話の世界観の影響を受けた事はあっても逆はない。

大体、安息日すらバビロン由来だし。
>>[102]

>そもそもバビロン捕囚まで、天地創造物語すら持たなかったのだし。

無かったのではなくて…。

書かれた書物が無かっただけ。

「口伝では、ずっと伝わっていた」とするのが、ユダヤ教側の解釈。
>>[104]

うんうん。
それは事実。
創世記は、七つの伝承をモーセが編纂したとするのが、ユダヤの考えにあります。

しかし、そういう伝承があるからと言って、
伝承が正しいとは限らないですな。
天地創造物語は祭司文書で、
アダムとエバのヤハウィスト文書より後に書かれたとゆーのが、まあ、定説。
>>[103]

バビロニア文化がユダヤ教に影響したものもあれば、古代ユダヤ教がバビロニア文化に影響したものもある。どちらもあるので、ユダヤ教がオリジナリティに欠けると言うものではない。

大体、「文書になっていなかった」だけで、何で、そこまで信憑性が無くなるのやら。歌だろうが、お伽噺だろうが、古来よりユダヤ人たちは、聖書にある話を伝えてきていますぞ。
>>[106]

そりゃ、他の文明が思いっきり碑文やパピルスを残してるからに決まってます。

これは考古学的な話だから仕方がない。
アッシリアの碑文で、北イスラエル王国のアハブがアッシリアに対する勝利をもたらした、
カルカルの戦いの記録があるが、
アハブが栄えているという事実を記載したくない列王記著者は、
カルカルの戦いをカットしてる。

つまり、列王記は歴史書として失格なわけね。
これは旧約聖書全体にも言えるが。

まして口伝においておや。
>>[108]

いや、「口伝のほうが正しい可能性は捨て切れない」のが、ユダヤ教ですよ。

家系で伝わることが多いので、口伝のほうには、下手な統制が入らないのです。

だから、「ヤハウェの本当の名前であっても、どこかの家系が伝えているだろう」とさえ言われている。

でも、こうなると、神道とユダヤ教は似たりよったりで、満つ時までは口外してくれない。
>>[109]

そーゆー考えは、他者には、説得力を持たないでしょうなあ。
>>[110]

ユダヤ教の内部では、説得力を持ちます。質が似ているので、神道のほうも聞き入れてくれるでしょう。

あとは、信者獲得に励めば世相を変えることも可能ですが、これを好まないのも、ユダヤ教と神道なのです。
>>[111]

うんうん。
「私が見た私は正義だ」と主張しても虚しいよね。
>>[112]

満つ時ともなれば、アークが出土することでしょうよ。
>>[083]

それは生命体としての意志であり、動きから発生するエネルギーである。

とすると、意志でありエネルギーであるという仮説が成立するのでは?

思考であれ本能からくる様々な思考であれ(細胞が分裂するという、その行為自体を原初の意志の形態と考える=因果律)行動・行為には意志が伴うわけです。

その行為に伴って、カロリーというエネルギーを消費します。

この消費したエネルギーは、当然その動機になった思考にも拘わるはず。

しかし、思考は不可視の存在で物理学の法則から外れていますから、当然の結果として、消費したエネルギーは不可視で物理学の法則外れに変わる。

これはエネルギー不変の法則の流用ですけどね。

この場合、量子論でいう物質の最少の状態になったという事も可能かもしれません。

この思考エネルギー?も保存の法則によってどこかに保存される。

これが集合体となったものが神だとしたら、存在し尚且つ無であり、神の属性と矛盾しません。

当然、物質学の法則に従い、尚且つ外れる訳ですから、時空間も超越出来る事になります。

ま、この仮説は、物理学の諸法則を、都合の良い部分だけ使用したものですから、私のような物理学に素人だからこそ考えられる仮説なんですけどね。

>>[114]

仮定に仮定を重ね過ぎてるので、肯定出来ない。

エネルギーというのは物理量ではスカラーであって、
志向性を持たない。
つまり原因にはなり得ない。
この場合、原因になるのは量子ゆらぎになる。

思考を物理量としての情報の生成とするなら、
ブラックホールで情報保存の法則は破綻している。
これはこの間ホーキングが言ってましたな。

カーボンナノチューブでの波動関数の収束を意識とする、
ペンローズの主張はかつてありましたが、
カーボンナノチューブが壊れた後にも意識が継続しているとゆー証拠もない。

全く肯定出来ない。
ブドウ糖の消費はあくまで代謝という作用であって、
エントロピーが縮小する方向に作用される散逸構造を動かしてるだけで、
ブドウ糖が供給されなければ停止する。
真空には、量子ゆらぎを伴う真空エネルギーがあるが、
散逸構造がそれを取り込んでいるわけではない。

いわば確率の問題ね。
回っていない星に対して、
回っている星が多いのは、
回転してない星の状態は一つだが、
角運動量の状態は無数にあって、
無数の状態である確率が停止状態より高いだけ。

宇宙の発生も一種その通りで、
真空エネルギーが何も生成してない確率に対して、
宇宙やら何やら、何かが発生してる確率の方が高かったと言える。

そうなると、
創造と比喩されてるのは量子ゆらぎであって、
真空エネルギーではない。
星のたとえで言えば、確率分布が原因であって、角運動量そのものが原因ではない(角運動量はベクトルだが)。
>>[115]

確かに仮定に仮定を重ねているのは認めます。

ただ、定説とされている歴史や考古学の学説も、新たな証拠や判断材料の発見によって改めてられます。
ですから、厳密には現在に於いては定説。
こう言うのが正しいし、ニュートン力学が相対論に変わり、相対論で物理学理論が安定するかと考えられたのに、量子論で安定が崩れてしまい、今は大統一理論の候補として超弦理論が上げられている。
仮説とは、それが証明されるまで、かなり時間がかかる事も在ります。

大陸移動説などまさにそれで、この場合など地図を見ていてのふとした思い付きがきっかけと言われています。

ま、私の仮説は、そんな大した物ではありませんけどね。

ブラックホールから脱出出来ないという事について言えば、第6の力という設定の中で、物理学の諸法則から外れると設定する事で、消滅はしないのです。

勿論、この第6の力は、神に通じると設定しているのですから、簡単に消滅されては困る訳ですけどね。

この仮説は、半分は言葉の遊びを含んでいますが、もしかしたら真実かも知れないのです。(笑)

それは、仮定に仮定を重ねても、それが現在の科学では証明出来ない神霊的パワーを、科学的に考えた結果だから……

神を語る時、必ずこの神霊的パワーの話はついてきます。
神の力は絶対だから。

奇跡の説明には、この神の力は絶対が使われて来たから、それを信じるか信じないかの話になります。

私のこの仮説は、絶対力に一見、科学的な衣を着せようという試みなんですがね。

数学に強い人が、式を考えてくれたら、証明が出来るかも知れませんよ。

(笑)
>>[115]

常識的に考えたら、貴方の答えは絶対的に正しい。

これを認めた上での反論?ですけどね
>>[117]

いや、数式で出されても意味がない。

物理として意味がないとダメ。
観測され、データとして出されないと無意味。

個人的には、エヴェレットの多世界解釈における究極観測者ぐらいが、
神の科学的仮面としては限界。
>>[119]

いやいや、数学的に公式として完成されたら、それが数学的に誤りだと完全否定されない限り、その公式は生き残る。

生き残る限り物理学的に完全否定も出来ない。

公式とはそんな存在でしょう。

私が何回も書いているように、半ば遊びの仮定を重ねた仮説に過ぎません。

ですから、完成された公式になるとも思っていませんよ。

(笑)

ただ、神の力を語る時には、観念論を重ねる事になりますから、そこに別な視点を加えてみたのです。

神の力に対して、観念論以外のアプローチは無いのかな?と。

観念論は、結局は人間の思考の結果でしかありません。
それがいかに精緻に構築されていたとしても、それが神の真実に近付いたという証明にはならない。
(犯罪の裁判でいうなら、証拠不十分)

科学は、観念論を変えてきましたから、この分野でもそれが起きないかな?

それから、私は何回も書いているように、仮定した力は、物理学の諸法則の外にいるのですから、物理学の法則で否定しきれないでしょう。と何回も反論出来るのです。
それがこの仮定のズルイところ。

あえてこの設定にしたのは、新たな観念論になる可能性が高い事を承知で、アプローチを増やしかったからです。

お付き合いありがとうございました。

貴方が相手でなければ、こんな事は不可能でしたよ
>>[120]

プトレマイオスの周転円モデルは、数式としては完成してますよ。
ただ、太陽系を観測した結果と違うだけで。
宇宙項か何かを考えているんでしょうけど、
数学的には、グリムの定理で、全知性も否定されてるわ
(全知で矛盾しない存在を神と定義した場合、
グリムの定理で、その意味での神は存在しない事が数学的に証明されている)、
自発性対称性の破れも証明されているわ
(物理的な偏りは恣意的な原因の仮定を必要とせず、
偶然だけで説明できる)、
数学はむしろ有神論にとって不利。

ゲーデルによる、神の存在「証明」もあるが、
アンセルムスやデカルトと同じで、
こういう存在論的存在証明は、「観測してみた結果は?」に帰結するから無意味なんですなあ…
>>[122]

確かに仰る通り。

観測によって誤りが確認された公式もある。

ですから、わざわざ第6の力というクェッションを投入したのです。

重力や電磁力という物理学の5大力以外の力という事ですね。

ま、実際には言葉の遊びですけどね。

だからこの第6の力は、観測された事も無いし、観測の対象にもなる事は無い。
それに仮定の設定もかなりいい加減。

ただ、このやり取りを見て、観念論に新たな視点の科学が入って来ないかな?と。

宇宙の計算上の総質量と現実に観念し計算した総質量の違い(観測総質量が足りない)ますから、この説明が完全に行われ無い内は、この失われた質量を使って遊べるという事です。

神は常に退屈していると思いますから、神が少しでも気が紛れたら良いのですがね。

(笑)
>>[123]

ダークマターを必要としない仮説も出てますけどね。

まあ、神とは無関係ですな。
>>[124]

それを無理矢理可能らしくしたのがミソ。

神の属性を科学的にみせようとすると、やはりダークマターを使うのがやり易いという事ですよ。

不可視であり、意志が有り、質量も無いがエネルギーはある。
意志の発動として物理的な力も発揮できる。
そして時空間を超越する。
後は何かありますか?
>>[125]

ダークマターが時空間を超越する理由はないし、
ダークエネルギーは、ダークマターによる重力を超えて宇宙を膨張させていますぞ?

観測結果、宇宙の膨張は加速してます。

つまり、宇宙の最期はダークマターはおろか、素粒子内のクォークすら存在出来ないほど空間が膨張するビッグリップ、
すなわち全てを無意味に帰す時空の地平面を迎える、つーのが蓋然性が高い。

ダークマターが意思がある、神の代替品(?)なら、
その敗北が確定済みなのですが?
自分自身を引き裂いて無意味な死を遂げるのが、
その、代替品の意思なんですかね?

ナンセンス。
>>[126]

ダークマターは保存する空間であり、ダークエネルギーは神の属性の一部であると仮定してある訳です。

第6の物理的な力は存在が確認されてもいないし、観測もされない(観測する動機の無い)架空の力ですからね。

ですから膨張宇宙の影響は受けないのです。

ですから神は勝利するのです。

物理学でいう諸法則の外とはそういう事です。

しかし、現実にはそんな力の存在は考えられてもいません。

ですから、無理矢理それらしく見せて……と断ったんですが。

でも、観念論以外のアプローチが無いと、神の存在の証明は不可能ですからね。

不可能というのが絶対の真理と思いますけどね。
>>[128]

片っ端から神認定されても、ねえ…
>>[129]

神の実在証明は、現在の科学的知識では不可能。

これは貴方が証明してくれました。

また、観念論ではこれも不可能なのはご承知の通り。

そこで別なアプローチの可能性を考えたのが今回。

貴方が仰る通り、全てが実在証明になる仮説は、このトンデモ仮説なんですが、それがもっと美しい仮説にならないか?

そういう趣旨もあったのですが……

お相手感謝。

ありがとうございました
イリアさんとのやり取りを総括して置きます。

まず、私の立ち位置は、奇跡体験(信仰する神宮寺に深夜行を行っていた時に、キー抜きドアをロックしていた車からホーンが鳴った。この時は同行者も驚いていた。他にもあり)から有神論ですが、キリスト教徒ではありません。

携帯はガラケーでPCも無く、ツイッターやラインもやって居ませんから、やり取りは全て自分の記憶が頼りです。

しかし、神の実在証明はしたいと考えています。

では本題に

仮説の基礎は、イリアさんが他トピで解説していた量子意識論なのです。
そこにやはり解説していた過去遡及を加えて考えました。
過去遡及が存在しえるなら、未来遡上もあり得、我々はそれを観測出来ないだけだ。と。

問題は、我々の世界でした。
我々の宇宙も時間的にも空間的にも有限であり、物理学の法則からは逃れられない訳です。

量子意識論から意識エネルギー体という概念は取り出せますが、では、それを何処に保存するのか?
保存可能な理論はあるのか?でした。

そこで記憶をそう動員したのですが、はっきりしなかった為、エネルギー保存と不変としてしか書けませんでした。

ダークマターを保存場所に、その保存されたエネルギーをダークエネルギーに該当させましたが、そこで最後の関門があった訳です。

これらも全て、物理学の法則からは逃れられない。です。

そこで考えたのが、我々の宇宙の外の無限領域です。
ビックバンで宇宙が始まり、宇宙の領域が広がって、その中に取り込まれたダークマター&ダークエネルギーが、我々にはダークマター&ダークエネルギーとして認識されているのでは無いか?

この仮定の為に、第6の力という名前を使いましたが、これは逆に、様々な要因を内在する事になりました。

綺麗に整理しないと、単なる何でも可になるからです。

しかし、私の力ではそこまで整理出来ませんでした。

イリアさんとのやり取りを通じて、何とか整理出来ないかとも思いましたが、私は記憶だけしか使えませんから、該当する理論(公理等も含む)を探し出せず、結果として深い議論が出来ませんでした。

これが総括です。

お読み頂いた皆さんに、改めてお詫びします。

そしてイリアさん、改めてありがとうございました

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