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キリスト教(聖書)への素朴な疑問コミュの悪魔崇拝

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ローマ法王フランシスコがバチカン祭司の「悪魔崇拝」を公に謝罪し、バチカン内で「悪魔崇拝のミサ」が行われていたことを公に認めていた。と聞きました。事実でしょうか?

確か以前NewSで祭司による子供たちへの暴力がかなりの件数明るみに出たというのは見たことがあります。

コメント(48)

悪魔崇拝というのはPVでたびたび出てきます。
カトリック色彩の強いペットショップボーイズのビデオより
音楽もなかなか良い?

>>[009]
普通に考えたらそうなんですよねたらーっ(汗)


キリスト教が悪魔を扱うときは他教神を貶める場合が多かったと記憶しています。例えば蠅の王やケルトの古い神など(勿論信者の皆さんからすれば異議のある説だと理解しています)。 百歩譲って悪魔を扱ったとしても、信仰するとは考えにくいです。それは他宗教への信仰に繋がりかねないもので、一神教的ではないですものね。
主の平和!
悪魔崇拝、サタニズムについて少し触れておきたいと思います。
そもそも悪魔、サタンは何度も書いてきたように反対するもの、逆らうものであり、神と対立する何かではないようです。

RPTサイトの考え方は正確でなく、wkiがかなりまともと思います。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0

「サタニズム(Satanism)とは、宗教的信条の一つの主義である。イデオロギー的、哲学的信条や社会的現象との関係を含み、悪魔主義、悪魔崇拝とも呼ばれる。
一般的にサタニズムといえば、「サタン(悪魔)」を崇拝し、悪の力をもって善なる力に打ち勝つことにより、世界征服を目的とすると想像されがちだが、最大のサタニズム組織である「悪魔教会 (Church of Satan)」は、この考え方を否定する」。
「サタンといえば、悪や理不尽な力を連想させる言葉ではあるが、サタニズムは支持者にとってある少数派的な精神性と思想を示す言葉でもある。悪魔教会の創設者であるアントン・ラヴェイは、たとえそれがサタンという名の神であっても、あらゆる神を信仰しない。同様に、悪魔の掟に従うこともない」。
>>[10]

ケルト民族の宗教的なシンボル、ケルト十字にその名残がありますね。
アイルランドの教会で見たことがあります。
上記、E-roticのPVにも出ています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%88%E5%8D%81%E5%AD%97

「ケルト人(ケルトじん、Celt、Kelt)は、中央アジアの草原から馬と車輪付きの乗り物(戦車、馬車)を持ってヨーロッパに渡来したインド・ヨーロッパ語族ケルト語派の民族である」
「当初の宗教は自然崇拝の多神教であり、ドルイドと呼ばれる神官がそれを司っていた。 初期のドルイドは、祭祀のみでなく、政治や司法などにも関わっていた。
ブリテン島のケルト人の間では、4世紀にはキリスト教が根づいた(ケルト系キリスト教)」
ケルト系
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%88%E7%B3%BB%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99キリスト教は下記を参考

「現代のケルト教会 20世紀になってから、カトリックともプロテスタントとも異なるケルト教会への回帰運動がその聖地であるアイオナやリンデスファーンで始まり、米国でも人気を得るようになった。現代ケルト教会は自然愛、教義性の欠如、他宗教への寛容と友好性を特徴とする。」
UUに加盟というか友好団体というか?


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%88%E4%BA%BA
福音派、南部ベルトの方がクリスマスのショーなので、涙するケルティックウーマンも自分たちの祖先を忘れないように舞台演出に多少ケルテックの名残がありますね。
「プリンスオブトヨトミ」でも判官びいきなのか、トヨトミを偲ぶ音楽を提供してますね。(^^);
みなさんが懐かしみを感じる「西洋」の音楽はケルト系

>>[11]
しかし、いまさらキャンプファイアーを止めないと思いますが・・。(^^);;
懐かしい歌も?
まあ、音楽も禁止の教派ではファイアーはやってないと思いますが・・。?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC
「キャンプファイヤー(campfire)は、キャンプで焚き火を囲んで行われる行事である。集い・儀式的な要素を持つものをそう呼び、単にキャンプで焚かれるというだけの火(たとえば料理や動物避けのための焚き火)は、キャンプファイヤーとは呼ばない」
まあ、ケルト以前、バビロニアとかにも起源はありそうですが・・。
>>[013]
キリスト教が普及されるときに、土着の神や宗教と習合する過程が悪魔的という事なんですかね。そうであれば取り合えず納得はできるんですが。
異教習合主義(シンクレティズム)を完全に排除したら、キリスト教なんか何も残らないw

むしろ異教的要素を排除して純化を図った福音派やエホバの証人が悪魔崇拝的になってしまってるという皮肉な事実w
>>[022] エホバが使ってる日本語訳って私みたいな無宗教には一番納得できる意訳でしたね(一部しか知りませんが)
>>[021]
まぁそれを言ったらほぼ全ての宗教がそうでしょうしたらーっ(汗)
>>[023]

エホバは聖書など使いませんw

聖書を使っているのは「エホバの証人」であり、エホバは彼等が崇拝している「絶対神」ですからw

ちなみに彼等が使っている「新世界訳聖書」は意訳を嫌った字義訳=直訳をウリにしているため、そう誉められても素直に喜べないかとw
>>[025]
細かいなぁたらーっ(汗)単純に略しただけで意味は通じるでしょ?
>>[21]
主の平和!
昨日は雨だったので、朝ジョグしたあと、室内トレーニングをし、午後から温泉街に行ってマッサージも済ませました。が、
今日は委員会もあり、疲れました。

キリスト教はシンクレテイズムの産物ですが、全部除去しても史的イエス、ナザレのイエスの神の国運動、律法論争、いくらかの教えない譬話、貧しい人々への給食と十字架、復活は残ると思います。
怪しいのは当時、広く行われた癒しですが、幾つかは残るのではと思います。
>>[21]
まあ、洗礼はユダヤ教の浄め、みそぎだったろうし、聖餐は給食、晩餐だった筈です。何しろ「キリスト教」の儀式ですからユダヤ教ナザレ派はしないわけです。十字架の購いもバウロの功績で福音書記者に影響したのは間違いありません。
>>[21]
それと、これは私の説ですが、最後に神の支配、神の王国を実現する運動の前に取った別れの食事は周辺の人々に強烈な思い出を残したに違いありません。運動の中身は神殿で父なる神とコンタクトをとろうとしたのか、神殿を浄めれば神の王国が到来すると考えたのか不明です。いずれにせよ、ローマから見れば反乱で十字架刑ですが。?
>>[27]

終末論は別にユダヤ教のオリジナルではないですし、
律法論争は、恐らくファリサイ派内部のシャンマイ派とヒレル派の論争の延長線上にあると思われます。
譬え話や奇跡譚、教えは同時期のユダヤ教やラビ説話、ローマ皇帝の神格化話と大して差が無いですし、
聖餐というか「主の晩餐」は、当時ローマ世界では、たとえばアルテミス信仰の人が客を招いて晩餐を行うことを「アルテミスの晩餐」というように呼びました。
聖餐は元々はイエス復活の祝宴で、本当に食事をしていて、それが象徴化した形でパンとぶどう酒に変わったのだと言われています。

復活…というか、聖者の復活譚は、アジアでも達磨の伝承とかにもあるし、
死と再生の儀礼は、オリエントのタンムズ神儀礼はおろか、キュベレとアッティスなどにも見られました。

つーか大体ミトラス信仰を、母体のユダヤ教のメタトロン神秘主義者たちが取り入れているわけで、
まあ、それが悪いというわけではなくて、

「良い考えは誰がいつどう考えても良いもの」

…ではないですかね?

安息日も古代バビロニア由来だし、キリストの彫像はテセウス像の影響を無視出来ないし、
三位一体の目・プロヴィデンスの目はまんまホルスの目だし、
つーかイエス伝承とホルス神話が類似性があるどころか、後にキリスト教会がホルス神話を逆に「予型」として宣伝に使っているし(ビザンティン時代のある時期まで、オシリス神殿などは存続を許された)、
「人類を導く羊飼い」的な救世主信仰は古代ローマにもありました(つーかアウグストゥスの神格化に付随している概念)。

こういうのを全部サタニズムというのは、…実はとっくの昔にキリスト教会が同じ理屈を使っていて、
アレクサンドリアのクレメンスだったかな、ミトラス教の密儀がキリスト教の聖餐に似ているのを指摘された時、

「悪魔が過去にあらかじめ手を打って、聖餐に似た密儀をつくって流行させたのだ」

…みたいな事を言っている。
こういうのを真に受ける純粋さも時には必要だと思いますが、別に宗教儀礼に特許性もオリジナリティも要らないと思いますよ。
「宗教は人間がつくったものだから、偽神たり得る」とはバルトも言ってます。
カトリックの守護者だった、神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ二世というのは、今のチェコのプラハで、錬金術師とか呪術師とかを集めた事で有名ですが、
彼の肖像画には、アルチンボルドによる「ウェルトゥムヌスとしてのルドルフ二世」というものがあります。

どーゆーものかと言うと、ローマ神話の、花と果実と四季の神ウェルトゥムヌスにルドルフ二世を擬した肖像なんですな。
アルチンボルドとかは、マニエリスムという美術運動の担い手なんですが、同運動の他の画家の絵だと、ギリシャ神話の「レダと白鳥」だの「ペルセポネ」だの、あるいは「ヘラクレスとオンパレ」みたいに、
よーするに性愛や自然や肉体などが評価された文化なわけですな。

ルドルフ二世の下には、怪しげなオカルティストはおろか、ユダヤのカバリストもいた。
後に三十年戦争を行ってプロテスタントを排撃しようとする神聖ローマ皇帝ですら、そういうのを庇護しているわけです。

つーか時代を遡れば、十二世紀頃の<十二世紀ルネサンス>期には、プラトンの著作を基に聖書の天地創造などを再解釈しようとする動きもありましたし、
いわゆるキリスト教文化というのは、古代ローマ・ヘレニズムの精神性を抜きにしたら、仮に何か残るとしても、残骸みたいなものしか残らないでしょう。
三位一体も新プラトン主義の流出論から来てますし…
ルドルフ二世時代のプラハには、オカルティストして有名なジョン・ディーも滞在してます。
彼は正統派プロテスタントだったとか明白なカトリックだったとか言われていますが、オカルティズムに眉をひそめていたルター派の指導者ブドヴェツと親交がありました。

むしろ神秘主義だのオカルティズムと、正統派キリスト教はある意味完全に共存可能だったわけですな。

ブドヴェツが残すところによれば、
「(ディー)博士は、今や奇蹟的な改革がキリスト教世界の目の前に迫っており、コンスタンティノープルと露0間の滅亡の原因を教えてくれるだろう、と(皇帝に)述べた」。

まあ、ディーたちと同時期に、ジョルダーノ・ブルーノがボヘミアに現われ、彼の方は新旧両教から徹底的に嫌われ、火炙りにされるわけですが…

とは言え、ルドルフの聴罪司祭だったピストリウスが既にカバラーの集大成である著作の第一巻を出版しているわけで(第二巻以降は出版されなかった)、
カバラーとカトリックは思いっきり結びつき得るものだったわけですな。

ま、正確に言うと、カバラーとカトリックとの結びつきが批判されたのは、トリエント公会議以降ですけど、
プロテスタントがそういうのを批判していた(たとえばルター派のリヴァウィウスはそういうのの批判者だったが)だけではなくて、
プロテスタント側も割りとそういうのにハマっているんですな。

ルター派のアウェナリウス、まあ本名ヨハン・ハーベルマンという人物ですが、この人物は「モーセの秘法の書」という、まあ、内容はちょっと意味不明な記述ばかりのカバラーの本を出してます。

そもそも、1583年のグレゴリオ暦導入には反対が多かったのですが、ケプラーやティコが賛成する一方、多くのプロテスタント知識人が大反対してます。
これにはケプラーの師匠にもあたるメストリンも含んで、です。

ルドルフ二世も気が進まなかったようですが、何故かというと、占星術の上で問題の多い暦だったわけですな。
ケプラーもティコも占星術そのものには表立って反対してなかった(ただし、ケプラー辺りは軽蔑していた節はある)
ルドルフのホロスコープは、かの有名な(笑)ノストラダムスが作製したもので、皇族の手にかかって殺されるだろうという「予言」に怯えてました。
ルドルフはその「予言」の主をティコ・ブラーエではないかとも疑っていたみたいですが。

まあ、大体、純化なんかしたら、欧米人は自分たちの文化のほとんどを失ってしまうでしょうな。
日本人的にはどうということも無いでしょうけど。
>>[31]
主の平和!
今晩は失礼します。
※※
最初は確かなのはイエスが神の国運動をし、十字架刑に処せられ、その後、復活信仰が生まれた、と書こうと思ったのですが、最近のイエス伝では給食、論争、癒しという線は否定しないですからね。初期キリスト教とかなり膨らみますが。
特にカルケドンをとる人々からは出ませんが、イエスは異邦人のガリラヤ出身ですからヘレニズムの諸宗教に影響されたという見方もできます。それが後に最大のキリスト教になった理由だと思います。ガリラヤの風土で芽生えたと云えます。
>>[026]

確かに意味は通じますが、曲がりなりにも絶対神の名前ですから、信仰者の端くれとしては配慮して戴きたいわけですよw

気にしない人も居ますがねw
>>[35]

キリスト者として生きることは、
別に精神を古代オリエントやヘレニズム世界、
または中世ヨーロッパに同化することを意味しません。

無神論者の批判のように「だから何でもあり」ではないのは当然としても、
現代キリスト者の聖化の方向が、純化である必然性はないと思います。
>>[036] 神に名前はないはずですよ?それに「マジンガー」と書かれて「Zかグレートかはっきり言ってほしい」と言っているようなものです。文脈から理解してほしかったなぁ。
>>[038]

名前はありますよw

みだりに唱えてはいけないとされているため、口にしないようにしているうちに忘れられてしまいましたがw
一応、神の自称は「在りて在る者」ですけど、
ま、礼拝や呼びかけには使いませんなあ。
>>[039] ヤハウェもゴッドもエホバも固有名詞ではないのでしょう?なら同じことではないですか?
>>[040] それは一人称と理解して構いませんか?
>>[041]

ヤハウェ(エホバ)は固有名詞だよw

だから言ってるわけw
>>[040]

ちゃんとテトラグラマトンの説明しないとw
>>[42]

いや、自分で「私の名前は『在りて在る者』」と名乗ってます。

聖書で、神の名をどう表記しているかと言うと、
子音だけで「YHWH」で、どう読むかは不明。
ヤハウェないしヤーウェと読むとは言われてます。
>>[045]
YHWHの起源は出エジプト記に記述してある「私はある、という方」から来ているそうですね。これが名前なんですか?私には「私」とか「自分」と同じ一人称的な意味合いにしか思えませんが。
他にも「実在する神」の意味として旧約聖書でYHWHが使われていると聞いたので、ユダヤ教ではまさにそうなんだと思ってました。
そもそも神は一人だけなので、「彼」だろうと「私」だろうと固有名詞と同義というだけでは?
>>[46]

名乗っているのだから仕方ない…というか、
ヘブル語の言い回しで、「私は私だ」みたいな表現だという説もあります。
また、神は一人なので、西洋諸語でいう、大文字の彼ないし彼女などは神を指します。

神聖四文字は呼吸音だ、という説もありますが、詳細は不明です。

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