ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

キリスト教(聖書)への素朴な疑問コミュのゴッドスポット(神の場所)及び神経神学について。

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
大脳生理学その他の研究によって、
脳、特に右側頭葉には、神を感じる神経回路、すなわち、「ゴッドスポット」なるものがあるという説が現在提出されています。

カナダの神経科学者マイケル・パーシンガーは「存在の感覚」実験で、右側頭葉の電気刺激で、何か超越的なものを人は感じることを実験で示しました。
神経科学者ラマチャンドランは、ゴッドスポットではなく、それこそ「人に宿る神の像」にあたる「神のモジュール」が側頭葉内部にあるという説をとなえています。
ユングの普遍的無意識の元型に通じる説です。

無論、反論はあります。特にクリスチャンから。

脳をfMRIでスキャンすると、祈りと瞑想時に信仰者の大脳新皮質は活性化します。
残念ながら、非信仰者は活性化するとまでは行きません。
つまり、脳は何かに対して明らかに刺激を感じたり、あるいはそうではないと、認識を選択しているわけです。

信仰者と非信仰者を分けるのは、この「ゴッドスポット」への刺激なのでしょうか?

皆さんは、超越的な存在(別にキリスト教の神でなくても、アッラーでも観音様でもガヤトリーでも天照大神でも良いですか)を、“感じた”ことはありますか?

コメント(223)

おけっちさんは『損をがっつりした〜』って言う事が得なんでしょ?って話
自分が大切だと思う(しかもそれは罪の意識とか利用するものだから)もの為に自ら犠牲にしたと思う事がひとつの快楽だと言う話
自分じゃ気づけないのかな?
イリアさんのはそもそも質問になってないからさ
社会を想定したら善悪が生まれるって言ってるじゃないですか
無人島の人(じゃあ私でいいや)
私がぁ、無人島での生活に馴れ親しんで且つもう戻れそうもないと諦めてたら放射性物質を海にブチ流すでしょう(社会をもはや想定してないんで)
私が無人島の生活に馴れず且つ戻れそうな場合少し考えるだろうし(社会を想定してるんで)
んで前から言ってるように善悪の有無、有った場合の強弱と個人の損得が衝突します
そしてその都度選択するだけ




おけっちさんさ〜
寄付金と一緒よ
寄付金出すと経済的には損だけどそれに見合った優越感とか恵んでやった満足感という支払いを受け取るって話
んでおけっつさんは神の愛という支払いを受け取ってるんで大丈夫損してませんよって話
損得の方が大概上位でしょ
自分がなければ社会もないんですから
だから犯罪は浜の真砂は尽きるともなんですよ
これ位自分の心を見回しでみれば分かるでしょ
腹がいっぱいなら分けてもやるが、餓死寸前だったら奪ってでも食うでしょ?
お久しぶりです。

ゴッドスポットといえば「松果体」と捉えることも出来ないかな?
>>[188]

(爆笑)
戻れないとも戻れるとも判断のつかないときは?
善悪も損得も判断つきませんか(核爆)
>>[196]

トピ主が率先して話題から逸れているから、こうなってしまうんですね…
少し、トピの主題に戻ります。

早い話、ユング心理学の脳科学的な裏づけ、みたいなイメージを僕は考えてます。

シャドーという概念がユング心理学にはあって、人間は一つの外面に現れた性格をつくりあげると、必ず、心の内には、それと反対のベクトルでシャドーがつくりだされる。
シャドーには二種類あって、一つは個人的な無意識。脳の自発的活動など、いわゆるDMN(デフォルト・モード・ネットワーク)から生じるゆらぎ。

もう一つは、普遍的無意識。
元型(原始心像。ユングはプラトンのイデーから援用しています)というヤツで、いわばシャドーのシャドー。
たとえば、どんな民族のどんな文化においても、「母なるもの」はある程度共通しているし、人間の表情を見間違えることはない
(アメリカ人が笑ったのを、日本人が「怒っている」と思うことはない)。

昔、第二次大戦で父親が戦死した女子学生と、あるユング派の心理学者が会ったそうですが、
その人の父親は彼女が誕生して間もなく死んだので、彼女には父親を知らなかった。
その女子学生は、父親像を男友達に求めたりして、結構苦労したそうですが、よーするに、その場合、元型としての父親が普遍的無意識から出現するので、
理想的であったり威圧的だったり、とにかく、結婚するまでの間「父なるもの」を求めて彷徨ったらしいです。
で、ユングにとって、神は常に隠れた存在です。
つーか、神の元型。フロイトは神を自己の投影としましたが、ユングはそれを否定しています。
神の元型はヌミノーゼのように迫力を持って人に迫りますが、ユングは宗教はラテン語のレリギオ(注意深い観察と熟慮の意味)から来ているとして、
人間の心的世界の中に働く、元型としての神の秩序ある働きを観察する精神のあり方が宗教だとしています
(もっとも、ユングはどちらかと言うとグノーシス主義の方に興味を寄せていましたが)。

その心的世界が、個人的無意識、すなわち脳の単なるゆらぎの反映ではなく、それこそ脳に生得的に備わるある種の神経回路の活動の結果なら、
あらゆる宗教的体験も根底から理解されるのではないでしょうか?

そして、その神経回路が、右側頭葉にあるとされるゴッドスポットないし神モジュールなのか、
それとも、そもそも単なる投影なのか、あるいは自然現象を理解しているだけなのか、または本当に自分の外側に神がいると考える方が正しいのか。

どうなんでしょうね?
で、あるユング派の心理学者の意見ですが。

自分のシャドーを認知しなければどうなるか。つまり、逆に自分の影を他人に投影することになる。
自分の個人的な影を自分で引き受けないと、外界に投影されて、周囲の人を悪者にしてしまう。
いわゆる、「影の肩代わり」という概念です。
古代ユダヤ教のスケープゴート、贖罪のキリスト、何でも良いです。
そして、その影は、影の影でもある、普遍的無意識によって常に圧迫を受けている。

で、僕の推論。
人間の脳は、意識と、無意識の二つの機能があって、活動の大半は無意識からの示唆を受けています。
…が、意識側はそれを否定できる。自由意志については、科学的には議論の分かれるところですが、自由否定は誰も否定しない。
腕を振り上げてしまうのは無意識による感情でも、そのまま腕を下ろすことは意識の力。
で、この無意識は無意識で、常に、何かによって変化している。決して無意識は自由ではない。意識の側から操作、あるいはある程度アプローチできますが、それ以上に、揺れ動きがある。

それが、普遍的無意識にある神の元型であり、ゴッドスポットと称される脳の部位の働きであり、いわば脳の自発的活動(DMN。無意識)やWMN(ワーキングメモリネットワーク。すなわち意識)を左右しているのではないでしょうか?

(で、この仮説が正しければ、ゴッドスポットの働いていない人にとっては、必ずしも自分の意のままにならない無意識は、ほとんど何からも自由だ、という結論が演繹されるわけです)
連投すみません。

で、人間というのはそんなに生物学的(?)に信用できる生物ではないわけです。
何らかの疾患などで神経伝達物質のドーパミンの出が悪い人は、
体幹がふにゃふにゃだったり、あるいは妙な動きや行動をしたり、あるいはダラダラとしていたり、
目立った外面的症状がなければ、周囲の人間は彼または彼女の振る舞いを「そういう性格」だと見なしたりして、
精神主義的な叱責をしたりしますし、本人も「自分はそういう人間なんだ」と逆にアイデンティティにしてしまうこともあります。

…が。
たとえば、ドーパミン再取り込み阻害剤などを投薬すれば、あっという間に体幹がしっかりし、注意深くなり、集中力がまして勤勉・勤労的な態度になり、シャキっとしたりする(全てがそうではないです)。

脳は、それこそ人それぞれ。
器質的に、無意識の直感を司る線条体が普段ほとんど働いていない人もいれば、
イメージやビジョンを司る右前頭葉が上手く働いていない人もいる。
「完全で全く健全な脳」というものがモデルとして抽出できれば良いですが、なかなかそうはいかない。
中には、右側頭葉無茶苦茶活発な人もいるだろうし、
あまりそうでない人もいるでしょう。

で、普遍的無意識を出現させる神経回路の活動の範囲は、人ある程度最大公約数的な枠みたいなものがあって、
それが宗教という「観察法」を作り出していったのではないでしょうか。

そこで、キリスト教の神がやっぱり神の元型に一番近いと思ってしまうのが、僕がクリスチャンたる所以ですな。
戻れるとも戻れないとも云々って何の話だったんでしょ?
誰か分かります?
んで
イリアさんは自由意志派でしたよね
んで
こうやって人体の作用を限定化していくのって自分の首閉めてますよね
脳の化学作用としての神という感覚
それが脳の活性不活性なら自由意志での選択説は成り立たないですよね、何回も書きますけど
偶々ある人にはあってない人にはないって
乙武が偶々四肢欠損だからって乙武のせいじゃないでしょ?
あっ、先天性の障害者も生まれる前に選択してるんでしたっけ?
そんな事言ってた人もいましたね
乙武も自己責任だって人
誰でしたっけ?
これ見たら名乗り出てもらうと助かりますウッシッシ
>>[216]

右脳をもっと活性化したい…
何か、僕は血流が良くなっているなあーと思った時も、明らかに左脳の前頭葉だけなんですよね…
右脳が「気落ち良くなる」状態って、実は経験したことない…
ああ、神秘体験をしたいものですなあ。
>>[217]

「右脳が気持ちいい」なんてゆうふうに脳の右左を特定して考えたことはありませんが、どんな時、どんな現実を抱えている時でも、自分なりに一番静かで一番安らかな所に一瞬で行くということはできます。
>>[219]

う〜ん。
明らかに特定部位だけが刺激されてる状況って、なったことないですか?
僕だけですかね〜

ログインすると、残り209件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

キリスト教(聖書)への素朴な疑問 更新情報

キリスト教(聖書)への素朴な疑問のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング