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キリスト教(聖書)への素朴な疑問コミュの子供がキリスト教をやらない場合

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 私ごとですが、仏教系の排他的な新興宗教の両親のもとの生まれ、生まれた直後にその教団の会員にさせられ、その後、彼らの信仰を強制されました。嫌になってやめると、「やめたら、罰が当たる」と脅されて、引きもどされました。しかし、中学になって自我ができてくると、もう嫌でしょうがなくなり、完全にやめました。

 両親はそれでもあきらめず、教団の私と同じ年頃の人たちを家に連れて来て説得させたりしていました。また、私が家を出て東京で一人暮らしを始めたら、引っ越した先の教団の支部に連絡して、そこの会員を私のアパートに来させ、また宗教に戻るようにと説得させていました。子供の自由を尊重しない両親には本当に閉口しました。まあ、そんな両親も既に亡くなり、私は彼らの宗教から完全に解放されましたが。

 ところで、成人した頃からキリスト教に興味を持ち、教会に通わせてもらいました(排他的な宗教の信者である両親は目をひんむいて怒っていましたが)。そこで知ったキリスト教の、他人に決して信仰を強制しない寛大さに感動しました。また、クリスチャンの親は例え自分の子供でも、その考えを尊重し、決して信仰を強制せず、本人がやりたくなるまで待つと聞き、これにも驚きました。

 しかし、ここでお聞きしたいのですが、実際に自分の子供がキリスト教をやらない場合、親御さんの心情はいかなるものでしょうか? キリスト教では、イエスを信じれば永遠の命を与えられ、信じなければ永遠の死が与えられるとしていると思います。もし、自分の子供がイエスを信じなければ、永遠の死を与えられてしまうことになりますが、そのことに対して親御さんは心中穏やかでいられるのでしょうか?

 ちなみに、私の両親が宗教を強制したことについては、今でもトラウマとして残っております。だから、子供に宗教を強制することが良くないことは間違いありません。しかし、私の両親は我が子が可愛く、本当に宗教をやめたら、恐ろしい罰が当たると信じていたので、彼らの信仰を強制したんだ、と考えることで、何とか両親を許せるようになりたいと思っている昨今です。

 クリスチャンの方のご意見をお待ちしております。

コメント(26)

> おめきら☆しん in NYさん

>  しかし、ここでお聞きしたいのですが、実際に自分の子供がキリスト教をやらない場合、親御さんの心情はいかなるものでしょうか?

「かみさまごめんなさい、しくじりました」
ウチは、子どもがいないので心情は分かりかねるのですが、カトリックではほとんどの親は幼児洗礼を受けさせるので、その子は「教会活動に参加」とか「御ミサに与る」とか「ロザリオを唱える」とかの信心活動はやろうとやるまいと、「信者」です。

プロテスタントの場合は、子どもが中学に入って教会に来なくなったので、落胆している親御さんを見たことがあります。正確には立派なクリスチャンホームを築いている家が羨ましいだけだと思いますが。

どちらの場合も、その子たちがやがて教会に戻ってくれば、放蕩息子の例に倣って迎えればよいのではないかと。

マタイ 10:34-37
わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。
なぜなら、わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。
さらに、家族の者がその人の敵となります。
わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。
ウチは、夫婦がクリスチャンですが、息子(19歳)は全くキリスト教には興味ない状態です。
今までに礼拝は1度しか出ていません。

神様を信じる心になるのは、本人の努力でも親の努力でもなく、「神様からの働きかけ」のみだと思っています。

ですから、息子にとって相応しい時がいつか与えられると信じ、祈り待つだけです。

夫が受洗したのは30歳過ぎてから、私が受洗したのは40歳過ぎてからです。

まだまだ神様の働きかけは先のことと、慌てず気長に待つだけですね。
みなさん、たくさんの回答ありがとうございます。

もし、子供がずっとクリスチャンにならない場合、クリスチャンの自分は復活して永遠の命をもらえるけれども、子供は永遠の死を与えられて、あの世で会えないと心配することはないのでしょうか?

子供の場合はまだ先の話で実感が湧かないということもあるかも知れませんが、例えば親がクリスチャンでない場合などは、いかがでしょうか?
ああ、それから、やはりどうしても、子供や家族にキリスト教を勧めたいという欲求に駆られてしまうことはないのでしょうか?(これが度を越えると、私の親のような宗教の押し付けになってしまうのですが)
「キリスト教をやらない」という表現が、習字とかお琴みたいな習い事を連想させますねぇ。
親の背中を見て育った子供は、教会につながるかどうかに関わらず、善き行いを為していくもんなんです。
イエス・キリストは人それぞれにいろいろな道を用意しています。
「急がば回れ」ということわざにもあるように何でも最短距離がいいとは限りません。
私たちがすべきことはイエス様のみ言に従い人々に愛を与えていくことだけです。

「あなたがたの光を人々の前に輝やかし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。 」

私も親に反発していた時期がありましたが、それでも変わらず(特に強制して無理やりということはなく)、私にイエス様のみ言を語ってくれ絶えず愛してもらいました。そのときの両親の愛と、イエス・キリストの愛が今の私を形作っているのだと思っています。

イエス・キリストの愛は偉大であり絶対唯一です。イエス様のみ言は私たちにとって不可分なるものです。それはみ言を読み生活することで切実に感じている内容です。
このみ言がなければ私たちは道を見失い、神の義を正しく理解することができません。
私たちが自分勝手に義を定義し、勝手気ままに振舞えば、利己的に流れていきます。それが堕落人間です。そのようなことは容認されません。ですから私たちがイエス・キリストのみ言を実践し光を示さなければいけないのだと思います。

絶えず祈り、その人の為に食べて、寝て、呼吸してみてください。常にその人の幸せを考えて愛を与え続ければ必ず道が開かれます。絶望する必要はありません。

「あなたがたの光を人々の前に輝やかし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。 」
サンペイさん、

ご指摘ありがとうございます。自分でもなかなか良い表現が見つからず、考えた末にこういうタイトルにしました。でも、適切な言い方でないのならば、お詫び申し上げます(すいません、もうトピの編集はできないので)。
8 サンペイさん、

>親の背中を見て育った子供は、教会につながるかどうかに関わらず、善き行いを為していくもんなんです。

なるほど。

9 ましゅうさん、

大変力強く、輝くお言葉をありがとうございます。

>絶えず祈り、その人の為に食べて、寝て、呼吸してみてください。常にその人の幸せを考えて愛を与え続ければ必ず道が開かれます。絶望する必要はありません。

しかし、それでも、家族がキリスト教を信じず、死を迎えた場合、どうされますか?(きつい質問ですいません)



>>10
主イエスは、我々に「キリスト教をやる」っつーような事を要求されなかったのだと思うんです。
別に子供が教会員にならなくったって良いじゃないでしょうか。
サンペイさん、

>別に子供が教会員にならなくったって良いじゃないでしょうか。

でも、お子さんがクリスチャンにならずに亡くなったとして、永遠の死を与えられることに耐えられますか?

くどいようで申しわけありませんが、クリスチャンの方々がそこをどういう風に考えていらっしゃるのかを知りたいです。
>>13
オレはリベラルなんで、御心にかなう生き方ができれば天国に行けると思ってます。
むこうからきかれたら話をしますが、私はそれほど強く両親や弟夫婦に宣教しておりません。
神がなんとかしてくださると信頼しています。
洗礼を受けない者が全員地獄行きだと思っていませんし、また受けた者が全員天国行きだとも思っていません。
とくに見知らぬ人にも自然と親切に振る舞い、自己犠牲の精神にあふれた母が地獄へいくのであれば、それほど不公正な神はないでしょう。私の神はそういう方ではないと思っています。
ローマ人への手紙の2章にも、キリストを知らない人はそれぞれの行いによって報いを与えられると書いてあります。だったら心配すべきは親よりも、むしろ自分かもしれません。
でも両親や弟たちがキリストに導かれるよう、私はもう少し身を入れて、祈らなくてはいけないですね。

>14
おお! リベラルな信者って実在したのですね。
「死んだら罰が当たる」も「永遠の地獄」も、本質的には変わらないけどね。
今をどう生きるかが問題なんですよ、キリスト教も。
神様を信頼していれば生きてても天国。
神様から離れていれば生きてても地獄。

天国、地獄は死んだ後の問題じゃないと思うよ。
ルカ 23:43
イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」
>11
>しかし、それでも、家族がキリスト教を信じず、死を迎えた場合、どうされますか?

キリスト教を信ずる必要はありませんが、イエス様のみ言を信じ神の国と神の義を求める人になるべきです。

もっともな質問ではありますが、キリスト教は死んだものを救援するすべを持っていなかったと思います。
まさにそれは再臨主を迎えれば解決する内容であると考えます。
しかし、再臨主にまかせっきりではなく、少しでも再臨主を迎える基盤を固める必要があるのだと考えています。そのようにしなければ私たちは主をまた殺してしまうでしょうから。

伝道するためには、私たちには実体をもってして主を証する以外に術がありません。
いくら口だけで伝道しようとしたとしても伝道できるものではありません。
私たちは愛によって伝道するのです。

疑う心が出てくることもあるかもしれませんが、私たちは主の愛をよく知っているものですから、主が私たちが想う以上に私たちの周りの人を愛したいことを伝道したいことを知っていますから、私たちは身を委ねて私が管理しようとしている肉体を私が管理するのではなく、主に管理していただくような気持ちをもって生活すれば必ず天の導きは私たちと共にあります。

「よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。」
結構な話ですな。

自分の罪の為にキリストが死んだと思ってる子供など、
芸を仕込まれた猫みたいで痛々しい。

子供に自分と同じ信仰を押し付けるならキリシタンも他のカルト教団と何ら変わらない。
主の平和!
今晩は失礼します。

突然、スーパーリベラルが転向ですみませんが、うちは親戚は子供まで、「自称使徒、弟子」の権威で全員教会に属してます(^^;。
顕現は絶対的です。ただ、女性は嫁ぎ先に合わせてもと(^^;。(^^;。
一般論なのですが、「信仰を持つ」と表現するべきところを「宗教をやる」と表現する人が世の中に結構見受けられますが、あれを私は不快な表現だといつも感じてます。

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