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キリスト教(聖書)への素朴な疑問コミュの赦す、与える、愛する

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会社で同じ仕事をしている人がいます。その人は50歳後半の人です。

仕事はまじめにやるのですが 以前の借金のせいで給料を貰ってもすぐ手持ち金がなくなります。

この暑い中 外の仕事なのに食事抜きのときもあります。

先月は電気ガスも止められたようです。

会社としても給料の前借の配慮などはするようですが限度もありその人の家計は自転車操業のようです。

ギャンブルに使っているという様子もありません。

私が時々 観るに見かねて 数千円の単位で「貸す」という名目で数回渡しているのですが もちろん返してくれませんし 「ありがとう」 の言葉もありません。

家庭の事情や家計の詳しいことも話してくれません。

50歳過ぎても お礼も言わない 差し出すと当たり前のように受け取る。もちろん返してくれない。。

ほかの同僚も同じように 数千円を渡しているようですがもちろん返してくれないそうです。
その同僚は もう彼を助けない といっています。

このように 貰ったもの (こちらはちゃんと 貸すんだぞ と言っていますが) と当然のように受け取る人に対して

『赦しなさい』  『与えなさい』  『愛しなさい』 という 聖書の言葉をまだ実行しなければならないのでしょうか?

こういう人に対して クリスチャンはいかに対応したらいいのでしょうか?

私も もう 彼には愛想をつかしています。

それができないなら クリスチャンは辞めたほうがいいのでしょうか?

皆様のご意見 アドバイスをいただければ 感謝です。

コメント(20)

お金の使い方は難しいですね〜
寄付・贈与となれば自分のために使うより
何倍も難しい。

でも、ここは日本国です。
クリスチャンの善意など全く無くても
経済的問題は解決できます。

破産などの債務整理、また生活保護という制度がありますので。

愛をもって法テラス(弁護士)や社会福祉事務所へ
行くことを勧めてみては?
お金の貸し借りはトラブルのもとなので貸さないほうが良いと思いますが。


見返りを求めずにごくたまに食事を奢るのはどうなんでしょうか?


そして、その人が上手にお金のやりくりをする方法を提案するのはどうですかね?

個人的なことですが、私はお金は貸しません。どうしても困っている人には出来る範囲であげます。
日本では「「借りるときの仏顔 返すときの閻魔顔」やら「借りるときは恵比須顔、返す時は鬼の顔」などという言葉がありますが、お金の問題だけではなく、何事にも期待をするのは宜しくないと思います。
期待というのは見返りを求めているという事で、何かしたからと言って、絶対に何か良いものがもたらされるわけではございません。

クリスチャンやめると言うのは考えすぎでしょう。
お金は貸す時は返ってこないことを前提にしましょう。返してもらえないのが嫌なら、貸さないことです。クリスチャンであろうがなかろうが、お金の貸し借りはシビアにいかなければなりません。貸さないことで相手の生活がどうなろうが、それはあなたの責任じゃない。個人の人生に、あなたが必要以上に関わることないですよ。そんなやつ、ほっときなさい。
さて正統教理神学ではどんな原則で
この問題を解決するのだろう。。
皆様の ご意見 ありがとうございます。

補足としまして 付け加えさせていただきます。

私も 決して 貸したお金が返ってくるとは思っていません。

見返りは求めていません。

だから 一回 数千円しか貸せませんが。。

貸した本人のために 当たり前になるといけないから念のため返してくれといっておくのです。
ところで給料の前借をしているって、
なんでそんなこと知ってるんですか?
私は以前、借金に苦しむ部下を管理したことがあります。
住宅ローンの返済が妻の失業でできなくなり、消費者ローンに手を出したことが原因で破綻寸前になっていました。

もちろん、食事も抜き。
ヨレヨレのスーツに裾がほつれたネクタイ。
随分と床屋にも行っておらずボサボサ。

ひどい状態でした。

私や一部の上司が時々食事をおごったり、職場の飲み会の飲み代を出してあげたりとしましたが、「ありがとう」は無かったです。

返済するために、一緒に消費者ローンを回り、弁護士に相談もしましたが、どうすることもできないという答えしか返って来ませんでした。

なのに本人はあまり深刻に考えていないのです。
「どうして?」
不思議でならない私に彼は言いました。

「だって、まだ借りられる。」

そう、借金漬けの人は正常な判断能力が欠如しています。
普通なら、「もう返せない」と思うところ、「まだ借りられる」と思うから自転車操業になってしまうそうです。

だから、そのような人は、人からお金を借りたりもらったりして、「ありがたい。感謝します。」という気持ちは持たないらしいです。

なので、本人の事を思うなら、助けてあげないという選択もあるのかなと思います。
誰も助けてくれない状況になって初めて気付くのではないでしょうか。
手を差しのべるだけが愛ではないと思うのです。
>返済するために、一緒に消費者ローンを回り、弁護士に相談もしましたが、どうすることもできないという答えしか返って来ませんでした。

ホントですか?
その回答には、かなり省略や飛躍があると思うのですけど・・・・・・・・・

普通に聞けば、まだまだやりようがあると思うのですけど?
よくよく考えると、給料の前借までしてる人が、
債務整理や生活保護の制度を知らないわけないですね。

家計のことなど詳細は、会社が把握していると思うのですが。
であれば会社に任せておくのが最善だと思います。
私なら、会社とそのおじさんとの間でうまくコトが解決に向かうように
祈っておきます。いずれにしてもお金の貸与・贈与はしません。
> こういう人に対して クリスチャンはいかに対応したらいいのでしょうか

福音的に云えば、

 貸主がそ〜いう意識で貸付するんであれば、今後一切貸さない が正解に一番近そうな。

 > 本人の事を思うなら、助けてあげ

 る とか (あげ)ない という見方で立っているならば YOKEな御世話

ではないかと…
生きるので精一杯なのだと思いますが、その方にお金を'さしあげている'せいで、その方の内情が気になるのだったら、直接本人に聞くのがよろしいかと思いますけどね。まあ、答える確率は低いと思いますが、その借金はなんの借金なのかとか、債務整理や自己破産しないのかとか、家庭はどうなっているのかとか・・・
それがいやなら、お金を'差し上げなければ'よろしいかと思いますし、'差し上げても'気にしない努力をすればよろしいかと思いますけどね。子供にお小遣い上げているような気持で、ひと月5千円までとか。どうしても見かねて我慢できない時だけ、500円以上は差し上げないとか、いろいろ、気にしないルールは作れるとは思いますけどね。口では情けなくて言えないだけで、とても感謝してるとは思いますけどね。そのためにほかの方にも何万回頭を下げてるのかわからないのでしょうし。

ギャンブルで作った借金でなければ、大概は債務整理や自己破産はできますけど、自分ではなく、家族の誰かが作った借金かもしれませんし、様々な諸事情で現在に至ってるのかもしれません。

まあ、無視するわけにも行かない悩ましい問題でしょうね。
本人のギャンブルの借金なら、私ならほっときますけど、仕事は手を抜かずに真面目にやってるのなら、週に一回ぐらいは飯を一緒に食べるかなぁ〜
なんか言いたくなったら、自分から言うでしょうしね。
私には、本人の問題ではなく、あなたの問題となっているところが、ある意味、面白いですけど、相手の貰って当然という態度がいやなら、何もしないのがよろしいかと思いますけどね。
なんだかんだと言って幸福家族さんは優しい方なんですね。またクリスチャンとしてどう接すればいいのか悩んでおられるまじめな方ですね。でも皆さんも書いておられますが「お金をもらえるのが当然」だと相手が思っているのならお金を貸すのは考えものです。また無心してきたら一度事情を聞いてあげたらどうでしょうか。弁護士を雇うお金がないのであれば法テラスという手もありますから
むしろそういうことを勧めて見られたらどうでしょうか。

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