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NHK大河ドラマ紀行「光る君へ」コミュの【草燃える】京都府

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【草燃える】にまつわる京都府の史跡写真館です。

コメント(4)

熊谷直実鎧掛けの松(金戒光明寺)(京都市左京区)

金戒光明寺は、法然が1175年に開いた浄土宗最初の寺院と言われる。1862年には、京都守護職となった会津藩主松平容保が本陣を置いた。
熊谷直実は1184年の一ノ谷の戦いで、我が子ほどの年齢の平敦盛を討ち取ったことに無常を感じ、1193年この地の法然上人を訪ねた。そして方丈裏の池で鎧を洗い、ここにあった松の木に掛けて出家したと伝えられる。
藤原定家一条京極第跡(京極小学校)(京都市上京区)

藤原俊成の次男として1162年に生まれた。「歌聖」と讃えられ、「新古今和歌集」の共同撰者や「新勅撰和歌集」の撰者を務めた。古典の研究者でもあり、特に「源氏物語」の校訂には優れた業績を残した。
一条京極第は定家の晩年の邸宅であり、彼は亡くなるまでここで過ごした。定家は、宇都宮頼綱の求めに応じて「小倉百人一首」の原型を編纂したことでも知られているが、その作業の主要な部分はここで行われた可能性が高い。
藤原定家京極邸址(京都市中京区)

寺町二条上ルにも「藤原定家京極邸址」碑があるが、これは誤りであろう。
小倉山荘旧跡厭離庵(京都市右京区)

藤原定家の小倉山荘「時雨亭」の旧跡で、定家が百人一首を撰した地とされる。後に荒廃し、江戸中期に子孫の冷泉家が修復。霊元法皇より厭離庵の号を賜わった。その後再び衰え、明治に入り復興。1910年白木屋社長大村彦太郎が佛堂と庫裡を建立し、山岡鉄舟の娘素心尼が住職となり、以後は尼寺となった。

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