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NHK大河ドラマ紀行「光る君へ」コミュの【義経】奈良県

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【義経】にまつわる奈良県の史跡写真館です。

コメント(9)

静御前の塚(大和高田市)

礒野は、静御前の母磯の禅尼の生誕地と言われている。母とともに磯野に戻った静御前は、この地で死去したという。古地図には、この地に彼女の塚があったことが示されているが、現在は消失しており、小さな石が置かれているにすぎない。
弁慶の七つ石(春日神社)(大和高田市)

源義経一行が頼朝に追われているとき、静御前の母が住む礒野の地を訪ね、この石に腰掛けたと伝えられている。
義経の隠れ塔(蹴抜けの塔)(吉野町)

鎌倉幕府に追われた義経が隠れたと言われている。蹴破って脱出したことから「蹴抜けの塔」ともいう。
もとは三重の塔で、現在の建物は大正期に再建されたものである。
弁慶の力釘(吉水神社)(吉野町)

吉水神社はもとは吉水院で、白鳳年間に創建された。義経一行を5日間匿ったと伝えられ、日本最古とされる書院に「義経潜居の間」や「弁慶思案の間」や「後醍醐天皇玉座」がある。
1594年の吉野の花見では、秀吉の本陣となった。
義経が匿われていると知って幕府の追手が来たとき、弁慶が二本の釘を親指で石に打ち込むと、あまりの怪力に恐れをなして退散したという。
舞塚(勝手神社)(吉野町)

勝手神社は、紀元前386年の創建とされる。
壬申の乱のとき、吉野で挙兵した大海人皇子(天武天皇)がこの神前で琴を奏でていると、天女が舞い降り5度袖を振りつつ舞ったという。この故事が宮中の「五節舞」の起源とされている。
また、義経と別れてさまよっていた静御前が金峯山寺の僧兵に捕えられ、勝手神社の社殿の前で舞を奉納したと伝えられる。謡曲「二人静」の舞台である。
なお勝手神社の社殿は2001年に焼失したため、御神体は吉水神社に遷座している。
写真は筆者が1996年に撮影した。

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