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ウイングカー時代の隠れ車庫コミュの2019年2月刊 Racing on誌「ウイングカーの時代」特集第二弾決定

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2016年にRacing on誌で「ウイングカーの時代」特集号が刊行されてから足掛け三年。

次号499号(2019年2月発売予定)にて、その第二段特集号が発売されるという予告が498号に予告されていました。ほっとした顔


編集のタイミングを考えると今から中身をリクエストしても遅いのでそれはスルーして、『タラレバ」先取りで中身を勝手に予想しながら発売当日を楽しもうという趣旨のトピでございます。ウインク


皆さま思いの丈を是非どうぞ

コメント(36)

予告には短くしか書いてないので詳細は不明ですが、「ロータスとリジェが犯した失敗」みたいなフリがありました。(#498はまだ買ってないのでうろ覚え)

ロータスはともかく、リジェの失敗とはDFVからマトラに再スイッチした事なんでしょうか?

1981年に関しては意外と好走したので失敗と括ってしまっていいのか疑問符も付きますが、長期的に見るとマイナスだったという事でしょうかね。

DFVのままでもロータスみたいにそれ以外の要因で凋落するチームも多かったので、エンジンだけではなく総合的なマネージメントの失敗みたいなまとめになるような。
何も資料見ずに書くと、もしかしてウイングカーF1で優勝したV12搭載マシンってリジェ・マトラだけ?

フェラーリ312T4は狭義だと180°V型になるんでしょうか?

フラット12=水平対向にはならないんでしたっけ??

もう昔過ぎて何がなんだかあせあせ

ギ・リジェがサイドポンツーンを作り直せとドゥカルージュに命令、ドゥカルージュが断った途端に激怒した御大がファクトリーにあった全てのポンツーンを破壊、仕方なく作り直したポンツーンを装着したマシンは速さを失った>JS11。といった事がこの本に書いてありました。http://urx.blue/OYxy
>>[3] なるほど。1979年に失速した時の話なんですね。1980年にシレっと復調したのでそこは盲点でした。ワンマンの悲劇ですね。冷や汗
R-on誌に限らずGP-Carとかのレトロ系の執筆陣はロータスと言うかチャップマン原理主義みたいな傾向があるので、ウイングカー時代でも第二弾ともなればその呪縛から離れて、あの時代の実質的なリーダーになったウイリアムズにフォーカスしてもらいたいところ。

出来れば中矢メカのインタビューとかもあれば喜ばしいのですが、多分それはないな。(笑)
>>[2] ノンチャンピオンシップも含めれば、79年イモラのBT48が優勝マシンになりますかねあせあせ
あのレースはブラバム・アルファの、いわば「永過ぎた春」の終わりを告げる一戦でもありましたがたらーっ(汗)

仰るようにいわゆる312Bエンジン(tipo001)は180°V12気筒ですね。確かアルファロメオ115-12も同様だったハズです。
仰るようにグランドエフェクトを「発明」しウイングカー時代の幕を開けたのはチャップマン御大であり、その功績が大きく取り上げられることが多いわけですが、しかしこの時代に大きく飛躍しその後長く活躍する基盤を作り上げたのは、これもまた仰るように何と言ってもウイリアムズですよね。

ウイリアムズのマシーンは技術的に見れば面白いものやエポックメイキングなものが少なくて(FW08Bあたりは除きあせあせ)、ドラマティック性に欠けるのかもしれませんが、もっと大きく取り上げられるべきところだとワタシも思います。
まぁ本来チャップマン御大は、ロータス79の後継機として80ではなくFW07を作るべきだったとワタシは思いますし、御大自身そう考えていた部分はあったのかもしれません。79の欠点をリカバリーしているのがFW07なわけですから。(リジェJS11は、もともとの発想がまた少し違ったところから出発しているんじゃないかと考えています。後付ですがドゥカルージュもそういった発言をしていたのを読んだ覚えがあります)

しかしエンジニアとして、御大は単純な79アップデイトでは気が済まなかったというか、「プライド」がそういう「安易」な道を辿るのを許さなかったんでしょうね。
もちろん、それをもってパトリック・ヘッドが凡庸なデザイナーであるとは、これっぽちも思ってはいませんがたらーっ(汗)
でもそうやって考えると(BTさんからは怒られそうですが冷や汗)、ゴードン・マレーはウイングカー時代には「ほぼ何もやってない」状態ですよね。

エンジンの積み替えだけで(まぁそれだけじゃありませんけどふらふら)、79年の基本設計を82年まで保たせたのは凄いと思いますし、エアフローの観点からのリヤアウトボードブレーキとか随所に光るものはあるんですが、でも後年の給油ピット作戦とかフラットフィッシュとか、そういう革新的なアイデアは生み出していない。
そもそもマレーはグランドエフェクトというか、ウイングカーは嫌いだったんじゃないかと個人的には密かに思っております冷や汗
BT46Bはどうなんだっちゅう話はありますが、あれはファンカーですもんね(←屁理屈ww)
だいたいFW08Bなんか、本来ならブラバムが出していなければならないモノだと思いますし、まぁ給油前提でデザインされたというハナシもある幻のBT51が世に出ていれば、もうちょっと面白かったかもと思います。

そういう感じで考えると、同じゴードン繋がりですがゴードン・コパックもウイングカー嫌いだったんじゃないかなぁあせあせ
F1じゃありませんが、スピリット201のサイドウイングなんてやっつけ以外の何者でもないと、確か森脇さんあたりが言ってたような気が冷や汗
んで、サウスゲートはウイングカー好きだったけど、まぁあの人はヒトと同じ事をするのは絶対にイヤだという強い意志も同時に感じますねあせあせ(飛び散る汗)
>>[7] 79から80への発展がうまくいかなかった経緯は、当時の記事でも最近のもの(GP Carsとか)でも指摘されているように、攻めすぎた空力関係とシャシー剛性の不足とかそんな感じでしょうか。

対してウイリアムズは空力方面はそこそこに剛性とかスライディングスカートとかの信頼性向上に主眼を置いた堅実路線で成功しちゃったところが他の古参コンストラクター達との違いだったという印象を持っています。

当時タミヤのFW07を組み立てた時、模型ながら造形的に理に適った作りだと感じたものです。


後年、空力を攻めすぎて結果が残せなかったA.ニューエイがウイリアムズでFW14以降の成功を収めたのは、保守と革新がうまい具合に噛み合ったからなのかとマンちゃんパトやんの快走を見て思っておりました。
>>[8] それまでのキワモノ(失礼)路線を一旦引っ込めて、オーソドックスに徹して大ヒットを飛ばすという音楽業界のような手法を取った感じが>マーレー


ロータス、タイレル、ウイリアムズ辺りの英国系が曲線的なシャシー設計(ロールバー周りが顕著)なのに対して幾何学的な構成(モダンというかSF系?)を持ってるところが個人的なツボでしたが、タミヤBT46あたりだとシャシーに対してサスペンション周りはアンバランスな古さも感じました。

ブラバム時代にはディビッド・ノース氏がデザイナーとして共同でクレジットされておりますが、マーレーが移籍・独立して以降のプロダクツにブラバム時代のマシンの面影が感じられないのは、スキン(外観)的な部分に関してはノース氏が主体になっていたのかと永年思っております。

この辺りもムック系で取り上げて欲しいのですが、この30数年ノース氏との役割分担について詳しく触れている文章を読んだ事がないのでモヤモヤしています。
>>[9]  ノーウイングにこだわってましたもんね。少なく見積もっても20馬力は稼げるとかなんとかあせあせ  >80
しかし正直、当時初めて80を見た時に「これは・・・冷や汗」と感じたのは覚えています。ホントにこれで大丈夫なのかと。マルティニカラーはカッコ良かったんですがあせあせ

まぁでもレースに「勝つ」ことだけを考えてたのであれば、ああいう形にしないことが最善だとわかっていたにも関わらず、あえてあれで出してきたのは、「オレが時代を変えていく」っちゅう強い意志だったんでしょうね。
後年の88にも同じ匂いを感じますし、他の要因はあったにせよ88が禁止されたことで急速にF-1に情熱を失っていく御大の嘆きも、今振り返ると少しだけわかるような気がします。
(ターボ化でちょっとだけ、またやってみようかと思ったんでしょうけど。どっちかっていうとターボよりアクティブサスペンションのほうに軸足置いてたんでしょうねきっと)
>>[11] ロータス 80とかアロウズA2、そして初期のブラバムBT48(リアウイング一体型)なんかがタイトル争いしていたらF1というかモータースポーツの歴史が変わっていた事は間違いないと思います。


1983年のフラットボトム化と1996年以降でF1マシンの外観は(安全性とかを度外視すれば)かなり足踏みしてる印象です。

造形的には唸る部分も多い現代のマシンですが、せめて後輪周りのロードクリアランスの広さ・高さはどうにかならないかと小一時間…がく〜(落胆した顔)
>>[10]  キワモノ路線といえばF-1とは離れますが、グランドエフェクトとは何か、そしてそれを実際にマシーンに活かすには、ということをとても良くわかっていた(と我々AS読者が)思われてた、たてうちただし氏が設計開発したKIBOU号が、あのような複雑怪奇なシロモノになってしまったという事例を見るまでも無く、やはり理屈ではわかっていても実際に自分で一から作ると制御がきかなくなるというか冷や汗

そんなことを考えると、やはりパトリック・ヘッドという人は偉大なんでしょうね。ご指摘のニューエイとのコンビネーションもそうですが。
下手に大ボスがクルマの事を分かっている(造れるというレベルで)と、プロデューサー的な采配にはマイナスかもしれませんね。


そこいくとロン・デニスあたりはその辺長けていたという事かも知れません。


たてうち先生のKIBOU、造形的には準備稿のZガンダム並みの無骨さだったという印象です。<そこかあせあせ
>>[14]  そういう視点はワタシにはなかったです、新鮮な感じですわわーい(嬉しい顔)  >プロデューサー的な采配

そういやフランクもバーニーも、クルマのテクニカルなことはよくわからんと公言してましたもんね。
んでもってエンツォ御大は口を出して足を引っ張るとあせあせ

ところでZガンダムの準備稿というか、候補の一つをモトネタ(というより、ほぼそのまま流用したという話ですが)にしたのが、かのサイコガンダムらしいですが、武骨さというか、不似合いなスケール感という所には仰るようにKIBOU号に通じるものがありますな冷や汗
Z原案=サイコガンダムはバンダイの村上天皇色の濃いデザインだと思います。

やはりサンライズとは毛色が違うというか、流石に当時はもう古いなという印象でした>天皇

Mk.2の準備稿もアレでしたが、こっちにならなくて良かったあせあせ


チームの運営能力と過去の実績はまた別物みたいですね。

それがドライバーであれデザイナーであれ、失敗例が殆どではないですか?



元々の話では、サイコガンダムは普通の大きさだったらしいですね。それをおトミさんが「怪獣映画をやりたい」と言い出して、あんな大きさになっちゃったんだとかあせあせ

どんどん話が逸れますたらーっ(汗)

「名選手、名監督にあらず」というのは、どのジャンル・分野にもあてはまる話なんですな。
まぁ求められるモノが異なりますから当たり前といえば当たり前の事ではありますが。

まぁそう考えると、さっき少しディスってしまいましたが、やはりチャップマン御大は凄い人だったというわけであせあせ
>>[17] コーリン・チャップマンは偉大ですよ。彼とロータスがF1にいなかったら大メーカー(フェラーリは特殊なので除くとして)不在の時代'60〜'70年代は命脈を断たれていたのではないでしょうか?

員数合わせという事ではなくコンペティションレベルの維持という意味で不可欠なピースというかリーダーとして。


ビジネス面ではエクレストンが出張って来たり、コンストラクターとしては前述のようにウイリアムズがのし上がって来たり、マクラーレンをアレしたロン・デニスなんかが目立つところですが、我々が好きなモータースポーツとしてのF1にはやはりチャップマン=ロータスは金看板だったと思います。


御大の急逝はショックでした。彼のいないロータスはもはやロータスではない、ということがその早すぎる死の直後から囁かれていましたが、結局そうなってしまったのは残念でなりません。

絶対に叶うことのないハナシではありますが、御大とアイルトン・セナのコンビが実現していたらいったいどうなっていたことかと、思わずにはいられません。
もっともそのコンビも、2年以上は保たないだろうなぁと、これもまた誰もが同じことを考えるんでしょうけど冷や汗

しかしチャップマン総帥のもと、セナとマンセルのペアにメインスポンサーはJPSわーい(嬉しい顔) まぁ夢のまた夢ですけどねあせあせ(飛び散る汗)

ウイングカーからはまたまた逸れてしまいましたふらふら
>>[19]

夢のラインナップ、一番実現が困難だと思われるのは?

1.チャップマンが実は生きていた

2.セナとマンセルのペア

3.JPSのスポンサード


多分2だと思います。あせあせ

>>[20]  いや全く異論はございませんあせあせ >2

しかし、昔オフで話したと思いますが、ラルト・ホンダに乗っていたマンセルと、ウイリアムズで大暴れした「荒法師マンセル」の中の人が同じとは、どうしても思えないんですよね冷や汗

確か中村良夫氏でしたか、開発ドライバーとしてのマンセルを高く評価していた人はいましたが、なんというかあんな暴れぶりをする(BTさんは思い出したくないレースでしょうけど、例えば87年イギリスGPとかあせあせ)ヒトだとは思いもよらなかったというのが正直なところです。

もっとも、鴻池庸禎氏のように今振り返って読み返したら、レーサーとしてのマンセルを見抜いていた人もいるにはいるので、わかる人にはわかっていたのかもしれませんねあせあせ(飛び散る汗)
>>[21] 今の面子だと意外とグロージャンなんかはマンちゃん気質があるかも知れません。ちょっと小物っぽいですが。

中村さんのお話はモーターファン誌からオーテク、GPX系で良く読みましたが、氏がホンダF2にマンセル推した話もあったと思います。

ついでにピケはF2いらないだろうという記述もあったような気が。

ああいう味のある御仁が昨今の日本系チームに見当たらないのが時代なんですかねぇ。;

マンセルでは一発の速さは期待できないのでリースを呼んだ云々とも書いていた様な>中村氏。

ロータス時代の不振は御大より番頭のウオーとの不仲が響いたような。この頃は御大も飛行機に手を出そうとしたりといろいろと迷走していた感が。
>>[23]

リースってもっと速くて堅実な走りをするのかと思っていたら、トヨタのCカー乗せたら全然燃費走行出来なかったと最新のレーオン誌に載ってました。

初優勝で勢いがついた感じでいたか>マンちゃん

人との巡り合わせは重要ですね。

>>[23]  ウォーとは本当に全くウマが合わなかったそうですが、当初はロズベルグとも全く合わないというか、まぁどっちかというとロズベルグのほうが一方的に嫌っていた感じでしたね。AS誌で連載していたケケの日誌やAT誌でに当時のレポートでも相当嫌がっていたのがわかります。

ケケが85年のわりあい早い時期にマクラーレンへの移籍を決めていたのも、この年に彼の強い反対を押し切って、マンセル移籍をフランクが強行したのが大きな理由を占めているんではないかと、個人的には考えています。

その後ケケ自身はマンセルへの誤解があったと告白していますが、マンセルは何かそういう要素があったんでしょうか。
まぁプロストとの関係のように、当初友好的だったのが一変してしまうってのもありましたが、この場合はお互いにセナ憎しの共闘関係だったのが、やっぱり一番になれるのは一人だけっていうのがあらためてわかって、結局は破綻したというか、まぁ人間関係のよくあるパターンをわかりやすく見せてくれはしましたが冷や汗
ケケのウィリアムズ離脱はマンセルとの関係も有りますが、ホンダに対する不信も少しはあったのかと。
これも中村氏ネタですが、本田御大が、ケケを降ろすように中村氏が川本社長に働きかけるように仕向けようとしたものの、中村氏の猛抗議で諦めたとか。ケケも83年末の鈴鹿テストの際、本田御大と会見したものの、あまり良い印象を受けなかった等、感情のもつれも少しはあったのかもしれません。
>>[26] これは知りませんでした。宗一郎氏がケケをお気に召してなかったんですね冷や汗 ホンダ供給決定前にホッケンハイムでしたかで固く握手を交わした相手は確か川本氏だったかたらーっ(汗)

ちょっと当時のATを読み返していたんですが、ケケはウイリアムズに対してFW09の、特に大アンダーステアの改善を強く求めてはいましたが、ホンダに対しては「まずはシャシーの問題を解決してから」という姿勢でした。ぞういうことから考えると全面的に信頼はしていなかったのかもしれませんね。

そういえば後年プロストがマクラーレン在籍最終年にホンダと揉めた時、黙っていては依怙贔屓されるので(どんどん自分の主張を)言わなければ駄目だ、と教授に「アドバイス」したのはケケとマンセルだった、というようなことをどこかで読んだ覚えがありますわ。

昨日本屋寄った時にまたレーオン誌立ち読みして次号予告確認しました。<買いなさい

昨今鈴鹿でも開催されているレジェンドF1とかマスターズ系の特集もあるみたいですが、グッドウッドとか各地のミュージアムコレクションレベルならまだしも、競技用にパーツやウラフィックに手が加えられているマシン達は、たとえ中身が本物だったとしてもなんだか魂が抜けている感じであまり興味が湧きません。

最悪な例が鈴鹿にも来たブラバムBT49C。

ゼッケンの中途半端に似せた4とかは序の口で、恐らく安全基準上の対策だと思われる馬鹿みたいに延長されたロール(オーバー)バーとかあまりにも醜過ぎて…ふらふら

あれに誌面を割くだけ無駄なので、出来ればスルーして頂きたいデス。冷や汗
ウイングカーではありませんが、確か81年頃にフェラーリ312B3と312T2-77がFISCO走ったことがありましたっけ。伊太利屋のプロデュースでドライバーの一人に関谷さんが呼ばれてたと思います。

そんとき、両車のタイヤステッカーがブリヂストンに変えられてたんですよ。やっぱり違和感が相当ありました。その様子をレポートしたASにも後日、同じような意見が読者投稿欄に載せられていて「同じ事考えてた人いたんだ冷や汗」と思った覚えがあります。

でも実際にレジェンドに出走するようなマシンは安全規定との兼ね合いもあるし、難しいところなのかもしれません。オーナーの方々の忌憚ないご意見をぜひ聞きたいものです。こういう突っ込みをやって欲しいところですよね専門誌なんだから。
勿論ミュージアムに展示してあるのはオリジナルに徹して欲しいです。
>>[29]

それに関してはエイボンさまさまな面は強いですね。

あそこが各種クラシック用タイヤ製造してくれないと、イベントもレースも成り立たないでしょうから。


まかりなりにも歴史のあるヨーロッパメーカーなので、変なアジア系よりは正統性はあると思いますよ。(生産はアジアなんでしょうけど)
さていよいよ今週末に発売予定となりましたが、果たして表紙はどうなるんでしょうか?

第一弾はどこで撮影したか不明ですがロータス79と80(!!)というこの本では異色の(多分)ツーカーエントリーでしたね。


どこのマシンでもいいんですが、レジェンド系のレース用に改悪されている車輌はパスして頂きたいと願うばかりです。(遅いですけど)
いよいよ明日発売。

表紙の画像も解禁されてますが、チョイスはいいものの根本的なところがおかしいのではないかと小一時間…ふらふら
無事発売となりました。

明日にでも改めて感想トピを立てたいと思っています。

今夜あたり皆様隅々まで目を通されるのではないでしょうか。あせあせ
なかなか感想トピ立ち上がらないんですが、発売から一週間経つのでいよいよ今週末にでも。あせあせ

立ち読みでの期待が大きかった分、落差で非道い事を書きそうでしたが、ちょっと時間をおけば冷静になる…かどうかは保証の限りではありません。げっそり
間つなぎに小ネタを…あせあせ

自分のつぶやきネタの流用ですが、数日前の”本家”AUTOSPORTのWeb版での話です。

最近驚速スーパーカー・BT62発表で話題のブラバムの、F1でのブランド復活の記事のようでした。

トップページに使われた”ブラバム”の写真が、”ファンカー”BT46Bでも”ローラーブレード”BT55でも”イカヒコーキ”BT52でもなく、ましてや末期のデーモン閣下の(なんだっけ?)でもなく1980年の白紺BT49だったのに大喜びでした。

タイトルバックはピケ初優勝のロングビーチだと思いますが、フロントウイングレスのまさにウイングカーど真ん中ストライク。うれしい顔

記事中の写真は後半のオランダかイタリア辺りの(テキトーあせあせ)熟成したカット。目がハート

今回のレーシングオン誌のウイングカー特集でなんかモヤモヤするのは、ブラバムに限らずこういうカッコいいウイングカーの写真が少なかった事。

リアルタイムで当時の各レース誌を読んでいた身としてはそこが残念。がく〜(落胆した顔)

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