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世の中おかし〜んならなおせ〜。コミュの菊池誠氏に聞いてみよう!(保存用)

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下記トピックの保存として。↓
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=42436092&comm_id=42238



皆さんお久しぶりです。
このコミュにおいて、何度か、きくまこさん(菊池誠氏)に質問をしたのですが、なかなかお返事がいただけませんでした。
最近、きくまこさんのブログに掲示板があることを知り、そのブログ内では「ご質問にはいつでもお答えします。 」と書かれておりましたので、掲示板を通じて直接質問することにしました。

菊池誠氏の掲示板↓
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1133343027#CID1241817511

まずは、そこに投稿した最初のコメントを紹介します。




『266. 名もなき詩人 ― May 8, 2009 @14:01:18
はじめまして。
というか、きくまこさんとはすでにミクシーのトピックでお会いしているものです。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1133343027Link
あちらでは、お忙しいためか、お返事をいただけておりませんので、ここならば対処していただけると思い、投稿いたします。
掲示板をざっと拝見しましたが、あなたに意見に対し疑問を感じている方々も相当数いるようですね。
その方々のコメントから、いくつか拾ってみました。↓

>27. そうかなー ― March 29, 2006 @15:46:03
 やっぱ科学って実際に実験をしてみないとダメなんじゃない。
 日本物理学会でも実験してみてください。
>32. Back off ― March 29, 2006 @22:32:52
子供ってものすごく好奇心があるわけで、それを経験済みだから、
間違いだから、という大人の意見でつぶしてしまうのはどうかと。。。
やってみて失敗をして、ああ、これは間違っているんだな、と
知識として植えられていくものではないでしょうか?
>35. そうかなー ― March 30, 2006 @08:30:18
多くの方が行動や実証もせずに、評論してるところが少し残念な気持ちになりました。(中略)
何もしないで、評論しすぎるのは、科学的ではないし、むしろ宗教的だと感じます。
その昔、科学は宗教者によって弾圧されていた時代もありました。
その再現を見ているような気がしてなりません。
>46. 初めまして ― March 30, 2006 @18:54:14
ここでこのように批判されるのは結構ですが、
どこまでが本物で、どこからがニセなのかをはっきりと提示して頂きたいのです。

ここで述べられているものは、あなたの「水からの伝言」批判には、実証が伴っていないのではないか?というものです。
それに対するあなたの回答も、「科学的に間違っていることが自明だから」の一点張りで、根拠らしいものは一切示されていません。
また、あなたの著書「信じぬものは救われる」を購入して読ませていただきましたが、その中にも、「科学的に間違っている」ことの根拠はどこにも見られませんでした。
唯一、根拠を説明しているものといえば、こちらのものです。↓
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/nisekagaku/mizuden_doutoku2.htmlLink

これに関しては、私なりの疑問を並べて紹介しているわけですが、科学的な理由と見なせるものは、「1、結晶の形は温度と過飽和度で決まることは、中谷宇吉郎が人工雪の実験で示しました。」と「2、水は感覚器官も頭脳も神経も持たないただの物質なので、言葉の「意味」に反応することはありえません」の2点です。
1に関しては、コメント56でこなみさんという方が「私はこの実験で水伝の主張を否定できるとは思っていません。」
と述べているように、根拠として成立するものになっていません。
2に関しては、「反応するのは感覚器官や頭脳や神経だけである」といった、信念に基づいた主張であり、昨今の量子学的考察を全く配慮していないもののように感じます。

また、あなたは、この掲示板において、このような回答もしていますね。

コメント46に対する回答より
>残念ながら、世の中のすべてについて「これは本物・これは偽物」とラベルを貼ることは不可能です。
それは個々の科学者の処理能力を超えていますし、学会などの処理能力も超えます。
新しいものは毎日登場しますから、どのみち不可能です。
やはり、個々人が合理的に考える訓練をする以外になく、僕たちにできるのはそのための考え方のヒントを差し上げることくらいです。

全てのものにラベルを貼ることは不可能であるにもかかわらず、「水からの伝言」に対しては明確に偽者のラベルを貼っておられることになりますが、これは、あなたがテレビ解説で「誠実な科学者はやらない」といっている二分法そのものではないでしょうか。
あなたは、一切明確な判定理由を揚げることなく、「水からの伝言」に共感することは「いい大人が信じる話ではなかったはず」と述べ、「合理的に考える訓練」をすれば偽者だとわかると述べておられます。
しかし、これまでのあなたの主張などから判断すれば、人が「水からの伝言」に共感するのは、「いい大人でないから」でも「合理的に考える訓練が足りないから」でもなく、あなたが明確に偽物である理由を説明できないことに原因があるように思います。
ましてや、世界中で「水からの伝言は偽物だ」と主張しているのは、日本物理学会に属している方々だけではないかという疑念さえも感じておるところです。

明確な理由説明をお願いします。』

その後のきくまこさんの回答と、それに対する再質問を、修正せずにここに紹介したいと思います。
なお、このトピックにおられるきくまこさん支持者のみなさんには、きくまこさんとの質疑内容がコミュ参加者に認識しやすいように、このトピックではコメントを差し控えていただくことをお願いします。
どうしてもコメントしたい場合は、以前立ち上げたトピックなどをご利用いただければ幸いです。↓
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=38809705&comment_count=329&comm_id=42238
ただし、私もさほど時間的余裕のある身ではありませんので、返事は確約できません。その点はご了承下さい。

コメント(74)

118自分のコメントを削除する 2009年05月27日 09:57

名もなき詩人
上記のアンケート項目に、もう1つ付け加えていただきたく存じます。

●批判者達との議論は興味深いので、続けるべき。


それから、このトピックでの関係外のコメントを飛ばして読みたいという方がいましたら、こちらのトピックが便利です。↓
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=42445615&comm_id=2055789
125自分のコメントを削除する 2009年05月27日 12:40

名もなき詩人
きくまこさんへ

ようやく、少しずつお返事をいただけるようになり、心から感謝します。
やや、私の不用意な文章表現が目立っていますが、これからの質問並びに意見は、慎重に言葉を選んで、できる限り根拠を示しながら行っていくべきだと感じております。
そのため、次回のあなたのご意見に対する質疑等は、多少時間をいただくことになるかと思いますが、あらかじめご了承下さい。

また、これまではあなたからのご返事がいただける確信が持てない状況でしたので、他の方のコメントにも意見を付させていただいておりましたが、それもこのトピックにおいては今後自粛したいと思います。
(他のトピックで可能な限り継続するつもりです。)

あなたはブログで「ご質問にはいつでもお答えします。 」と書かれておりますが、これを守るのは非常に困難だという実感を、今頃なさっているのではないでしょうか。
しかしながら、「いつでも答える」は難しくとも「必ず答える」ならば、あなたにその意志がある限り十分可能でしょう。
期限は特別定めなくとも必ず返事をするという確約をしていただければ、私もじっくりと腰をすえて質疑に取り組めます。
また、これは、あなたのトピックでコミュ参加者に望んだ質問の答えになるでしょう。↓

『なぜこんなものを信じるのか、その理由が知りたいのです。』
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=2435514&comm_id=42238

私の場合、理由は一つです。科学的な否定根拠が十分でないと考えているということです。
ですから、十分な科学的根拠をもって「水からの伝言」を否定していただくことこそが、私の考えを改めさせる唯一の道であり、ひいては最も重要な『ニセ科学対策』になるというわけです。


それから、あなたの著書に対する私の評価ですが、私は、あなたがニセ科学批判を公言し、反論をいつ何時でも受けようとなさる態度は、非常に評価しております。(その態度が偽りでないと認めさせる努力を、あなたがしていると感じられる状況下ではということですが)
しかしながら、いくつかの学究をニセ科学扱いする態度そのものには、大きな不信を抱いております。
とは言うものの、その不信が不変のものであるとは考えておらず、あなたの意見に理があると感じた場合は訂正しようという柔軟な姿勢は持ち合わせているつもりです。
今後の質疑を経て、あなたの意見が正しく、私が間違っていたと感じた場合は、即刻レビューを修正し、謝罪を表明することを約束いたします。
そのためには、心からの納得が必要ですし、相当の根気が必要かもしれません。
けれども、「ニセ科学は不道徳である」という思いと、その意見を広めることは正しいのだとするあなたの信念が揺るぎないものであるならば、そういった根気や努力は、あなたが心底そう考えていることを公に認めさせる絶好の証明になるはずです。
反対に、私を説得することを断念し、何かと口実を設けて避けようとするならば、あなたの信念そのものが疑われる結果となるでしょう。
つまり、私がレビューで主張した、あなたに対する不信が証明される形になるというわけです。


私が考えるところの、今のあなたがおかれている状況はこんなものだという説明をさせていただきました。
あなたが、私の申し出を断るのは自由です。これは強制ではありませんから。
ただし、断ることによって、失うものはそれなりにあるのだということは、あらかじめご理解願いたいのです。
それと、質問に答える答えないは強制ではないものの、「ご質問にはいつでもお答えします。 」という文言だけは、私の信念に照らして、容認できるものではありません。
私との質疑を継続しないという決断をなされるのならば、あの文言だけは削除をお願いします。
それでは、私との質疑を継続なさることを期待して、お返事をお待ちします。
138 2009年05月27日 19:41

きくまこ
「新しい科学」はいいのですが、科学というのは過去の蓄積の上に成り立っています。
むろん、歴史的にはその蓄積がなんらかの形で覆えされた事例はあります。しかし、覆すためにはそれに足るだけの充分な証拠を用意しなくてはなりません。蓄積を無視して、思いつきだけをいくら述べても、それは通らないのです。
  
もうひとつ。フリッチョフ・カプラ以降、量子力学というものを何か「魔法」のようなものだと誤解するかたがあとを絶ちません。たしかに量子力学は古典力学に適応している我々の直感からすると、かなり奇妙な結論を出す場合があります。しかし、「奇妙」であることと「なんでもできる」こととは違います。その奇妙さも、たとえばシュレディンガー方程式で記述されているわけであり、言い換えると、シュレディンガー方程式で記述されていないことは「起きない」のです(ここはあまり正確に言っていません。いくつか突っ込む余地があると思いますが、本質的な話だけ)。
また、大きな物体に量子力学を適用すれば、古典力学と同じ結果になります。量子力学を使っても、古典力学と同様、巨視的な物体にはトンネル効果は起きないということです。
142 2009年06月01日 02:01

きくまこ
書いたかどうか忘れたので、「アインシュタイン・ポドルスキー・ローゼン(EPR)のパラドックス」について、ちょっとだけ。
量子力学がテレパシーだの神秘的ななんかだののメカニズムだと主張したい人の一部は、このEPRに基づいているつもりになっています。ディーン・ラディンなんかは「量子絡みあい」をテレパシーの原因にしたいようですが、そういうのも基本的にはEPRとその発展形を使ったつもりになっているのだと思います。
「つもりになっているだけである」ということを以下に書きます。

ご承知のとおり、アインシュタインは自身が量子論の提唱者のひとりであるにもかかわらず、量子力学にはおかしなところがあると考え、反対していました。
EPRのパラドックスは、アインシュタインたちが、量子力学の理論通りに計算すると特殊相対論に反する瞬間的な情報伝達があるからおかしい、と主張したものです。ポイントはEPRは量子力学の理論通りに計算したところにあります。理論通り計算すると妙なことが起きる。もし量子力学を認めるなら、これはパラドックスである。したがって、量子力学の理論はおかしい、というのがEPRの主張でした。EPRの論文に書かれたような現象は起きるはずがないというのです。だから「パラドックス」だったわけです。

ところが、その後の実験でわかったのは、EPRの論文に書かれている通りの現象が起きる、ということでした。つまり、EPRの計算は正しく、したがって、量子力学の理論も正しいというわけです。ですから、現代的な視点ではEPRはパラドックスではありません。EPRの論文で計算された現象は、今では「EPR相関」という実在の現象として確立しています。
アインシュタインたちの間違いは、計算結果が光速を超える情報伝達を意味すると考えたことで、現在はEPR相関を使って超光速で情報を送ることはできないと結論されています。

何が言いたいのかというと、EPRは魔法でもなんでもなく、まさに理論どおりに計算すると導かれるものであり、実験的にも確認されているということです。しかも、量子力学懐疑派が計算をして、「こんな変なことが起きるのはおかしい」と主張した、まさにその現象が実は起きているところがポイントです。
言い換えると、EPR相関は魔法ではないので、EPR相関を使っても、量子力学の理論の枠内で可能なことしか起きません。
143自分のコメントを削除する 2009年06月11日 12:04

名もなき詩人
大変長らくお待たせしました。ようやく主張の整理が付きましたので、トピックを再開させていただきます。
きくまこさんからは、残念ながら、コメント125で申し出た「質問には必ず答える」という確約をいただいておりませんが、このトピックを注目していらっしゃるご様子ですし、氏の専門分野に関わるものですので、必ず何らかのお答えをいただけるのもと期待しております。
また、私のコメントを心待ちにしていた方々には、ご心配をおかけしました。
私の浅はかな知識だけでは、主張の根拠を提示することに、不足を感じはじめておりましたので、新たな知識の吸収に時間をとらせていただきました。

さて、これまでの議論の経過から強く感じたことは、「量子力学とは一体どういうものなのか」を、コミュ参加の皆さんにも知っていただく必要があるのではないかということです。
コメント59において、きくまこさんは、「「魔法」という言葉のかわりに「量子力学」という言葉を使っても、なんの説明にも理解にもならんのですよ。」と発言しておられますが、私の主張が単に、魔法という言葉の変わりに量子力学を持ち出したわけではないことを理解していただくためには、量子力学の基礎的な情報を提示する必要があると感じました。
量子力学の研究が進むにつれて、これまで常識とされてきたことが次々と覆されている状況にあり、従来の古典物理学に基づいた教育を受け、それを常識として生活する私たちにとって、量子力学はまさに「魔法」です。
しかし、ここに紹介する現象の数々は、魔法でも何でもなく、科学的に証明された事実なのです。
そのような量子力学の現象を皆さんに知っていただければ、私の主張する「水からの伝言は、量子力学に基づいた説明が可能ではないか」の理由が、お判りいただけるかと思います。
そのため、このたびのコメントは、非常に長文となっております。
しかし、「水からの伝言」に対する共感を深めるために、また、今後の生活を送る上で、因習的な常識にとらわれないためにも、非常に有用な知見であると思いますので、お付き合いいただければ幸いです。

《著書紹介》
このたびのコメントに際し、私が特に参考にさせていただいたのは、「量子進化 脳と進化の謎を量子力学が解く! ジヨンジョー・マクファデン著2003年」というものです。
この著書の主旨である、ダーウィン進化論の量子力学的考察も、非常に興味深いものですが、特に好ましく感じたのは、非常にわかりやすく量子力学の解説が記されている点です。
難しい数式や理論などに抵抗を感じる私のような者でも比較的容易に理解することができました。
HPによると、著者のジヨンジョー・マクファデン氏は、英国サリー大学で博士号をとられ、現在分子生物学・遺伝学教授として活躍されておられる方のようです。
http://www.surrey.ac.uk/qe/
きくまこさんは、「「ニューサイエンス」系の本を何冊読んでも、量子力学については誤解こそすれ、いっさい理解できません。」と述べておられますが、マクファデン氏も教授の資格をお持ちの方ですので、一概に「ニューサイエンス」だと否定されるものではないと思います。
なお、以下に記する『』でくくられている個所は、全て本書からの引用です。
(続く)
144自分のコメントを削除する 2009年06月11日 12:05

名もなき詩人
(続き)
《量子力学とは何か》
『一九〇〇年、ブランクは黒体放射の正しいスペクトルを予想する式を導き出した。しかし、その式の意味するところはとても驚くべきものであり、プランク自身、その意味を認めたくなかった。それまでの黒体放射を説明するモデルとは、光のエネルギーが、熱せられた物体から連続的に放出されるというものであった。(中略)しかし、プランクの式では、熱せられた物体からの放射は、独立した大きさをもつ小さなかたまりで放出される場合にのみ意味をなすものであった。ブランクは、このような光のエネルギーのかたまりを量子と名づけた。』
『多くのエネルギーが与えられると、分子は瞬時に、ある回転速度から次の状能に「跳躍」し、不連続な光のスペクトルが生じる。この「量子跳躍」は、古典物理学では予想できない、量子力学に固有の特徴である。それならば、その「中間状態」では何が起こっているのだろうか? 分子はどうやって瞬時に、ある回転速度、すなわち、ある「量子状態」から別の「量子状態」へ切り替わっているのだろうか?』

20世紀初頭に発見された、古典物理学の常識と完全に反する現象は、量子力学という新たな研究分野の始まりとなりました。
きくまこさんは、コメント49において、「新しい理論や実験結果は、これまでに積み上げられた科学的知識と整合するかどうかが問われます。整合しないとすれば、それはどこかが間違っているか、さもなければこれまでの科学を覆す大発見かのどちらかです。」と述べておられますが、まさしく、量子力学は「これまでに積み上げられた科学的知識」を覆す大発見であったわけです。
これから紹介する数々の現象は、「これまでに積み上げられた科学的知識」と全く整合しなものばかりであり、そのため、発見者であるプランク自身も「その意味を認めたくなかった」わけです。


《量子の世界の不思議 その1〜量子エネルギーは跳躍する》
『デンマークの偉大な物理学者であり量子論の主たる構築者である二−ルス・ボーアは、革新的な解を提案した。原子核に束縛された電子は、もはや連続的なエネルギーをもつことは許されず、光のように不連続なエネルギー状態に量子化されているというものだ。電子は「原子核に向かって急落下」することはできない。というのも、急落下するというのは、連続的に減少するエネルギーをもっているということだからである。あるエネルギーレベルから別のエネルギーレベルに量子跳躍をすることだけが許され、各跳躍は電磁エネルギー(プランクの式によって与えられる振動数をもつ)における光子の吸収や放出と関係しなければならない。』


《光は量子である》
『アインシュタインの答は、光そのものが不連続の量子、あるいは「光子」と称されるものからなるということであった。アインシュタインは、光を波ではなく光子の流れであると考えたのだ。』
『ノーベル賞を受賞した物理学者であり、量子電磁気学(QED)というきわめて成功した理論を構築したリチャード・ファインマンは、次のように考えた。「(光を用いた)二重スリットの実験は…それ自身の中に量子力学の核心をもっている。実際のところ、この実験は唯一の謎を含んでいる…。それがどう作用するか説明しようとすれば、量子力学の基本にある奇妙さを述べることになるだろう」。』

光を用いた実験で確認される現象には、量子力学の本質が凝縮されており、光を知ることは量子力学を知ることと同等であるといえそうです。

リチャード・ファインマン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BBP%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%B3
(続く)
145自分のコメントを削除する 2009年06月11日 12:05

名もなき詩人
(続き)
《量子の世界の不思議 その2〜量子は粒子と波の2つの形態を持つ》
(左図参照のこと)
『たとえば、懐中電灯やレーザーポインターから発した強い光線が、スクリーンにある一ミリメートル四方の穴を通って白い壁を照らしていると想像してみよう。この光は壁に穴の形をつくる。(中略)
スリットが〇.五ミリメートルの幅であれば壁に明確な像が再現され、この細長い光の幅は〇.五ミリメートルであり、その光の運動量は水平面ではゼロのままであることを示す。位置の不確実さは半分になる。ところが、幅を一〇分の一ミリメートル以下にまで小さくしていくと、スリットの像は同じように小さくなっていくことを拒否する。事実、スリットが小さくなればなるほど、その像はぼんやりとなりながら大きくなってしまうのだ!』
『いくつかの光子は、スリットを通過するときに左か右にそれたにちがいない。そのような光子は、水平平面の運動量もつ(運動は方向を含むため)。もはや、スリットを通過するすべての光子の運動量がゼロであるとはいえない。いま、光子の運動量は不確定であり、その不確定性は回折した像の広がりによって決まるのである。』
『光が波として考えられるときには、回折は、当然ながら波動力学の結果として現われる。しかし、光電効果や黒体放射の問題、その他の多くの実験は、明らかに光が粒子から成り立っていることを教えてくれる。』

光(量子)が、粒子であると同時に波の形態を持つことから、不確定性原理が導き出されました。↓

『ハイゼンベルクの不確定性原理は、微視的である物質の構成要素の振る舞いを考慮するときにもっとも重要となる。たとえば、電子のようなとても小さな質量をもち、したがって小さな運動量(運動量=質量×速度)をもつ粒子にとって、力の値はあらゆる作用を測定するときの正確さにきわめてきびしい制限を課す。正確な位置の情報を得ようとせず、広いすきまに光子を通したとき、不確定性原理は、運動量の測定においてきわめて高い精度を得ることを可能にする。(中略)しかし、位置の測定を絞り込んだ場合、不確定性原理は光子に運動量の幅広い不確定性をもたせることとなり、(中略)光子がせまいすきまを通ったときに方向を変えるのは、光子の測定に起因して運動量の不確定性が増加するためである。』


《量子の世界の不思議 その3〜量子の干渉効果》
次に、スリットを2つにした実験でも、古典力学では予測できない現象が確認されます。(右図参照のこと)↓

『まず、左のスリットを覆って実験を行なう。これは本質的に一つのスリットでの実験と同じ設定であり、散乱した(回折した)像が壁に見え(右と示す)。同じく右のスリットを覆えば、同様に左に散乱した細い線が見える(左と示す)。両方のスリットでは、おそらく二つの回折パターンを合わせた(右)+ (左)というものが見られると予想される。これは、ふつうの粒子(たとえば銃弾など)を発射してスリットを通過させたときに予想されるパターンである。しかし、光をスクリーンに通したとき、予想されたような足し合わせパターンは見られず、その代わり、壁には明暗の帯がくり返し現われるだろう。この像はまちがいなく、二つの独立した光線を単純に足し合わせたものではない。というのも、どちらか一方のスリットが開いているときには、明るくなっていた壁の部分が暗くなり、暗かった領域が明るくなっているからである。この明暗の帯のパターンは干渉パターンとして知られる。』
『干渉とは、波のもつ特徴である。波は、空間を伝わるとともに広がり、同時に二つの場所(スクリーンの二重スリット)を通過することができる。しかし、そこからこんどは再結合して干渉パターンをつくる。干渉は古典論的粒子の特徴ではない。古典論的粒子は空間上の場所が特定され、二つの別々の地点を通って移動することはできない。』
(続く)
146自分のコメントを削除する 2009年06月11日 12:05

名もなき詩人
(続き)
量子の世界では、同調するエネルギーが重なって効果を強めるという動きがあるようです。
しかし、これは光に限定された現象ではなく、私たちの世界にありふれた全ての物質に内在する性質です。↓

『古典的な二重スリットの実験と同じような実験が、粒子の形態をもつすべてのもの、すなわち陽子、中性子、原子、分子、イオンについて行なわれ、すべて干渉効果を示す。すべてが同じように、波と粒子の二面性を示し、すべて状態の量子の重ね合わせとして存在する可能性がある。(中略)
これらの粒子(電子、陽子、原子、分子)は、超伝導高加速器あるいは他の高エネルギー物理学実験において束の間しか存在しないような、難解な状態の物質の一部ではない。これらの粒子は、この本のぺージの材料であり、そのページを見ている眼の一部であり、見ているものを認識している脳の一部なのである。量子力学は、生命の材料を含め物質の根元的な実在性を説明しているのである。』

こういった一連の量子現象は、古典力学の観点からは全く予測できない、まさしく「魔法」のようなものです。かといって、夢や幻でもなく、確実に実在が証明されているものです。
古典力学の常識からは魔法としか思えない事柄が、量子力学にとっては不思議でもなんでもないわけです。
ですから、この地球上(宇宙全体)で確認される、古典物理では解明できなかった全ての謎は、量子力学によって解き明かされるのかもしれないのです。

また、量子的現象は、あまりに微小なレベルで確認されるため、現象を測定しようとする行為にさえ影響を受けてしまいます。↓

『ニールス・ボーアは、すべての測定は二つの関連する相補的な特性(位置と運動量など)に影響し、したがって、ある一つの特性を測定することは、もう一つの特性が不確定になる原因であることを発見した。これは、相補性原理とよばれるものである。』
『量子力学において、測定はけっして無害ではない。測定は、外部に存在する実在性を変更するのである。測定は実在性をつくり、異なる測定は異なる実在性をつくることになる。』

これは、私がコメント65で述べた「量子レベルの観測には物理的な限界があるということですよね。ですから、今日の科学理論の是非を問う場合においては、実証よりも、他の理論との整合があるか否か?という点こそが重要視されているわけです。」の根拠です。
この「測定が量子的世界にある種の変更を加える」という示唆から、次のような考察が提起されました。↓

《コペンハーゲン解釈》
『標準的な量子力学の解釈では、測定できないものは存在しないということになる。この観点からいえば、冷蔵庫の中身は、ドアを開けるまで存在すらしないということになる。量子論の初期のころ、二−ルス・ボーアは、この見方をもっとも熱心に支持した。(中略)
ボーアは「通常の物理的な意味における独立した実体は、現象と観察の作用のどちらにも帰することができない」と主張した。ボーアの影響によって、二〇世紀における長いあいだ、この観点は量子力学の標準的解釈として広く知られた。この解釈は、量子論における数多くの基礎的な発展がなされたコペンハーゲン物理学研究所でのボーアと同僚の功績によって、コペンハーゲン解釈としてよく知られている。』

映画「トイストーリー」を思い出してください。
映画では、人間が見ていないところでおもちゃが独自の世界を持ち、自分の意志を持って行動するという物語ですが、まさしくこれは、量子の世界の特徴を明確に捉えているのではないでしょうか。
私たちの意識が確認している世界はほんの一断片にしか過ぎず、それ以外の部分には、量子の揺らぎのような不確定性が宿っているということでしょう。
そしてそれは、どこか遠い世界の話ではなく、私たちの視線が届かない背後やパソコンの裏側、閉じられた本の中など、身近に存在しているわけです。
このことは、私たちが知覚しない未来などには、確定未然の状況が残されているということになり、古典力学の基礎にある「機械論的世界観」の「古典力学的で決定論的な因果関係の連鎖のみで解釈でき全体の振る舞いも予測できる」という考え方を決定的に否定するものです。↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%9F%E6%A2%B0%E8%AB%96
逆に、祈りや願いなどといった、心の作用が不確定要素に影響を与える可能性も考えられるわけであり、「水からの伝言」をニセ科学と断定できない、強い根拠がここにあると考えます。
(続く)
147自分のコメントを削除する 2009年06月11日 12:06

名もなき詩人
(続き)
《量子測定には古典力学の介入が避けられない》
『ニールス・ボーアが支持した説明では、量子の世界と測定装置の区別が強調されていた。量子的な事象を見るためには、われわれは量子的な事象を古典力学で扱う物体の大きさに拡大しなければならない。だがそれは、もし「すべての事象を古典力学の用語で説明しなければならない」とすればの話だ。われわれの認識に対する感覚および情報伝達能力は古典的な法則に基づくものだ、とボーアは指摘した。われわれは古典力学の現象によらずに、量子的事象を認識したり説明したりできないのだ。』
『現象とは、量子的物体と測定装置の相互作用なのである。独立した存在が量子的物体そのものに帰するということはない。単純にいえば、測定がなければ電子や光子といったものもない。それらは存在しないのだ。存在に対する基本的な単位は、原子や電子や光子ではなく、現象なのだ。コペンハーゲン解釈に従えば、これは物理学に関するかぎり、そうなのである。』

ここでいう測定とは、量子的出来事を古典力学の目盛りに翻訳することですが、測定装置自体も量子的世界の揺らぎから無縁ではありません。↓

『しかし、測定装置の原子と分子もまた同じ種類の基本的粒子、すなわち陽子や電子などから構成されており、それらは量子の重ね合わせ現象を示すことができる。測定装置も、状態の重ね合わせの中に存在できるのではないだろうか?』

きくまこさんは、コメント49において、「現代科学はガリレイ・ニュートン以来の長い長い時間をかけて積み上げてきたものです。その結果として、現在の科学的な知識なり見地なりがあります。また、「科学的実証」とはどういうものであるかという方法論についても同様です。」と述べていますが、測定装置さえもが量子的世界の揺らぎから無縁ではないわけですから、「科学的実証」の方法論自体も、大幅に変更を加えるべきものとなっていると考えます。
(続く)
148自分のコメントを削除する 2009年06月11日 12:06

名もなき詩人
(続き)
《シュレーディンガーの猫》
『ボーアの研究仲間であるエルヴィン・シュレーディンガーは納得がいかず、問題点を洗い出すために、ある思考実験を考え出した。いまでは有名なシュレーディンガーの猫のパラドックスは、それ以来、科学者や哲学者を魅了してきた。』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%81%AE%E7%8C%AB

コペンハーゲン解釈がもたらす不合理を、わかりやすく示したのが「シュレーディンガーの猫」です。
箱の中に毒ガスと共に入れられた猫の生死は、箱のふたを開けなければ誰も知ることができません。
「ふたを開ける」行為を測定と考えた場合、はこの中の猫の生死は量子的揺らぎとともにあり、確立でしか表せません。


『このように、意識をもつ観測者の存在が必要であるということは、われわれ自身が実在性の仲裁人の役割をして世界を定めている、ということのように思われる。われわれがいなければ、光子も電子も陽子も、また測定装置や生細胞、そしておそらくは猫などのもっと大きな物体でさえも、まったく存在しないか、あるいはある種のあいまいな量子的可能性として存在すると考えられる。量子測定装置には、量子的な事象を古典的な存在に翻訳する能力が与えられているとされるが、それはわれわれが観測者としてそこにいるときのみの話である。』

量子現象を理論的に突き詰めれば突き詰めるほど、「世界は観測者がいるからこそ存在する」という結論に至ることになります。
ここから、次のような世界観が提起されました。↓


《参加型の宇宙》
量子の世界では、私たちが認識しない世界は実在しないのと同様であることから、このような仮説が提起されました。↓

『物理学者ジョン・ウィーラーは、意識に依存する実在性という観点を論点の結論とし、われわれは「参加型の宇宙」に住んでいると主張している。「参加型の宇宙」では、宇宙の実在性が、実在するという意識をもつ観測者に依存しており、しかもそれは今日だけではなく、ビッグバンにまで遡るというのである!ウィーラーは、ある種の逆向きに作用する波動関数の収縮によって、観測者の存在が 「現在だけでなく、最初に戻って宇宙を認識できる『存在』にする」と提案した。この筋書きでは、最初の忠誠をもつ存在が目を開いて宇宙全体に対する波動関数を収縮し、歴史全体を実在のものにするまで、宇宙は未確定の幽霊のような状能心で存在したことになる。そこには、自身の進化を記録する地質学上の記録や化石も含まれる。』

ジョン・ウィーラー
ブラックホールの名付け親として知られ、原子爆弾を開発した「マンハッタン計画(Manhattan Project)」に加わった米物理学者
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2378732/2837127

ウィーラー氏の輝かしい経歴は、決して「ニューサイエンス」とか「オカルチスト」などと軽はずみに言い捨てることのできないものです。
そのような方が、古典的な機械論を排除し、斬新な世界観を提起しているわけですから、このことを「誠実な科学者」は真摯に受け止めるべきかと感じます。
(続く)
149自分のコメントを削除する 2009年06月11日 12:07

名もなき詩人
(続き)
《EPRパラドックス》

基本的に古典的世界観を支持する科学者であったアインシュタインは、コペンハーゲン解釈とそれに由来する世界観を受け入れることを拒み、理論的挑戦を挑みます。
しかしその結果は、コペンハーゲン解釈を棄却することができず、反証を乗り越えることで、むしろいっそう理論的価値を深めることになりました。↓

『アインシュタインもまた、コペンハーゲン解釈によって記述された参加型の実在性をかなり不愉快に思っていた。アインシュタインは、「向こう側には、われわれ人間には関係なく存在するこの巨大な世界があった」 と主張した。アインシュタインとボリス・ポドルスキーとネイサン・ローゼンが一九三五年に書いた有名な論文で、アインシュタインはボーアの見方に挑戦している。』
『逆説的であるが、アインシュタインの挑戦はコペンハーゲン解釈の立場を強力にした。アインシュタインの反論の一つ一つを、二−ルス・ボーアや研究仲間がとても効果的に反証したため、その理論はより強力になった。EPR (訳注 アインシュタイン、ホドルスキー、ローゼンの頭文字をとったもの) 論文として知られているアインシュタインらの一九二五年の論文は、ボーアにとってもっとも手ごわい試練であった。』

きくまこさんはコメント142で、EPRパラドックスについての見解を述べておられます。↓
「アインシュタインたちの間違いは、計算結果が光速を超える情報伝達を意味すると考えたことで、現在はEPR相関を使って超光速で情報を送ることはできないと結論されています。 」

私の見解では、「超光速で情報を送る」という考え方も、空間を移動するという点で古典力学的ではないかと感じます。
「スピン0の素粒子が崩壊して、二つの電子になる場合」反対方向に離れる運動の片方を測定した際に、もう片方の値が決定するのは、超光速で情報が送られた訳ではなく、ただ単に「決定された」だけなのではないでしょうか。
きくまこさんが何を思って142をコメントなさったのかは、私には判りかねますが、この現象は、古典力学の見地から見れば、完全な「魔法」ですが、量子力学的には実証された事実ということになります。

『アスペは、EPRの絡んだ光子ペアが一対の検出器に向けて放出されるようにした。一秒間に一〇〇億回も動作するランダムなスイッチが、それぞれの検出器に対して測定される偏光角度を変えた。このすばやいスイッチングによって、光子が検出器に到達するまでの時間内に、光速で移動する信号が、一方の検出器から約一〇メートル離れたもう一方の検出器にけっして移動できないようにした。信号が光よりも速く移動しないかぎり、一方の検出器は、他方の検出器が測定している角度を知ることができない。古典論的な事象は、このような環境では、粒子は独立した実在性をもつために一方の粒子にどのような測定が行なわれたかは問題にならない、つまりそれらの選択はその相棒の特性に影響するはずがない、と主張していた。だが、それらは影響するのだ。』
『アスぺの実験は、非局所的な関係が、一〇メートル離れた二つの対象物(光子) のあいだに存在することを示した。もっと最近の実験ではアスペの研究が確認され、さらに拡張された。そして、非局所性は一キロメートル以上離れたEPR粒子に対しても示されている。EPRの絡み合いは、実際に応用されるほど現実性がある。現在、それは解読できないよう暗号化された情報の伝達手段として研究されている。粒子は、ある場所から別の場所へ、EPRの絡み合いを使ってテレポートしたのである。』

量子テレポーテーション
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8F%E5%AD%90%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
(続く)
150自分のコメントを削除する 2009年06月11日 12:07

名もなき詩人
(続き)
《量子的世界観は全てがつながる世界》
『ボーアは論争に勝利したが、その勝利の代償は尋常なものではなかった。それは、われわれの経験とは独立した外側の世界がある、という客観的実在性の概念を放棄することに他ならなかった。このEPRパラドックスは、運動量というただひとつの特性によって展開されたが、この議論は、位置、エネルギー、電荷、スピン、偏光状態など、物質や放射のあらゆる特性に同様に適用できる。つまり、どれも測定がないところで客観的実在性をもつとは考えられない。だが、それなら、運動量やエネルギーや電荷のような特性の集合体以外の、物質やエネルギーやわれわれ全体の存在は何だろうか? 生体系にとって、この間題はとくに深刻である。なぜなら、コペンハーゲン解釈では、生命は測定が行なわれるまで、おそらくは聡明な観測者が到着してその状態を測定するまで、一種の量子的中間状態に置き去りにされるようだからだ (この厳密な解釈では、誰あるいは何が測定を行なっているかは定められていないのだが)。病気になるまで細菌は存在しない、などということが本当に信じられるだろうか? 人類が進化するまでは生物圏全体があらゆる可能な状態の膨大な重ね合わせとして存在したのだろうか?』

因習的な科学者の意に反して、「われわれの経験とは独立した外側の世界がある、という客観的実在性の概念」は、量子力学を誠実に受け止めた場合、刷新すべき概念となっているわけです。
この新たな概念は、宇宙や生命の始まりといった過去にまでさかのぼり、おそらくは、いまだ実現しない未来にも繋がりを求めるものとなっているようです。
ましてや、「水からの伝言」で実験に使用された、ペレットの一滴の水でさえ、「われわれの経験とは独立」には存在しないわけです。
当然、この概念に沿って思考する、あるいはこの概念を信じる行為が「不道徳である」などとは、全く論外な批判であると思われます。
[続く]
[続き]
《量子の世界はなぜ日常で確認できないのか》
きくまこさんはコメント138で「大きな物体に量子力学を適用すれば、古典力学と同じ結果になります。量子力学を使っても、古典力学と同様、巨視的な物体にはトンネル効果は起きないということです。」と述べ、大きな物体における古典力学的作用は健在であることを、強調なさっていますが、なぜ、大きな物体では量子効果が判別できないのか、その理由は以下にあります。↓

『ウエーバー棒として知られる、絶対零度近くの温度に冷却された金属の棒は、重力波を検出するために用いられる。堅いウエーバー棒が極低温になると、原子がいっせいに、すなわちコヒーレント(可干渉性)に振動しはじめる。この状態で、ウエーバー棒は量子干渉効果を示すことができる。しかし、この棒が熱せられると、棒の中の原子や分子は熱運動によって揺れたり衝突したりするため、原子の振動の位相はランダムになり、その結果、原子や分子はもはやコヒーレントに振動しなくなる。これがデコヒーレンスである。』
『カリフォルニア技術研究所のウォジエック・ズーレックは、世界全体が古典的に見えるのはデコヒーレンスのためであると主張した。電子ビームに光子で衝撃を与えることができるように、あらゆる開放された系には光子や電子や原子などの粒子が絶えず衝突している。量子系は必然的に、その環境中の無数の粒子の運命に絡まり、この絡み合いがデコヒーレンスをひき起こす。干渉効果が消えてしまうために世界は古典的に見える。環境が量子系を測定するのである。』
『しかし、この世から消えるのは 「量子らしさの証拠」、つまり干渉効果だけであることを忘れてはならない。個々の粒子は量子の重ね合わせとして、なおも存在しているのだ。ただ見えないだけである。量子の奇妙さは隠れてはいるが、まだそこにあるのだ。』
『デコヒーレンスは、なぜ大きな物体の量子の重ね合わせの証拠を見ることができないのか、を説明してくれる。シュレーディンガーの猫と同じくらいの大きさの物体は、すぐにデコヒーレンスになびいてしまうだろう。その物体の原子や分子は無数の自由度をもち、おたがいや外部環境と相互作用を行なう。』
『よく、量子効果は超低温に限られるといわれるが、これは位相に依存する現象、たとえば多数の粒子のあいだに起こる干渉のような現象についてのみ当てはまることだ。量子跳躍、量子の重ね合わせ、不確定性、測定に影響される力学などの現象はすべて、たとえ高温であっても単純な量子系において保たれている。ただ、それらの現象は検出がむずかしいだけなのだ。』

むしろ、なぜ、きくまこさんは「大きな物体」に限った発言しかしないのか、そこにこそ、この議論の核心が存在するのだといえそうです。
(続く)
151自分のコメントを削除する 2009年06月11日 12:07

名もなき詩人
(続き)
以上、量子力学がどのようなものなのか、読んでいただけた方には多少ご理解が得られたものと思います。
次に、量子論を生物学などに応用することにより、新たな科学的考察がなされている現状を紹介します。

《生物活動は量子の世界そのもの》
『電子のトンネル現象(もちろん量子現象である)は、呼吸や光合成、そして多くの酵素メカニズムにおいて電子を輸送する役割を果たしていると広く考えられている。弱い電磁場は生体系に驚くべき効果を与えることが示されてきた。』

呼吸・栄養の摂取・細胞の増殖といったほとんどの生命活動は、全て量子効果を原動力としています。
生命の謎そのものが、量子力学の謎であると言えるかもしれません。
まずは、細胞活動において典型的な量子効果である酵素作用について紹介します。↓

『第五章において、酵素は細胞内の特定の経路にそって粒子を動かすことで仕事をすることを発見した。たとえば、乳酸デヒドロゲナーゼによって触媒される反応は、酵素タンパク質にあるヒスチジンと乳酸基質分子のあいだの経路にそって陽子が動かされることで始まる。あらゆる瞬間において、陽子は基質に向かって動いているか、ヒスチジン上にとどまったままかのどちらかだ、と考えるかもしれない。しかし、陽子はハイゼンベルクの不確定性原理に従う基本的な粒子であり、つねに位置状態の重ね合わせとして存在できる量子として記述されなければならない。実際には、陽子は量子の重ね合わせとして、両方の位置(ヒスチジンに捕捉されている位置および乳酸分子にくっついている位置)を占めていなければならない。同様に、DNA分子上のある位置から別の位置への陽子の運動(互変異性)によって始まるような変異を考えたとき、量子力学は、陽子は量子の重ね合わせとして、いちどに両方の位置に存在するということを教えてくれる。』


反対に、「生命の死」によって、肉体は徐々に量子的機能を失っていきます。↓

『内部量子測定はわれわれが死んだときに失われる。細胞が量子測定を行なう能力にとって重要なのは、生細胞の環境と基本粒子が絡み合った鎖である。すべての量子コヒーレンス現象と同様、この鎖はとてもあやういもので、細胞の構造的完全性に依存している。この鎖を切れば、ランダムな熱力学運動が急速に入ってきて、量子コヒーレンスを壊してしまう。量子コヒーレンスを失った死んだ細胞は、量子測定を行なうことも、熱力学第二法則のランダム化の影響に抵抗することもできなくなる。代わりにそれは、完全に古典的な無生物の物体に変わるだろう。死とは、細胞内の量子測定を不可逆的に失うことなのだ。』


さらに、量子的世界観においては、生命と非生命との境界も厳密には設定できないもののようです。↓

『現代科学 (この本も含む) は、生命が何やら不思議なものだという概念を完全に拒絶している。したがって、つねに非生命の世界に生命の側面を見いだすことができるはずである。生命の定義をより完全なものにするために、私は次のことを付け足したい。生命とは、熱力学的崩壊に対抗してその系の状態を維持する低エントロピー状態を捕らえるために内部量子測定を用いる系である。』
(続く)
152自分のコメントを削除する 2009年06月11日 12:08

名もなき詩人
(続き)
《量子干渉は進化にもかかわった》
以前立ち上げたトピックで指摘したように、ダーウィン進化論が主張する、「一つの種から別の種への漸進的(徐々にゆっくりとした)な変化」は、あまりにもそれを裏付ける根拠に乏しく、多くの反論に全く答えることができません。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=38156985&comm_id=42238
著書ではこのように述べられています。↓

『新しいタンパク質遺伝子族は、既存のタンパク賀から、ある種の突然変異の過程によってできたはずなのだが、それらの配列がダーウィン進化論による中間部分をもたず、どうやって空っぽの広大な配列空間を飛び越えたのかは謎である。分子進化は一連の小さなステップによって進行することもあるが、時にはグールドとエルドリッジが唱えた区切られた進化のように大きな跳躍をすることもあるように見える。大きな跳躍というのは、新ダーウィン進化論にとって大きな問題である。』


「このダーウィン進化論の問題を量子効果を用いて説明できないか」が、この著書の主旨です。↓

『生命の起源のシナリオは、多くの量子的事象を伴ったにちがいない。原始的な細胞から脊椎動物やわれわれ人間までの生命の出現と発達には無数の変異が伴ったはずであり、それぞれの変異が起こったかどうかは量子事象が起こったかどうかにかかっている。』


この試みは、非常に大胆で、コペンハーゲン解釈などの量子論に基づいた概念を受け入れずには、とても信じがたいものとなっています。
ですから、私もこれが真実だという見解をとるつもりはありません。
しかし、別の見方をすれば、それほどの大胆な発想を導入しなければ、生命の進化の謎を解き明かすことができないということでもあり、古典力学の概念が生命現象にそぐわないのは、もはや明白な事実であると言えそうです。
著書では、古典的な「漸進的な変化」という考えを排除し、量子効果・多宇宙・逆量子ゼノン効果などの幸運を導入して、進化を説明しています。↓


《量子多宇宙》
『標準的なコペンハーゲン解釈を選ぶ多くの物理学者は、意識をもつ観測者が測定を行なうまで、宇宙全体が可能なすべての状態の量子の重ね合わせとして存在するはずだと考えている。』
『重ね合わせを形成していた何兆という他のペプチド (重ね合わせを終止させた自己複製物質を含む) はみんな消えてしまった。だが、それらはどこに行ったのか? 通常は、デコヒーレンスを失わないための頼りとして、量子多宇宙を引き合いに出す。多世界理論においては、ペプチドの状態の重ね合わせから生じる一〇の三二乗とおりのペプチドのそれぞれに対して、創造された別個の宇宙が存在する。自己複製ペプチドは、この二〇の三二乗とおりの宇宙のうちの一つだけで実体化するのだ。
私も最初にこの多世界仮説を聞いたときには容易に信じなかったことを認めなければならない。量子事象が選択を迫られるたびに宇宙が無数の並行する宇宙に分かれるという考えは不合理であり、宇宙のたいへんな無駄遣いに思われる。いま、私はよくわからなくなっている。ただ、この仮説のすばらしい利点は、いったんこの仮説を受け入れてしまえば、量子現象の解釈がずっと簡単になるということだ。』

多宇宙
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=39645685&comm_id=2055789

この著書では、進化が唯一の世界の綱渡り的な幸運から構築されたのではなく、無数に存在する世界の中で、生命誕生にまでこぎつけた幸運な世界が、今目の前に実在するものなのだ、という主張に基づいて考察されています。
(続く)
153自分のコメントを削除する 2009年06月11日 12:08

名もなき詩人
(続き)
《逆量子ゼノン効果》
これは、量子効果が単発的に起こるのではなく、最初の効果が次の効果を生み出し、次々と連なって、数段高度の跳躍をするというというもので、光と遮光レンズの実験からそのヒントを得ているようです。↓

『逆量子ゼノン効果は量子測定の特性のひとつを表わしており、これは特定の経路にそって一連の密集した測従を行なうことによって、その系をその経路にそって引っ張れるというものだ。』
『このように、生命の起源を説明する従来の理論に欠けていた重要な成分は量子測定ではないだろうか。自己複製物質が自身の量子状態を古典領域に増幅することによってその状態を測定できるということは、生命の発生にとって非常に重要だった。いったん最初の自己複製細胞が発生すれば、あとは歴史に残っているとおりだ。』


(続く)
154自分のコメントを削除する 2009年06月11日 12:08

名もなき詩人
(続き)
《心も量子で説明できる》
『オックスフォードの数学者で物理学者のロジャー・ぺンローズは、著書『皇帝の新しい心』 (一九八九年) の中で、心は量子力学的現象だと提案した。ペンローズは、意識的な動作の現象は、量子力学の大きな謎、すなわち前の章で述べた波動関数の収縮に密接に結びついていると考えている。他の多くの科学者も、意識の量子理論を選択した。アメリカの科学哲学者ダナー・ゾーハーは著書『クオンタム・セルフ』の中で、量子力学の全体論的心理学の事例を示した。ゾーハーの夫イアン・マーシャルは、意識の物理的実在性は脳内のニューロンのボース・アインシュタイン凝縮物だと提案した。さらに最近では、スコットランドの化学者グラハム・ケアンズ=スミス (生命の起源は複製する粘土無機物だと提案したことで有名) は、このアイデアを『心はなぜ進化するのか』 でとりあげた。そうして、第一二章で述べたとおり、アミット・ゴスワミとデニス・トッドは、適応変異と意識的な意志作用とは共通の量子力学的起源をもつと提案した。
量子力学には、意識の説明として魅力的な面がたくさんある。量子測定の非決定論は、ニュートンの決定論からの脱出手段、おそらくはわれわれの自由意志の居場所を与えてくれる。ハンガリー生まれの物理学者で水爆の発明者であるエドワード・テラーの言葉を借りると、「量子力学に従えば、自由意志が未来を創造する過程の一部であるという可能性をわれわれは排除できない」。量子コヒーレンスも、多様な情報を単一のコヒーレント量子系に絡ませることによって、結合の問題の克服を助けるかもしれない。ユージン・ウィグナーをはじめとする多くの物理学者は、すでに意識を量子測定における収縮作用因として採用した。もし、意識が量子力学を説明できるとすれば、量子力学も意識を説明できるかもしれない。さらに、脳に量子力学を持ち込むことによって、脳もじつは量子コンピュータなのではないかという興味をそそる可能性が生まれる。』


きくまこさんのお仲間のたざき氏のページには「現代の物理学では、原子・分子といった小さなスケールから、天体や銀河といった大きなスケールまでの、「物の世界」での出来事を、いくつかの基本的な法則にもとづいて、ほぼ完全に理解できるようになりつつあります(それでも、「人間の心」は、わからない!)」とあります。
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fs/md/abs.html#1

しかし、上記にあるように、「心は量子力学で解明できる」と考える科学者は、それなりに多くいらっしゃるわけです。
中でも、ロジャー・ぺンローズ、エドワード・テラー、ユージン・ウィグナーなどといった、物理学の巨匠がこの考えを支持していることは、むしろ、「心は量子力学で解明できる」という考えこそが主流であり、たざき氏らの主張のほうが科学界からの賛同を得られないものであるといえそうです。

ロジャー・ぺンローズ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA
エドワード・テラー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%A9%E3%83%BC
ユージン・ウィグナー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%B0%E3%83%8A%E3%83%BC

「心の動きは量子力学的作用である」が真実ならば、どうして「感情が量子跳躍をして一滴の水に影響を及ぼさない」などと言い切ることができるのでしょうか。
ましてや科学の先達らの主張を全く意に介さずに、「水が言葉に影響されるなど、いい大人が信じる話ではなかったはずです。 」などと、どうして自信ありげに言い切ることができるのでしょうか。
量子力学がもたらす知見を得た現在、このような断言は非常に不可解であり、明確に、誠実な科学者がするべきではない「二分法的思考」であると感じます。

以上、今回は、ここまでをもって、あなたのトピック「なぜ信じたのか、教えてください」の答えとさせていただきます。
その他の部分に関しては、また後ほど、改めてコメントする所存です。
156 2009年06月11日 12:53

きくまこ眼鏡
ひとつだけ、コメントしておきます。

==========
きくまこさんが何を思って142をコメントなさったのかは、私には判りかねますが、この現象は、古典力学の見地から見れば、完全な「魔法」ですが、量子力学的には実証された事実ということになります。
=========

僕の発言をわざと曲解しておられるのだと思うので、まじめに答えるべきかどうかわかりませんが、僕は古典力学から見て魔法かどうかという話はしていません。
もし、量子力学が完全に古典力学と同じ結果を与えるなら、量子力学など不要です。
あくまでも、古典力学では説明がつかない実験事実がたくさん出てきたから、量子力学が誕生し、受け入れられたわけです。したがって、「古典力学の立場にたつかぎり、量子力学が魔法に見える」ことはそのとおりだし、当然です。
だいじなのは、その魔法のようなできごとが量子力学の理論できちんと説明され、もはや魔法ではなくなっているということです。

現時点で量子力学は魔法ではなく、完全に理論の予測通りのことが起きることが確認されています。

僕が「魔法ではない」と書いたのは、「あらゆる不思議現象は量子力学で説明される」という考え方についての非難ですよ。
「量子力学なら、なんでもあり」ではありません。そうではなく、量子力学の枠組みの中で起きうることしか起きないのです。

繰り返しますが、量子現象が古典力学の枠内では魔法に見えてしまうのは「当然」であって、そうでなければ量子力学は生まれなかったのです。量子力学の理論が整備されてわかったことは、「古典力学では魔法に思えていたことも、たしかにふしぎではあるが、決して魔法ではなかった」ということです。

その意味を理解していただかなくてはなりません。
172自分のコメントを削除する 2009年06月12日 18:47

名もなき詩人ぴかぴか(新しい)
156 きくまこさんへ
>>きくまこさんが何を思って142をコメントなさったのかは、私には判りかねますが、この現象は、古典力学の見地から見れば、完全な「魔法」ですが、量子力学的には実証された事実ということになります。
>僕の発言をわざと曲解しておられるのだと思うので、まじめに答えるべきかどうかわかりませんが、僕は古典力学から見て魔法かどうかという話はしていません。

曲解するつもりは全くありません。ただ、なにゆえ、あのコメントをしたのか、意図がつかめないと言っているだけです。


>もし、量子力学が完全に古典力学と同じ結果を与えるなら、量子力学など不要です。
あくまでも、古典力学では説明がつかない実験事実がたくさん出てきたから、量子力学が誕生し、受け入れられたわけです。したがって、「古典力学の立場にたつかぎり、量子力学が魔法に見える」ことはそのとおりだし、当然です。

ここまでは合格のようですね。ありがとうございます。


>だいじなのは、その魔法のようなできごとが量子力学の理論できちんと説明され、もはや魔法ではなくなっているということです。

ということは、量子力学の理論と矛盾する「魔法」の部分と、矛盾しない「科学」の部分の境界を明確にする必要がありそうですね。
たとえば、コメント148で紹介した、「参加型の宇宙」などは、「科学」の範囲に含まれるのでしょうか。
この説を提唱されているジョン・ウィーラー氏は、かのブッシュ元大統領が「その輝かしいキャリアにおいてウィーラー氏は、アルバート・アインシュタイン(Albert Einstein)やニールス・ボーア(Niels Bohr)と共に、歴史を変える研究に携わった」と賞賛を送っているほどですから、物理学会でも有数の頭脳なのだと思われますが。
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2378732/2837127

また、あなたのお仲間のたざき氏が述べる「それでも、「人間の心」は、(科学では)わからない!」はどうなのでしょう。
これは、「人間の心は魔法だからわからない」という意味なのでしょうか。
多くの科学者が、量子力学の理論で解き明かそうと努力しているようですが。



>現時点で量子力学は魔法ではなく、完全に理論の予測通りのことが起きることが確認されています。

それは、コメント145で紹介した実験などにおける、「測定装置が介入すると量子干渉効果が収縮して量子効果が確認できなくなる」といった場合などのことを言っているのではないでしょうか。
たとえば、「A氏の脳が量子的な共鳴をしていて、検出器は継続的にある特定の脳波を確認している」といった時、A氏が何を考えていると予測できる、といった科学的な答えはあるのですか?


>僕が「魔法ではない」と書いたのは、「あらゆる不思議現象は量子力学で説明される」という考え方についての非難ですよ。

私はそのような主張をしたつもりはございませんが。
「あらゆる不思議現象は量子力学で説明される、あるいは解明が進む可能性がある」というニュアンスでなら主張したかと思いますが。

(続く)
173自分のコメントを削除する 2009年06月12日 18:47

名もなき詩人ぴかぴか(新しい)
(続き)
>「量子力学なら、なんでもあり」ではありません。そうではなく、量子力学の枠組みの中で起きうることしか起きないのです。

それは強く同意します。
量子力学の枠組で証明されている現象を最大限に追及して、命の問題、心の問題などの究明の手がかりにすることは、科学的であると考えますが、いかがでしょうか。


>繰り返しますが、量子現象が古典力学の枠内では魔法に見えてしまうのは「当然」であって、そうでなければ量子力学は生まれなかったのです。量子力学の理論が整備されてわかったことは、「古典力学では魔法に思えていたことも、たしかにふしぎではあるが、決して魔法ではなかった」ということです。

全くおっしゃるとおりですね。
例えば、以前に話題にした、伝書鳩ですが、あなたはコメント97でこのように述べてらっしゃいますね。↓

『群れや伝書鳩が「適当に正確」ならさまざまな「普通の」メカニズムが考えられます。長距離をかなり正確に飛ぶ渡り鳥などは、地磁気を利用していたりします。 』

生命活動が普段から量子力学の作用に多くの部分を依存しているのですから、「普通の」メカニズムで活動している際にも、量子効果が働いていることになりませんか。
また、渡り鳥などは、地磁気をどのような器官を用いて利用しているのでしょうか。
それは、目や耳や手足などといった、古典力学的に明確に説明のできる器官なのでしょうか。
それに、仮に、人間が方位磁石1つだけ手渡され(あと十分な水と食料なども必要ですね)、砂漠の真ん中に置き去りにされたりした場合、正確に目的地にたどり着けるものなのでしょうか。
つまり、私が言いたいのは、

「古典力学的に確認のできる肉体的な機能と方位磁石だけで、人間が正確に目的地にたどり着けるのならば、渡り鳥などが正確に目的地にたどり着く事象は、量子力学を用いなくとも説明できる」

ということです。
それが人間に無理であるなら、やっぱり、渡り鳥などは量子力学に元づいた、何らかの機能を有していて、それを利用していると考えるべきではないでしょうか。
160 2009年06月11日 13:13

きくまこ眼鏡
量子力学ならどんなことでも可能だと誤解するかたへ、ひとつの教訓を。

古典力学では粒子はどのようなエネルギーをもつこともできます。いっぽう、たとえば水素原子中の電子には、量子力学によれば、飛び飛びの決まったエネルギー値しか許されません。それ以外のエネルギー値は「持たせようとしても持たせられない」のです。どんなことでも可能どころか、古典力学ではできたはずのことが、量子力学では「不可能」とされてしまうのです。

そのように、実は「量子力学のほうが古典力学よりも制約が強い」のだということを教訓として理解していただければ幸いです。
アインシュタインの光量子仮説にせよ、プランクの量子論にせよ、「古典力学では起きうることが、起きないのはなぜか」という問題から出発したのだと考えることができます。
174自分のコメントを削除する 2009年06月12日 18:48

名もなき詩人ぴかぴか(新しい)
160 きくまこさんへ
>古典力学では粒子はどのようなエネルギーをもつこともできます。いっぽう、たとえば水素原子中の電子には、量子力学によれば、飛び飛びの決まったエネルギー値しか許されません。それ以外のエネルギー値は「持たせようとしても持たせられない」のです。どんなことでも可能どころか、古典力学ではできたはずのことが、量子力学では「不可能」とされてしまうのです。

そのような言い方も確かに可能でしょうが、やや一方的ではないでしょうか。
古典力学ではできたはずのことが、量子力学では「不可能」な場合も確かにあるでしょうが、同時に、古典力学ではまったく「不可能」なことでも、量子力学では十分可能なことも存在するわけですよね。


>そのように、実は「量子力学のほうが古典力学よりも制約が強い」のだということを教訓として理解していただければ幸いです。

量子力学を最も制約する事柄は、「量子の世界の事柄を古典力学の測定で翻訳しなければ、私たちには確認できない」という点にあるでしょうね。


>アインシュタインの光量子仮説にせよ、プランクの量子論にせよ、「古典力学では起きうることが、起きないのはなぜか」という問題から出発したのだと考えることができます。

逆に、「古典力学では起きないことが、起きるのはなぜか」という問題から出発した、という言い方もできますね。
170 2009年06月12日 09:14

きくまこ眼鏡
シュレディンガー音頭なら、「創始者」が演じるところを数回目撃しました(^^

171 2009年06月12日 09:18

きくまこ眼鏡
トピ主さんには、僕がEPRについて書いたコメント内容の意味するところをもう一度よく考えてくださることをお願いしておきます。

おそらく「魔法ではない」という言葉だけに反応されているのでしょうから、補足して言い換えます。
「量子力学は確かに不思議だが、魔法ではない」
181自分のコメントを削除する 2009年06月14日 13:26

名もなき詩人ぴかぴか(新しい)
171 きくまこさんへ
>トピ主さんには、僕がEPRについて書いたコメント内容の意味するところをもう一度よく考えてくださることをお願いしておきます。

それはコメント142のことですよね。↓

142 >書いたかどうか忘れたので、「アインシュタイン・ポドルスキー・ローゼン(EPR)のパラドックス」について、ちょっとだけ。


それでは、もう一度確認しておきましょう。


>ディーン・ラディンなんかは「量子絡みあい」をテレパシーの原因にしたいようですが、そういうのも基本的にはEPRとその発展形を使ったつもりになっているのだと思います。

あなたは、ディーン・ラディンという方を全く評価していらっしゃらないようですが、『イリノイ大学Urbana-Champaign校で教育心理学の博士号を取得している』という経歴は、科学者として申し分のないものではないでしょうか。
また、氏が研究する超心理学という分野は、世界最大の科学者組織である米国科学振興協会に加盟しており、世界的な認識では、十分科学の俎上に載るものであると考えられているようですが。↓

『1957年に設立された「超心理学協会」は、1969年に米国科学振興協会の下部機関に認定された。』
『米国の大学教授千百名の調査によると、ESPを確立した事実とか、可能性がありそうだと考えている心理学者は34%であった。一方心理学者以外の者でESPが不可能だと言った者はわずか2%であった。』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%85%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6
『アメリカ科学振興協会(American Association for the Advancement of Science、AAAS)は、科学者間の協力を促進し、科学的自由を守り、科学界からの情報発信を奨励し、全人類の幸福のために科学教育をサポートする組織である。世界的にも最大級の学術団体である。』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E7%A7%91%E5%AD%A6%E6%8C%AF%E8%88%88%E5%8D%94%E4%BC%9A
(続く)
182自分のコメントを削除する 2009年06月14日 13:27

名もなき詩人
(続き)
>量子力学がテレパシーだの神秘的ななんかだののメカニズムだと主張したい人の一部は、このEPRに基づいているつもりになっています。

しかしながら、テレパシー研究が意図する、「古典力学的な手段によらない交信能力」は、現在証明されている量子力学の挙動と会い通じるものがありますよね。↓

『テレパシー (Telepathy) は超感覚知覚 (ESP) の一種で、特別な道具を使うことなく遠隔の者と言葉を交わさずに通信する能力。』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%91%E3%82%B7%E3%83%BC
『量子テレポーテーションとは、古典的な情報伝達手段と量子もつれの効果を利用して離れた場所に量子状態を転送することである。』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8F%E5%AD%90%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3

現在、量子テレポーテーション実験は成功しているとのことですから、実在は証明されていることになります。
問題は、人間がその能力を保持しているのか?あるいは、保持している・いないは定かではないが、それを能力開発するのは可能なのか?という点にあると思います。
これを調査し、研究しようという姿勢は、別に非科学的ではないと思いますが。
それに、ディーン・ラディンの著書によれば、偶然期待値よりも有意な実験結果が出ていると記されています。↓

『1974年から2004年までの、総計88のガンッフェルト実験では、3145回の試行がなされ、1008回の正答が得られている。全体の正答率は32%であり、偶然期待の25%を7ポイント上回って、・・・
「量子の宇宙でからみあう心たち」177pより』

ですから、あなたが言うような「つもりになっている」という批判は当てはまらないように思います。
「つもりになっている」という表現は、実証が伴っていないという意味でおっしゃったのだと思いますが、上記のように、異常に高い確率ではないにせよ、「人間はテレパシー能力を多少は持っていそうだ」という実験結果を得ているわけですから。


>ご承知のとおり、アインシュタインは自身が量子論の提唱者のひとりであるにもかかわらず、量子力学にはおかしなところがあると考え、反対していました。
EPRのパラドックスは、アインシュタインたちが、量子力学の理論通りに計算すると特殊相対論に反する瞬間的な情報伝達があるからおかしい、と主張したものです。
ポイントはEPRは量子力学の理論通りに計算したところにあります。理論通り計算すると妙なことが起きる。もし量子力学を認めるなら、これはパラドックスである。したがって、量子力学の理論はおかしい、というのがEPRの主張でした。EPRの論文に書かれたような現象は起きるはずがないというのです。だから「パラドックス」だったわけです。

ここは、私が読んだ「量子進化」に書かれた内容と同じですね。



>ところが、その後の実験でわかったのは、EPRの論文に書かれている通りの現象が起きる、ということでした。つまり、EPRの計算は正しく、したがって、量子力学の理論も正しいというわけです。ですから、現代的な視点ではEPRはパラドックスではありません。EPRの論文で計算された現象は、今では「EPR相関」という実在の現象として確立しています。

ここも、私が得た知見と違いはないようです。


>アインシュタインたちの間違いは、計算結果が光速を超える情報伝達を意味すると考えたことで、現在はEPR相関を使って超光速で情報を送ることはできないと結論されています。

問題はここですね。
「超光速で情報を送る」という場合、情報は物理的空間を移動して他方に伝わる、という解釈になります。
「物理的空間を超光速で移動」する物体は確認されていませんので、それが存在すると主張すれば、それはあなたがおっしゃるように、「魔法を信じている」と言われても仕方がないものとなるでしょう。
しかし、量子力学はそれすらも上回る現象が確認されているわけです。
つまり、一方がある情報(測定)を与えられたのと同時に、他方は情報を得ているわけです。「得ている」という表現さえ不適切かもしれません。
「古典物理的には離れている2つの物体が、まるで、離れてなどいないかのように、同時に情報を獲得する」と言ったほうが適切かもしれません。
(続く)
183自分のコメントを削除する 2009年06月14日 13:28

名もなき詩人
(続き)
絵で説明すれば、こんな感じでしょうか。



《魔法(科学とはいえない)の情報伝達》         

                    双子座 「僕達、これから離れ離れになるんだよ」
                     ↓
   
            涙「さよなら〜〜」      涙「さよなら〜〜」
           ↓                 ↓

     もうやだ〜(悲しい顔)「もうB君が見えないや」             もうやだ〜(悲しい顔)「A君どうしてるかな」
      ↓                            ↓

目 うまい!                                 わーい(嬉しい顔)
「あ!情報が来た!                        「あれっ!もう届いたぞ。
 さっそくB君に連絡!」   雷超光速 雷 超光速雷        すご〜〜い!!」
  


《量子力学の場合》         

                       双子座 「僕達、量子の世界のペアなのさ」
                        ↓
   
「だから離れてもさびしくないさ」ウインクー(長音記号1)ー(長音記号1)ー(長音記号1)ー(長音記号1) ウインク「だから離れてもさびしくないさ」
                   ↓           ↓

      ウインクー(長音記号1)絡み合いー(長音記号1)絡み合いー(長音記号1)絡み合いー(長音記号1)絡み合いー(長音記号1)ウインク
「僕らはまだ不確定の状態なのさ」           「僕らはまだ不確定の状態なのさ」
      ↓                                   ↓

目 うまい!ー(長音記号1)絡み合いー(長音記号1)絡み合いー(長音記号1)ー(長音記号1)絡み合いー(長音記号1)絡み合いー(長音記号1)絡み合いー(長音記号1)わーい(嬉しい顔)
「あ!情報が来た!                               「あ!情報が来た!
 僕は今からAになった!」                             僕は今からBになった!」
  



>何が言いたいのかというと、EPRは魔法でもなんでもなく、まさに理論どおりに計算すると導かれるものであり、実験的にも確認されているということです。しかも、量子力学懐疑派が計算をして、「こんな変なことが起きるのはおかしい」と主張した、まさにその現象が実は起きているところがポイントです。

まあに、あのアインシュタインでさえ、量子力学の懐疑派であったわけですよね。
「実験的に確認されて」はいるものの、納得できないと言って、その後の人生を量子力学の否定に費やしたわけですが、問題提起すればするほど、量子力学の理論は反証を乗り越えてゆるぎないものになっていくわけです。
そんなふうに、「量子進化」には書いてあります。(多少脚色しました。)


>言い換えると、EPR相関は魔法ではないので、EPR相関を使っても、量子力学の理論の枠内で可能なことしか起きません。

全くその通りです。「量子力学の理論の枠内で可能なこと」は、あらゆる科学分野(物理、化学、医学、環境学、生物学、心理学ets.)で起きる(起きている)可能性があるわけです。
この、「量子力学の理論の枠内で可能なこと」の裾野は非常に広い。なぜなら、空間も時間も跳躍する可能性が、実験で示唆されているわけですから。


>おそらく「魔法ではない」という言葉だけに反応されているのでしょうから、補足して言い換えます。
「量子力学は確かに不思議だが、魔法ではない」

どちらかと言えば、「魔法」に戸惑っているのは、あなた方自称「物理の専門家」の方ではないでしょうか。
これまで学んできた古典力学では全く説明できない事柄が、量子力学では「魔法」のように実現していくわけですから。
古典力学で培った理性にとっては、どうしても認めたくない、認める限界を超えてしまった現象が次々と起きてくる。
「そんなばかな。こんなこといい大人が信じることではない!」と思ったとしても、無理からぬことかもしれませんね。
184自分のコメントを削除する 2009年06月14日 13:28

名もなき詩人ぴかぴか(新しい)
179 きくまこさんへ
>僕の書いたことをわざとふざけて曲解しているとしか思えません。

曲解しているのは、むしろあなたの方ではないでしょうか。↓

「EPR相関を使って超光速で情報を送ることはできない」

こんなことは、誰も主張していません。
量子力学は時空を跳躍するのです。
その点に、なんら言及せずに、量子力学を過小評価しようと躍起になる姿。
あなたは、「物理の専門家」として少し恥ずかしくないのですか。


>まじめに読もうという気がないのではありませんか?

その言葉は、そのまま、あなたにお返しします。


>「量子進化」の前にまずは「物理学者が書いた量子力学の本」を読んでください。ただし、フリッチョフ・カプラだのフレッド・アラン・ウルフだのブライアン・ジョセフソンだのではだめですが

あなたが説明するEPR理論は、私が読んだ本に比べ、なんら新しい知見が加えられたという印象はありませんでした。
このうえ、新たに物理の書を読む必要を感じません。(気が向けば読むかもしれませんが。)
むしろ、「水からの伝言」は、あなたが専門とする分野とは、全く違う分野のものではないのでしょうか。
物理学にも、様々な分野があるようですし。
全く違う分野でありながら、「自分は専門家だ。私の言葉は正しい」という姿勢は、まるで共感できるものではありません。
あなたのほうこそ、量子力学を応用した、新たな学究に関する書を読まれた方がいいのではないかと感じます。↓
『現在「情報」そのものを物理学に準じて解釈した学問は無い。しかし量子干渉の分野などでその必要性が高まっている。
* 医学--医療物理学--放射線物理学
* 哲学--自然哲学
* 心理学--精神物理学』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E7%90%86%E5%AD%A6


ちなみに、今回ご紹介があった、「フリッチョフ・カプラだのフレッド・アラン・ウルフだのブライアン・ジョセフソンだの」は、むしろ、あなたが勧めないから読んでみようかな〜〜と、考えております。

もう1つ。
「なぜ信じるのか教えてください」

それは、あなたに説得力がないからです。
質問にはいつでも答えると言いながら、答えに窮すると、「専門書を読んでから」と言って逃げてしまわれる、その姿こそ、私が「水からの伝言」の科学性を信じる理由になっております。
もうそろそろ、ご自分のブログの「いつでも答える」という文言は削除なさった方がよろしいかと存じます。
見ている私の方が恥ずかしく感じます。
186 2009年06月14日 14:39

きくまこ眼鏡
量子力学について本当に理解したいなら、まずは本を読みなさい。
僕は「専門書を読め」とは言っていません。啓蒙書で結構だと言ったはずです。
啓蒙書で結構。しかし、まともな物理学者が書いた普通の啓蒙書をまずは理解しなさい。そこからしか、ものごとは始まりません

僕の書いたことに説得力があるかないか、本当に気になるなら、アンケートでもなんでもお取りになってみればよいでしょう。お好きにどうぞ

191 2009年06月14日 15:45

きくまこ眼鏡
もちろん、量子テレポーテーションも量子暗号も実験で確認されています。
いずれも、量子力学の理論通りの現象が起きる好例となっており、量子力学の正しさがこれでまた証明されたわけです。
「不思議だが、魔法ではない」のよい実例になっています。

量子テレポーテーションや量子暗号などは、僕が前に説明した(トピ主さんはまともに読んでくれないようですが)EPR相関を使います。
いずれも、必ず最終段階で「古典通信路による通信」を必要とするため、情報(あるいはテレポーテーションなら「状態」)の伝達速度はこの古典通信路で制限を受けます。古典通信路の通信速度の上限は光速度です。
したがって、量子テレポーテーションであれ量子暗号であれ、光速度を超えた情報伝達はできません。

これは当然なのです。もし量子テレポーテーションや量子暗号が光速度を超えた情報伝達を実現できるなら、物理学は大変革を受けます。原理的には因果律が成り立たなくなる可能性があるわけですから、「通信」だの「暗号」だのなんていう悠長な話をしている場合ではありません。

量子テレポーテーションであれ量子暗号であれ、特殊相対論と矛盾しないことが明らかだからこそ、「すごい技術」程度の話で済んでいるのです

トピ主さんは僕のコメントを理解したくないのだろうと思います。
理解したくないならしょうがないですが、僕は必要な説明をしています。
理解したいかたに対する説明のしかたなら、僕にもわかります。しかし、どんな説明をされても理解したくないというかたに対して、どのような説明が可能なのか、僕にはわかりません

理解したいのですか、したくないのですか
195 2009年06月15日 01:13

きくまこ眼鏡
シャノンの情報理論は、情報量を議論するために熱力学から「エントロピー」の概念を借りてきたものですね。
また、「計算の物理学」についてもいろいろ議論はあって、かつて、「1ビットの情報を消去すると必ず発熱が起きるか」についてランダウアーと後藤英一による熱い議論がありました。この問題はまさに「情報というのは物理的実体なのか」ということです。情報そのものを物理学の枠組で解釈しようとした学問は「物理学」の中に大昔からあったわけです。



201 2009年06月15日 10:54

きくまこ眼鏡
ああ、そういうことですか。なるほど。

量子力学は前世紀前半に確立した学問です。シュレディンガー方程式が1926年です。
プランク定数の発見は画期的なできごとでした。
まさにそれが19世紀物理学の幕を下ろして、20世紀物理学の始まりとなったのですね。
「20世紀は量子の時代であった」ということです。

量子力学特有(そして、オカルトの人たちが好きな)の「絡み合い」は、EPRの論文でパラドックスとして提唱されました。アインシュタインは、量子力学は不完全であり、いわゆる「隠れた変数」があるのだと考えていました。
その後、ジョン・ベルが「隠れた変数理論」と「隠れた変数なしの量子力学」の違いを判定できる「ベルの不等式」を提案し、それに基づいてアラン・アスペが行った有名な実験により、「隠れた変数なしの量子力学」が正しいことが実験によって確認されました(隠れた変数があらゆる意味で存在しないのかというのは別の問題ですが)。
このアスペの実験で量子力学は真に確立した、という見かたもできると思います。これも今から四半世紀も前の話ですが。

もちろん、「解釈問題」は未解決のまま残されています。いわゆる「波動関数の収縮なのか多世界なのか」というやつです。しかし、これは実験結果になんの影響も与えないので(だからこそ、「解釈」なわけです)、今のところ無理にどっちかに決めなくてもいいでしょう。
232 2009年07月01日 01:49

きくまこ眼鏡
Tomozo君の豹変(という言葉の使い方は正しくないですが)ぶりには、驚いています。
言葉遣いがずいぶん悪くなりましたね。こっちが本当の姿なのでしょうか。

量子力学の起こす現象は「不思議」です。しかし「あらゆる不思議」が実現できるわけではありません。なぜなら、量子力学は「魔法」ではないからです。
しかし、量子力学の起こす現象をまったく「不思議」と感じないのも傲慢でしょう。なぜなら、我々は基本的に「古典力学的な世界」しか認識しないからです。
理論の通りの現象が起きます。しかし、それでもわれわれはそれに驚き、そして不思議を感じるのです。

「驚き」はあるが、「魔法」ではない。

これが科学というものでしょう。

雪の結晶の精緻さに「驚き」、そして「不思議」を感じるのは自然な感覚だと思います。われわれはそこに「自然の造詣の妙」を見るわけです。しかし、それが「魔法」ではないことを中谷宇吉郎は示しました。

233 2009年07月01日 08:55

きくまこ眼鏡
「不思議」という言葉に抵抗があるかたは、「奇妙」と言い換えていただいても結構です。
量子力学の引き起こす現象は「奇妙」です。「奇妙」ではあるが「魔法」ではない。

「魔法ではない」とは量子力学という枠組みの中で起こりうることしか起こらない、という意味です。
246自分のコメントを削除する 2009年07月05日 15:24

名もなき詩人で地球
皆さんしばらくです。最近所用が重なり、満足な書き込みをする時間が得られなかったことで、ご心配をおかけしました。
とはいえ、今後も時間的余裕が持てる状況にはなりそうもないことから、一旦ここで、このトピックに関する私なりのとりまとめをしておこうと思います。
私が最後に書き込みをした6月14日以降、きくまこさんからいくつかコメントをいただいておりますが、率直に申し上げて、特別新たな知見が紹介されているわけではなく、これまで主張されたことが反復されているだけのように感じます。
コメント186 では、『量子力学について本当に理解したいなら、まずは本を読みなさい。』と述べられ、私の学識が不足しているかのような発言をこれまでと同様に繰返しておられますが、実際には、新たな専門書を読まなければ理解できないといったものではなく、私が著書『量子進化』などから吸収した知識(コメント144〜154にその概要を紹介)で十分理解できるものとなっています。(とはいえ、まだまだ学識不足であることはたしかですが。)
たとえば、コメント191の「量子テレポーテーション」に関する主張『いずれも、必ず最終段階で「古典通信路による通信」を必要とする・・・・』などは、私がコメント147で紹介した引用と重複する内容となっています。↓
《量子測定には古典力学の介入が避けられない》
『量子的な事象を見るためには、われわれは量子的な事象を古典力学で扱う物体の大きさに拡大しなければならない。(中略)われわれは古典力学の現象によらずに、量子的事象を認識したり説明したりできないのだ。』

このように、現状でも、きくまこさんの主張を理解することに関して、さほど不足があるとは思いません。
かといって、今後、きくまこさんが、私の知識の及ばない専門用語などを多用した主張をなさったとしても、むしろ、「水からの伝言」の科学性の議論から、どんどん遠ざかっていくものにしかなり得ないように思います。
このような状況を鑑みて、きくまこさんとの質疑を今後継続したとしても、新たな見解が得られるものにはなりにくいと思いますし、今の段階でも「水からの伝言」をニセ科学と批判することの非合理性は十分指摘できているものと思われることから、ここで一旦、これまでの経過を取りまとめるのは妥当であると考えます。


また、きくまこさんには、ここまでお付き合いいただき、心から感謝を申し上げます。
このトピック以前に立ち上げたトピックでは、本人がミクシィに参加なさっていることを知らずとは申せ、非常に失礼な言動をしたと反省しております。今一度、その点に関して謝罪いたします。
しかしながら、きくまこさんの「水からの伝言」批判に対する私からの指摘にもそれなりの「理」があるということも、科学者として誠実にお認めになるべきかと感じます。
その点について、まず最初に、きくまこさんのブログを今一度振り返るつもりでおりましたが、現在、あのページは削除なさっいるようですね。↓
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/nisekagaku/mizuden_doutoku2.htmlLink
このことは、当該ページに書かれたあまりにも安易なニセ科学の判断理由は撤回なされ、「質問にはいつでもお答えします」という文言の削除を求めた私の主張をお認めになったということだと判断します。
とはいえ、きくまこさんは「水からの伝言」批判を著書として出版なさっているわけですので、当然これは今さら削除するわけにはいきません。それに対する責務は、今後きくまこさんの生涯にわたって、ことあるごとに影響を与えることになるかと思います。今回の私のトピックなどは、その責務が現実化したものだとお考えください。
(続く)
247自分のコメントを削除する 2009年07月05日 15:25

名もなき詩人で地球
(続き)
さて、このコミュにおいて、これまできくまこさんが主張された2つの論点について、私の見解を述べさせていただきます。↓

1)『量子テレポーテーションであれ量子暗号であれ、光速度を超えた情報伝達はできない。(コメント191など)』

2)『大きな物体を量子力学であつかうと、結果は古典力学と一致する(コメント7など)』

「水からの伝言」の科学性を議論するにあたって、古典力学的な「空間の移動」の問題は、全く必要のない論点であると考えます。
理由は非常に明白ですが、「水からの伝言」における、水の量子的発現は、「結晶」という「空間の移動」を必要としない方法をとっているからです。
また、量子的現象を古典力学に翻訳することの困難に関しても、ここでは問題になりません。
なぜなら、「結晶」を私たちが評価するにあたって、古典力学的な物差しはなんら必要ないからです。
「良い絵」と「悪い絵」、あるいは、「良い音楽」と「悪い音楽」というものを、私たちが判断する基準は、「感動」や「安らぎ」といった心象的な効果にあるわけです。
同様に、「水からの伝言」での「結晶」の判断は、「美しい」「美しくない」といった、それを見る人それぞれの主観的な印象にゆだねられると考えます。
2)についても(これも至極あたりまえのことですが)、「水からの伝言」では、量子的現象が現れにくいような「大きな物体」の関与する過程は、研究のどこにも認められません。
つまりは、これらの主張は、「水からの伝言」を論じるにあたっては、全く的の外れたものだといえます。
なぜ、このような的外れの主張を、大学教授という社会的に認められた方がなさるのか。
この点に関しては、私なりの推測はございますが、ここでは差し控えておきましょう。これを読んだそれぞれの方のご想像に委ねることにします。


次に、トピック内で私がした質問から、きくまこさんがあえて無視していらっしゃる(と感じられる)ものを、再度振り返ってみます。
これらのきくまこさんが答えなかった質問にこそ、きくまこさんが認めたくない真実が含有さているものと、私は考えます。

《きくまこさんが答えなかった質問》

1
『ニューサイエンスがまともでないという理由はなんですか。(中略)ニューサイエンスと見なされる分野にも、現時点では全面的ではないにせよ、将来科学として見なされる時代が来る可能性は、ないとは言い切れないのではないでしょうか。(コメント2より)』

きくまこさんが「ニューサイエンス」と断じる超心理学などは、むしろ世界的には、科学の俎上に載るものと認識されています。(コメント181参照)
おそらく、『フリッチョフ・カプラだのフレッド・アラン・ウルフだのブライアン・ジョセフソンだの(コメント179)』などといった方々も、それなりの学術的評価を受けているものと思われます。
反対に、ディーン・ラディン氏が著書「量子の宇宙でからみあう心たち」で述べているように、これらの研究分野を疑似科学、あるいはニセ科学だと否定的な態度をとる科学者団体のほうが、学術的評価としては低いようです。
このような懐疑主義の考え方、あるいはそれを奉じる団体をして、私は「孔ピー因習科学」と呼ばせていただきました。
このような方々は、有効に作用すれば「優秀な評価集団」として研究の発展に寄与することもできますが、どちらかといえば「執拗な妨害者」という側面が強調されているように思われます。
「水からの伝言」に照らせば、「これはニセ科学の可能性もあるのだから、慎重に真実を見極めるべきだ」という態度ならば「優秀な評価集団」として好ましいものといえますが、「このようなものは良い大人が信じるものではない」と、評価も検証も十分することなく全面的に否定する態度はただただ有害なだけであり、「執拗な妨害者」的態度であるといえます。
(続く)
248自分のコメントを削除する 2009年07月05日 15:26

名もなき詩人で地球
(続き)
2
『あなたのお仲間のたざきさんの文章にはこう書かれていますね。↓
〔現代の物理学では、原子・分子といった小さなスケールから、天体や銀河といった大きなスケールまでの、「物の世界」での出来事を、いくつかの基本的な法則にもとづいて、ほぼ完全に理解できるようになりつつあります(それでも、「人間の心」は、わからない!)〕
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fs/md/abs.html#1
あなたがた「水からの伝言」を批判する物理学者は、「人間の心」のような手に負えないものは、「物理学の土俵」からあらかじめ外しておいて、「物理で全てが説明できる」と言っておられるようですが、そもそも、ここに大きな間違いがあるのではないでしょうか。(コメント10より)』

「心は量子力学で解明できる」という考えは、著名な物理学者をはじめ、多くの科学者が支持するものです。(コメント154参照)
そういった世界的な認識を無視して、きくまこさんやたざきさんなどは『「人間の心」は、わからない!』と主張しているわけですが、ここには何か裏があると、常識的な思考の持ち主であれば感じるのではないでしょうか。
ちなみに、きくまこさんもたざきさんも、代々続く学者の家系のようですね。↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8A%E6%B1%A0%E8%AA%A0_(%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%A4%A7%E5%AD%A6)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%B4%8E%E6%99%B4%E6%98%8E
これほど優秀な家系の方々であれば、ご自分の主張が矛盾していることぐらい自認しているはずだと、私は考えます。
それとも、「スッパマン心は量子力学で解明できるということだけは、決して認めてはならん!」といった家訓でも受け継いでいらっしゃるんでしょうか。
非常に気を悪くなさることを覚悟して言えば、「コネさえあれば、学識的に?であっても、教授になれるもんなのかな〜〜」などとも考えてしまいます。
このような疑惑を払拭するためにも、真実を隠蔽し、嘘であるかのように思想宣伝する「ニセ科学キャンペーン」からは一刻も早く足を洗い、真理に誠実な科学者として再起していただくことを、僭越ながらアドバイスさせていただきます。



3
『あなたは確かに量子力学の専門家ではありますが、量子論の生物学・自然科学等への応用に関しては、特に専門家ではないように思います。
その意味では、「心は科学では説明できない」あるいは「量子論で生命の不思議を説明するのは妄想に過ぎない」とでも言いたげな主張は、あなたの専門領域から逸脱しているものと感じます。(コメント66より)』

きくまこさんの専門は学際計算統計物理学。 たざきさんの専門は理論物理学、数理物理学、統計物理学。(←ウィキペディアより)
いずれにしろ、「水からの伝言」の科学性に対しては、それに正確な評価を課すことのできる専門家であると、他者が認めるだけの立場にはないように思われます。
なにゆえ、特に専門だとはいえない分野の方々が、「水からの伝言」をニセ科学扱いするのか?なぜ、わざわざ、専門外の人間を担ぎ出してまで、「ニセ科学キャンペーン」を広めようとするのか?
これも、前述と同様に、「なんらかの事情があるのでは?」と私が考える理由です。
(続く)
249自分のコメントを削除する 2009年07月05日 15:27

名もなき詩人で地球
(続き)
4
『量子の世界は、あらゆる物質や空気中、私たちの体内の原子の一粒一粒の中に、いかなる時にも存在しているものではないでしょうか。
一見何の変哲もない日常の中に、量子の世界がどのように作用しているのか、科学の目は今後、そういった視点での進歩が求められていると考えます。
当然、鳥やイワシの体内にも、量子の世界は存在し、その世界を人間よりも上手に利用している生物がいたとしても、全く不思議はないと、私は思います。(コメント88より) 』

この世界の全ての生命活動は、量子的作用に基づいています。(コメント151参照)
ですから、量子の世界は何か特別なものではなく、私たちの体の中、周辺、生活の中、あらゆる物質の中に密着して存在しているわけです。
むしろ、地球上(全宇宙)の、あらゆる生命は量子の世界の中で生かされているといったほうが、よりふさわしい表現だといえるでしょう。
このことから、きくまこ氏が述べる「既知の知識でどうしても解決できない問題に限り、量子力学を用いるべきだ」という考え方は、実践的でないといえます。
人類は、「生命とは何か」という根本的な問いにすら、古典力学だけでは答えることができないのです。むしろ、「世界は量子的作用で溢れている」ことを基本的な前提として物事を捉えるべきでしょう。
ところで、これまでも鳥や魚の群体行動や伝書鳩といった、古典力学では説明が難しいと思われる事例をいくつか紹介しましたが、もう1つだけ、古典力学では全く説明のできない事例を紹介しましょう。↓

『カッコウのひなは、他のスズメ目の小鳥の巣のなかで育てられ、実際の親を見ることがない。したがって、経験豊かな親鳥から渡りの知識を何も学ぶことができない それにもかかわらず、ひなは真夏に南方ヘ向けて針路をとり、同じように渡りを体験したことのない他のひなと合流して渡って行く。彼らは遺伝的な本能により、体内にある神秘的な機構に動かされて渡りをおこなう。
鳥の生命の不思議 アドルフ・ポルトマン著』



5
『「ニセ科学は不道徳である」という思いと、その意見を広めることは正しいのだとするあなたの信念が揺るぎないものであるならば、そういった根気や努力は、あなたが心底そう考えていることを公に認めさせる絶好の証明になるはずです。
反対に、私を説得することを断念し、何かと口実を設けて避けようとするならば、あなたの信念そのものが疑われる結果となるでしょう。
つまり、私がレビューで主張した、あなたに対する不信が証明される形になるというわけです。
(コメント125参照)』

これは確認のために再掲します。
十分な反論も、持論の説明もせずに、ただただ「本を読め」を繰返す姿に、自分の主張が正しいとする揺るぎない信念を、このトピックにお付き合いくださるみなさんはお感じになるでしょうか?
残念ながら、私には、ただのポーズにしか見えません。
「なぜ信じたのか教えてください」もポーズなら、「質問にはいつでもお答えします」もポーズ。ご自分の考え方や信念を他者に理解してもらおうという実践や努力が全く伴っていないのです。
このような方に学問を習う学生さんたちは、どのような科学的信念を養うものなのでしょうか。
学生のみなさんには、ぜひとも、最終的な決断は独自の判断でできるように、自立した判断力だけは無くさないでいただきたいものです。
(続く)
250自分のコメントを削除する 2009年07月05日 15:27

名もなき詩人で地球
(続き)
6
『現在、量子テレポーテーション実験は成功しているとのことですから、実在は証明されていることになります。
問題は、人間がその能力を保持しているのか?あるいは、保持している・いないは定かではないが、それを能力開発するのは可能なのか?という点にあると思います。
これを調査し、研究しようという姿勢は、別に非科学的ではないと思いますが。(コメント182より)』

「水からの伝言」の本質はここにあると考えます。
人が心に思うこと、祈ることが、世界にはたらきかけることができるのか?
それができるのならば、当然、一滴の水の形態を変化させることも可能なはずです。
「それはありうることかもしれない」と感じ、コミュに参加するのも人それぞれの自由。
研究して実証してみたいと思うのも自由です。
「水からの伝言」批判、あるいは「ニセ科学キャンペーン」は、本来自由なはずであるこれらの行為を否定し排斥しようとする行為であり、本質的に反社会的な要素があるといえます。
そして、そのような反社会的な性質から、攻撃する対象は「科学性」そのものといった明確に判定できる部分に向かわず、「不道徳である」などといった不明確な、ある種思想的・宗教的なものにならざるを得ないわけです。
ここには「法的」または「思想的」に彼らの主張が優位であるという規範は一切存在しません。だからこそ、キャンペーンを正当化するためには大学教授という「権威」とアンケートなどの「数の論理」が必要なわけです。↓

数の論理
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E3%81%AE%E8%AB%96%E7%90%86

「ニセ科学キャンペーン」賛同者(私が「まこっちゃんシンパ」と呼ぶ方々)が執拗にアンケートを繰返すのも、そこに理由があります。
http://mixi.jp/view_enquete.pl?id=43583707&comm_id=42238
http://mixi.jp/view_enquete.pl?id=42863816&comm_id=42238

賢明なコミュ参加者のみなさんは、真に受けたりはしないとは思いますが、念のため一言申し上げておきます。
いうまでもなく、ミクシィのアンケート結果などいくらでも操作が可能です。
その気になればいくつでもNNを持つことができますし、コミュ参加・退会が厳重に管理されているわけでもないので、動員による票の加算などいともたやすいことなのです。
私が考えていただきたいのはそのようなアンケートの偽装性のことではなく、「なぜ彼らはアンケートなどという組織的な手段を講じてまで真実を曲げようとするのか?」という点にあります。
これらの一連の手段によって浮き彫りになったのは、むしろこの彼らの執拗さ、自分達こそが正しいのだと、どんな手段を講じても周囲に認めさせようとする底暗い熱意であるといえます。
なぜ彼らは躍起になってこのようなことをするのか?このことに関しては、あえて私の結論は申し上げません。みなさんそれぞれにじっくりと考えていただきたいからです。
(続く)


(続き)

もう一つ申し上げておきますが、トピック冒頭などで再三にわたり、私は、私ときくまこさんとの質疑内容が誰にでも容易に判断できるように、他者の当トピックの参加は控えていただくことをお願いし続けてきました。
ところが、実際には彼らがコメントを控える様子は全く見られず、むしろ、いっそうコメントを投稿する状況となっています。
私は、この状況こそが、「ニセ科学キャンペーン」に正当性がないことの、なによりも明確な証であると考えます。
「正当性がある」つまり、主張に自信があるのならば、きくまこさんほどの人であれば、自らの専門知識を駆使して、私の反論を全て論破することなど、いともたやすいことでしょう。
しかるに、きくまこさんはそれをせず(できなかったというべきでしょうが)に、シンパの方々のコメント多投によって、むしろ議論を埋没させることを選択なさったわけです。
それが意図的かどうかは、私の判断できる部分ではありませんが、ご自分の主張に自信があるのでしたら、そういった他者の援護射撃を制止なさることはできたはずです。
自信がなかったからそうしなかったのだ。私はこのように考えます。


以上を持ちまして、私なりのとりまとめをさせていただきました。
当分、こちらのコミュにコメントする時間的余裕はありませんが、またいつか新たな議題をみなさんと話し合えればと思っております。
それではみなさん星(3つ)星(3つ)星(3つ) ありがとう星(3つ)星(3つ)星(3つ)
283 2009年07月26日 09:26

きくまこ
「魔法ではない」と僕が書いたことの意味が、いまだに理解されていないようです。
おそらく僕の説明が悪いのでしょう。
しかし、量子力学はなかなか想像のつきにくい現象を起こすので、もしかするとどんなに言葉で説明しても理解していただけないかもしれません。その場合、数式を追っていただくのが最も速い、ということは申し上げておきます。すみません。

ミクロで起きるEPR相関がマクロには見えないから魔法ではない、などということは誰も言っていないと思います。少なくとも、僕はそういうことは言っていません。
事実、量子テレポーテーションや量子暗号はEPR相関を実社会で使おうというわけです。EPRそのものではなくても、その効果を利用できるのだから、マクロにも影響を与えうることになります。慎重に精密な実験装置を組めば、です。
普通は「decoherence」(干渉性のやぶれ)という現象が深刻で、量子的相関はマクロレベルに移行する途中で壊れてしまいます。これが壊れないなら、とっくの昔に量子コンピュータが開発されています。魔法ではないからこそ、この問題がなかなか解決できないわけです

「魔法ではない」というのは、理論の枠内で起きうることしか起きない、という意味だと思ってください。
286 2009年07月26日 14:06

きくまこ
量子力学の枠外のことについて言いたいなら、それは「量子力学で起こる」ものではないですね。

> 投げる瞬間の方向と高さ、ボールの質量と速度、
> 空気抵抗などが厳密に分かっていれば、
> どの地点にボールが落下するのかは、はっきりと分かる。

これ自体は、まあラプラス的な世界観ですから、19世紀までは正しかったわけです。これが実はそう簡単な話ではないことに気づいて、初めて文章に書いたのはたぶんポアンカレだと思います。
「三体問題は解けない」という標語はご存知のかたもおおいのではないでしょうか。
1950年代以降、決定論的な微分方程式で記述されるものでも「予測」できるとは限らないことが知られるようになりました。この認識が一般の科学者に共有されるようになったのは1970年代でしょうか。いわゆる「カオス」の概念です。

カオス概念によって、「決定論」にしたがうからといって「予測可能」とは限らないことがはっきりしました。ラプラスの世界観は「力学は決定論だから予測可能」というものですが、カオス以降の世界観は「決定論と予測可能性は別」というものです。

上の話でいうと「厳密にわかっていれば」というところが曲者です。「厳密にわかる」ことなどありえず、そして、どれほど些細な違いも結果に大きな影響を与えうる、ということです。

もっとも、1個の球を投げるだけの問題なら、それほど大きくずれることはないでしょうが(ただし、球まわりの気流まで考え始めると、非常に難しい問題です)
347自分のコメントを削除する 2011年07月05日 17:33

名もなき詩人で地球
caznさんへ

トピックが浮上してるのに気がついて、ひさびさに眼を通してみました。
ここでの議論を高く評価してくださり、心から感謝します。
とはいえ、ここにたむろしているエセ知識人どもと再び言い合いすることに、今は全く価値を感じていません。
現在、私が結論として抱いているのは、「科学には真実を解き明かすことができない」ということです。
そもそもの方法論自体が、宇宙の真理とまったく折り合わないのです。
科学の方法論とは「分割」です。どこからどこまでといった範囲制限をして、そこだけに特別な価値をつける。
しかし、量子の世界を垣間見た瞬間、そこには厳密な境界など一切ないことに、人類の英知はようやく気付いたわけです。
それでいながら、境界は存在する、境界を設けることは可能だと、強弁するのが科学の正体です。
その好例が、原子力です。厚い強固な外壁を設ければ、放射能は遮断できると信じ込んでいます。それは宗教です。愚かな迷信です。
宇宙の真理は、そんな人間の浅はかな思い込みをあざ笑うかのように、どんな壁からも放射能を漏れさせてしまいます。

映像の紹介ありがとう↓


http://www.youtube.com/watch?v=DhuHjPPRI64

ここには、常日頃私が感じていたことが記されています。人間の無骨な手に触れれば触れるほど、結晶は歪み、害をもつようになる。
食品は加工すればするほど、必要な生命エネルギーがゆがめられ、それを食した人体に負担を強いるようになるわけです。電子レンジなど、もってのほかでしょう。
あまりつまらない議論に時間を割かないように。もうすでに気づいている人は気づいています。今だに気づかない人には、お気の毒というしかありません。
そんじゃ〜〜お元気で。

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